十字架の罰

  
■第四章■   


第四章

光隆がライエルの家に来て五日が経った。光隆はできる範囲以内でライエルを助け、ライエルは慣れぬ狩をし、光隆の腹を満たした。

二人が行動するのはいつも夜。夜、目が効くライエルは森の中をさっそうと駆ける。光隆はあまり行動しなかった。

ライエルは光隆を見るたびに湧き上がる欲望を押し殺し、光隆は意味のわからない感情に悩んだ。

「光隆は、なぜこの山に入り、鬼退治など考えたのですか?」

六日目の夜、ライエルと光隆はまたあの湖畔にいた。その日もまた、見事な月が二人を照らす。しかし、どこか妙に悲しそうだった。

「別に、大きな理由はない。町奉行が依頼したことだ。」

「光隆は、鬼退治を仕事にしているのですか?」

光隆は笑った。森がざわめいた。驚いた鳥達が騒ぎ出す。それに驚いた森が声を上げる。獣が警戒を始めた。

「鬼など、おらぬ。現にライエルは鬼じゃなかった。私は鬼を見たことがない。」

「ならば光隆の仕事は何ですか?」

「私の仕事は…強いて言うならば人を切ることだな。」

光隆はため息をついた。こんな美しい月の夜には、『あの日』を思い出す。

『あの日』もまた、こんな夜であった。

「同じ種族を切るのですか?」

光隆はあの笑顔を忘れはしないだろう。

「私にはそれしかないのだ。」

『あの日』も、その前の日も、自分の生き方などわからなかった。一つ、残されたのが『人を切った』という経験だけであった。

「俺にはわかりません。同族を守ることがあっても切ることがあるなど。」

「私にはそれしかないのだ。『あの日』から。私には『人を切る道』しか残っていなかった。」

光隆が初めて人を切ったのは、十五才の時であった。東北の寒い地方に生まれた光隆は、その地方では名の知れた剣豪の息子であった。

亭主関白の気が強く、光隆が覚えているだけでも何百、何千と母は父に蹴られ、殴られていた。

父は息子である光隆に剣を教え、父の跡を継ぐように言われてきた。

父には他に女がいた。母よりも器量のいい娘が数人、父の愛情を受けていた。母はそれを知っていて、何も言わない。光隆もまた、何も言わないようにしていた。

父が母をうっとおしく思っていたのは確かだった。冷たい家庭だった。

父が行動をうつしたのは、他の女に子供が生まれた時だった。

父は次第に母を殺意の篭った目で見るようになった。

―母を殺す気だ。

それから毎日父を見張った。もちろん、愛刀を握り締めて。

美しい月夜だった。父が重たい刀を握り締めて母に近づいたのは。

父は母の胸を一突きした。光隆は父の胸を一突きした。

残ったのは、光隆だけであった。

気が狂うほどの血の臭い。狂ったように笑った。

父は死んだ。

母も死んだ。

残されたのはカラッポの心だった。

「親殺しは罪が重い。」

光隆はそこから逃げた。遠い、南の国へと逃げていった。

「南の国で、普通の暮らしをしようとは思わなかったのですか?」

「私は生まれてこの方、剣以外のものを握ったことがない。」

南の国は、思っていたよりも暑く、イキイキとしていた。予想もしていない暑さに光隆はただただ呆然とした。まるで違う生き方。

「剣以外を持ったことのない私に何ができる?」

やはり、光隆は剣の道に進むしかなかった。農具を持っても何もできない。役立たずだった。しかし、剣を持った時は違った。用心棒をやったこともあった。人の依頼で人を切ったこともあった。

