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思いつきで語る

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[DC FF7]女、科学者、母――ルクレツィア

さほど多くはないプレイしたゲームの中で、スクウェアの男性視点バリバリの女性キャラは元々興味の対象外でした。ゼノギアスにしろFF7にしろ。

それでも、キャラそのものを『嫌い』となるわけではありません。キャラを作った男性スタッフの女性観の貧困さが透けて見え嫌悪することはありましたけれど、色々なタイプの女性キャラのうちの一つのバリエーションと考えています。何度と無く繰り返し主張しておりますが、「そればっか」だとうんざりするだけで。(スクウェアはそれの比重が大きいような気がしないでもないですが)

ルクレツィアもそんなスクウェア女性キャラの一人にしか過ぎません。ティファ、エアリス程度には好きです。

ただ、ルクレツィアの好き嫌いは別にしてキャラクターとして興味を持てるところは、ティファやエアリスほど男にとって都合よくつくられていないという点かもしれません。

ティファは、腕っ節の強い格闘家としての設定が目くらましになりますが基本的に(好きな)男を無条件で受け入れ甘やかしてくれる母性を強調した献身的な母親であり恋人です。(これはゼノギのユイと同じですね)

男を抜きにしたティファ本人の意思や思惑は何も見えてきません。それは、ACで描かれた彼女もまったく変わってはいませんでした。クラウドに対しひたすら一途で健気なのです。それが、ティファの魅力であるわけですから、否定はしません。

でも、思考を男中心でしか回すことしかしない女性キャラというのは、男(=男性プレーヤーにとっては自分)にとって、自分を第一に考えてくれる実に情の深い理想的な女性像に見えてしまうのです。自分にとっての理想の女性とは自分にとって都合の良い相手とイコールになってしまうことが残念ながらほとんどなので。

一方エアリスは冒険へと駆り立てる神秘的で神聖化されたヒロインとして描かれていたわけです。というか、それだけだったかもしれません。ティファとの大きな違いは、最後にはクラウド抜きで、セトラの末裔としてすべきことを自覚し自らの意思で行動をはじめたということでしょう。

しつこく繰り返しますが、ティファやエアリスのような男性視点の理想ヒロイン像が悪いわけではありません。私はティファもエアリスもはまりはしないし共感もできなかったけれど、好きな部類に属するキャラです。ただ、そればかりだと人によっては「またか」になるに過ぎないのです。

そういったヒロイン像を求めるプレイヤーが大半であれば、そればっかになるし、それ以外のヒロイン像を求めるプレイヤーが増えれば別のパターンのヒロインも登場するでしょう。が、現在それ以外のヒロイン像を求めるプレイヤーは圧倒的に少ないように思います。女性プレイヤーですらです。

さて、今回ルクレツィアをヒロインと解釈していいかどうか微妙です。構造的にはシェルクがヒロインでしょう。でも、シェルクはルクレツィアの記憶の断片を取り込み彼女の願いをも受け入れてしまうのです。シェルクはルクレツィアの代弁者のように感じます。だから、ヴィンセントはシェルクの中にルクレツィアを見るのです。

ルクレツィアは男のイメージする女の魔性的なものが強調されてしまい割を食っている印象はあります。

DCの中で描かれるルクレツィアのとった行動は、人によっては不可解に映るでしょう。狡く嫌な女といった印象を持つ可能性が高いと思います。

ただ、私には「あの状況下では仕方ない」と許せるというか理解できるのです。

プレイ中というか、FF7の時にすでに不可解だったのが、ルクレツィアと宝条の関係です。ルクレツィアは宝条に惚れていたのか、ならばあんな男(失礼)のどこがよかったかということに尽きます。

DCをラストまでプレイして、ルクレツィアが宝条のところへ行ってしまったということが腑に落ちたのです。

ルクレツィアとヴィンセントの父親であるグリモア博士は恋人同士だったのでしょう。少なくてもルクレツィアはグリモアを愛していました。そのグリモアが実験中ルクレツィアを庇い、結果として命を落とすことになります。

そんな喪失感の中、タークスの一員となったヴィンセントがルクレツィアの護衛として赴任してきます。ルクレツィアは「何故あの人の息子が」と動揺します。

やがて、ヴィンセントを愛しかけている自分に気づき、ヴィンセントから離れようとします。

かつて愛した男の息子を同じように愛してしまいそうになるというのは抵抗あります。その男が自分を庇い目の前で命を落としたとなれば、グリモア、ヴィンセント双方に対して負い目を持つことになりかねないのです。それは彼女にとって一生自分を苦しめる呪縛と成り得るのです。逃げる理由としては十分です。

では、なぜ宝条なのか。

「私のところに来てくれるのだね」(うろ覚え)といった宝条の台詞から元々宝条がルクレツィアを口説いていただろうと考えられます。女としてくどくというよりは、研究のパートナー(利用するために)口説いたという感じじゃないでしょうか。

もともと、ジェノバプロジェクトの一員にルクレツィアが抜擢されています。

結婚すれば、二人の間で生まれてくる子どもが胎児のうちにジェノバ細胞を植え付けようという実験が合法的に可能になります。宝条にはそれが一番の狙いだったのだろうと推測します。科学者としてのルクレツィアにとってもそれは正しく合理的な選択であり、自分を納得させる材料となります。

ヴィンセントから逃げたい女としてのルクレツィアと、宝条の助手になることで自分の研究(オメガレポートから読み取ればスタートはグリモア博士なのでこの研究を進めることはグリモア博士の遺志であるともいえますが)をなんとか認めさせたい科学者としてのルクレツィアと考えればまさに渡りに船だったのでは? と思います。

ルクレツィア(宝条も)は、元々ジェノバを古代種と勘違いをしていて、厄災だとは知らないのですから、子どもにとって大きなリスクがあるとは思っていなないのでしょう。

宝条の「私たちは科学者なのだ」(うろ覚え)といった台詞から、研究のため(ひいては、人類のため)という大義名分はルクレツィアにとってヴィンセントから逃げたい自分への強い説得材料になります。

でも、完全に割り切ることの出来ない彼女はヴィンセントに対し、自分への本当の気持ちを聞き出そうという矛盾した言動をとってしまうのです。

さらに、生まれた子ども(セフィロス)と会うことも許されず、「あの子に会わせて」と彼女は半狂乱になり宝条に訴えます。

この辺の演出も業の深さを感じさせるものでした。

そういった苦しい日々の中、宝条に撃ち殺されたヴィンセントをなんとか蘇生させたい一心で、彼女はカオス因子を使ってしまいます。

それが、結果としてヴィンセントを苦しめることになってもとにかく生きていて欲しかったのです。

それを宝条からヴィンセントを実験素材として扱ったのだと揶揄され、また追いつめられボロボロになっていきます。

エヴァンゲリオンで、リツコが科学者である自分の母親を「科学者としての彼女、女としての彼女、母親としての彼女」(うろ覚え)的なことを言います。

ルクレツィアもそうだったのでしょう。女、科学者、母が彼女の内面でせめぎ合っていました。

その三つの存在は相容れない主張を彼女の内面で繰り返し、精神をずたずたに引き裂いていきます。やがて、肉体もジェノバ細胞に侵され、心も体も壊れてしまいます。

どの選択が正しかったかなんてわかりません。二つを同時に選択し、平行してことを進め比較するなんてことは誰にもできないのですから。

でも、ヴィンセントは最後にルクレツィアの祠で眠る彼女に言います。

「私はまだ生きている。ありがとう」と。

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