朝目覚めると、妙に視界が狭かった。 あれ…何で左目開かないんだ、目やにでも付いてんのか? 何気なく右手を左目に当てると、伝わってくるのは包帯の感触。 包帯?俺左目怪我した覚えなんか…。 そこで気がついた、ここが俺の部屋じゃないって事に。 俺の部屋じゃないが知っている、掃除した数は数え切れないから。 一瞬思考が止まる、そして再開。 え、俺何であの人の部屋にいるワケ?昨日は酒飲んだ覚えも無いぞ? まあとりあえず顔洗って仕事をしよ、んでもって晋助様に謝らないと。 ――そして、厠に絶叫が響く。 「何じゃこりゃァァァア!!」 ありがちなネタ程始末に困る 俺は足早に廊下を歩いていた。 厠どころじゃない、朝食どころじゃない、仕事どころじゃない。 もうパニックだった、どうしたらいいのか本当に分からない。 常識外れな上、原因も対処法も思いつかない事件なんてどうすりゃいいんだよ…。 「何で…何で俺、晋助様になってんだ?」 厠の鏡に映った姿は、誰が見ても晋助様のものだった。 鏡と俺の頭が壊れてなければの話だが、間違いなく晋助様だった。 腕を上げたら鏡の中の晋助様も逆の腕を上げたし、挨拶してみたら同じように頭を下げた。 それに、すれ違う同僚が俺の事を晋助様と呼んで丁寧に挨拶してきてる。 参った…ホントどうすりゃいいんだよコレ。 何、俺何か悪いことした?いや鬼兵隊にいる時点で悪いことしてるんだろうけど。 だからってこれはねーだろ、もう少し対処できる罰持って来いや! 気付かれる前に対処しねぇと、どうにかして元に戻る方法を探さねーと。 「あ…武市様、お早うございます」 「……は?」 廊下から武市様が歩いてきたので、俺はいつものように率先してあいさつをする。 そして下げた頭を戻し、ようやく凍った空気と武市様に気がついた。 ――しまったァァァ! 俺は今晋助様だった、晋助様が武市様を様付けで呼んで頭下げるとかありえねぇ! ヤバイ、ありえないものを見た武市様が固まってる。 えっと…どうしようかな? 「武市さ…武市、今見たのは忘れて下さ…忘れろや」 「あ、え?は…はい……」 晋助様の口調ってこんな感じだよな? てか無駄に偉そうなんだけど、俺にとっちゃ武市様は幹部方で上司だぞ上司! 小心者な俺には無理、何で振りするだけでこんな疲れなきゃいけねぇんだ! 大体晋助様はどうしたんだよ、こんな大変な事態になってんのに…。 ――そうだ、晋助様は!? 俺が晋助様になってるって事は、晋助様は俺の身体にいるんじゃないのか? だったら晋助様を、俺の身体を探せば何か分かるかもしれない。 「た…武市、晋助さ…じゃないの野郎はドコに行きまし…行きやがった?」 「さんですか?ニヤニヤしながら勝手に外回りに出かけてしまったんですよ」 「はい!?」 外回り?出かけた? てことは晋助様は間違いなく俺の身体にいる、とりあえずそれは分かった。 けど、何でこの状況で外出してんだよ。 元に戻るアテを探してるとか?あ、もしかして相談出来る誰かが外にいんのか? さすが晋助様、顔が広い。 「両目が使えるとか、幕府の犬を気にせず遊べるとかブツブツ言って…。 止めたら物凄い目で睨まれて…さんもストレスが溜まってるんでしょうか?」 「待てやコルァァァ!!」 あの人、俺の顔売れてないの利用して遊びに出かけただけかよ! つーか普段通りに人と接するのやめろ、せめて幹部方にだけは敬語使って下さい。 晋助様が今使ってんのは俺の身体だから、後から説教されんの全部俺だから。 俺が苦労してアンタの振りしてんのバカみたいじゃねぇかァァァ! 「ありがとうございます武市様!てかあの人は何やってんだよ!!」 武市様に頭を下げた俺は、全力で廊下を駆けた。 うわ…何だこのスピード、いつもよりも速い。 そっか、晋助様の身体だから運動神経が俺よりもずっといいんだ。 けど身の丈に合わない能力は己を滅ぼす。 俺の頭が速さについていけず、幾つかの角を曲がった瞬間足が縺れて無様に転倒した。 しかも視界、特に左が狭いから壁やら物にやらぶつかって痛いし。 うう…もう嫌だ、早く俺の身体に帰りたい。 「…晋、助?」 「………………!?」 聞こえた声に、無様に倒れ伏したまま顔だけ勢い良く上げる。 そこには倒れた俺を呆然と見下ろす、万斉様の姿があった。 万斉様は寺門通の新曲についての打ち合わせがあるので、数日前から仮住まいの方へと移っている。 報告に来たのか完全に終わったのかは分からないが、とにかく最悪のタイミングだった。 「ば、万斉さ…万斉。