記憶の奥、静かな根底に眠るもの −後編−

「もしかして疲れてる?」
急に声を掛けられ、考えていた内容も内容だったから、ザックスは飛び上がるほど驚いた。
「い、いや、別に?」
車はゆっくりと動き出していた。そろそろ渋滞も抜けるらしい。
どこか遠くから聞こえるクラクションの音が、妙に現実味を帯びていた。

キスしてしまったことを、別にやましいとは思っていない。何というか……兄弟や家族と交わす様な。そんなイノセントなものだったから。
だが何となく言いにくいし、本人が覚えてないことを言って動揺させても悪いだろうと思い、クラウドには言っていない。
それだけのことだ。

「……替えていー?」
いつものペースを取り戻す様に何気なく聞く。嫌いではないが、今日に限っては大音量で音楽を聴く気分じゃない。
わずかにクラウドが頷いたのを確認して、ラジオのチャンネルを変える。
短いタームで切り替わる様々な音楽の切れ端。ノイズ。それは何かを連想させはしないだろうか。

途中でさりげなく音量を下げ、ふいに聞こえてきたのはチャーチミュージック。
手を止めたザックスに、クラウドが不思議そうに聞いた。
「あんた、そういうの嫌いじゃなかった?」
そうだ、神羅にいた頃はチャーチミュージックだのクラシックだのは辛気くさくて嫌いだった。
だけど。
「んー、最近好きんなったんだよな」
「なんで」
「いや、お前が好きだったなーと思ったら、なんとなく」
傷が癒えるまでの間。
クラウドに再会して、彼が生きていたのだと知るまでの間。
影を追い求める様に、クラウドを連想させる物に酷く執着していたから。

 

 

 

あの日も、雨が打っていた。
二度目もクラウドを守れなかった自分に失望した日。
執拗に撃たれた傷は、もう痛みを訴えることはしなかったが、焼け付く様な熱さを訴えていた。
人が死ぬ時、その人の一生を凝縮した映画の様な走馬燈と言うものが見れると聞いたことがあったが、実際はただただ白い眠りが押し寄せるだけだった。
ただ、いつの日かクラウドが口ずさんでいた、聖歌が聞こえた気がした。

 

 

 


静かな雰囲気を壊す様に、クラウドの携帯が鳴った。
丁度赤信号で止まっていたのを良いことに、クラウドは鞄から探し出した。
「おい、運転中は……」
「大丈夫だって、赤だし。すぐ終わる」
そう言って話し出したクラウドの表情で、相手はティファだな、と判断した。きっと渋滞で遅くなったので心配しているのだろう。
微笑みながら短く、しかし慣れた口調で話すクラウドは、まるで昔とは別人の様で、ザックスは何だか置いて行かれた様な気がした。

そう、再会した時からそうだったのだ。
昔からクラウドは「面倒を見る対象」だった。ザックスは自分が一番の友人であると自負していたし、手のかかる弟の様に感じていた。
だから、クラウドから必要とされていると思っていた。
病院で目が覚めた時から、半信半疑ではあったがクラウドが生きているという噂を信じて、そのために必死でリハビリもした。きっとクラウドは自分を必要としていてくれるだろうから。だから早く元気になって迎えに行こうと思っていた。
結局迎えに行く前にクラウドが会いに来たのだが、彼の後ろにはティファがいた。少し後ろからクラウドを見つめるその瞳を見て、すぐにピンと来た。この娘はクラウドが好きなのだ、と。
再会したら絶対クラウドは泣くだろうと思っていたのに、「生きていてくれて良かった」と満面の笑みで言った。その笑顔がずいぶんとしっかりしていて。もう自分はクラウドにとって必要不可欠な存在ではなくなったのだと悟った。

ソルジャーになった時から、命を落とす覚悟は出来てた。沢山の人を殺した分、自分も殺されても仕方ないと。そう思わなければ、戦場に出られなかった。呵責に耐えられなかった。
殺人の罪は償いようがない。それが戦争であってもだ。だから、いつか殺されることで許される、そんな風に思っていた。
もしかしたら最初に人を殺した時から、待ち続けていたのかも知れない。自分が死ぬ時を。もう後戻りが出来ないことは分かっていた。
自殺願望とは違う。言うなれば、羽化した蝉が二週間の命だということを受け入れているのに似ているかも知れない。

