「カール……。私は嘘をついてはいませんよ。あなたの体組織はどれをとっても人間です。何を疑っているのですか?」
ヒュウガが何と答えるかはもう解っていた。そして、それが、決して気休めでもなく完璧に正しいことも。理屈では、十分過ぎるほど解っている。論理的に一つ一つ検証していっても、物質的に俺は人間なのだ。そう……俺をどう切り刻み解剖し遺伝子レベルで分析したとしても「人間である」という結論しかでてこないだろう。おそらく、亜人であるリコよりも人間であるという結果が提示されるだろう。
それでも、リコを羨ましくさえ思う。この不安をどう説明したらいい? どう訴えれば解ってもらえる? 頭では解っている。だが実感が伴わない。
「お前は、人間ですらない……」
今頃になって、そんな言葉が無自覚なまましこりになっていたことに気がついた。
俺は、人間として生きていく価値があるのか?
ラムサスは、心が晴れないままヒュウガの部屋を後にし薄暗い廊下を自室に向かう。身体全体を取り巻く夜の空気がいつもに増して冷たく感じる。ヒュウガが気遣ってくれているのはよく解るから、これ以上甘えることはできない。
「お……カールか。いいところで、出会ったぜ!」
聞き覚えのある声に振り向くと、長身のがっちりした男がちょうど良い獲物を見つけたという表情でにやにや笑って立っている。
「ジェサイア……」
よりによって、一番苦手とする男と出会ってしまった。苦笑するしかない。 「ちょっと、付き合えよ。シグルドの奴は酒には付き合わんし、ヒュウガはやり残した仕事があるなどと生意気なことぬかしやがる」
ラムサスは困惑した瞳を向けるが、薄いブルーの瞳に、有無は言わせないというふうにその瞳を強く見返された。
「まさか、断らないよな」
念を押され、ラムサスは一つ小さく溜息をつく。抵抗は無駄だ。
「ああ…」
ジェサイアの部屋は他の部屋と似たようなものだ。ただ、なぜか小さな冷蔵庫が置いてある。おそらく、中身はほとんど酒だろう。
「おめぇさんはどうする?」
ジェサイアはその冷蔵庫の前にしゃがみ込み酒を物色しながらラムサスに声をかける。
雪原アジトは、少しの人間を残し、引き払われることになった。デウスを倒し、復旧の為の新しい本部は、ここより温暖な土地に移される。
「決めていない。俺の居場所は……まだ、見つかっていない」
ラムサスは、少し目を伏せ膝の上で両手の指を組む。
「まあ、病み上がりだからな……」
「別に……病気だった訳では……」
「ん? 頭ん中の病気さ。というか、心の病ってやつか?」
「………」
やはり、苦手だ。この男の一見デリカシーのないように感じる言動すら、見透かしたように問題の本質をつく。
ユーゲントにいたときからそうだった。いつでも気がつくと、訳知り顔でにやにや笑って見ている。ずけずけと無遠慮に土足で上がりこんでくるこの男の態度にはどう反応していいのか真剣に悩んでしまう。まして、あのころは、超越者であるはずの自分の方が能力的に上でなければいけならないというプライドがあった。そして、そのプライドが無意識にこの男を避けさせていた。
シグルドやヒュウガが妙に懐いていたのが不思議だった。
真剣に悩んでいる表情のラムサスにジェサイアは慌ててつけ加える。
「おい、シャレの通じない奴だな。かるく流せよ…」
「俺は、人間ですらない……」
ラムサスは、ジェサイアに向けたのか独り言なのか解らない言葉をぽつりと漏らす。聞こえたのか聞こえなかったのか、その言葉には無反応なままジェサイアは冷蔵庫からボトルを一本取り出すとコルクを抜いた。静かな部屋にポンという音が響く。ジェサイアは、フルートグラスにその酒を注ぐとラムサスの手に持たせた。
淡い黄金色の透明な酒は、グラスの中でシューというごく小さな音を立てながらきめ細かな泡を煌めかせている。まったく、どこにこれだけの酒があったのか。それに、こんなご時世にシャンパンのときはフルートグラスだなんてあくまでもこだわれるのか…この男は。
ラムサスは、九割は呆れながらも一割ほどは関心し、グラスの中で小さな音をたて続ける細かい泡を見つめていたが、ふとあることを思い出しジェサイアに聞いてみる。
「おい、そういえばスピリッツ以外は酒と認めないんじゃなかったのか?」
「堅いこと言うなって。一応アルコールは入っている。取りあえず、乾杯だ」
「何にだ?」
「ばかやろー。酒が飲めることに決まっているだろうが!」
口の中にその透明な液体を流し込んだ瞬間、繊細でクリーミィーな泡が心地よくはじける。綺麗な香り、繊細な酸味。そして、バランスの良いボリューム感……いかにもシャンパンらしいシャンパンだ。
「シャンパンか……」
ジェサイアは意味ありげに、にやりと笑う。
「ふーん。で、感想は?」
「オーソドックスなシャンパンだ。繊細でバランスがいい…。香りも申し分ない。いいシャンパンだと思う」
「まあ、正解だ。だが、一つ間違っている」
「え?」
ジェサイアは、テーブルの下に隠してあったボトルを引きずり出しラムサスに手渡す。
「『Roederer Estate Brut』……シャンパンじゃない? スパークリングワインか」
「シャンパーニュ地方でつくられたものではないから、シャンパンとはいえねぇ」
「偽物か…」
「阿呆。お前さんがさっき言った感想は勘違いか? 撤回するか?」
「………!?」
「こいつ『Roederer Estate Brut』の、味も香りも色も本物だ。だから、俺はうまいと思う。おめぇもだろ? まあ、中には『偽物』だという奴もいるだろうけどな。そんな馬鹿なやつらの意見は無視だ」
にやにやと笑っているジェサイアと目が合い、つられるようにラムサスは口元をかすかに緩め小さく笑うと残りを一気にあけた。
「もう一杯貰えるか?」
「ああ、どんどん飲め」
ジェサイアは、空になったラムサスと自分のグラスに淡い黄金色の液体を注ぐ。そして、グラスを持ち上げ透かしながらラムサスの色素の少ない髪を見つつ笑う。
「同じ色だな。お前の髪と……」
アルコールのせいもあるだろう。だが、この酒の味も香りも色も音も心地よく、心をかるくしてくれる。それは、たぶん本当のことだ。ジェサイアの声さえ何故か優しく響いて感じている自分に少し呆れていた。そう、今はこの酒を楽しむことだけに集中すればいい。
ラムサスは、取りあえずこの酒を飲ませてくれたこの男に少しは感謝してやろうと思いながら、少し柔らかくなった表情をジェサイアに向けると静かにグラスを傾けた。
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