「刃は稠人に向けるにあらず。己が心を刻むものなり」
そう言いながらも、その剣術の師は対峙する相手をあくまえでも排除すべき『敵』と呼称する。場合によっては真剣を躊躇うことなく相手に振り下ろす覚悟が必要。一瞬の躊躇が己の命を失わせる。そう説いた。
だが、本当の強さを手に入れることができれば、相手も己も殺すことなく戦いを制することができるとも言った。
今の時代に何故、剣術なのかという問いに師は答える。
近代兵器は人を選ばず無差別に大量殺戮を行うには効率が良い。だが、どれだけ死体の山を積んでいこうが、排除すべき者を確実に仕留めることは難しいのだ。さらに対象者以外の関係のない人々を巻き込み傷つける可能性は高い。それは大抵計算された許容範囲内の犠牲ということで片づけられる。
剣技は、相手に気づかれることなく懐に飛び込むことさえできれば、もっとも効率よく最小限の犠牲にて敵のみを排除することが可能なのだ。
それ故、その重責に耐えることのできる心の強さが必要だ。
刀を手にする者が背負うものは重い。
その相手がはたして斬り捨てるべきものなのかは、澄んだ心にのみ映し出される。心に濁りがあってはならない。
刀は鞘から抜かれないことが理想だということは肝に銘じておかなくてはいけない。
その大師範は、スポーツあるいは肉体鍛錬や精神修養として剣術を学ぶことを軽んじているわけでは決してなかった。実際、師の道場でも、それを目的とした門徒がほとんどだった。
それは、現実の戦いの場では役に立たないが、役に立てる状況を想定すべきではないのだ。
だが、卯月家に伝わる剣術の本質は、綺麗事の精神修養や肉体鍛錬などではなかった。もともとは実戦でその威力を発揮する殺人剣だ。
その破壊力、殺傷力は絶大で修得の難しさを別にしても、おいそれと指南できるようなものではない。いくら本人が強く望んでもだ。
だからこそ、師が認めた本当にごく一部の者のみにだけ奥伝される技がある。
そして、それも段階があり最終的に卯月の剣を継がすものにすべてを託すことになる。
卯月家に継承されてきたこの剣術を継ぐ可能性を持った者は、今、二人に絞られている。
現継承者の孫ジンと愛弟子である青年マーグリス。
実際には代々卯月家が継いでいるとはいえ、この大師範は自分の剣を継がせるものの血に拘らない。
相応しいものが継げば良いという。相応しい者が二人いれば二人に。一人もいなければ誰にも継がせなければそれで済むことだった。
血に拘るあまり、相応しくない者に継がせてしまうことの方をより恐れた。
順当にいけば次の継承者であったはずのジンの父親は剣の道に進むことを嫌い、別の道に。今はそれなりの社会的地位を持つ。
おじいちゃんっ子であったジンは父親と違い幼いときから剣術に興味を持った。刀を持たせてみれば、確かに太刀筋は良い。運動能力も抜きんでている。だが、まだ成長期の子供だということで本来の才能は未だに見えてこない。
一方、まったく血の繋がりは無いとはいえ、マーグリスは師によってその武術家としての才能を引き出された。まさにこれこそ天賦の才だと周囲をうならせた青年だ。
今現在、彼は連邦軍に属する軍人で階級は大尉。
軍人になるために士官学校に入学し、この土地から離れてからも時間を見つけては師の元へと通い指導を受けていた。
誇り高くまっすぐな気性。だが、その反面攻撃的であり権力志向が強い。正しく導くことができるかどうかは、指導者の責任だと師は感じていた。
師は、この二人に分け隔てなく同じ言葉で道を説き、精神論を語り、自ら持つ技を惜しみなく教伝した。
一瞬、微かに炎のエーテルが立ち上がったのが見えた。
高い音が響き、木刀がはじかれ宙を舞った。それは床に叩きつけられ稽古を見学していたジンの足下に転がった。
ジンはその木刀を見つめていたが「ありがとうございました」という声に顔を上げる。そして、傍らに腕を組み立つ祖父でもある師を見た。
「やはりすごいね。あの人……マーグリスさん。僕もあんなふうに強くなれるかな」
