あの戦いから2年後。
「ラムサスさん?」
アヴェの今は旧王宮の中庭に面した廊下で、後ろからのかけられた誰何の声にラムサスは振り返った。
「お久しぶりです。マルグレーテ大教母様」
「ヤダなぁ、ラムサスさんまでその名前で呼ぶの?マルーでいいよ、マルーで」
嫌だ、と言い咎めるような言葉とは裏腹に、マルーの声は笑っていた。
「そうじゃなかったら、昔みたく『マルグレーテ君』ってね」
「いくら何でも、それでは失礼でしょう。いずれ国母となる方に」
「あ、もう知ってるの?」
「バルト君から聞いたよ。おめでとう」
「もう、若ったら、こーゆー事だと口が軽いんだから・・・って事は、もう仕事の方の話は終わったんだ?ひょっとして、さっきからシグルド、探してるの?」
「実はそうなんだが・・・バルト君は『中庭』とだけしか教えてくれなくて」
「広いもんね・・・でも、シグルドを見つけるのは簡単なんだよ?」
シグルドやバルトと同じ、極上の鋼玉を思わせる眼が楽しげにラムサスを見上げてきた。
「どうやって・・・?」
「ヒントは眼と耳を閉じるコト、かな。じゃ、がんばってね」
ひらひらと手を振って、マルーは行ってしまった。
後ろ姿を見送ってから、ラムサスはマルーに言われた通りに、眼を閉じてみた。
午後、渇いた砂漠の風に乗って街の喧噪が聞こえてくる。それも耳を塞ぐと消えた。
かわりに。(匂い・・・?)
ほのかに甘い香りが、風に混じっている。
以前、かいだ事のある匂い。(そうだ、これは・・・)
風に乗って漂って来る匂いをたよりに、ラムサスは廊下から中庭へ足を踏み入れた。
先刻から風に乗って漂って来る、気を付けていないと通り過ぎてしまう甘い匂い。
あの時、土の無いソラリスの植物園でかいだ『匂い』。
ハリエンジュの花。
ラムサスは手入れの行き届いた芝生の広場と仕立ての良い植木の回廊を抜け、時々眼を閉じて匂いの方向を確かめながらゆっくりでも確実に香りの源に向かう。
シグルドを見つけたのは、木と呼ぶよりも樹と言う方が似つかわしい、満開のハリエンジュの元だった。周囲も生け垣に仕立てられたハリエンジュがぐるりと囲い、外側からは見えないようになっていて、風が吹くと甘い香りとともに、花が雪のように舞い散る。
丁度木陰になる所にテーブルと椅子が数脚、用意されていてシグルドが一人、椅子に座ったままテーブルに俯せになっていた。眠っているらしい。
(なるほど・・・)
テーブルの上には数枚の色分けされた書類挟みが並べられている。
(秘密の書斎、といった所か・・・)
ラムサスは角を挟んだ位置の椅子に座るとテーブルの上に散ったハリエンジュの花を音を立てないように集め、眺め、匂いを確かめる。
シグルドが『懐かしい』と言った匂いを。
きっと、このハリエンジュの樹が付ける花の匂いだったのだろう。
ソラリスに来る以前に、此処で憶えて決して忘れなかった匂い。
散った花を何となく噛んでみる。蜜源植物、というだけあって甘い。
「・・・カール、まるで子供みたいだな」
「起きていたのか?」
「さっきからな。起こさないならこのまま寝たフリをしているようかとも思っていた」
「大統領の補佐官殿はタチが悪いな・・・」
「どうにも人に会う時は相手がどう出るか計らずにいられない。職業病のようなものだと思って諦めてくれ」
苦笑。
「辣腕で鳴らしている補佐官殿の寝顔が見れた、ということに免じて諦めるさ。で、計ってみた結果は?」
「さっき言った。『子供みたいだな』」
「子供に戻ったのさ」
出生が特殊なラムサスは知識は有れど、実際の経験や体験は16年分しか無い。
身体が傷つき、血を流せば『痛み』を感じるという事を知ってはいても、『痛み』とは何なのか識らないまま、体験しないまま培養液ごと廃棄され・・・15歳の少年に寄生して今に至っている。
「あの戦いのあと、『カールのヤツに足りないのはガキの経験だ。時間と言ってもいい。ガキの面倒見なら慣れてるから、しばらく落ち着くまでウチに預からせてくれないか』と先輩が言い出した時はどうなるかと思っていたが・・・」
「こうなった。目の前にいる通り、見てのとおりさ」
屈託の無い笑顔。
ユーゲントにいた頃も、エレメンツとなってからも、そして敵として地上で再会した時も見ることの無かったラムサスの表情。
今はドミニアらと一緒に遠隔地間を行き来する隊商や旅行者、荷物の護衛を請け負っていると噂で聞いた。『見かけによらず、モンスターたちと対等に渡り合うガード達』と。
時々、アヴェやニサンで会う事もあった。だが、その度に・・・。
「・・・変わったな・・・怖いくらいに」
「怖い、か・・・。まったくだ。自分でもそうと解るくらい、変わって来ている。初めのうちはどんどん変わっていくのが怖かった。それでも・・・[変化を恐れてはならない]」
ソラリス語だった。今は無くなった国の言葉でラムサスは続けた。
「[変化は興奮であり、飛躍。変化を恐れてはならない。何故なら変化を恐れていては何も出来ない]」
つられて、ソラリス語で言い返す。もう忘れてしまったと思っていた言葉が、何故かすんなりと口をついて出てくる。
「[だが問題は変化の速さだ。変化の速さについて行けなくなると、生じた空白部分に恐怖が生まれる]」
「シグルド」
「何だ」
「いい補佐官だな」
「いきなりだな・・・よしてくれ。俺は・・・ただ偽善者なだけだ」
「それだ。偽善者だと自覚している偽善者だから、だ」
「誉めてるのか?」
「誉めている。
正確には・・・思った通り、感じたままのことを言っている」それこそ、子供のように。
「だったら、俺もカールに対しては素直に言わせてもらう。
ハリエンジュの様な所は昔のままだな」
「そういったくだらない事は良く憶えているな・・で、誉めているのか?」
「誉めているということにしておいてくれ」
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