光隆は流れるようになった。無茶な依頼を受け、多額の依頼料をもらう。

金を集める理由が光隆にはあった。

光隆は一年に一度、こっそりと故郷に戻っていた。

「私は一つだけやり残した。」

「何を、やり残したのですか?」

「父の女と子供を切るのを忘れた。」

ライエルは絶句した。驚くように見つめ、何も言えなかった。光隆は少し笑っただけで、罪悪感などないようだ。

「私はあの二人を路頭に迷わせることになった。気づいたのは、南の国で依頼を受け、その金で酒を買った時だった。」

そんな縁のない者、放っておいてもよかった筈だ。しかし、光隆にはできない理由があった。

あの美しい月の晩。あの笑顔が光隆を導いたのだ。

息が上がった。妙な感動。まだ胸が高鳴っている。胃のあたりがジクジクしている。どうしようもない高潮感。

切った。父を切った。

切った。初めて切った。

肉に刺さる刀。刀から伝わってくる肉の弾力。父の温もり。父が目を見開いて、光隆の名前を呼んだ。生まれてから一度も聞いたことのない優しい声だった。

罪悪感などなかった。そこには達成感だけが充満し、恐怖は同居していなかった。家の外にでると、ベッタリと父の血が着物についていた。そこら中に父の温もりが残っていた。

まだ温かい。

ふと、空を仰いだ。月が美しかった。父の様にまるまると肥えていて、真っ赤に染まっていた。

その時、自分がどうなるのか、わからなかった。十五だから、親殺しをすればどうなるかわかっていた筈だ。

それでも、焦らずトボトボ乾燥した道を歩いていた。

その時、光隆は捕まる気だったのかもしれない。

月の下に女がいた。

こんな夜中に…。

何度も目をこすったが、月明かりの下、女が小さな子供を抱いて光隆を見つめていたのだ。

「お父様を殺したの?」

優しい笑顔。身震いした。呆然と彼女を見つめる他なかった。

「こんなに血だらけになって。可哀想に。」

彼女の冷たい手がそっと頬に触れた。背筋に悪寒が走る。光隆は初めて恐怖に震えた。彼女のこの一言で、自分の犯した過ちを強く確認したのだ。

一筋の涙が、頬を伝う。

「南は暖かい所だそうですよ。」

微笑む彼女が光隆に一着の着物を渡した。「これでお逃げなさい。」と、南の方を指差した。

光隆は逃れた。故郷を逃れ、江戸を通り、京の都についた。はなやかであった。暖かかった。まるで別世界だった。戸惑いはあったが、少し外れに行くと、野宿はできた。

「あの時、彼女と子供を切っていれば、こうやって故郷に金を持っていく必要はなかった。」

なのに、光隆は切らなかった。切らなかったおかげで光隆は今生きている。

「それだけが生きがいになった。」

父の女を守ることだけが生きがいになった。父の女とその子供が飢えないように、一年分の金をため、それを渡す。光隆はそのためだけに生きている。

「なんだか、悲しい話ですね。」

「悲しいと思ったことはない。」

光隆は笑った。ライエルは困ったように笑った。

光隆は静かに空を見上げた。美しい月が微笑む。そう、彼女のように。

「本当ならば、今頃故郷に着いている頃だった。」

「俺のせいですね。」

言葉ではそう言っていても、ここから出す気にはなれなかった。ライエルはそんな自分に苦笑した。

光隆をジッと見つめる。時が止まったように感じた。光隆も何も言えずにライエルを見つめていた。胸の高鳴りを感じる。この感情を何と言うのかわからないが、ライエルは唇を噛み締めそれに耐えていた。

光隆の手がライエルの頬に触れる。胸が今までで一番激しく高鳴った。

「人間はこういう目を『誘っている』と言う。」

ライエルの目が大きく開かれた。

「こういう時は頬を染めて目をつむるもんだ。」

指先で唇となぞられると、ライエルは震えながら目をつむった。身体が熱く疼いてきたのがわかる。身体が何かを期待している。

「そんな反応されると本当に食いたくなる。」

耳元で囁くと、不意に唇を押し付けた。軽く吸うような接吻。愛撫するように甘噛みしてやると、ライエルはカラダをピクリとふるわせた。

「……ん……っ」

光隆の濡れた舌はいとも簡単にライエルの口内を犯していく。初めての感覚にどうしようもなく身体は疼く。

光隆のあたたかい舌がライエルの舌に絡まる。唇を吸い上げ、綺麗な歯列を確かめるようになぞった。

「……んんっ」

ライエルの身体の力は抜けると、満足したように光隆は唇を離した。濡れた目でライエルは光隆を見る。誘っていないと言ったら嘘になる。そんな目だった。

荒い息遣いだけが広がった。

「な…なぜ…。」

「誘ったのはライエルだ。」

顔を近づけると、ライエルは身体を硬くする。その反応が嬉しくてたまらなかった。それは新鮮な反応だ。

「俺は男です。」

「ここにはライエルと私しかいない。男同士でもなんもおかしくはないだろう?」

武士が男同士で慰め合うのはよくあることだ。戦場に女はいない。光隆は進んでそんな行為はしなかったが、そんな男達を何遍も見ていた。

「ライエル、お前だって満更でもなさそうだ。」

光隆がニヤリと笑うと、ライエルはきつく睨んだ。

「身体だって反応していた。」

ライエルの着崩れた、着物の上から起き上がりかけたモノをやんわりと触ってやると、ギュッと目をつむった。

「ほら、嫌ではない証拠だ。」

ライエルは大きく首を横に振った。

「嫌です。」

「こんなになっているのに?」

「ほっといて下さい。」

強く言うと、光隆はため息をついて立ち上がった。

「じゃあほっとくことにしよう。」

ライエルの着物をなおしてやると、さっさと家へと戻っていった。ライエルはその背中を見つめていることしかできなかった。


戸を引くと、ピクリと太秦の耳が動いた。入ってきたのが誰かを確認すると、すぐに顔を伏せる。

そろりと奥の部屋に入ると、いつもの空間が待っていた。

布団が二つ引かれているが、光隆はライエルが隣で寝ているのを見たことがなかった。

人と寝るのは嫌いなのか、何か事情があるのかは知らないが、ライエルは光隆に寝顔を見せようとしない。

布団の上にドカリと座ると、ふいに先程のことを思い出した。

濡れた唇。誘うような瞳。

チッと、舌打ちすると、座禅を組み目をつむった。

「山奥でどうかしている。」

今日も、隣にライエルは来ないだろう。安心したような、少し寂しいような気がしてならなかった。

今日のことで、もうライエルは自分に近づきさえしないかもしれない。


ライエルは、一人湖にもぐっていた。冷たい水は熱くなった身体を冷ましてくれる。

もう、何度この湖に入ったことか。光隆との行為を思い出すだけで身体が火照るのがわかった。

まだ唇が熱い気がしてならない。

空を見上げてため息をついた。月が笑っている。火照るライエルの身体を見て。

湖から出る頃には、月は木々の中に溶け込むようにして姿を消していた。

脱いだ着物で体を拭う。

家へ向かう道を歩きながら、ライエルは狼にと姿を変えた。


第四章 完   
  
  
第五章

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル