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青い闇に抱かれて(ネストリ)


昨晩から断続的にではあるが、雨は降り続いていた。今日も、午後になってから、雨脚はますます強くなっているようだった。

薄暗くなった部屋で、トリスはベッドの上に仰向けに転がっていた。

宙に手をかざし、ゆらゆらと泳がすように動かせば、指の間に揺らめく水を感じることができる。水気をたっぷりと含んだ空気は全身に重くのしかかってくる。

耳障りな雨音。鬱陶しい湿気。

忘れていた記憶が唐突に蘇った。

あの暗くて寒い街の記憶が。

浮浪児たちにねぐらを提供していたその男は自称ブローカーだった。その辺にたむろしている子どもを集め汚い仕事をさせては、ピンはねをするということを生業としていた。

トリスも、他の浮浪児といっしょに、そこに寝泊まりすることが多かった。必要以上に構いはしないが、この男は決して子どもに暴力を振るうことはなかった。それは、子どもたちにとって、不幸中の幸いだった。

雨の日は、仕事が少ない。男は酒を飲みながら、子ども相手に暇つぶしの世間話をする。

――すごく降ってるね。嫌ね、また水浸し。

――ああ、水浸しくらいならまだいいけどな。川の土手が決壊したら、こんな掘っ建て小屋なんて、あっという間に流される。去年もガキが二人流されたよな。

――流されるとどこに行くの? もしかすると、ここから出られるの?

――ああ、出られるさ。それどころか、ずっと流されてそのうち海の底だ。

――その方がいいかもしれない。海の底は天国だって聞いたもの。おいしいものもいっぱいあるって。

――あーー? それは、竜宮城のことか? ばーか、おとぎ話信じる歳じゃねえだろう。海の底は暗くて冷たいだけのところなんだよ。

罪人たちの子孫が住まう土地。まともな治水など行われていない。大雨が降るたびに河川は氾濫する。最悪、家屋が流されることもあった。流されなくても、下水が完備していない街は、水がひいた後、饐えたような悪臭が立ちこめる。そんな、不衛生な街だった。

今から思えば、そこは、援助など望むべくもない国から見放された社会の底辺だったのだろう。

そんな、雨音のさざめく夜は眠れない。

ドアを叩く音がした。

トリスは、宙にかざしていた手を下ろして、ベッドから上半身を起こし「誰?」と訊いた。誰かは分かっている。

「入るよ、トリス」

「ネスなの?」

ドアが開き、ネスティは部屋に入ってきた。薄暗い部屋の中、青みがかった陰影は、何時にも増してこの兄弟子の顔を不健康そうに見せていた。

襟のつまった制服を着崩すことなくきっちり着ている生真面目な兄弟子は、見ているだけで、疲れる。

ネスティはトリスの隣に腰をおろして、訊いた。

「どうしたんだい? 雨とはいえ、部屋の中に閉じこもりっぱなしとは、君らしくない」

「あ……えと、それは、これからのことを色々と考えたり、計画を練ってみたり……。たとえば、黒の旅団からどうやってアメルを守ろうかとか、連中の目的は何なのかとか、それはもう色々とね」

咄嗟の思いつきを口にして、トリスはえへっと笑った。彼女のこういった時に出てしまう笑いは、感情と無関係な、条件反射に近い。

まさか、故郷での生活を思い出してしまって、どうしようもなく気が滅入っているなんて、恥ずかしくって言えない。

ネスティは少々哀れむような表情をつくり、嘆息した。

「嘘をつけ、そんなしどろもどろじゃ、バレバレなんだよ。君はそういったことに時間をかけて悩むことのできるタイプじゃないだろう。悩むくらいならさっさと行動に移しているんじゃないのか? 別に話せと言っているわけじゃないがな、そんな調子じゃ皆が心配する」

トリスはちょっと驚いた表情をするが、すぐに苦笑いを浮かべた。

「ごめんなさい……。ずっと忘れていたことを急に思い出したの。子どもの頃のことを。それだけだから……本当にそれだけだから、心配しないでいいよ」

「派閥に来る前のことか? 君から直接聞いたことなかったな」

「あはは。実は、あまり多くは覚えていないんだ。暗かったことと寒かったことと、いつもお腹が空いていたことくらいしか。家族も友達もいなかったし。それが、なんで急に思い出したのかしら」

