桂派との戦闘があってから数日。

死者や行方不明者の数は少なくない状態で、船もあちこちに損傷を追わされた。

桂の思惑通り、俺達はこれで当分動けない。

そして俺自身も動けない。

ちょっと身体を動かしただけで激痛が走り、しかも血が足りなくてまともに歩けなかった。

本来なら輸血した方がいいんだろうが、江戸の病院なんか行けるはずもない。

このタイミングで刀傷つけた男が医者に掛かったら、一発で通報だしな。

だからここで療養中、それにしても…。



「…暇なんだけど」











黒の行方








誰もいない自室の真ん中に敷かれた布団、俺はそこで上半身だけ起こしていた。

上半身に着物は纏っていない、包帯を替えるときに面倒だからだ。

黙っていたら傷が痛むので、とりあえず買い溜めしていた本を読んでいる。

こう見えても本は嫌いじゃない。

密偵の仕事は待たされてナンボ、小さな物くらいは大抵持ち歩いている。

それに、俺の仕事は力よりも知識が重要だ。

何がどこで役に立つのか分からない、万事に備えて情報を仕入れるのは当たり前だった。



「……っ…」



静かに本を捲っていた俺だったが、急に傷が疼き始めて小さく呻く。

本にしおりを挟んで静かに閉じると、枕元に置いてから布団に戻った。

傷口は確かに縫ってある、だが縫ってすぐ治るなら療養なんかしてない。

自然治癒の一環だとは思うが、まるで発作のように気まぐれに疼く。

本来なら船の修理材料の補充やら、破損箇所の点検やらで大忙しだ。

しかし俺は怪我のせいで全く使い物にならない、なのでこの仮住まいのアパートで休んでいる。

くそ…こんな事してる場合じゃないってのに。



「…っは、……ッぅ…!」



痛みが酷くなってんのに意識が朦朧としてくる。

こりゃ傷口が熱持って、しかも全身に回ってきてんだな…。

まるで身体が鉛のようで動けない、せめて水飲まないとヤバイかもしれねぇんだけど。

アパートで孤独死とか、笑えねーよ。

しばらく荒い呼吸を繰り返していると、ケイタイが震えた。

俺はそれを横目にし、必死の思いで手を伸ばして通話ボタンを押す。



「…もし、もし?」

『ようの兄ちゃん、今何してるんだ?』

「……長谷川か?」

『え、オイどうしたんだよ。具合でも悪いのか?』



俺の口調は電話越しでも分かるほど弱くなっているらしい。

桂の時ほど酷くはないが、耳鳴りで長谷川の声あまり聞こえなくなってっし。

ダラダラ話してる体力はねーし、もう切った方がいいな。



「悪い…、お察しの通り具合良くねぇから切るわ」

『大丈夫かよ、俺家に行こうか?兄ちゃんの家どこだ?』



おーい、何でそうなるんだよ。

仮住まいとはいえ、そう簡単に場所漏らしていいモンじゃない。

用心し過ぎかもしれねぇが、万が一は想定しといた方がいいよな。

鬼兵隊にこれ以上の迷惑は掛けたくない。



「気にすんなって…、しばらく寝てれば治っからよ…」

『いや全然気になるから!三途の川渡り掛けてるジイさんみたいな声してるから!』



どんな声だよ。

口に出すのは辛いので、心の中だけでツッコんだ。



の兄ちゃん…俺じゃ頼りないか?』

「……は?」

『ハハ、確かに俺は人生の負け犬だしよ。それは仕方ねぇわな』

「いや、誰もそんな事――」

『でもよ、俺ァ兄ちゃんに恩返ししてーんだ。
 俺を何度も慰めてくれたアンタが弱ってる時に、知らねぇ振りはしたくねーんだよ』



だから、家教えてくれねぇか?

長谷川の声は真剣で、必死だった。

…何でそこまで必死になるのかよく分からねぇ、俺はただの知り合いだろ?

こんなお人好しだから、お前幕府クビになるんだよ。

けど、嫌いじゃねぇな。



『分かった、すぐ行くから待ってろよの兄ちゃん!』



気がつけば、俺は長谷川にここの住所を教えていたようだ。

少し後悔したが、考えてみれば俺は動けない。

水、飲ませてくれんなら助かるかも。



「あ、そうだ…」



俺は肌蹴させていた着物に袖を通す。

この包帯だけは見られたらマズイ、一発でバレる。

身体は寒いのに熱い、汗掻いてんのに震えが止まらねぇ。

思ったよりも酷くなってんな、水…飲まないと。

ツー、ツーと鳴り続けているケイタイを切ろうとし――

俺の意識はそこで途絶えた。









頭が冷たくなった気がした。

身体が震え、薄っすらと目を開ける。



「…っ……」

「お、起きたか兄ちゃん」

「…長谷川か?」



覗き込んでくる顔はぼやけてよく見えない。

熱のせいもあるが、大半は俺の視力が悪いからだ。

普段、俺は眼鏡のレンズを極限まで小さくした物を直接目の中に入れている。

通称『極小簡易眼鏡硝子』コンタクトレンズ 、初めての密偵の仕事を完遂させた時に貰った。

それは今、目から外され俺の枕元のケースに仕舞われている。

入れたまま眠ってしまうのを防ぐためだ、本を読む程度の距離なら大体見えるしな。



「水飲めるか?てか飲んだ方がいいから飲ませるけどよ」

「だったら聞くなよ…」



呆れつつも俺は小さく笑い、長谷川からコップを受け取って水を飲んだ。

久しぶりの水分で胃が驚いたのか、吐きそうになるも何とか持ち応える。

何か食べたのかと聞かれて首を横に振ると、長谷川が粥を作ってくれる事になった。

米のある場所を伝えれば、長谷川が腕を巻くって台所へと向かう。



「長谷川…」

「んー、何だ?」

「……アリガトな」

「おう、気にすんなって」



本当に気にしてないような口調で答える長谷川。

頭に乗せられたタオルの冷たさに、ゆっくりと息を吐いた。

……長谷川は風邪だと思ってるようだな。

もし包帯見られたら絶対問い質してくるだろうし、まだ気付かれてないはず。

騙してる事になり少し良心が痛むが、だからといってバラすワケにもいかねぇし。



(悪いな…)



その後、俺は長谷川に手伝ってもらいつつゆっくりと粥を口に運んだ。

全部は食べられなかったが、それでも身体は元気になるだろう。

風邪薬は飲んだ振りをして布団に隠し、熱冷ましの錠剤だけを嚥下した。



「ところでよ…、妻への結婚記念日のプレゼントは…渡せたのか?」

「ああ、直接は会えねぇから宅配サービスでな」

「そうか、良かったな…」

の兄ちゃんが相談乗ってくれたおかげさ、あれで踏ん切りついたしよ」





長谷川、やっぱ幕府は終わってる。

お前みたいな奴クビにするような、見る目がねぇ連中に国は任せられねーよ。








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