満月が雲に隠れ気味の夜、屋形船に一つの影があった。 目元に包帯を巻き、窓際に膝を立てて座りながら空を眺めている。 月が雲に覆われているのが詰まらないのか、それとも月が自力で脱出するのを待っているのか。 飽きもせずにひたすら空を見上げ、風により僅かに髪が揺れた。 どれほどの時間そうしていたか分からなくなった頃、後ろで襖が開く音がする。 「来たか万斉」 後ろを振り返るまでもない、この場所で落ち合うと決めた人物はただ一人だ。 クク、と満足そうな笑い声が高杉晋助の口から発せられる。 足音は無い、だが気配はあった。 その気配は用意してあった膳へと真っ直ぐ向かい、やはり音も無く腰を下ろす。 「随分と面白ェ格好してんじゃねーか、白も好むようになったのかィ?」 「言ってくれる。あの戦場から戻ってきただけ評価に値するのではござらぬか?」 「しねェよ」 「………………」 「お前はあの程度の戦じゃ死なねーだろうが、くだらねェ自己評価出してんじゃねーよ」 苦笑混じりな万斉の返答を、高杉はバッサリと切り捨てた。 一見信頼と取れるような言葉だが、含まれているのは事実のみと言った簡素なもの。 黙り込んだ万斉を隻眼で見遣りながら、高杉は窓枠から降りて膳の前に座った。 立てた膝に腕を置き、包帯で覆われた万斉の姿を眺める。 見える箇所では頭部と胸元、コートを剥ぎ取れば更なる負傷箇所を発見できるだろう。 それなりの手傷だ、予定外の何かがあったとしか思えない。 「で、何があったんだ?」 「が泣いた」 万斉がおもむろに口を開く。 突然の事に疑問が浮かぶもすぐに消える、これはキたか…? 隻眼がスッと細められるも、瞳に宿るのは期待という名の光。 「んなモンいつもの事じゃねーか」 「違う、は今回…自分から生を求めたでござる」 「………………」 「生きたいと…、仲間の死を背負った以上は簡単には死ねないと言った」 口端が自然とつり上がっていく。 戦の結果報告はまだ聞いていないが、高杉は今心から満足していた。 自分の命に対して呆れるほど無頓着だった。 それが戦に、いやそれ以外においても生を意識し始めた。 高杉が驚くほど満足しているのは、ただそれだけの事柄だ。 万斉が酒を次いで口に含む、怪我に酒は良いとは言えないが別に止める気は無い。 サングラスに覆われているため目の表情は不明だが、声は疑念に溢れていた。 「そろそろ話せ晋助、何故に指揮権を移した?」 この戦が始まる前に、高杉は万斉にこう指示していた。 流れを見計らって、可能ならに戦の指揮を任せろと。 彼に人を使役させ、真選組でも鬼兵隊隊士でもいいから誰かを“殺させろ”と。 は情報収拾を目的として動く人間。 武市には劣るが全体を見て判断を下すのは得意分野だろう、現場には万斉の目もある。 よって余程の何かが無い限り、部隊全滅を許すほどの失態は犯さないと判断したのだ。 目の前の男も頭は切れるが、どうやら自分の思惑の理解には至らなかったらしい。 「は呆れる程自虐的だと思わねーか?」 「既に今更だが、その印象は拙者も変わっておらぬ」 「アイツは簡単に命を捨てやがる、絶望の先がテメェに向いてやがっから生きる意志が弱いんだよ」 万斉は頷いた。 魂の鼓動とやらが聴こえる彼は、人の本質を含む話での理解力が高いので助かる。 自分はあの時、抜け殻となっていたに第二の命を吹き込んだ。 しかし、いかに絶大なカリスマを誇り人を惹き付ける高杉とはいえ…人の根本は変えられない。 の絶望の何割かを怒りに、生きる意志に変化させる事は出来たが全ては無理だった。 結果、彼は限りなく不安定で簡単に死地へと赴く状態になっている。 それを示唆するのが、今はもう廃止となってしまった紅桜での掃討作戦だ。 彼は先兵を希望したが、普通密偵や隠密の役職に就く者が志願するなどありえない。 更に厄介な事だが自身にその自覚は無いと、高杉は睨んでいる。 ただ潜在意識に死の願望があるので行動がそうなってしまうのだ。 今のを構成している根本。 