「そうか……」

そう言ったきり、ネスティは黙った。それ以上何かを聞き出そうとはしない。そして、少しの沈黙の後、言った。

「なあ、トリス。前に、フリップ様に嫌味を言われたことあったな。その時、君は『平気よ』と言っていた。『さげすまれ、汚いものでも見るような目で見られることには馴れている』と」

「あ、あたし、そんなこと言ったかしら?」

トリスは戯けて言った。

「正直、ショックだった。僕は、周りから与えられる情報で、派閥に来る前の君の生活を知っているつもりでいた。だが、どういった思いで暮らしていたかということまで、考えが及ばなかった。ひとりぼっちの小さい君を想像することはできなかったんだよ」

「あのね、ネス。あたし、子どもの頃、なんで、こんなところで生活しているのかとか、なんで親がいないなのかとか、自分が不幸だとか恵まれていないとか、ひとりぼっちだとか、そんなことを考える余裕もなかったわ。そんな目で見られることなんて、当たり前のことだったの。だから、別に辛くはなかったわ」

そんな生活は、掌の上で、石が烈しく光ったあの日、終わった。強制的に蒼の派閥に連れてこられ、召喚師としての勉強を強要された。選択の権利などありはしなかった。エリート意識の強い連中の中で「成り上がり」とさげすまれ、または、無視された。

ひもじい思いをすることが無くなったことと引き換えに、自由を失った。みじめさを知った。

一体、どちらが良かったのだろう。ずっと分からなかった。

トリスは、隣に座るネスティの方へゆっくりと首を回した。闇色の瞳が眼鏡の奥から、じっと見つめていた。

「辛くなかった君が、辛いんだよ」

膝の上に置かれているトリスの手に、ネスティは自分の手を重ねた。

ネスティの華奢な指はひやりと冷たい。冷たいくせに、それは明らかに体温を持った人の手だ。

トリスは、手をそっと裏返し、お互いの掌を合わせる形で、ネスティの指に自分の指を絡め、かるく握った。

「あたし、ひとりぼっちなんだってことは知っていたけど、孤独だったことは知らなかったの。……ネスに出会う…まで…は」

語尾が震えていた。自分の口から出た言葉に涙が出そうになったトリスは、慌てて唇を噛み俯いた。

ネスティはくすりと笑う。

「今は、孤独じゃないだろう。君は、とんでもない問題にいちいち首を突っ込む。だが、そのたびに、力を貸そうとする変わり者があらわれているな。不思議なことに皆、君を気に入っているんだよ。だから、もう、ひとりぼっちじゃない。大丈夫だ」

二人で、出発した旅。視察の旅という名を借りた、追放でしかなかった。でも、派閥内から外に出歩くこともできなかったあの頃にくらべれば、ずっと自由だ。守りたいものもなく、やりたいことも、やるべきことも、希望も夢も何も見えなかったあの頃の自分より、今の自分がずっと好き。ずっと生き生きしていると思う。毎日が新しい出会いと、発見の連続だ。これからも、色々な人との出会いと別れを繰り返すのだろう。

それでも、それでも……とトリスは思う。

ネスティがいなければ、温かく見守ってくれる人、信頼してくれる仲間たちに囲まれて、笑顔の中、自分はひとりぼっちなのだと。

それは、きっと理屈じゃなくて、もうどうしようもないことで、このたった一つの温もりだけは他すべてを失っても、手放したくはなかった。

誰も、ネスティの代わりにはなれない。

どちらかということもなく、身体を寄せ合った。トリスは、ネスティの肩に頭を乗せ目を閉じた。切なさがこみ上げてくる。

ふと気がつけば、何時の間にか雨音は聞こえなくなっていた。雨が止んだのか、小降りになったのか。

しーんと静まり返った部屋の中はすっかり暗く、空気は相変わらず冷たく重い。

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まるで、青い闇に覆われた冷たい海の底で、二人ひっそりと寄り添っているようだった。

部屋の外から、小さく聞こえてくる楽しげな笑い声も、どこか遠い。たぶん、誰も、ここには辿り着けない。

触れあう肩が、腕が、絡ませた指先が、ゆっくりと溶けていくようだった。

胸がスキンと熱くなる。

このまま時間が止まってしまえばいい。

でも、じきにアメルが、夕食の支度ができましたよ、と呼びに来るだろう。

トリスはため息をついた。

そして、身勝手な衝動を振り払うように、さらに力を込めネスティの手を握りしめた。


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