「明日はいよいよ、バベルに向かいます。シェバトへの通信手段が残っていればいいのですが……」
シタンは、あり会わせのグラスを2個テーブルの上へ置くと、椅子に腰をおろす。ユグドラシルのダイニングルームは乗組員達が代わる代わるに食事をとるだけの殺風景なものだった。
「いまから、心配してもしょうがないだろうが」
ジェサイアは、冷凍庫のドアを開けると、ごそごそと何かを探している。作戦会議がさっき終わったばかりだった。そんなタイミングでこの男が酒を飲もうというのはいつものことだった。さすがに、この大事なときにシグルドを誘うようなことはしないだけの分別は持ち合わせていたようだ。
「ワインでしたら、冷蔵庫の方にありますよ」
「ばかやろう。ワインなんて食事のときに飲むだけの酒だ。いや、あれはジュースみてぇなもんだな」
相変わらず、蒸留酒…スピリッツ以外は酒と認めていない。ワインなど醸造酒は糖分やエキス分などが多く、それが味にコクを出しているものだが、ジェサイアに言わせると、そんなものは純粋さが足りないという。
醸造酒を蒸留してできた酒……スピリッツは熱をかけて揮発できるものだけでできている。水、アルコール、そして芳香成分。濁りのない透明な酒。それに、あとから、香りをつけるものが多い。寝かせる樽の香り…。わざわざ薬草などで香りをつけるもの………。
この男の嗜好は変わらないな…とヒュウガの黒い瞳が、冷凍庫を物色する広い背中を見つめる。
ジェサイアはどれだけ気がついているんだろうか? 余計なことは一切言わない。だが、疑っていないなんてことは無い筈だ。
「おお、見つけた見つけた」
そう言いながら、テーブルの上に淡いブルーのボトルを置いた。冷凍庫の中でキンキンに冷えている酒は周りの水蒸気を凍らせ、ボトル一面を白い霜が覆う。
「これは?」
シタンはボトルの周りにへばりついた霜をこする。ボトルを包むしゃりしゃりとした霜の冷たい感触が指を伝わってくる。
「ん…ちょいと、手には入ってな…」
「ボンベイサファイア………懐かしいですね……」
「だろ?」
そう言いながら、ジェサイアはこの青いボトルを傾け若干とろみを帯びたこの酒をグラスに注いだ。アルコール分の多いスピリッツ類は氷点下でも決して凍ることはない。
シタンはグラスに口をつけ、唇をほんの少し濡らす。マイナスの温度に冷やされた酒が、唇に刺すような痛みを与え、強い芳香が鼻腔をくすぐった。
そ…う、懐かしい香り。ラハンに来てから…というより、ジェサイアがソラリスを離れてから口にすることはなかった。地上に降りてからは手に入れるなんてことも考えなかった。ジェサイアのことを思い出すこともほとんどなくなり、この酒のことも忘れていた。
「あなたが、私に最初に飲ませた酒は、いきなりこれでしたからね。ふつうは、もう少し穏やかな、カクテル類とか、せいぜいビール程度のアルコール度数の低いものを飲ませますよ」
ジェサイアはボンベイサファイアのボトルと同じアイスブルーの瞳を向け笑う。人相が変わっても、この男の本質が変わらないように瞳の色は変わらない。
「ああ…。たまたま、そんとき置いてあったからな。だけど、俺は無理して飲ませなかったぜ」
そうだ、飲めとは言われなかった。香りを嗅いでみろと言われた。どんな酒を飲ませようとするときもそうだった。ジェサイアはウィスキーにしろブランデーにしろ香りがよく口当たりがいい酒を選んだ。この男にとって酒は酔っぱらうためのものだけではなかった。
「最初に変な酒を飲むと、酒の印象が悪くなる。まともな酒を飲め」というのが口癖だった……。
それは、シタン対してだけではかった。シグルドやラムサスに対しても酒についての教育は手を抜くことはなかった。良い家柄の純粋なるガゼルとして生まれたジェサイアは、どんなに奔放に見せようとしても育ちの良さはところどころ見えてしまう。
「そんなに酔っぱらうのが好きなのなら、エチルアルコールで十分じゃないですか?」
そう憎まれ口をたたく、後輩にむきになっていた。
「ばかやろう! 俺は、酒が好きなんであって、酔っぱらいたくて飲んでいるわけじゃない。まあ、酔えないのは酒じゃないが、順序が逆だ」
「はいはい…。あなたにはずいぶん酒について教えていただきましたよ」
「ああ、おまえはまだよかったがな、シグルドは駄目だった」
「彼は、体質的にアルコールを分解する酵素が欠乏しているんですよ。もう、これだけは、訓練してどうこうなる問題ではありません」
「諦めたさ。おまえよりも、カールの方が真面目な分、酒の覚えもはやかったな」
「そうでしたね」
ほんの少しの沈黙の後、ジェサイアはシタンに淡いブルーの瞳を真っ直ぐ向ける。
「奴は今どうしている?」
質問の内容は二つ。一つの答えは簡単だ。もうすでにジェサイアも知っているだけのことを説明すればいい。だが、言外の質問が一つ。「おまえが最近会ったときカールはどうしていた?」
ジェサイアや他のユグドラシルにいる仲間の誰も知らないこと、シタンだけが知っていることを教えろということか…。
そうだ…自分たちがバベルへ向かっていることは既に報告してある。おそらく、あの男も来るだろう。フェイを追って、フェイに再び戦いを挑むために…。勝ち目のない戦いを…。
シタンは完全に見透かされていることを承知でにっこり笑顔をつくり、一つの質問だけに答える。
「今は、ゲブラー総司令のようですね。ミァンが副官です」
「ふ…ん。まあ、いいさ」
ジェサイアは、微かに、口元だけで笑うと、二つのグラスに酒を注ぎ足した。
それ以上追求しようとはしない。
ジェサイアがソラリスを離れるときだった。選んだ道が違うから、お互い一緒には行けない。それでも目指すところが同じであれば…と思ったのは甘かったのだろうか。
この男はいつでも、引き金を引く用意ができているだろう。
ボンベイサファイアの青いボトル……その鮮烈な芳香が呼び覚まさせる記憶は身体の疼きを伴う。
「このグラスを空けたら、休みましょう…。明日もはやいですから」
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