166:脱出[シグルド]
例え、研究所から脱出できたとしても、どうしようもないことくらい分かっていた。
死にたくは無かった。それでも抗いながら行き着く先が『死』であるのなら納得いくような気がした。
結局、三枚目の防御シャッターに阻まれた。思いっきりエーテルを叩きつけたが破壊することは叶わなかった。そこに辿り着くまでに壊してやったガードロボ、セキュリティロボは合わせて六機ほどだ。そう思えば少しは気分がすっとする。
白い医療室。
身じろぐが手足は固定されていて動くことはできなかった。運ばれたストレッチャーにくくりつけられたままのようだ。
あの時、背後からのガードロボに押さえつけられ、大量に体内に薬を注入さ意識を失った。
目が覚めたとはいえ半覚醒状態だ。朦朧とした意識の中、白いカーテンの向こうから研究員の会話が聞こえてきた。
――あのイグニスの人種サンプルだが、何度目の脱走だ?
――三度目だ。……今回の機材に与えた損害を纏めておいてくれ。
――けが人が出なかったのは不幸中の幸いだったか。罰を与えんとな。どう制裁する?
――肉体のダメージは最小限にだ。それさえ守れば任せる。
――何故、ラムズごときの、しかも反抗的なサンプルをここまで大切に扱う? いい加減破棄し、新しいサンプルを提供して欲しいものだ。
――仕方ないさ。カレルレン閣下の思し召しだ。これほど器への同調実験に適したサンプルはそうそう見つからないだろう。こいつが連れてこられてからもう一年近く経つが、その後連れてこられたサンプルはこいつの足下にも及ばない。とにかく、保たせるだけ保たせないといけない。
――その為に考え得る限り最高の健康管理、肉体維持の為の栄養補給と贅沢なものだ。一体年間こいつ一匹のためにいくらコストがかかっていると思う?
――もう一匹同じレベルのサンプルを捕獲するコストを考えれば安いものだ。質の悪いサンプルは一回限りの使い捨てだ。質が良ければ繰り返し使う。だが、時間の問題だ。どちらも家畜にしか過ぎん。
――家畜ねぇ。よし、罰を与える方法を思いついた。
それ以来、研究室から脱出を試みる度に家畜用鑑別タグを身体に打ち込まれた。例え記憶を消されてもこの屈辱を忘れるわけにはいかない。この穴は一生塞がないと決心した。
新しく就任してきた研究所長は言った。
「週二回の同調実験以外の日は何をしているのかね」
「同調実験に耐える肉体維持プログラムを無理矢理」
素っ気なくシグルドは返答した。
「君の身体データを見せて貰ったが驚いたものだ。大量に摂取させられていたドライブの影響は仕方ないとして、それ以外は極めて良好。身体機能は最高の状態で保たれている」
シグルドは鼻で笑った。
「俺には、かなりのコストがかけれているみたいですからね、簡単には潰せないってところでしょう」
「君は遠慮がないね。まあ、いい。君から一通りのデータを採取し終えれば解放される。天帝カインに忠誠を誓い神聖ソラリス帝国に君の持つ能力を捧げればソラリス市民として生活する道もあるのだよ」
「で、今までにそうやって解放され、ソラリス市民になったサンプルって何体いましたか?」
研究所長は顔を上げた。
「ゼロだ」
シグルドは口許にふっと笑みを浮かべた。
「やはりね」
「失望したかね」
「いや、もしあんたが『何体も救済された』などと答えていたら、明かな嘘だと思うしかなかった。敢えてゼロというのは可能性があるということだ」
その研究所長は声をたてて笑った。
「なかなか賢い子のようだ。時間ができたら私のところへ来なさい」
「何故?」
「ソラリスの科学技術は地上のものとは違う。君がソラリス市民としてその能力を捧げて貰う為だ。教えられることは私が教えよう。何、気まぐれさ。さて、もう戻りなさい」
「ああ、俺も気が向いたらな」
シグルドはそう答えると席を立った。
やはり死ぬわけにはいかない。
ただ、漠然とした帰巣本能に揺さぶられ無謀な脱出を試みるのは頭の悪すぎる行動だ。
今は生きてここを出ることだけを考えよう。そのために利用できるものはすべて利用してやろう。チャンスは必ずある。最後まで生き残るのだ。
いつか、本来居るべき処へと帰り着くために。
カーラン・ラムサスがシグルドの前へ姿を現すのはそれから一年後だった。