03年1月初頭にテーマチャット室にて一つのチャットが行われた。テーマは「ゴム付エッチ」。参加者は主宰者のそにあ(現・藍晶)さん、テーマ発案者の弐号さんをはじめ、私(伊波東風)、犬神搾太郎(さくた)さん、ちゃげさんの5人で、所要時間はおよそ三時間強。テーマは議題とゆうよりは、それを材題とし、各々の自由会話形式である。
このとき私がチャットの叩き台として用意したのが、「覚え書き」と称した簡易な書き出しである。つらつらと思ったことを簡単に書き出しただけなのだが、参加者からは意外に好評であり、こうして清書する機会に恵まれた。
テーマがテーマだけに直截的な表現が多々あると思われるが、その点御容赦していただきたい。
さて、論題は「ゴム付H」である。だがより正確には「作品内におけるゴム付H」、もっと言うのなら「おたく産業の一貫として生産/消費される作品、その作品内におけるゴム付H」である。日常社会におけるゴムを使用した性交渉、非おたく産業製のポルノ(AVなど)は、引用はあっても本稿の論題外とする。
テーマの提唱者の弐号さんが如何様な意味で「ゴム付H」を選んだのかは分からないが、チャットが行われたサイトの特色から、以上の枠を作った。
さらに筆者である私が男性であり、参加者が女性が多かった事から、「男性視点に立ったゴムの効用」を述べるのが議論を活発にするのではないかという考えに立ち、「美少女ゲーム」と呼ばれる男性向けPCゲームをここでは主要な材題とする。
今回のチャットにおいて美少女ゲームにある程度知識をもっていたのは私とさくたさんの二人だった。プレイするゲームの方向にややずれもあったものの、一点において共通する意見を持っていた。
それは、性交渉のシーンにおいて、ほとんどゴムが使われていないと言う事だ。
以下は「何故、美少女ゲームにおいてゴムが使われないのか?」「ゴムを使わないあるいは、使うと言う選択すらない理由は何なのか?」という問いに回答するものである。
この場で「ゴム」と表記しているのは、言うまでもないが「スキン」あるいは「コンドーム」と呼ばれる装着型の避妊具の事である。
男性器に直接装着するゴムは世界的にも最もポピュラーな避妊具であり、避妊/性感染症防止の効果が高い道具である。一般的に清潔な社会とされ、性感染症の知識が必要よりは知られていないと言うことと、避妊具として世界的にはポピュラーなピルが日本では「避妊具」として使われる事の少ないと言う事実から、「ゴム」はすなわち避妊の象徴的な意味合いを持っていると考えられる。
さて、美少女ゲームはいうまでもなく、おたく産業の一貫として生産され、おたく的要素を持つ者(要素さえあればよく、おたくそのものである必要は必ずしもない)に消費される事を目的としたポルノグラフィー、性的嗜好物である。
性的嗜好物の目的は性的興奮を与える事である。直接的な(物理的な)性的快楽を与える事が不可能なポルノグラフィーは、様々な方法をとって性的興奮を喚起させようとする。美少女ゲームのような、いわゆる「アニメ絵」で表現される事自体も「様々な方法」の一つだ。
性的興奮―――性欲の特徴は睡眠欲や食欲と違い、他の欲求への代替が可能な事である。より正確には性欲の根本であるリビドー(衝動)自体には方向性がつけられていないため、性欲と同時に、他の欲望も刺激させれば「性欲を感じた=性的興奮を覚える」という構造をわりに簡易に作り出すことができるのである。これは何もポルノグラフィーに限った事ではなく、人間が社会生活を営む上で普遍的に行っている事でもある。
人が性交渉と共に覚える欲望は、だから性欲だけではない。むしろ性欲とはトリガーに過ぎず、各々が違った欲望を持って行う行為が性交渉だと言えるだろう。
だが、とはいえ行為を行う人間が社会的人間、社会によってフォーマットされた(社会化された)人間である以上、ある程度の非個性化が行われている。例えば、男性が「男性的であること」に広範な価値を認められているこの社会において、「男性(男権)的に性交渉を行うこと」は非常にポピュラーな欲望である。
現代の社会、すなわちモダン(近代)からポストモダン(脱近代)に移り変わろうとする(あるいは移り変わったばかりの)現代の社会は近代の価値観が根強く残っていると考えられる。近代は強いパラノ性(偏執的性)を根幹としておいた時代であり、とりわけ貯蓄と進歩に価値を置いた社会を形成してきた。貯蓄と進歩、言い換えれば執着と征服である。
とりわけ男性は社会成員として「立派な市民」足る事を求められたこともあり、執着と征服を強くフォーマットされている。征服は征服者/被征服対象からなる関係であり、常に対の関係になるよう構造がもとめられる。当然、性交渉においては「征服者」としての男性と「非征服者」となる女性と言う典型を作り出すことになる。「執着する」対象を「征服する」という行為は、性的欲望とも関連し強い快楽回路となる。
「征服する」とは「手に入れる」事と同義であり、すなわち自身と「同化する」ことまでと関連付けられる。同化とはある対象を自身の中に取り込む行為であり、行為者の「範囲」が広い場合(「同化」とは体内に取り入れるだけを指すのではなく、自身の影響範囲内に納めると言う意味合いを持つ)、自身を対象の一部と同化することでも可能である。
要するにこれは動物のマーキングに近い。自身の分身であり、分泌物である精液を対象の体内・体外に放出するという行為はある点において、それそのものだとも言えるだろう。
そして、ゴムはそれを抑制する効果を持つ。それは当然征服性という欲望の抑止に直結し、結果として快楽の獲得を妨げる事となる。ゴムはこの点において、男性の―――近代男性の欲望を妨げる去勢具なのである。(注1)
