「よし! これから、ミーティングを兼ねて酒を飲みに行くぞ!」
「酒?」
ジェサイアの毎度の提案にラムサスはわざとらしく眉をひそめて見せる。ヒュウガとシグルドは顔を見合わせ、やはりわざとらしく大きな溜息を一つずつついた。シグルドの溜息はとりわけ大きかった。
「先輩……。あの、たまにはお茶にでもしませんか?」
それを察してかのヒュウガの提案をジェサイアは一蹴する。
「ガキじゃあるまいし……。おめぇらも栄えあるエレメンツ候補生だろうが!!」
エレメンツ候補生と酒を飲むということが、何処で繋がるんだ…いったい?
シグルドは内心毒づいた。これさえなければ、有能で指導力も統括力もあり、尚且つ面倒見の良い申し分ないリーダー兼先輩なんだけど。無類の酒好きであるこの男は、こうしていつも自分のペースに後輩を巻き込み自分自身は後輩を思う親切な先輩であることを疑いもしない。
ミーティングとは名ばかりで結局の所ただの飲み会である。
ジェサイアの誘いを断りきれずに渋々酒を飲んでいる……というふうだったラムサスとヒュウガも、アルコールがまわってくれば気分がよくなったり、愚痴っぽくなったり、けんか腰に討論したり、陽気に猥談に励んだりとそれなりの楽しい酔っぱらいになれる。
素面三名対酔っぱらい一名が、いつのまにか素面一名対酔っぱらい三名という構図になっているのも毎度のことだった。
そんな楽しく酔っぱらう三人にシグルドはいつもジュースを飲みながら調子だけを合わせていた。酔っぱらいどもに話を合わせることなど造作もない。もっとも、ラムサスもヒュウガもさほど飲むわけでも泥酔することもなかったが。
自分は酒に弱い。シグルドにとって、これは、もうどうしようもない事実だ。気分よく酔っぱらっている三人の中でシグルド一人素面か、悪酔いしてつぶれて周りに散々迷惑をかけた挙げ句何も覚えていない……かのどちらである。酒を美味しいと思ったことなど一度ないし、気分よくごきげんな酔っぱらいになるなどということとは無縁だった。
たぶん、一生酒は好きになれない。一度でいから、コーヒーとチョコレートでもつまみながらミーティングをしたい。
シグルドはアルコールのせいで音量の増した他の三人の声を醒めた耳で遠くに聞きながらオレンジジュースのストローをくわえた。
生まれつき酒の飲めない人間などいくらでもいるのだから、酒が飲める人間がさほど羨ましいと思ったことなどなかった。なのに寂しいと思ってしまうのは……たぶん……嫉妬なんだな。これは……。他の三人と同じ世界を共有できないことに対する。
「おい、シグルド。飲めもしない酒の席に無理して付き合わなくてもいいんだぞ。今度、ジェサイアには俺から言っておいてやる」
帰宅途中ラムサスは見かねてシグルドにそう提案する。無事ミーティングも終了し、気の毒にヒュウガだけがジェサイアにもう一軒付き合えと引きずっていかれた。
「いいんだ……。別につまらない訳ではないんだから。ただ、なんというか、酒を美味しいと思ったことないし、気分よく酔っぱらったことないから」
「いいじゃないか、先輩に無理して飲まされたりしない口実があって。若いうちから酒を飲むと歳とっていくうちに、脳味噌がスカスカになる……ってヒュウガも言っていたし」
「そうだな……。でも、俺はドライブでハイになるよりも、酒で気持ちよく酔っぱらってみたい。」
ぽつりとそう言う寂しげなシグルドの様子に、ふと気がつくとラムサスはとんでもないことを口にしていた。
「そうだ、俺がお前でも旨いと思えるような酒を探してきてやる。そうすれば、気分よく酔っぱらえるさ」
シグルドは澄んだブルーの瞳を大きく見開きラムサスの金色の瞳をじっと見つめた。そして、目を伏せると小さく口元で笑った。
「ありがとう。気持ちだけでも嬉しいよ。でも、そんな酒など、あるわけないさ……」
「いや、絶対にある。必ず見つけてきてやる」
何の根拠もない絶対。いつものラムサスならそんなことを口走るわけなかった。どうしたものか……。
「下戸でも飲める酒?」
眼鏡の奥で黒い瞳が丸くなる。
「ああ、お前なんか知らないか?」
「下戸って、アルコールにひどく弱い体質のことですよね。シグルドのことですか?」
「そうだ」
「そんな、先ほどのセリフは言語矛盾ですよ。アルコールが入っていなければ酒とは言えないんですから」
