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Blue Rose

ラムサスは誰もいない執務室で一日の職務を終え、ふっと力を抜く。そして、椅子の背もたれに寄り掛かると目を閉じた。静かな空間の中に聞こえてくる空調の低周波の振動音が耳障りだ。

一日中デスクワークというのは、肉体疲労はないはずなのに、中途半端な疲労感が鬱陶しい。酷使した目を閉じ、瞼を指で抑えると小さく息をはき出した。と、デスクの上の通信機が緑色の光の点滅と共にラムサスを呼んだ。

応答のボタンを押さえる。

「あ、やはり、まだそちらでしたか。ヒュウガです。今、こちらに戻ってきました。お土産があるので、これからあなたのご自宅に伺いたいんですが……」

聞き慣れた友人の声に、ラムサスの口元が少し緩む。

「ああ、かまわん。土産は酒か?」

「残念ながら、酒でも食べ物でもありません。でも、なまものだから今夜中に届けたくて………」

「なまもの? ああ、酒は十分あるさ」

「では、後ほど……」

ラムサスは立ち上がると、ロッカーから上着を取り、執務室を後にした。

シグルドとジェサイアが立て続けに離反した。今、残っているのはミァンとヒュウガだけだった。

そのヒュウガも、どうやら別のところで動き出していた。お互い、知らされていない任務が増え、すれ違うことが多くなった。だが、それでも目指すところは同じだとラムサスは信じていた。この男は自分を決して裏切りやしないと。

ラムサスの住まいはゲブラー本部の近くにある高層マンションの中層にあった。几帳面に片づけられたその部屋には余計なものは一切置いていない、殺風景で無機的なものだった。印象は執務室とさほど変わらない。

ただ、サイドボードに並んだ酒だけが、唯一生活臭を感じさせる。

ラムサスが自宅に帰り着いて程なくドアホンが鳴った。

分かりきった客人の為にわざわざ玄関まで出向いてドアを開けてやる。

「こんばんは……」

ドアの前に立つ友人はその微笑みと共に全く変わることのない静かな黒い瞳を向けた。

しかし、ラムサスはヒュウガの腕の中で軽やかな芳香を放つあるものに目を丸くした。

薔薇――何故に薔薇?

その意図がまったく理解できなくて、ラムサスはヒュウガの顔をまじまじと見つめた。

ヒュウガはにっこりと笑いラムサスに花束を押しつけると勝手にあがりこみ、ソファーに座ると、あっと言う間にリラックス体制に入っている。

「ヒュ、ヒュウガ……。これは?」

ラムサスは困惑した金色の瞳を向けた。

「珍しい色の薔薇でしょ? 地上では青薔薇と言われているものですよ」

「青って……。この中途半端にくすんだ色は……。ソラリスの青薔薇はもっと鮮やかな青だ」

「そうですね。ソラリスの遺伝子操作をもってすれば、真っ青な薔薇をつくることは容易いことです。でも、地上では、青みを少しでも感じさせる薔薇を選び出し、何世代にもわたって、交配を続けやっとこの程度の青い薔薇が生まれたんですよ。それでも未だにその方法で真っ青な薔薇が生まれることを夢見ているんです」

ラムサスは馬鹿にしたように鼻で笑った。

「ご苦労なことだ」

「でも、そのおかげで、このような微妙な色の薔薇が生まれたんです。気に入りませんか?」

「いや、珍しい色だ。お前がせっかく持ってきてくれたんだ」

ラムサスは薔薇からヒュウガへとゆっくり視線を移す。

「ヒュウガ……。地上へ降りていたのか?」

「ええ……。でも、それ以上は詮索なさらないで下さい」

ヒュウガはその視線から逃れるように立ち上がると、勝手にサイドボードから酒とグラスを取り出し、テーブルの上に並べる。そして、振り向きながらラムサスに優しく笑いかけ「氷をとってきますね」と、キッチンに向かった。

地上に降りていたのではない。あることをユイに伝える為にシェバトへ行っていた。天帝の密命をおびて、地上におりる予定があると。その時、ユイとミドリも一緒に地上におりるのだ。