以上に見てきたように、ゴム自体には男性の征服/執着欲を阻害する抑制具としての効果があると説明してきた。故に、「つけない」という行為に対しては以上のテキストで十分説明が可能であると考える。
だが、ここで論じているのは日常の(現実世界の)性生活ではなく、美少女ゲームなどにおけるゴムの描写とその意味である。そして何よりここで特徴的なのは、日常の性生活において重要な意味を占めるゴムが、ほとんど語られないと言う事にある。
美少女ゲーム、特に「萌えゲー」と呼ばれる現在主流の美少女ゲームにおいて、ゴムはほとんど使用されない。いや、というよりゴムを使用するという選択肢そのものが存在せず、ゴムはその世界から隠蔽されている。
美少女ゲームのような記号性の強い物語は、作品を欲望するために高い物語と象徴へのコンテキスト(相和性)を必要とする。(私も含めた)美少女ゲームに欲望するおたくは作品そのものを欲望しているのではなく、作品から受け取った記号や象徴を自身の内部に再構築し、その「想像世界(とそれに付随する記号や物語)」を欲望しているのである。自己完結的なこの想像世界において、多くの記号は象徴としての「意味」が付随している。
そしてゴムは、私が考える所二つの「意味」を持って機能しているように思える。一つは上記した「近代的欲望の抑制」。そしてもう一つは「日常的な意味での性交渉」である。
言うまでもなく、性交渉は一種のコミュニュケーションであり、同時に義務が発生しかねないと言う危うさを持ったツールである。文化人類学では本来的に「おかしな」行為である性交渉は、社会的意味(義務の発生・注2)とその「おかしさ」と言う無意味さにおいて欲望が発生する根源であると説明している。ゴムとは無論、この「義務の発生」を防止するための道具であり、結果として義務が存在する事をこの上なく知らしめている象徴でもある。
そう、ゴムとは日常的な性交渉のシンボルそのものなのである。
本質的には同根ながら、日常から乖離して存在しているおたく個々人の「想像世界」において、この日常のシンボルは驚異すべき対象である。「萌え」を基調にして作られたおたくの想像世界は自覚・非自覚を問わず、多かれ少なかれ性欲を世界の根底においている。自身の性欲をその想像世界のリアリティ(現実感)の主要素としている以上、日常的な性交渉のシンボルであるゴムは、日常が強いリアリティを持っているが故に、想像世界のリアリティを揺るがしかねない存在感を持つのである。
また、想像世界は個々人のおたくの欲望消費の場である以上、欲望の抑制の意味も持つゴムは存在してはならないモノなのである。
故に、美少女ゲームではゴムが隠蔽され、存在そのものが抹消されているのだと結論する。
以上のように、原則論としては、ゴムはおたくの想像世界において存在してはならない用具である。だが、これはあくまで原則的な話であり、ゴムと言う象徴を逆手にとって強い欲望要素に変えることも可能だ。上記の原則論を構造とするならば、演出という物語を組み込む上で、ゴムは武器となりうる。
ゴムは日常的な性交渉のシンボルであると前節で述べた。この象徴性を上手くデフォルメすることにより、大きく二つの記号性が生み出せると考えられる。
第一に、ダイレクトに「日常的な意味の性交渉」という意味(言い換えれば「生っぽさ」)を物語の中に組み込むことである。先に述べたように、想像世界の中に日常世界の産物・象徴を組み込むことは、前者の崩壊を導きかねない危険な行為である。だが、主体が日常に対して強いコンテキストを有している場合には、つまり想像の中においても日常世界を求めるのならば、ゴムは想像の中に日常世界を代入する導入口として機能するのではないかと考えられる。
第二に、ゴムが使用されるような一般的状況―――恋人関係にある男女の性交渉と仮に定義する―――を導き出す記号として使用することである。一般的に美少女ゲームは(特に萌え/純愛系とカテゴライズされるゲームでは)、性交渉がゴールと規定され、それを持って恋人関係になるという象徴的な儀礼として描かれる。
だが、「その後」、つまり恋人関係になった後も描こうとする作品も少なくなくなってきている。その場において「ゴム」が登場する場合、それは「行為が複数回に及んでいる=恋人関係の証明」という記号性を有するのではないか、と考えられるのである。そして「恋人関係にあること」が欲望の消費=快楽であるとすれば、ゴムはこの場合において快楽を発生させる記号として機能するのである。
美少女ゲームのユーザーにとって、属性少女への同体化/母胎回帰願望を軸とした欲望は非常に本質的なものなのではないか、というのが現在の私の持論である。
美少女ゲームにおける性交渉で、快感要素となりうるシチュエーション(物語形式)は幾つかのパターンがあるが、特に胎内射精を希求する形式が上記のものに強く結びついていると考えている。その点において、ゴムはそれを阻害するとして、興味深いものだというところから本稿は始まっている。
往復書簡的にこの文章を考えるのなら、ならば男性の閉鎖された性的快楽世界におけるゴムは以上のような意味を持っているとして一応の解とし、では女性に(腐女子に)とってゴムとはなんなのか、という疑問を提出して筆を置きたい。
(注1) そもそもゴムの登場自体が男性の去勢を示しているともいえる。
(注2)義務の発生は恋愛や婚姻、因習、儀礼、この発生など、多岐の要素を含むと考えて欲しい。
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