「そりゃそうだが、あいつは酒にひどく弱くて、酒が美味しいと感じ気分よく酔っぱらう前に意識を無くしていたんだ。だから、そのほんの短い時間の中で酒を美味しいと感じ、気分よく酔っぱらう。その瞬間を手に入れてやれさえすればいい」
ヒュウガは瞼を閉じると腕を組み取りあえず思案にふけってみる。ふけってみてもそんな都合のよい酒など知っている訳はない。
「酒のことでしたら、ジェサイア先輩に相談してください。あの人の酒好きは今まで私たちに迷惑をかけるだけのものでしたから、たまには役にたってもらいましょうよ」
確かに説得力がある。
「甘党の下戸が飲める酒だと?」
「ああ………。あんたなら何か知っているんではと思って」
「ふーむ」
ヒュウガじゃないが、これは言語矛盾である。ジェサイアは口からでまかせを言うことにした。
「って、こたぁ、アルコールが高くなくて、甘い酒ならいいわけだろ? リキュールがいいだろう。アルコール度数が高いようならジュースか炭酸で割ればいいしな。ヒントは教えてやったんだから後はちゃんと自分で探せよ」
結局のところ、いくら酒に詳しくてもそんなと都合のいい酒など知る筈はない。
ソラリスで一番大きなこの酒屋にある酒は種類が多すぎてかえって、途方に暮れてしまう。今まで、気にとめなかったリキュール類がこんなにあるのか……。ラムサスは気の遠くなるような種類あるリキュール類を一本一本確認していった。フランボワーズ、カシス、ベリー、オレンジ、レモン、ピーチ、アニス、バニラ、クリーム……。
どうやってこの細い口から洋梨をまるごと入れたのだ? というような果物系の透明なボトルの中にある金色のボトルが目を引いた。金色の紙に包まれている丸っこいそのボトルを手にとってラベルを確認した。『Mozart』という名のその酒は、チョコレートリキュールだった。
チョコレートリキュールか……これはいい。
ラムサスはシグルドの好物はチョコレートだったということを思い出す。だが、どんな味なのか、皆目見当もつかない。いや、見当がついたところで、あの激甘党の友人の嗜好を舌で理解することなど不可能だった。だから、迷っていても仕方がない。これが、ダメならもうお手上げだ。ラムサスはチョコレートリキュールと自分用の甘くないウィスキーを手にシグルドの部屋を訪ねることにした。
まさか、本当に探してくるとは思わなかった。シグルドの部屋に駆け込んでくるなり、手に持ったリキュールの説明をはじめるラムサスの息が弾んでいた。シグルドはラムサスの声の合間に聞こえる弾んだ息の音だけをぼんやりと聞いていた。
ベッドをソファー代わりに二人並んで腰をかけ、テーブルにグラスを二つ並べる。ラムサスはシグルドの前に置かれたグラスにチョコレートリキュールを注いだ。とろみのある液体はまるでミルクココアのような色で部屋中に甘い香りが充満していった。
シグルドはグラスを自分の目線まで持ち上げると、ミルクココア色の液体を不思議そうな表情でしばらく見つめていた。アルコールの刺激臭は甘いチョコレートの香りにかき消されていて、鼻を近づけて酒とは思えない。彼は恐る恐るグラスに口を付け、目を閉じた。
甘い。ただひたすら甘い中に、カカオのほろ苦さとクリームのまろやかな味。そして、強くどこか繊細な香りが口の中いっぱいに広がった。微かに舌に感じるぴりっとした刺激がココアではなく酒なのだと教えた。
「ダメか?」
甘いチョコレートの苦手なラムサスはウィスキーの入ったグラスを唇につけたまま、リキュールを舐めるシグルドの様子を不安げに見つめていた。
「美味しい……」
シグルドは澄んだブルーの瞳を丸く見開き信じられないといった表情をラムサスに向けた。そして、声を立てて笑った。
「これが本当に酒か? 本当にこんな酒があったなんて、信じられないよ。よく見つけてきたな」
ラムサスはほっと胸をなでおろし、シグルドのグラスにチョコレートリキュール、自分のグラスにウィスキーを注ぎ足した。
よかった………。
「ああ、正真正銘の酒だ」
「俺にも旨いと思える酒が存在するとは思えなかったな。薬物実験の後遺症でアルコールにひどく弱い体質になってしまったらしいから諦めていた」
「そうだったな……」
そうだ、シグルドがアルコールがダメなのはドライブなどの薬物を大量に投与された為の副作用のせいだった。酒が飲めない身体になってしまったなどということは、些細なことかもしれない。だが、非人道的な人体実験は、シグルドから酒の楽しみを生涯奪ったのだ。