俺はただ廊下に落ちてたゴミを取ろうとして…」 「………………」 「いや…だから、運動神経凄すぎて着いていけなかったっていうか…」 「………………」 「と、とにかく晋助様…いや俺は転んでなんかいないってワケで…」 「…おぬし、晋助ではないな?」 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。 え…だって俺の姿は、どう見ても晋助様なワケで。 俺は身体を起こすのも忘れて、呆然と万斉様を見上げた。 「身体は確かに晋助だが音が違う。この不安定なバラードに炎が揺らめく音…」 でござるか? そう続いた言葉に、俺は少し遅れてから思いっきり首を縦に振った。 分かってくれた、万斉様だけが俺の正体を分かってくれた。 万斉と一緒に部屋に行った俺は事情を説明する。 朝起きたらこうなっていた事、原因が全く分からない事。 そして俺の身体にいるであろう晋助様を探そうとしていた事を全て。 万斉様は着替えをしつつ、俺の話を聞いてくれた…と思う。ヘッドフォンしたままだけど。 「ふむ、事情は大体分かったでござる」 「万斉様…俺はどうしたらいいんですか?船出たら指名手配犯ですよね」 「…晋助の身体を借りているうえに、戦闘能力が引き出せぬ状態では危険極まる」 「そうですよね、てか何であの人――」 万斉様が微妙な顔をしながら俺の前に座った。 三味線を取り出しバチをもって弦を弾く、落ち着く音色が部屋に響く。 演奏を続けながらも神妙な顔をして、万斉様が俺に告げた。 「、すまぬが敬語をやめてくれぬか?」 「え、何でですか?」 「確かに音はのリズムだが、今のぬしは姿も声も晋助のものだ」 「………………」 「晋助が敬語など、ハッキリ申せばキモイ」 ――確かに。 俺はあまり意識してなかったけど、この声で万斉様ーとか嫌だよな。 晋助様のイメージが崩れる前に、早くお互いの身体に戻ろう。 だが、そんな決意も虚しく万斉様は言った。 「、少々危険だがこの後の会合には付き合ってもらうでござる」 「会合…ですか?」 「今日は拙者が帰還した後、晋助と共に武器商人との取引交渉に向かう予定だった」 「え…」 万斉様の帰還がギリギリだったため、晋助様の行方を捜索する時間は無い。 もっとも、俺と晋助様が入れ替わっている時点で俺が行くしかないんだけど。 たとえ中身が晋助様とはいえ、俺の身体じゃ向こうは納得しない。 その逆も然り、中身が俺でも晋助様の姿なら俺がそのまま行くしかないんだよな。 交渉役は毎回万斉様が行っているらしいので、俺はただ座っているだけでも問題無いらしい。 こんな重要な会議の場に俺が同席していいはず無いんだけど、仕方ないよな…。 俺は万斉様と共に、晋助様の振りをしながら内心ビクビクで会合に向かう。 「…かの銃火器でこの値段とは、少々吹っ掛けではござらんか?」 「そうは言いますが、我々も幕府の目を盗んでの商売。気を配ってもリスクは高いんですよ」 「そのリスクを上乗せした分を考えても、品質と値段がつり合うとは思えぬが」 「むむ…ならばこれでどうでしょう、本当にもうこれ以上は下げられませんよ!」 万斉様は少しの間考え込み、妥当かと呟いてから了承した。 そして、後日改めて取引場所を検討することを約束し会合は終わる。 …近い内に武器の補充作業があるんだろうな、武器庫の点検しておくか。 余談だが俺は本当に座っているだけで終わった、晋助様って普段から何もしてないのか? 「何もしてないのに疲れたんですけど、てかどうやったら元に戻るんですかね?」 「とりあえずは晋助の帰還を待つ」 「晋助様、俺の身体で何してんでしょうか」 「気まぐれとはいえ晋助は指名手配の身、最早永劫に訪れないチャンスを逃したくないのであろう」 「それはいいんですけど……ッ!?」 妙な気配を感じたのは俺も万斉様も同時。 俺は身構え万斉様は僅かな殺気を発する、すると向こうの路地裏からぞろぞろと人が現れた。 服装から言って真選組じゃない、派閥が違う浪士の集団か。 「…拙者の傍をなるべく離れるな、晋助の身体を護れ」 「はい、この命に代えても護り抜きます」 「人の話聞いてるでござるか?今のぬしが死ねば晋助の身体も死ぬでござるぞバカ」 「万斉様にだけは人の話を聞けと言われたくないですバカ」 相手の動きから一瞬たりとも目を離さず、背中を合わせながら囁き合う俺と万斉様。 ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、刀を抜いて構える浪士の集団。 晋助様と万斉様なら全く問題ない数だし、本来なら万斉様一人でも何とかなるだろう。 