楽しむための素養(能力)。
「ゼノサーガ同盟」閉鎖理由に感じたひっかかり。の記事を書いて、いくつか反響をいただきました。
それは、「EP3を貶す発言を目にして、悲しかったけれど、このブログを読んで癒された」とか「共感した」といった内容です。
もちろん、あの記事は「EP3がすばらしい作品だ」とか「好きな人がいるのだから、貶すべきではない」などと言いたいわけではありません。
私が問題にしたのは「やはり高橋さんが当初やりたかったことを、100%されている内容とはいえませんでした。
」という生みの親を持ち出して権威付けをした上での主張です。
ネットリテラシーが身に付いていれば、何のソースも示されていない情報は、信憑性ゼロと切り捨てることはできます。しかし、ネットにいらっしゃる方皆が皆ネットずれしていて、ネットリテラシーが身に付いているかたばかりではありません。まだ不慣れなかた。若く純粋なかたもたくさんいらっしゃいます。そんなかたから見れば、同盟主催者は、雲の上の存在であるなんてよくあることです。
さらに、同盟主催者は業界に詳しいと思い込み、その主催者が言っているのだからら、高橋監督のやりたかったことではない作品を「好きだ」と感じる自分は間違っているとだろうかと不安になる人もいます。そういった方にとって、あのやり方は圧力をかけているようなものです。
誰にでも、楽しめたゲーム、楽しめなかったゲームがあります。たとえ世間から高い評価を受けていたとしても、仲の良い友達がはまっていたとしても、何が面白いのかさっぱり理解できないことだってあるでしょう。その逆もしかりです。
たとえば、私が最近プレイしたもので「MOTHER3」。
「MOTHER3とディープラビリンス」で感想を書いていますが、楽しめないゲームでした。他に、クリアして速攻で売ってしまったのが、「サモンナイト3」「幻想水滸伝3」「幻想水滸伝4」。この二つのシリーズはよほど評判が良くない限り、もう買わないつもりです。でも、クリアできただけマシなのかもしれません。「ヴィーナス&ブレイブス」など、クリアもせずに耐えられなくて売ってしまいました。他にはボブゲでいくつもありました。特に「学園ヘヴン」。ボブゲ好きには評判良いのですが、藍晶にとっては、退屈なゲームでした。
だからといって、それらのゲームがくそゲーとは思いません。
藍晶の中にそれらのゲームを楽しむ素養(能力)がなかったに過ぎません。
「ゲーム(小説もアニメもにたようなものかもしれません)を楽しむためには、楽しむための素養――ある種の能力――が必要です。どのようなものを、どういった切り口で楽しむことができるのかは、人によって違います。それは個々の持つ能力にしか過ぎません。
キャラ萌えで楽しむ人、世界観萌えで楽しむ人、ひたすら戦闘などゲーム性で楽しむ人。楽しみ方は人それぞれです。ゼノギアスでは設定が細かかったために、ゲーム内で語られることのない情報が設定資料として公開されました。それにプラスして自ら関連する資料をを集め考察、議論するという楽しみ方をする人も多かったと思います。
すべて人それぞれの楽しみ方であり、その楽しみ方を感覚的に理解できない人には、何が面白いのかさっぱりわからないでしょう。その楽しむ様子は、理解できない者にとって、異様だったり不気味に見えたりすることもよくあります。でも、理解できないからといって否定したり攻撃したりは普通はしないと思います。
自分の好きなものを貶されても一々悲しくなる必要はありません。たまたま自分に楽しむ素養があって、貶す人にはその素養がなかっただけです。
逆に、自分が楽しめなかったのは、自分にそれを楽しむ素養がなかったからです。
その作品について、「感動した」「楽しかった」とか、「つまらなかった」「楽しめなかった」と素直に感想を表現しても何の問題もありません。
でも、自分とまったく違う感想を目にしたとき、過剰に反応するのは控えましょう。
まして、相手を見下したような発言、人格を否定するような発言は論外です。
たまにありますよね。「こんなものに満足したなどと、信者は理解できない」といった、それを「良い」という人に対し、信者呼ばわりするというのは、2ちゃんでもよく見られる相手を自分より下だと思いたい、自分を上位に見せたいがための浅ましい虚勢でしかありません。
それでも、そういった発言をたまたま目にして自分を否定されてしまったように感じるかもしれません。その時は、そんな言葉に何の力もないのだと割り切ってしまいましょう。楽しんだもの勝ちなんですから。