216:世界樹[シグ+バル]
「シグルド殿」
ブリッジに向かう通路でシグルドはメイソン卿に呼び止められた。
「どうした? メイソン卿」
「若を見かけませんでしたでしょうか?」
「いや、ここ二時間ほど見ていない」
「そうですか。どこかに隠れるにしろ長すぎるかと」
「心配には及ぶまい。航行中のユグドラシルから外へでることは不可能だ。船内にいることは間違いない」
若、ことバルトロメイ・ファティマ殿下は、ファティマ王朝の忘れ形見。公には死んだことになっている。クーデターで幼い彼は従兄弟のマルーとともにシャーカーンに幽閉され、虐待といえる酷い扱いを受けた。今でも背中に無数の鞭打たれた痕がある。
シャーカーンのもとから救出しても、バルトは闇を恐がり、鞭に怯えた。
恐怖の対象と真っ正面から向かい合って乗り越えるべきだと、シグルドは自分の故郷の武器である鞭の扱いを幼い王子に教えることにした。ある意味賭けではあったが。
鞭に触れていくうちに、鞭そのものが恐怖でではないことをこの賢い王子は徐々に理解していく。恐怖を克服してしまえば、彼は驚くほど勘が良いのだということを周囲に見せつける。
日に日に上達していく。華麗に鞭を扱うバルトにギャラリーたちは歓声をあげる。
バルトは大得意だった。まだ子どもなのだから無理もない。
調子に乗りすぎたのだろう。ユグドラシルクルーの子どもに怪我を負わせてしまった。幸い怪我は大したことはなかったが、バルトは自分の責任だと落ち込んだ。
いや、子どものやらかしたことなど、普通ならば気をつけてやれなかった大人の責任なのかもしれない。しかし、そういった扱いはバルトを傷つけることをシグルドは知っている。きつく叱り反省を促した。
それが、二時間ほど前のことだった。
もしかしてと、シグルドは倉庫へと向かう。
昨日、物資が大量に搬入された。倉庫には荷物がまだ山積みだ。案の定、そのてっぺんにバルトは座っていた。
「若、こんなところで何をなさっているのですか?」
かけられた声に驚くふうもなく、バルトは見下ろした。
「シグか。別に叱られていじけていたわけじゃないぜ」
「存じていますよ」
「反省していた。というか、考えていた。俺、もう鞭は自分の思い通りになるんだって、うぬぼれていたんだ。でも、怪我をさせてしまった」
「かすり傷でしたけれどね」
「それって、ただ運が良かっただけだったんだ。だから……、もう二度としくじったりはしない」
バルトは唇を噛んで天井を睨んだ。
幼いながらも、バルトはユグドラシルの王だ。
ユグドラシル……世界樹の名を持つ鑑。今のバルトは、まだこの鑑から外へ出ることはできない。だが、いつか世界は両手を広げ彼を迎い入れるだろう。
シグルドは何も言わずにバルトに背を向ける。ドアの前で振り返った。
「若……反省が終わったのでしたら、今度は二時間も雲隠れをして、メイソン卿を心配させていることも反省することです」
「おい、爺がか? やっべー」
バルトは、慌てて飛び降り、あっという間にシグルドの脇を駆け抜けていった。