血飛沫が舞った。

半分は月明かりの下に鮮やかな紅を映し、半分は闇夜に溶け匂いだけの存在となる。

切れた頬の血を高杉は舌で舐め、傷口に走る痛みに高揚した。

口許に凄絶な笑みを、隻眼に獣としか言いようのない狂気を宿らせて。

己によって何度も斬撃を浴び、ついに脇腹を押さえ膝を突いた目の前の男を見下ろしながら。

月を背にした男が、嗤う。



「久方ぶりに骨があったな、顔斬られたのなんざ戦争以来か」

「…っ……」

「…イイ眼してやがる」



内臓を傷つけた手応えは無い、が深さはそれなりであるため楽観を否とする傷だ。

にも関わらず、決して刀を杖代わりにせず体勢を立て直すその姿には好感が持てる。

命を懸けた真剣勝負、ルール無用の殺し合い。

闇で覆われた舞台、初春にしては冷えた空気、白い月による気まぐれな照明。

薄っすらと掛かっていた闇雲が流れ、相手の周りの闇が晴れる。

それでも白い光を拒むかのように黒を纏う相手に向かい、砂利を踏み鳴らし前に進んだ。

斬り合いにより顔から落ちた、相手の黒い帳も草履の下でへし折れる。



一閃の煌めき、凶獣の刃と切迫の刃。



獣は半端な生を望む牙を弾き返し、何の躊躇いも無く獲物の腹を糧として食い破る。

相手は再び膝を突いた、寸分違わず腹部を貫かれ血の筋を口に作りながら。

そうして、己と身長が逆転したその耳に唇を寄せて満足そうに囁く。



「…来い、法螺かどうかはテメェが決めろ」












海の上を飛ぶ船の上で、派手な着物を纏った一人の男が空を見上げている。

橙色が闇色に染まる際、無数の隕石からの光か、地球から最も近い天体の光で飾るか迷っている時間帯だ。

口から吐き出した紫煙は風に流れ、あっという間に溶け跡形も無く消えて行った。

髪、裾、羽織りが強い風に翻弄され体温も奪われていく。

前髪が後ろに流れ、左目を覆う包帯も天の元へと晒された。

興味があるのか無いのか、そもそも何を思っているのか、その隻眼は誰に何も読ませない。

ただ静かに、殺戮に飢えた凶獣を湖水の如き静謐さで薄く覆い隠すのみ。



「晋助様」

「………………」



背後からの声に、高杉は特に反応をしなかった。

振り向きもしなければ身体を揺らす事もしない、ただ煙管に口を付けるだけ。

声を掛けられた事など無かったかのように振る舞うなどいつもの事、それは相手も見越しているので言葉は続く。



「そろそろ空中待機から着水に移るっス、一旦船内に入って下さい」

「そうかィ」



どうやら着水に対する波浪は問題無かったらしい。

紫煙を吐き出してから短く返事をすると、高杉はその場で踵を返し船内へ入る扉へと向かう。

いつも通り扉を開けたままの状態で固定し、己が潜るまで律儀に待っているつもりの部下の横を抜け。

数秒の間を経て、多少耳障りで重々しい音を立てつつ閉まるそれを背後に自室へと歩き出した。



「晋助様」

「………………」



再び呼び止められた。

待て、という意味の言葉は一切使われていないし口調にも特に含まれていない。

だが高杉は、その呼び掛けに反応した。

そのまま歩き去っても別に良かったが、気まぐれで足を止めた。

煙管に口を付け、無言で続きを促した。



「一ヶ月、一ヶ月っスよね…」



不安が隠せないどころか丸出しな口調だ、背後を確認しなくとも表情は容易に想像できる。

紅い弾丸の異名を持つ彼女は、戦闘能力と忠誠心に問題は無いが感情に流され易い。

腹芸や心理戦には致命的であるが故、この感情の揺れは惑う事無き本心だと確信していた。



「晋助様が取ってきた確約を疑う気は無いっス。けど…向こうが約束守るとも思えない」

「………………」

「だって向こうは仁義も何も持ち合わせてない宇宙最悪の集団で、状態も明らかにコッチが不利っスよ」



拳を握る気配がした。

不安に沈んだその声を聞きながら、天井に向かって紫煙を吐く。



「弱音ばっかり吐いて…らしくないのは、晋助様を疑ってると思われても仕方無いのは百も承知っス。
 だから教えて下さい晋助様、晋助様の考えを聞かせて欲しいんス」



狭い廊下に高い声が反響した。

機嫌が悪ければ最後まで聞かずに立ち去っていただろう、だが己はその場で足を止め無言で耳を傾けている。

通気口を大空への出発点として進入した煙は、その先にある更なる天井を見て何を思い空気に溶けるのだろうか。

高杉は意味の無い戯言を脳裏に過ぎらせながら、木島また子の言い分をただ無言で促す。



「万斉先輩は本当に…、一ヶ月後に春雨から引き渡されるっスか…?」



……沈黙が落ちるが高杉の心は特に動いていない、凪のままだ。

動揺、苛立ち、激高、虚無、そしてまた子と同じ感情である不安。

そんなものは既に存在しない、故に表情も変わらない。

通気口を求める何度目かの紫煙の特攻隊を作り出しながら、高杉は口を開く。



「どうだろうな」

「えっ…」



たった六文字のたった一言で表されたそれは、高杉にとって惑う事無い本心だった。

それが分かったからこそ、また子は言葉を詰まらせたのだろう。

そう…、鬼兵隊幹部である河上万斉が行方不明になってから数日後だった。

万斉が春雨(恐らくは第七師団)によって拉致されたと理解した高杉が動いたのは。

阿呆提督宛てに密書を送った結果、特に時間もかからず顔を合わせる日取りを決められた。