けど今は別、俺はそれほど強くない上に今だけは絶対に刺し違えられない。 俺も万斉様も重過ぎるハンディがあった、晋助様の身体を護りながら戦えという枷が。 人を護りながら戦うってのは技術的にも精神的にも難しい。 死ねやら何やらと喚きながら、浪士の集団が襲いかかってきた。 「……ッ!」 俺は刀を抜いて相手の一撃を受け止める。 さすが晋助様の身体、抜くスピードも動体視力も半端じゃない。 だけど駄目だ、いくら晋助様の身体が凄くても俺の感覚が着いていけない。 慣れない身体じゃ力の制御がまるで出来ない、能力は上がってもこれじゃ戦力外と同じだ。 そして不意に身体の負荷が軽くなる。 万斉様が俺の相手を斬ったからだ、背中から血を撒き散らして沈む浪士。 最初の一太刀で既に三人を同時に葬っていた万斉様、やっぱり…幹部方は凄い。 (この調子なら何とか抜けられっか…?) しばらく乱闘は続き万斉様が何十人、俺も何人か倒して晋助様の身体を護る。 だが相手も馬鹿じゃなく、万斉様を押さえるための捨て人員と俺を始末する少数に分かれ始めた。 俺も万斉様も、徐々に位置をずらされて引き剥がされた状態だ。 マズイ、理由はどうであれ高杉晋助の不調を見破られ始めてる。 俺は万斉様のように、不特定多数を一度に斬り捨てるだけの腕はまだない。 出来ない事はないが何度もは無理だ、しかもこの身体じゃ…。 「………!?う…っ!!」 不意を突かれ俺は着物の襟首を掴まれ、そのまま壁に叩きつけられた。 一瞬呼吸が止まり呻きが漏れる、左側から攻められて一瞬反応が遅れたせいだ。 咄嗟に刀を突き出して相手を刺すも、急所を外したせいで怪我を負わせただけで得物を弾かれる。 「…っ…!!」 「鬼兵隊総督、高杉晋助討ち取ったりーーー!!」 異変を察した万斉様が俺を救出しようとするも、幾人もの浪士に阻まれて上手く進めない。 腕を引き剥がそうとするも、呼吸不全と足が地面から浮いているせいで上手く力が入らなかった。 男が刀を振り上げて嗤う、刃が月明かりに反射し凶悪に煌めいていた。 死ぬ恐怖は無い、ただ…晋助様の身体と名誉だけは護らねぇと!! 目に力が入った。 「テメーに晋助様の首が取れるか!!」 俺は懐に手を突っ込んで脇差しを抜き放ち、思いっきり男の腕に突き立てた。 これは万が一の場合に備え、俺が自衛のために持ってきた物だ。 男が叫び声を上げ締め上げる力が緩む、俺はその隙に転げるように抜け出し落ちた刀を拾った。 同時に怒り声と共に頭上へと刀が振り下ろされ、ようとした瞬間男が崩れ落ちる。 そこにいたのは…俺だった。 「、俺の身体で無様な姿晒してんじゃねェ。叩ッ斬るぞ」 声は俺、姿も俺、だけど中身と存在感は…紛れもなくあの人だった。 俺を襲っていた浪士を斬った晋助様は、呆ける俺を置いて万斉様と合流する。 万斉様も俺の姿に驚いたようだが、すぐに事情を把握したのか背中を預けて戦い始めた。 ……あれ、本当に俺の身体なのか? まるで軽業を披露するような身のこなし、それでいて力強い刀の演舞。 (同じ身体だとは思えねぇな…) 俺も立ち上がって、こちらに向かってくる浪士を斬り伏せる。 そしてあっという間に決着はついた、この二人が前線に出て時間が掛かる方がおかしい。 脇差しを男の腕から抜き、刀の血を振り払って鞘に収めた。 「おい」 「…はい」 「テメェちったァ身体鍛えろ、この程度の動きだってのにあちこちの筋肉が悲鳴上げてらァ」 アンタどれだけ乱暴に使ったんだよ。 まあ殺されかけた俺が言えた義理じゃねぇ、助かったとはいえ物凄い迷惑かけちまった。 けど晋助様が使えば俺の身体もあそこまで強くなる、やっぱここは才能なのか…。 「だが感覚は悪くねェな、普段の調子でいけたぜ」 口端をつりあげた晋助様は、それだけを告げるとサッサと歩き去っていった。 俺も万斉様と共に返り血を始末してから、晋助様の後に続いて鬼兵隊へと帰還する。 万斉様に礼と詫びを入れながら、俺は内心決意する。 もっと強くなろうと、必ずもっと強くなって…今度こそ大切な場所を護ろうと。 悔しさと情けなさとちっぽけな決意を胸に、俺は前を向いて鬼兵隊へと帰っていった。 翌朝、何となく身体が重かった。 目覚めた俺は、ここが晋助様の部屋じゃないと知る。 俺は喜んだがすぐに我に返った、ここは晋助様の部屋じゃないが…俺の部屋でもない。 傍にあるのは露出度が高いピンクの着物、しかも隣には見覚えのある二丁拳銃。 ――再び訪れた悪夢に絶叫する俺の声は、男と思えぬほど高かった。 |