058:記念日[ジェシ+ラケ]
毎年、その日を覚えていた試しはない。
それでも、その日が近くなると妻がそれとなく言ってくる。
そして、夫はレストランを予約する。
その日だけは小さな息子を一晩知人に預け、恋人同士に戻ることにしている。
だが、一年に一度の二人の記念日は意識的に三日遅らせた。
レストランの予約もとらなかった。
ラケルからの連絡で指定されたレストランへとジェサイアは向かう。
ウェイティングルームのソファにラケルは座っていた。
ジェサイアが入ってきたことを認めると微笑み軽く手を振る。
「待たせたか?」
「いいえ、たいしたことないわ」
アヴェ産の子羊のローストが今日のメインだとギャルソンが説明をする。
ガゼルとはいえ、合成ではない天然の食材でつくられた料理を口にできる機会は少ない。
メニューを閉じてラケルはぽつりと言った。
「贅沢なものね」
「まあな。もっとも、上を見ても下を見てもキリはないだろう。地上、アヴェあたりの支配者層はこの程度の食事は毎日だからな」
前菜、スープ、そしてメインの皿が運ばれた。
ローストにナイフを入れる。
「子羊の肉ね」
「羊か……。地上の牧草地で放牧されている羊を一度見たことがあったな。ものすごい数で、実は管理するのは犬なんだよ」
「犬ですって?」
ラケルは目を丸くする。
ジェサイアは骨を残してすべてたいらげ、ナイフとフォークを揃えて置いた。
その残骸を見つめていたジェサイアの目が鋭くなる。
「俺たちの仕事にそっくりだな」
唐突に吐き捨てられた。
「え?」
「ゲブラーだよ」
「何と似ているの?」
「だから牧羊犬だ。仕事は地上支配。粛正と内政干渉。ラムズという家畜を管理する。だが、俺達ガゼルだって所詮家畜さ。羊を管理する牧羊犬という役目を与えられたに過ぎない。このソラリスという檻で飼われ、この天空の国から地上を支配する。自覚も無いままにな」
「そうね。人間は与えられた材料でしか料理することは出来ないわ。限定された材料を与えられ、『お前の自由だから好きに料理をつくれ』と言われる。料理をつくりながら、メニューを決めたのは自分の意志だと思いこむの。でもね、与えられる材料を制限されれば当然メニューも限定される。それが、ソラリス人であり、ガゼルよ」
「かなり上層部の人間もコントロールされた情報しか知らないってことだ。ヒトは自分の持ち得る情報でしか物事を判断できない」
ジェサイアは大きく嘆息した。
「しっかりしてね、ジェス。だから私たち……」
「ああ、わかっている」
「まだ迷っているみたいね」
「おまえやビリーを危険な目に合わせるかもしれない」
「では、見て見ぬふりをする? このまま、ガゼルである恩恵を一生甘受することできるわよ」ラケルはジェサイアを正面からまっすぐ見据える。瞳に込められた強い意志。「でもね、私はそんなあなたを許さない」
静かだが強い響きだった。
まいったなとジェサイアは頭を掻いた。
「ああ、大丈夫だ。真実から目を逸らすことなど俺自身が許さない」
安心したように、ラケルの口許から笑みがこぼれた。
ジェサイアは空になったコーヒーカップを置いた。
「さて、まだ帰るには早いし飲みにでもいくか?」
「ええ、いいわね。この前とてもすてきなバーを見つけたのよ」
レストランの外。
ジェサイアの腕に自分の腕を絡めラケルはいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「で、何年目だったかしら?」
「さて?」
「七年目よ」
くすくすとした小さな笑い声。
「よく持ったな」
「ええ、本当に」
ジェサイアは宙を仰ぐ。
日中の明るい光も夜の闇もすべてつくられたもの。
どこか人工的な闇の色調。
このソラリスの夜に地上から眺めることのできる星々や月の美しさを重ねた。
それをビリーにも見せてやるのも悪くない。
「ソラリスで迎える最後の結婚記念日になりそうだ」
ラケルは黙って頷いた。
そして、二人はエテメンアンキの歓楽街へと人混みの中、紛れていった。
※この話に関連するお題は時系列順に以下のとおりになっています。