あの手の権力馬鹿の動かし方は簡単だ。

自分の利権が脅かされる可能性を示唆してやれば直ぐに食いついてくる、今回も例外では無かった。

阿呆提督とのやり取りを思い返しながら、高杉は口を開く。



「少なくともあの野郎は動くだろうよ、万斉からの恩恵が消えたらどうなるか分かりゃしねェからな」



春雨という組織には勿論だが、高杉はそれとは別に阿呆提督個人の懐に入れる金も今まで作ってきた。

いつか此方が不利になる事態に陥った時、何かの役に立つかもしれないとの判断だった。

微細とはいえ目に見える形の利益を提示しておけば、天秤に掛けられた場合に重さが増えるかもしれないと。

今回の事態は幸か不幸か、そんな高杉の予想がこの上なく的中したものと言えなくもない。

おそらくあの金が無ければ阿呆提督から今以上に足元を見られ、鬼兵隊は更に微妙な立場に追いやられていた。

それこそ万斉を切り捨てる判断を、本気で下さなければいけない程に。



「確かにこっちが切り捨て要因ってのは当然変わらねェ、連中からすりゃ俺らは手頃な駒程度の認識だ」




だが手頃という評価を下せるものは、そう都合良く手に入る程溢れてはいない。

使い捨てとはいえある程度の質は必要だ、鬼兵隊程の働きをする部隊など簡単には見つからないだろう。

高杉はそう付け加え、含み笑いを漏らした。

偽りの身分を作り、地球への入国を潤滑に行う力を持っているのは誰か。

懐に忍ばせ好き勝手出来る金を、実際に作っているのが誰か。

春雨にとって邪魔な人間や天人の目を引きつけ、排除する役割を請け負っているのは誰か。

そして自分達を切り捨てたとしても、上に知られれば不祥事になり処罰があり得るかもしれない。

自分はおおよそ上記の言い分で阿呆提督に“助言”をした、特に最後のそれを強調して。

師団を統括する地位を剥奪されるのが、あの男の一番恐れている事態だろうと高杉は確信している。

上が鬼兵隊の存在を把握しているとも思えないが、此方が消えて地球への干渉に滞りがあればいずれ理由を知るだろう。

その際に処罰を受ける可能性がある事、そしてそれが誰か、高杉は真実味タップリに言い聞かせたのだ。



「それを踏まえてやる事はやってある、これ以上は万斉の運次第だろうよ」



不安が取れず、何かを言い返そうとしたまた子を遮り高杉は僅かに振り向いた。

顔を見たまた子がそのまま黙りこむ。

自分がどんな表情をしているのかは知らない、少なくとも…口元の笑みが消えたくらいは分かるが。



「俺がどんなに膳立てしても万斉に運が無けりゃそれまでの話だ、違うか?」

「……その通りっス」

「俺らが攘夷浪士である以上、この瞬間すら命の保証がねェのは今の万斉と大して変わらねェ」



取り立てて騒ぐほどの問題では無い、一見冷たいとも思える言葉だがそれは真実だった。

確かに春雨に拉致された万斉の身は心配だが、非日常を生きる自分達にとっては想定内の出来事。

上手く幕府の目を逃れている故に忘却されがちだが、この生活そのものが綱渡りを上回る危険を常に帯びている。

目の届かない範囲で行われる動きを想像し臆したところで、一体何が変わると言うのだろう。

最早自分達に出来る事は無い、それは諦めではなく単なる事実。

そして――



「…あの野郎が幕府潰す前に壊れるタマかよ」



ゾクリ、とまた子が身を震わせたのを気配で感じる。

恐怖を感じたわけではなく、万斉の身に起こるかもしれない出来事を想像したわけでもない。

ただ、高杉の感情に身体が反応しただけだろう。

信頼や仲間意識などと言う、生温い表現で表すものとは決定的に違うからこそ出た言葉。

寧ろ殺気と呼ぶ方が相応しい激情に空気が張り詰めていく。

万斉の迂闊さが腹立たしいのか、この状況に愉悦を感じているのか、拉致した相手を憎悪しているのか。

全て不正解だ、しかし全て正解でもあるようにも思える。



「どっちに賭けようが結果は一ヶ月後だ。
 …理想が欲しけりゃ腹括れ木島、今お前まで揺らいだら万斉どころか鬼兵隊が壊滅するぞ」



背後でまた子が息を呑む気配がした数秒後、肯定の返事が聞こえた。

憂い自体は消えていないだろうが、少なくとも使命感が勝っている内はこれで事足りるだろう。

鬼兵隊の壊滅はあながち冗談ではない。

河上万斉が不在な今、鬼兵隊幹部で戦えるのは実質彼女だけなのだ。

武市も戦えないわけではないが、彼は戦闘ではまず情報管理と指示に回る。

今の此方の状況が幕府に流れれば、好機と判断され本格的に追い込まれる事は充分に考えられる。

事態は思った以上に切迫していた。



(……馬鹿野郎が)



高杉晋助が河上万斉に抱く感情は、愛やら恋やらといった陳腐なものではない。

仲間でもなければ同士でもなく、友人でもなければ相棒でもない。

この関係を名付ける気も無い、お互い分かっていれば十分だ。

このまま万斉が戻って来なければあの時発した言葉が法螺になる、それが一番腹立たしい。

拉致された恋人に普通こんな想いは抱かない、だから恋人関係では無いのだ。

本格的な着水が始まるとの艦内放送が流れ、二人は今度こそ戦艦内へと歩いて行った。





凶刃を振るう鬼が、静観を決める。

音を懐かしむ闇が、首輪を引き千切る。










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