圧倒的な強さ、絶対的な力に向けられる目はきらきらと輝いていた。その憧れの対象に向けられる思いは純粋だ。そんな孫に師は言う。
「あれはあれの剣だ。おまえはおまえの剣を極めなさい」
マーグリスは道場の中央から移動すると、ゆったりと座り冷たい壁に背を預けた。
ジンは駆け寄った。
「すごかったです。マーグリスさん」
マーグリスは顔を上げると、口元ににやりとした笑みを浮かべた。
「なんだ、ウヅキのぼうずか」
「もう、ぼうずって呼ぶのはやめてくださいよ」
文句を言いながらも、ジンはそう呼ばれるのが嫌いではなかった。
道場に通うものたちにとって、ジンは自分たちと同門の徒だという以前に、師範の血を引く師範直系の孫であった。そして、そんな彼らとは埋めることのできない疎外感に近い距離感をジンはいつも感じていた。
だが、マーグリスだけはそんなジンをただの弟弟子の一人として接していた。同門の徒、弟弟子として決して子供扱いをしない。子供だからといって、いい加減にあしらうようなこともなかった。
そして、修行の場を離れれば普通に年相応の少年としてマーグリスはジンと接する。適当にからかい、おちょくったりしながらも話をよく聞いてやった。
そのバランス加減がジンには嬉しかった。
また、マーグリスも生意気ではあるが素直で礼儀正しく聡明なジンを好ましく感じていた。何よりも強い憧憬を込め自分に向けられる眼差しはくすぐったく、そして心地よかった。
そんな二人は端からは仲の良い年の離れた兄弟のように見えただろう。
ライバルと呼ぶには年が離れすぎていて、力の差はあまりにも歴然としていた。
マーグリスは師の最後の奥義を継ぐにもっとも相応しいと誰もが思った愛弟子。この青年自らも、そして師の孫ジンですら、そう信じ疑わなかった。
ジンはいつか自分がマーグリスを越えてやろうなどという野心など欠片もなく、ただこの強い兄弟子を慕っていた。自分はこの兄弟子についていけたらどんなにいいだろうかと。
尊敬する兄弟子の辿った道へと自分も進もうとするのはジンにとってごく自然のことだったのだろう。
その日は、秋分だった。
夏の暑さも弱まり、昼の長さと夜の長さが等しくなる区切りの日。そしてこの日を境に、徐々に夜が長くなっていく。
マーグリスは忙殺される日々の中、時間を見つけて師の元へと通う。
その日も、久しぶりに道場を訪れることにした。
オレンジ色の夕日が射し込む道場に入っていくと、丁度ジンが型稽古をしているところだった。
ジンは最近声変わりをし、背も急に伸びてきた。もっとも、袖から覗く手首はつくりもののように華奢で、少年期特有のまだ成熟していないひょろりとした骨格はどこかアンバランスだ。
ふと、そんなジンの姿に昔の自分をマーグリスは重ねた。
あの当時、マーグリスはまったく違う系統の剣を習っていた。ここの大師範の噂を聞き門徒となった。
今のジンと同じくらいだったはずだ。でも、体格は今のジンよりはるかに大きくがっちりしていたように思う。
入門したばかりのころのマーグリスはただ闇雲に攻撃をしかけることしかできなかった。強引に力で押していく。実際それでも他の連中では相手にならないほど当時の彼は強かった。
その圧倒的な力を過信していた。
この道場に入門し最初の手合わせの時、自分よりはるかに体格の劣る力の弱そうな初老の上級者に、あっさり刃を受け流される。流されたと気づき木刀を大きく振り被ろうとした瞬間、手首を叩かれ木刀を落としていた。実戦ならば確実に命を落としていた。手首を傷つけられるということは、戦闘能力がその場で失われるということなのだ。
最初の一撃で斬り倒すことしか考えていなかった。初太刀で倒せなかった場合を想定し、瞬時に体勢を立て直す。そんなことすら、意識していなかった。
それから、マーグリスは基本の型から徹底的に叩き直された。
それが身に付くと、予想の付かない不安定な環境でもこの師は稽古をさせた。
障害物をばらまいた道場で、あるいは、極寒の水辺で。