ラムサスは腹の底から怒りがこみあげてくるのを感じていた。やはり、この国は正さなくてはならない。
「最近、お前にはじめて会ったときのことをよく思い出す」
シグルドは手元のミルクココア色の液体からからゆっくりとラムサスに視線を移した。アルコールが少しまわったのか顔を上げたシグルドの頬には幾分赤味がさし、口元には柔らかい微笑みを浮かべていた。
はじめて出会ったころ、こんな顔をすることができるようになるとは考えられなかった。
「ああ……。俺もお前に最初にあったときの印象を忘れることはできない。今にも噛みついてきそうだったからな」
薬物中毒であることは一目で判かるような人相。頬はこけ褐色の肌には健康的なつやはなく、ただ、青い瞳だけがぎらぎらと敵意に満ちた強い光を放っていた。何度も自力で逃亡しようと試みたという。その度に、家畜識別用タグを打ち込まれ、身体に傷が増えていった。
度重なる薬物による精神コントロールで既に自分が誰なのか、何処へ帰りたがっているのかさえ解らなくなっていたというのに、形を成さない想いだけがつのり理由など覚えていない強い衝動だけが抵抗へと駆り立てていた。
帰るんだ………。
それは、ラムサスとジェサイアが彼の前に現れるその時まで続いた。すぐに連れ出さなければ、廃人として処分されるのは時間の問題だった。
受けた身体の傷も心の傷も深く、癒えるまでに長い時間を必要とした。いや、別に今でも完全に癒えている訳ではないのだということをラムサスは知っていた。
自分が拾ってくることがなかったら、ヒュウガもシグルドもこれだけ高い資質を持ちながら“地上人ラムズ”だと言うだけの理由で捨てられていたままだったろう。 この二人がその能力を発揮し、周りからエレメンツとして一目置かれること。それこそがこの二人を見いだしたラムサスにとってなによりもの喜びなのだ。
そして、同志として、理想国家実現の為に自分を助けてくれる。
「ああ……。あの時はソラリス人すべてが敵だった。だが、お前達は違った。俺を家畜ではなく人間として見てくれた」
シグルドは、もう一度グラスを手に取りチョコレートリキュールを美味しそうに舐めた。
よほど、気に入ったのだろう。
「なんか、かったるいな………。それに、気分がいいみたいだ。ちょっと眠いが」
そう言い終える前にシグルドはいきなりベッドに倒れ込んだ。ラムサスは一瞬呆然とするが、慌ててその褐色の指に握られたリキュールの入ったグラスを取り上げた。
「おい!! シグルド!」
ぺちぺちと頬を叩いてみるが反応はない。
しまった。どんなに甘いとはいえ、一応アルコール度数十七パーセントはあるというしろもんだ。飲めば酔うし、飲み過ぎれば酔い潰れもする。
ラムサスは小さな溜息を一つ落としてから、シグルドから取り上げたグラスに口を付けてみた。
「!!!」
あ、甘い!! な、なんなんだこれは……!? この甘さは酒と言えるのか!?
ある程度は予想はしていたとはいえ、想像を絶する甘さに――もちろんラムサスにとってはである――絶句する。そして、そのとろみを帯びたミルクココア色の液体をまじまじと見つめた。そんなに旨かったのか……これが。
ラムサスはもう一度呆れ顔でベッドに上半身を横たえる友人の顔を覗き込んだ。気持ちよさそうなシグルドの寝顔。うっすらと開いた口元は微笑んでいるようにすら見えた。今、気がついた。シグルドの肌はこの甘いチョコレートリキュールと同じ色をしていたんだ。
ラムサスはシグルドの両肩の脇に手をつくと、覆い被さるようにしてゆっくりとその口元まで自分の唇を近づけていった。ふいにシグルドの瞼が開き青い瞳が覗くと褐色の手がラムサスの頬を挟んだ。どう反応していいか分からず、金色の瞳が丸く見開かれたまま凍り付いた。シグルドの口元から白い歯が覗き、ラムサスが今まで見たこともなかったような穏やかな笑みがこぼれた。
「俺、お前に出逢わなければ、どうなっていたんだろうな……」
その極上の笑顔につられるようにラムサスの口元からも笑みがこぼれ、そのまま二つの唇がゆっくりと重なった。
チョコレートリキュールを含んだ唇はえらく甘ったるい味がした。
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