何故正確なHTMLを記述しようとするのか。
私はネットはじめたころから、少数派のMacでした。世間ではWin使いさんが圧倒的多数派。さらにIEを主ブラウザに使用している人がほとんどなわけです。特に個人サイトの場合はそれでしか確認できていないので、表示に問題がある、酷い場合はページが真っ白なんてことがあったりしました。
また、管理人さんによっては「Win+IEで表示できるのだから、表示できないMacに問題ある」といった説明もあったりします。
そこで、しかたなくソースを見る癖がついてしましました。ソースを見てリンク先に飛んだり、何が書いてあるか確認したりするしか方法がなかったのです。
で、ソースを見るとMacで表示されない原因を探ろうとついついしてしまいます。そのほとんどは、単純な文法エラーだったりしました。タグの閉じ忘れというのが一番多いパターンでしたが。
なんか、単純な記述ミスをMacやIE以外のブラウザのせいにされるのは釈然としなかったんですよね。
もちろん、企業や自治体等のサイトではないのだから、そんなあらゆる人の閲覧環境を想定してなどというのは個人サイトでは普通無理です。だから、確認して対応すべきなどとは思いません。
また、個人サイトならば、どんな我が儘だって言うのは勝手だと思っています。「ここはWinにしか対応していません。Macでは閲覧しないでください」と切り捨ててしまったって別にいいと思います。ただそう言ってしまえば、Mac使いのかたと交流はできない可能性が高くなります。
たとえば、あなたがWin使いさんで、好きなサイト管理人さんがMac使いだった場合どうしますか? もしかすると今後Mac使いの人であなたと趣味がぴったりというかたが現れるかもしれませんよね。
それをどう割り切ることができるかできないか、自分のサイト運営の基準をどこにもってくるかだけの話だと思います。
だから、こうすべき、こうすることが正しいということはないのです。
でも、表示されない原因が単純な文法エラー、記述のミスならば、ミスのない正当なHTMLが書かれていれば致命的な問題は起きないはずなんです。別に労力のいる問題ではありません。
ならば、いい加減に書いて、色々な環境でチェックするなんて七面倒くさいことする必要なんて無いのだと気が付くことになります。
私がなるべくそうしようとするのは、それが、正しいからとか正義(?)だからというわけではありません。
自分と違う環境のかたでも閲覧してほしいし、そのためには正しい文法を心がけて方が、適当に書いてあとから表示を確認したりするより、はるかに楽なんです。
また、管理もずっと楽です。HTMLは文章を構造化しその部位が何を表しているか(たとえば、「一番大きな見出し」「二番目に大きな見出し」「段落」「リスト」「強調」「引用」など)をマークアップしていくだけです。デザインレイアウトはCSSで行えば良いとなれば管理も楽なのです。
HTML部分をまったく弄らず外部スタイルシートを変更するだけでからりとすべてのページのデザインを改装することが可能です。
最初はJavaScriptで画像が置き換わったりとか色々派手なことに目がいきがちですが、とにかく地道に正しい記述を覚えていくことをおすすめします。
特に、小説を発表されるようなテキスト系サイトさんの目的は文章を読ませることが第一だと思います。
最初からたくさんタグ覚える必要はないんです。
Doctype宣言から始まって、html、head内……と記述して、body以下について必要なタグはたいしてないですね。
自分のテキストページですが、「h1~h3、p、div、blockquote、a、strong」くらいで基本済んでいます。各コンテンツトップなどの目次ページはそれに、リストタグ「ul、li、ol、dl、dt、dd」がプラスされるくらいでしょう。
tableも表以外使いませんので使い方忘れちゃいました。
brやhrやbですが基本要りません。夜天光でも手軽に使えるので使用していたのですが、理屈を考えると使うのは変なんですよ。廃止予定にあるタグということで、気が付いたところからhr削除し、borderを使用するように修正をかけてます。
brはちょっと微妙です。
廃止方向にあるとはいえ、使わざるを得ないシーンがあって。使わないでなんとかなる方法がわからにところがあります。365題のindexですが。(他の方法がありましたら、どなたかたれ込んでください)
他にpタグの意味するParagraphの解釈のが私の中でまた固まっていなくて、英語のParagraphを日本語の段落に単純に当てはめて良いのかどうか。これにからめて、brを使ってもいいのではないかと思うところもあるんですよね。
文字書きのかたがたは気になるところだと思いますので、これは別に語ってみたいと思います。