どのような状態でも剣を使いこなせなければ、実戦で役には立たない。さらに、剣を使えない状況を想定しての体術も徹底的に身につけさせる。
この師に出会ってから自分の剣はがらりと変わり、その強さは絶対的なものになりつつあるのだとマーグリスは確信した。
今のジンは相手の動きをよく見ている。滑らかな足裁きで間合い変化させる。あれでは、並の者には斬り込むタイミングを掴むことは難しい。
そして、あくまでも受け身に見えるその剣技は自分とは対照的だとマーグリスは思う。
相手の攻撃を軽く受け流し、一瞬の隙を見つけ急所を確実につく――もっとも、木刀とはいえ実際には寸止めにせねば怪我をさせてしまうのだが。
ここを訪れるたびに目に見えて上達していることが感じ取れる。この弟弟子は、恐ろしいスピードで腕を上げている。
どこまで、伸びるのだろうか。
「ありがとうございました」
一礼をして下がるジンを見つめるマーグリスに大師範は声をかけた。
「丁度よいところにきたな。今日、皆の稽古が終わった後、ジンの手合わせをしてやって欲しい。おまえには役不足の相手だとは思うが、少々訳ありでな」
「ジンはどんどん強くなっていますよ。役不足ってことはないと思いますが。でも、訳ありって、何ですか?」
「あのばかものは、来年十五歳になったら士官学校へ入学すると言ってきかないのだ」
「資質は十分あると思いますけど」
正直な感想をマーグリスは口にした。
「あれは、一人っ子の時期が長くちやほやされてきた。他の子供に比べても甘くできておる。あの甘ったれに軍人がつとまるはずがない」
確かに、ジンは裕福な家に生まれ、一年前に妹が生まれるまで長いこと一人っ子だった。それ故、大切に育てられてきた。剣に関しては厳しい祖父も、それ以外のことでは孫にとことん甘い。
おぼっちゃん育ち特有の甘さがあることは否めない。
ふと見れば、向かい側の壁に立ち、こちらをじっと見つめるジンと目が合った。
何を話しているのか気になるのだろう。
澄んだ黒い瞳。人の心深くに潜む闇、その醜さやおぞましさを一度も映したことなど無い緑を帯びた光彩。人を疑うことなど何も知らない。
自分はあの年齢のころには、既にあの無垢な瞳は失っていた。
マーグリスはジンから目を逸らし、師に問う。
「でも、それが、手合わせとどういった関係が?」
「この道場で一番強い弟子との試合を見て、入学を許可するかどうかを判断すると言っておいた」
「で、その判断基準は何なんですか?」
「それは、今から考える。……ということで、抜き付けの一刀で決めるつもりでやってくれ。絶対に受け流されるな」
「そんな、無責任な」
絶対に士官学校に入学させないつもりではないらしい。やはり甘いなと、マーグリスは苦笑する。
「それと、本気を出してやってほしい。寸止めなんて考えるな。思いっきり叩き込んで痛い思いをさせてやれ。敵と認識されれば、相手が子供でも手加減はされない。ジンにもそう言い聞かせてある」
「それでは骨折くらいのことは覚悟してください。いえ、今の俺の腕では、思いっきり叩き込んだら木刀でも殺しかねないかと。大師範はご存じだと思いますが、その辺の加減がきくほどの修練はまだ」
物騒なことをさらりと言うマーグリスに、師は困ったように笑う。
「さすがにそれは不味いな。骨折くらいにしておいてくれ。加減が難しいとは思うが、他に頼める者がいない」
「では、防具くらい着けてやってください」
「ああ、そうしよう」
薄暗い道場の中は深閑として、灯された二つの蝋燭のみが唯一の明かりだった。
オレンジ色の炎は揺れることなく細長く立ち上がり、対峙する二人を照らしていた。
冷たく凛と張りつめた空気がその道場全体に満ちていた。
マーグリスはまっすぐに視線を向けてくる瞳を見つめ返した。
静かで濁りのない。いつの間にこんなに大人びた表情をするようになったのだろう。
いつまでも、小さな子供でしかないと何となく思いこんでいた。子供は成長して当たり前なのに。
軽く礼をする。
師の合図とともに、ジンは抜刀し小走りに駆け寄る。間合いを一気に詰め、マーグリスの脚狙いの刃を横一文字に振るった。