だから、本当はあの時、守りきれなかったという思いと共に、死んでも悔いはないという逆の感情を持っていたのも逃れようのない事実だった。クラウドを守りきれなかったのは悲しい。だが、自分が出来る限りクラウドを守り、その過程で命を落とすことが出来たというのは、あまたの命を奪ってきたソルジャーとして、この上ない幸せだった。

もしもあの時、命を落とせていたら。
そう、何度考えたことだろう。もしかしたら、こんな中途半端な状態で生きているよりも、幸せだったのかも知れない。
少なくとも、今よりは近くにいた。生死を共にして、誰よりも近くに。
話に聞いただけだが、それは例の星を救う戦いをした仲間よりもずっと近かったはずだ。自分たちは、正に死と隣り合わせだったのだから。
そして、時折……あの時に戻りたいとさえ。
死と隣り合わせだったからこそ、自分でも驚くほどに生に執着し、毎日生きていることがこの上なく幸せだと感じられた時に、あの必死に生きていた時に戻りたいとさえ思ってしまう事があった。

 

 

 


「あんたさ」
ちらりとザックスを見て、クラウドは言葉をつなげた。
「雨の日は変だよな」
「そう?」
気が付かれているとは思わなかった。雨は、血を思い出させる。罪を思い出させる。自分の中の、いつもは押し殺している暗い部分が勢力を増す日。
「あんた、あの時のこと後悔してるんじゃないのか?」
今まで二人の中で巧妙に避けられていた話題。辛い思い出でしかないから。
それを急に振ってきたクラウドを、ザックスはただ見つめた。何も言うべき事がないのだ。
クラウドの意図がつかめない。ザックスに、どう答えろと言うのだろうか。
だが、今更二人の間で傷をえぐる様な真似をしなくても良いだろう。
「あんたは昔からそうだった」
アクセルを踏み込む。雨のせいで車がほとんど走っていない町中を、どんどんスピードを上げて進んでいく。
慌ててメーターを見ると、案の定制限速度を軽く超える数値を指している。
「おい!」
「人が怪我した時にはめちゃめちゃこだわるくせに、自分の傷には無頓着なんだ」
そう、だっただろうか。そうかもしれない。
「あんたはいつだって、自分はいついなくなったって良いって顔して。今だって死にそうな顔してる」
急ブレーキと共に勢いよく角を曲がる。今通り過ぎていったのは、目的地のはずのセブンスヘブンじゃなかっただろうか。
「通り過ぎたぞ?道分かってんのかよ!」
「俺なんてかばって、死ぬ様な大けがして!何なんだよ、俺はあんたの足手纏いでしかないのかよ……」
しばらくすると少しずつスピードを落とし、適当なところに車を止めた。
ハンドルに突っ伏す様に顔を埋めたクラウドを気遣う様にザックスが声を掛けると、クラウドは手を伸ばしてラジオのボリュームを上げる。
曲はもう替わっていて、最近のpopが流れ出した。今度は落ち着いたメロディーなので、ザックスも音量は気にならなかった。
「俺、ダメなんだ。雨の音」
クラウドがゆっくりと顔を上げ、呻く様に呟く。明るい音をすり抜けてザックスに届いたそれは、酷い鈍痛を与えた。
「あん時のせい?」
「多分」
だんだん気分が良くなってきた様で、彼はシートに座り直した。
「だからさ、聞こえない様に音量上げないと。R&B聞いてると、あんたといた頃思い出して落ち着くから」
意外な答えに思わずザックスは目を見開いた。まさか、自分の影響だったとは。
「別に、あんたの真似してたから好きになったんじゃない。あの頃は音楽なんて聴いてる暇なかったし。あんたの事、ちゃんと思い出した後だったよ。何でだろうな、何年も経ってからあんたの悪影響が出た」
「悪影響って……」
「聞けよ」
茶化そうとしたザックスの声を、意外にも強くクラウドは遮った。

「俺はな、あん時のこと、ある程度は仕方なかったと思ってる。俺たちの力で止められる物でもなかったし、出来る限りはした」
「……俺はお前にセフィロスのことを頼むべきじゃなかった」
「そんなこと言うな!」
半ば叫ぶ様な、悲壮な声。微かに涙さえ浮かべて、クラウドは続ける。

「セフィロスのことを頼まれて、初めて認められたって思った。ずっと追いつきたかったんだ。無理だって分かってても。だから」
クラウドの真っ直ぐな眼差し。色は変わっても、根底は昔から変わらない、それ。曲げることが出来なくて、もしも無理に押さえつけようとすれば折れてしまいそうな、クラウドの気質そのものを表している様な強い眼差し。
「お願いだから、後悔なんかしないでくれ」

