008:名前を呼んで[ヒュウガ]
頭痛、悪寒、関節の痛み。
最初は、風邪だろうと誰もが思った。
しかし、高熱と激しい頭痛に、両親も祖父も兄たちも次々に倒れていった。まだ、なんとか動ける兄たちが症状の重い家族をブロック唯一の病院へと運んだ。病院は同じ症状で運び込まれた人たちで溢れかえっていた。苦しそうな呻き声が、まるで合唱のように病院中にこだましていた。とんでもない非常事態であるということは子供でもすぐに理解できた。
そして、急遽、あのブロック一帯は閉鎖された。
医薬品も人手も足りなかった。外部から医師や看護婦たちが次々と送り込まれてきた。彼らは二次感染を恐れ、まるで宇宙服のようなプラスチックスーツに身を包み治療にあたっていた。
治療といっても、何ができるわけではない。ウイルスを特定するのに時間がかかり、結局治療法も見付けられぬまま、感染した人々は次々に命を落としていった。
まるで悪夢。
やっと、高熱から解放されて、どうにか意識を取り戻した時、最初に知らされたことは家族全員の死だった。
処理施設へ送られる直前、ガラス越しに会うことだけを許可された。病み上がりのおぼつかない足取りで、家族に最後の挨拶をしに遺体安置所へと向かった。
多くの遺体に混じり、祖父が、両親が、兄たちが横たわっていた。
不意にプラスチックスーツ越しの手に肩を掴まれ振り返った。防ウイルスフィルターを通したくぐもった声で医師は言った。
「運がいい子ね。感染して助かったのはあなた一人よ」
運がいい? 何故? 何を言っているの?
理解できなかった。
厳しかった祖父も、優しかった両親も、かわいがってくれた兄たちも死んでしまったのに。大切なものは永遠に失われてしまったのに。
もう、その腕で抱きしめてくれることはない。
もう呼んではくれない。
二度とあの声で「ヒュウガ」とは。
十二のときに家族すべてを失った。
第三級市民の被差別民である一家は決して豊かな暮らしをしているわけではなかったが、優しかった兄たちや両親にただ守られ愛されているだけでよかった。
すべてを失い、守ってくれるものたちがいなくなった。
同じ区画で暮らす市民たちから執拗な迫害を受けた。生きていくためには自分の身を守ることに全神経を集中させなければならない。そんな生活が三年近く続いたのだ。
その三年の間「ヒュウガ」と呼ばれた記憶がない。
たぶん、呼ぶ必要もない名前なのだのだ。
彼らにとって攻撃ターゲットの名前など何でもよいのだろう。
「ヒュウガ」
呼ばれて、振り返る。
大柄な男が後ろに立っていた。
「え? あ、先輩ですか」
「何をぼーっとしている」
「ここでは、先輩もカールもシグルドも『ヒュウガ』って呼んでくれるんですね」
「何バカなこと言っているんだ。そりゃおまえの名前なんだからあたりまえだろう。他に何て呼ぶっていうんだ」
「えーと、『おい』とか、無視するとか」
にっこり笑ってヒュウガは答えた。
冗談なのだろうか、もしかすると下層階級の持つ独特の習慣なのかもしれないと、ジェサイアは難しい顔をした。
なんて反応していいかわからないといったジェサイアの様子にヒュウガは吹き出し「気にしないでください」と言った。
「訳わからないこと言ってないでさっさミーティングルームに行け、カールもシグルドもとっくに行っているぞ」
「あ、忘れていた」
ヒュウガは慌てて立ち上がり、ミーティングルームへと走り出していた。
もともと「砂上の家」に組み入れていたのですが、すべてジェサイア視点で書くことにしたので、入れられなかった部分です。でも、このお題は、シグルドでもラムサスでも書けるお題ですね。二人とも名前をまともに呼ばれていなかったように思うので。