身長差から考えれば脚を狙うのは妥当だ。だが、それだけに読みやすい。
マーグリスは、それを木刀でかるく受け止める。
はじかれ後方へ退こうとするジンの右肩を狙って、すかさず上段から大きく振り被った。
ジンは、刀を水平に剣尖を右に向け、受け止める。そんなことは、お見通しだとマーグリスはジンの脚をはらう。バランスを崩し膝と手を床についたジンが体勢を立て直す前に、とどめの一撃を加えようと再び刃を振り下ろした。
その時だった。
ジンの全身から冷たい気が立ち上がった。それを手にした木刀に収束させると、マーグリスの刀を受け止めようとすると同時に一気に冷のエーテルを放出させた。
「何?」
思わず声が出た。初めて見るエーテルを含有させたジンの刀だ。
マーグリスは自らも炎のエーテルを木刀に込め、相手のエーテル攻撃をはじき返した。
それと同時に、木刀をジンの左胴に思いっきり叩き込んでいた。
ジンの身体がふわりと宙に浮く。盛大にはじき飛ばされたジンは床に全身をしたたかに打ち付け昏倒した。
マーグリスは床でうずくまるジンを呆然と見つめていた。が、我に返って駆け寄るとジンの頬を軽く叩いた。
まったく力を加減しなかった。いや、できなかった。
「おい、大丈夫か?」
ジンは呼ばれてうっすらと目を開け、痛いのか顔を苦しそうに歪めた。
「敵うとは思っていなかったけど、やっぱり強いや……マーグリスさん」
そういいながら身体を起こそうとするジンをマーグリスは制した。
「頭も打ったんだろう。少しじっとしていろ」
この程度のダメージならさほど心配しなくてもいいだろう。取りあえずほっとする。
二人の試合を見ていた師もマーグリスと並んでしゃがみ込み、ジンの殴打された左胴に手のひらを当てた。
「防具を着けていなかったら、肋骨の数本は折れていたな」
「申し訳ありませんでした。俺が未熟なばかりに」
その危険性を師もジンも理解していたとはいえ、怪我をさせてしまったことに対しマーグリスは詫びた。
「なあに、ただの打撲だろう。当分、体を動かすたびに痛いだろうがな。私のほうこそすまなかった。無理なことを頼んで」
「いえ」
「それより、悪いがジンを部屋に運んでくれないか。一応手当をしないわけにはいかない」
「はい、わかりました」
「いや、でも認めないわけにはいかなくなったな」
「士官学校に行くことをですか?」
マーグリスは師を見た。
師は渋い顔で首を縦に振った。
「勝負にはならなかったとはいえ、道場一の実力者であるマーグリスをたとえ一瞬でも本気にさせたのだからな」
そう言うと、目を細めどこか嬉しそうに師は笑った。
そんな師を見てマーグリスは手を無意識のうちに強く握り込んでいた。
爪が手のひらに食い込んだ。
マーグリスは一つ大きく深呼吸をしその手を開く。そして、部屋に運ぶためにジンの身体をゆっくりと抱き上げた。ジンは自分で歩けるからと文句を言いつつも安定しないのかマーグリスの首に腕をまわしておとなしくしている。
あの時、コントロールをする余裕などなかった。完全に我を忘れていた。
初めて目の当たりにしたジンのエーテルを帯びた刀。
あれは、冷のエーテルだ。
その青く冷たく強靱な光を記憶の中で再生してみてマーグリスは身震いをした。ジンの潜在的に持つ剣の技量ははかり知れない。
そして、戦慄するとともに沸き上がるこの昂揚感は何なのだろうか。ぞくりと背中を駆け上がるような……この悦楽に似た昂り。
マーグリスは不敵な笑みを浮かべ心の中でジンに呼びかけた。
――そうだ、強くなれ。おまえが強くなった分、俺はもっと強くなる。何歩でも必ず前を歩いてやる。おまえごときに決して追いつかれはしない。だから、いつまでも俺を追いかけてくるがいい。
そして、その夜、卯月家を出て一人になったマーグリスは、ずっと笑い続けていた。
心底楽しそうに。心底愉快そうに。誰の目も気にせずに、自らの世界に浸りながら。
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