ユイにはすべてを話してある。

天帝以外のガゼル法院以下、ソラリスの上層部は皆偽装結婚と判断してくれるだろう。そして、たぶんこの男も。

ヒュウガは第三次シェバト侵攻作戦の総指揮をとった時にユイに出会った。

戦場の中で敵将を真っ直ぐ見据えた彼女は壮絶なほど美しかった。

そして、一瞬で恋をしたのだ。

シェバトを極秘裏に何度も訪問しユイと逢瀬を重ね、その結果ミドリが生まれた。

薔薇の咲く庭園でユイは言う。

「シェバトに咲く薔薇も綺麗でしょ?」

「やあ、ユイ……。見事ですね」

「ふふ……。薔薇を育てる余裕があるのなら食べられるものをつくったほうがいいという人も多いけれど……。あなたは、どの色の薔薇がお好みかしら?」

「どの色もきれいですが、この色はひっかかりますね。何故でしょう?」

「青薔薇ね」

ヒュウガは頷く。

「ソラリスの青薔薇は真っ青です。これは、青と言いながら、中途半端に青みがかっているだけの薔薇ですね。くすんでいて、花としては美しいとは言えない色でしょう」

「嫌い?」

「そうですね、嫌いなのかもしれないし、好きなのかもしれない。ただ、気になるだけです」

「気になる?」

「ええ……ある人を思い出させるからかもしれません」

ユイはくすくす笑いながら、からかうように言った。

「思い人かしら?」

「まさか………」

一瞬、たじたじとするヒュウガに吹き出しながら、ユイは鋏を取り出し、一本一本丁寧にその青薔薇を切りだした。

「はい……。これ、持っていってね、その思い人にお土産よ」

「ユイ……しつこいですよ。からかわないでください」

ヒュウガは苦笑し、悪戯っぽく微笑むユイにそっと口づけた。

「それより、しばらく会えなくなりますね。でも、すぐに家族一緒に暮らせます。それまでミドリをよろしくお願いします」

ヒュウガは空を見上げる。同じ天上の国とはいえ、シェバトはソラリスより低空にあり、頭上に地上を見ることはない。青く高い空はどこまでも青く澄みきっていた。

この青薔薇もあの空の色のように鮮やかであったら、素直に美しいと思えたのだろうか。

ある人………。

この花を見たとき、何故かラムサスを思い出した。そして、気になった。それは、胸騒ぎを覚えたと言っていいかもしれない。だから、ユイに渡された土産を持って自宅に戻ることなく、その足でラムサスに会いに来たのだ。顔を見なければ落ち着かなかった。

薄暗がりの部屋の中で黙々とグラスを口に運ぶラムサスの横顔を黒い瞳がじっと見つめていた。

酒量があきらかに増えている。前は二人とも同じ程度のペースであけられていたグラスが、今ではヒュウガが一杯目を飲み終わる前にラムサスは二杯目の酒をあおっている。

ふと、ベッドの側のサイドテーブルに目を移すと、錠剤が目につく。

おそらくは、睡眠薬。

相変わらずあの悪夢にうなされているのだろうか。

エルルの悪魔。

天帝から受けた密命はその悪魔を見極めることだった。皮肉なことだと思う。

「ヒュウガ、どうした? ぼーっとして」

はっとしてラムサスを見る。金色の瞳が心細そうにヒュウガを見つめていた。

ヒュウガは何故か見てはいけないようなものを見てしまったような気がして、ラムサスの瞳から視線を逸らした。

「あ、すみません。ちょっと酔ったようです」

ラムサスを見ないまま、安心させるように優しく笑みを浮かべた。

「だらしないぞ。このくらいで」

「そうですね………」

ヒュウガはだるそうに自分に寄り掛かってくるラムサスの肩を抱くと子供にするように額に口づけた。

昔はこんな不安定な感じを受ける男ではなかった。

卓越した能力を持ち、あっと言う間に頭角をあらわしていったラムサスは生き生きとして、その将来に何の不安も感じさせなかった。彼のとなえる能力主義は自分たちにとっても希望だったのだ。

しかし、最近その能力と裏腹に感じさせるこの痛々しいまでの不安定さは何なんだろうか? その原因はまったく検討がつかない。

シグルドやジェサイアの離反が原因などという単純なものではない。

いや、その不安定さを知るのはおそらく自分とミァンだけだ。

ラムサスは少し身体を起こすと、静かに、だが強い調子で言った。

「お前は、俺を裏切るな……」

「カール?」

ラムサスはヒュウガの肩を強くつかむと言葉を荒げる。

「あいつらみたいに俺を裏切るな!! お前は俺のものだ! 俺が見つけ俺が拾ってやった。俺がいなければ今のお前はなかった」

「シグルドは貴方を裏切ったわけでは………」

ヒュウガは、ラムサスの頭ををそっと抱き、淡い金色の柔らかい髪を指で梳いた。

ラムサスは再びヒュウガの胸に顔を埋めるとさらに激しい口調で言葉を続ける。

「そうだ……。シグルド……あの裏切り者も俺のものだったのだ……。なのに、あいつめ……」

解っている。ラムサスには感謝している。

ラムサスに見いだされることなかったら、自分はいま だに第三階級で底辺の生活をしていただろう。シグルドも地上に戻るどころか、被験体のまま廃人として破棄されていただろうことは間違いない。

だから、自分もシグルドも彼を裏切ったことなどないし、これからも裏切ることなど決してないのだ。

それでも、それでも、カール……。と、ヒュウガは心の中で呟く。

貴方も知っているように私もシグルドも貴方のものではない。

そう、ラムサスはそんなこと理屈では十分過ぎるほど理解しているのだ。それなのに感情を抑えることが出来ずにエスカレートさせ、恨みの言葉を吐き続けさせる。そして、その言葉はラムサス自身を傷つけていく。

それなのに、ヒュウガにはそんな彼を納得させる言葉を持ち合わせていなかったし、彼を癒す方法などないことを知っていた。

震えるラムサスの肩をを抱く腕から伝わる痛みを感じることしかできない。

ヒュウガの黒い瞳が漠然と目の前にある薔薇を捉えていた。

薄暗がりの中に沈むくすんだ色調の薔薇。鮮烈な香りだけが闇の中でその存在を主張しているようだった。

ふと、ある言葉が浮かぶ。

胎児の色

そうだ、これは『胎児の色』なのだ。こんな色の薔薇をつくろうなんて誰も思わなかった。

誰もが望んだのは鮮やかな青薔薇だった。

これは、まだ人目にさらしてはいけない薔薇なのだ。

真っ青な薔薇として生まれるべきだったのに胎児の状態で外気にさらされてしまった薔薇………。

傷つきやすく、脆く、痛々しい『胎児の色』。

ヒュウガはカールを抱く腕に力を入れ、安心させるように言った。

「カール、大丈夫ですよ。私はけっしてあなたを裏切ったりしませんから」

何故、『胎児の色』などと感じたのか。そして、何故ラムサスをイメージさせたのか、ヒュウガにはまったく解らなかった。

そして、ヒュウガがラムサスの出生の秘密を知るのは、何年か先になる。

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