自分が必要とされてない?
こんなにもクラウドは必死に言ってくれているじゃないか。
気にかけてくれているじゃないか。
こんな暗い思考に陥っていることまで見抜いて、生きていろと言ってくれているじゃないか。
クラウドが変わった訳じゃない。
昔から自分の気持ちを言うのが下手で。
ティファの存在を気にかけすぎて、自分が見ていなかっただけなのだ。

「ごめん」
「雨降ってない時の、ただのバカなザックスに戻れよ」
少し笑ってからかう様に付け加えたクラウドは、いつもの明るさを取り戻している。
「ひでえ!」
「事実だろ」
まるで昔に戻った様なくだらない会話が追い払った様に、雨がやんだ。雲が晴れてきて、白い月が出ている。
ラジオの音量を小さくしたクラウドが、一番星を見つけて声を上げた。まるで本当に昔に戻った様な幼い仕草に、ザックスは目を細める。
「なんかさ、戻ってきたら居場所ないのかなー、なんてちょっと拗ねてたりした。ごめんなー」
「そんなことあるはずないだろ!」
振り向いたクラウドの頬を、月が照らす。
もう赤みも消えた空は、あの日と同じ青に包まれていて、記憶がフラッシュバックの様に脳裏を走った。
何、と問う様に見上げたクラウドも、瞬間、動きを止める。
蒼い瞳。白い頬。

気が付いたら、キスをしていた。

白い頬が見事なほど真っ赤に染まり、思わず後ろに下がったクラウドは思い切りガラスに頭をぶつけた。それを見たザックスは己が何をしたのか気が付き、今更ながらに慌てる。
「うっわゴメン、マジゴメン!」
狭い車の中だから逃げようがない。パニックを起こして意味不明のジェスチャーをし出すクラウド。
「落ち着け、まずは落ち着け!」
ギアはパーキングに入れてあるものの、まだエンジンは切れていないのだから怖い。
だがザックスが触ると余計にクラウドは暴れ、結局落ち着いたのは10分以上経ってから。二人とも肩で息をして、酷い状態だ。特にクラウドはザックスの顔も見れない。
「ごめんって……。なんつーか、ほら、つい、な!深い意味はないからさ」
沈黙に耐えられなくなって、ザックスは明るく言い訳してみる。
が、それを聞いたとたんにクラウドの眉が上がった。
「なんだよそれ。つい、であんなことしたのかよ!」
「い、いや、なんつーか……」
クラウドは確実に怒っている。真面目なクラウドのことだ、仕方ないかも知れない。
「……あんた、昔も同じ事しただろ。逃げてる時」
クラウドが睨み付ける。
「え?!お前、覚えてたのかよ?!」
「自力で動けないからって意識まで無いと思うなよ!動けなくても、半分位は意識もあったし覚えてるんだからな!」
「いやーははは、まさか意識があるなんて思わなくて……」
「……意識がなけりゃー良いのかよ!」
「いや、ゴメン。そういうことを言いたいんじゃなくてだな」
なんと説明すればいいのだろう。見当も付かなくて、ザックスは困り果てた。
「なんて言うか……ほら、再会した時からおまえ、ティファちゃんと一緒だっただろ?」
「ああ」
腕組みして威嚇する様にザックスを睨み付けているクラウドだが、未だ頬は赤い。
「で、俺は昔みたいに一緒に居れるかなーと思ってたのに、俺の居場所はなくなってたわけだ」
「別に、無くなったって訳じゃ……」
「ああ、それは分かった。で……何というか……喜びの表現?」
その言葉にクラウドはがっくりと肩を落とす。
「嬉しいとあんたはそういうことするのかよ……」
「いや、別に誰にでもって訳じゃねーよ。お前だから……」
お前だから?自分の言葉をザックスは繰り返した。無意識に言った事だが、これだとまるで……。
見れば、クラウドが再び真っ赤になってドアに張り付いている。

クラウドだから?
弟みたいだと思っていた。でもそれは理由ではない気がする。親愛の情、といえば近いのかも知れないが、もっと衝動的な。

必要とされたいと思っていた。
居場所が取られるのが嫌だった。
命をかけて守り、再会する為に必死だった。
ティファに嫉妬していた。

そうだ、二人が付き合っていないと聞いた時、安心しなかっただろうか。
ティファがクラウドを好きだと分かっていながらも、全く応援する気にはならなかった。
それは……。