本人の意志が及ばない部分をどう変えるか、高杉はずっと考えていた。 「アイツは純粋だ、だからこそ闇の本質を学ばねェ。見てるが“学ぶ”まで至らねェ」 「成程、幾多の楽器があろうとも奏でる意思を持たぬのでは話にならぬか」 「闇から目を逸らしてる限りは逃げを打つ、俺ァ…そこを埋めたかったんだ」 「晋助、まさか……」 酒に口をつけていた万斉が、何かに気付いたのか口調に乱れを見せる。 それはごく僅かなもので、高杉にしかそうと分からないものだった。 万斉が高杉の言葉を聞いて出した結論は、殆どの場合高杉の思惑通りのものとなる。 高杉は、嗤った。 「テメェの根本を変えられるのはテメェの意思だ、俺が何を言った所で届きやしねーよ」 「よってに権力を持たせ、鬼兵隊の隊士を“殺させた”か…」 「今回の戦で枷がついたってのは、お前の報告で分かったぜ万斉」 「強制的に意志を芽生えさせるとは、随分と酷な事をする」 どれ程言葉を労したところで、に潜む自殺願望は消し去れない。 高杉は気付いていた、だからこそ効果的な方法を考え…思いついたのだ。 は純粋ゆえ学ばない、密偵の任務で闇を見る事はあっても無意識に否定し拒絶してしまう。 だから高杉は強制的に自覚させたのだ、闇が如何なるものかを。 部隊指揮官という権力を持たせ、己の指示で鬼兵隊隊士を死地に追いやらせるという経験をさせた。 まさに同志を“殺させた”のだ。 自分の手を汚さず傷付かず、言葉一つで他者を意のままにする楽さを教えた。 それは同時に本能的に楽を求める人間の本質を、に潜む闇を自覚させるだろうと踏んで。 「がそのまま死を選んだら、どうするつもりだったでござるか?」 「それはねェだろ。奴には誓いがある」 「拙者がうっかり今回の仕事の真意を漏らしていたとしたら?」 「……何だと?」 「冗談でござるよ、でなければ今頃失意による身投げくらい実行しておる」 真選組を潰すつもりで行けと言った、この伊東による反乱。 これは元々宇宙海賊春雨が、幕府中央に無事密航させるために真選組をかく乱するのが目的だった。 は、この事実を知らない。 彼に生の意識を芽生えさせるこの段取りは、精神にかなりの打撃を与える方法だ。 しかもは一度壊れている、下手をすれば再び同じ道を辿ってしまう危険があった。 そうなれば高杉でも元に戻せる可能性は低い、だから万斉に指示を出しておいたのだ。 に春雨云々は絶対に伏せろ、と。 幕府と癒着する天人に凄まじい嫌悪を持っている彼が、今回の作戦の真意を知っていればどうなるか。 同志を殺した上にそれが天人に協力するためだと知れば、心を壊す可能性が飛躍的にあがる。 それは高杉の真意ではない、あくまでも自殺願望を弱めるためだというのに本末転倒だ。 笑えない冗談を聞かされた高杉の目が苛立たしげに細められるも、万斉は涼しい顔で受け流す。 「それにしても危険な賭けを…、外れたらどうするつもりだった?」 「博打は結果が決まる瞬間まで、勝利を疑わねーのが必勝条件だろうが」 「まったく、掛ける言葉も見つからぬ…」 今度は万斉が溜め息をついた。 高杉は再び嗤う、万斉曰く危険な博打の勝利者として。 「今のには誓いと償い、それにテメェの指示でくたばった隊士への命っつー枷がある」 「それらを駆使してを繋ぎ止め、本人の知らぬ内に傀儡と化すか…」 「を超える密偵は存在しねェ、奴にはもうしばらく働いてもらわねーとなァ」 「やはり晋助はを壊れるまで使うつもりでござるな」 万斉の口調からは感情が読み取れず、何を考えているのかは分からない。 高杉は立てかけてあった三味線を手に取り、再び窓際へと移動して腰を下ろした。 同じように万斉も背から三味線を抜き出す、まるで協奏の約束を交わしていたかの如く自然な調子で。 楽器を構える万斉の方を向いて膝を立て、バチを弦に掛けつつ口端を妖しくつり上げた。 「で、真選組の方はどうなったんだ?」 一つの枷を解き放ち、三つの枷で戒める。 たった一つの色で染め、たった一つの行方を追わせるために。 |