クラウドが、ザックスにとって特別の存在だったから。

「えーと……俺、クラウドのこと好きな訳?」
声に出してみると、何だかしっくりくる。
「お……俺に聞くなよ!」
クラウドは脳震盪でも起こしてしまいそうな様子だ。

ずっと側で大切に守ってきた物だったから。
異常な程の保護欲、独占欲、執着。
自分が恋愛について鈍い方だとは思わなかったが、相手が同性だと、思いもつかなかった。
だが、そう思ってみれば何故今まで気が付かなかったのだろうかと思うほどで。

「あー。やば。クラウドのこと好きだったみたい」
「く、繰り返さなくて良い!」
ザックスは手を伸ばすと、ラジオのスイッチとエンジンを切った。静寂が支配した車の中は、余計に狭くなったよう。
クラウドはパニックから硬直してしまっている。ザックスは正座をしようとしたが、車の中だったため姿勢を正すだけにとどめた。
「ええと、俺はクラウドが好きなんですが」
クラウドは口をパクパクさせるが、声になっていない。
「クラウドはどう思ってるわけ?」
「お、俺に聞くなよ……!」
クラウドはどうにか掠れた声をだした。
「そっか。そうだよな。急に言われてもな。男同士だしな。困るよな」

せっかく浮上したザックスの思考が、再び地の底まで沈みこみそうなのを見かねたクラウドがどうにかこうにか声を出す。
「……どうして俺がティファを振ったと思ってるんだ」
「え、振ったのかよ!もったいねぇ!」
思わず反射でそう答えてしまったザックスをクラウドが睨み付ける。
「あの時、あんたがあんなことするからだろ!」
「は?」
「…………あんたにキスなんてされなければ気が付かないで済んだのに」
「気が付かないで……って……」
これは、もしかして。
「……俺の良い様に解釈しちゃって言い訳?」
俯いたクラウドが僅かに頷いたのを確認して、ザックスはクラウドを抱きしめた。
クラウドが慌てて暴れたが、すぐに諦めてザックスの背に手を回す。

暖かい鼓動がお互いに伝わり、生きていることを伝える。
あの日と同じように、生きている事への感謝がザックスを満たす。
クラウドの存在は、ザックスに生へ執着させるのだ。
でもザックスは、もうそれが罪だとは感じない。
命を奪った罪は消えないが、後ろを振り返っても仕方ない。
最初から諦めてしまわずに、前を向いて歩き続けなければ何も進まないのだ。

「……生きてて良かった」
「勝手に死んだら許さないからな」
そういって、クラウドはザックスに強くしがみつく。
「俺は、もうあの時みたいに足手纏いにはならない。守られるだけじゃなくて、今度は俺が守れる様になる」
「うわ、それってプロポーズ?」
「な、何いってんだよ!!」

暴れたクラウドのせいで二人仲良く頭をぶつけ、目を見合わせて苦笑する。
これからも、こんな平和な日々が続くと良い。
二人揃っていれば、きっと大丈夫なはずだ。

「そうだ、何でも屋、そろそろ始めようぜ」
「うん。リーブの仕事の方もそろそろ一段落しそうだし」
「んじゃーあれだな、効率化を考えると、また一緒に住んだ方が何かと便利だよなー」
「良いけど……効率化とかって、何か言い訳っぽいな……」
「周りに対してはあった方が良いだろ?同棲の言い訳」
「同棲じゃなくて同居だろ!」
「この場合は同棲だろ」
「やだ!同棲ならしない!!」

クラウドはかなりゴネたが、結局二人は一ヶ月もしないうちに一緒に住み、何でも屋を始めることになる。腕が良くて確実な仕事をするとの評判を得て、ザックスの読み通り何でも屋は繁盛した。
ちなみにティファを始め、周りには同居だと言ってはいるが、二人の関係は雰囲気からして大半の人々にばれている。それにクラウドが気が付いていないのがせめてもの幸いか。

未だに、ザックスは雨の日になると暗い思考に落ち込むことはある。
だが今は一人で抱え込むことはなくなり、クラウドが大きな支えとなっているので大丈夫だろう。
罪の意識も、恐怖の記憶も心の根底に残り、時折枝を伸ばしては人々の光を遮り、闇を見せる。表層から消えたと思わせるそれは、普段見えない物だから余計にタチが悪い。
しかし残るのは消したいのに消せない嫌な物ばかりでなく、暖かでかけがえのないものも降り積もる物だから。
前に進もうと努力する限り、完全に闇に飲み込まれてしまうことは無いだろう。

End

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2005.8.10
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