石造りの古風な家々が立ち並び、焼きレンガで出来た通路の両脇には季節の花が咲きそろっている。古いけれど大切に使っているのだろうと思わせるスカーフを肩に掛けた老婦人がのんびりと散歩をし、初老の農夫が馬を使って畑を耕す。カタカタとどこかから聞こえてくるのは、今はもう使われていない水車の音だろう。近くで戦争が起こっているにもかかわらず、村の外は関係ないとでも言うように平和そのもの。
過疎で年々人口が減っていき、ゆっくりと寂れて朽ちていく様な村に二人が行ったのは正解のようだった。穏やかな気性の人々は二人を温かく迎え、自分たちの息子のようにあれやこれやと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
クラウドにとって、時折町や村を通り過ぎるのはよくあることだったが、住民として長く滞在するのは初めてのことだ。しかも久々のお客に興味を持った人々は用事が無くとも二人の顔を見に来ては、あれやこれやとクラウドに話しかけ、お土産と称しては野菜やら焼き菓子やらを持って来てくれた。普通の人間だったら有りがたい事だろうが、クラウドにとってはどう対応して良い物やら分からず、無視をしたり、いらないと突っぱねたり、誰かが来そうな気配がしたら窓から逃げ出したりもした。それでも村人達は見捨てることなく、根気強く話しかけては手のかかる息子だと言って笑った。
村はクラウドにとって、ぬるま湯のようだった。油断して浸かっていると、気が付かないうちにのぼせて溺れそうな予感がした。
同じ姿、同じ言葉。優しい言葉はまるで、クラウドも仲間だと言うかのようで――それでいて、決定的に違う。それを、ふとした瞬間に忘れてしまいそうになる。
孤独ではないことが嬉しい、という意味ではない。自分のアイデンティティがいつの間にか書き換えられてしまうような、そんなゾッとした悪寒。洗脳され、体を乗っ取られ、気が付かないうちに自分がいなくなりそうな。
早く、逃げ出したい。ただぼんやりと、何ものにも縛られず流れるままに時を過ごしたいのだ。しかし、あの味を失いたくない。まるで罠だと分かっていても引き寄せられ補食されてしまう虫になった気すらした。
カーテンを開けると、サッと強い太陽の光が部屋を照らす。たなびく雲が橙を帯び、空は日の出と反対方向にかけて白から深い青へと淡いグラデーションを描いていた。逆光になった木々が濃い影を地に描き、鳥が白い点となって空に散らばっている。
長い睫毛に反射した光が何色もの明るい輪をその視界に描き、その眩しさにクラウドは瞳を細める。ついでに窓も少し開ければ、清々しく涼しい風が流れ込み、暖かな明け方の空気を追い出していった。
それまでは手伝いなど全くしなかったクラウドだったが、ザックスが目覚めてからは少しずつ働くようになった。とはいえ、彼に出来ることと言えば食事を運び、換気をし、医師に言われたとおりにザックスの体調を記録することくらい。それでも人手不足で看護師すらいない病院側にとってはありがたいことだったらしい。
さらに簡単な手当てや包帯の巻き方も教えようと、暇さえあればザックスを練習台に根気よくクラウドに教え込み、彼も気が向いた時は覚えようとしはじめた。
「これ、美味いな」
幸せそうな表情で朝食である暖かい卵粥を口に運ぶザックスを、クラウドは観察する。
しっかりした骨格を持っている所はさすがに兵士だけあったが、身なりを整えてみれば彫りが深く人懐っこそうな、なかなかに整った容貌をしていた。泥にまみれて眼孔を光らせていた面影はもう無い。
清潔に洗濯された寝間着から覗く手足はギブスや包帯で巻かれており、一日中一カ所で寝ていなければならない彼を見ているだけで、よくもまあじっとしていられるものだと、クラウドまで息が詰まりそうだった。
面白いように変わる表情や真っ黒い瞳はまだ子供のようで苦痛の影もなく、それがまたクラウドにあの疑問を思い出させる。もしもあの味の秘密が分かれば、ザックスに執着しなくとも良くなるかも知れない。一カ所に縛られることもなくなるかも知れない。
とはいえ元々何も考えずに時を過ごすのが好きなクラウドのことだ、目の前でのんきに食事をしている彼を見ていると、なんだかそれすらもどうでも良いような気もしてくる。
ここに来てから、自分は色々なことを考えすぎていて疲れる。クラウドは一つ溜息をつくと、窓の外に視線を移した。先ほどよりも空色の安定した穏やかな風景が広がっていて、また彼はいつもと同じ姿勢で外を眺めはじめた。
ぼんやりと考え事をしていたクラウドは、食事が一段落したザックスがじっと彼を見ているのに気が付いた。
「なあ、クラウドも一緒に食事すればいいのに」
ザックスは利き腕の逆の手を使って何とか一人で食事することも出来るくらいには回復したが、まだ思い通りに動ける程にはなっていない。だから彼が食事している時、一応クラウドは側についている様に言われていた。確かにザックスから見れば一緒に食事を済ませた方が効率が良い様に見えるだろう。
「俺は後から食べるからいい」
人間の食事も、食べようとすれば食べられないこともない。だがクラウドにとってエネルギーとなるのは生きている人間のライフストリームだけであり、死んだ動物や植物を摂取することに意味はないし、まるで布でも食べているかの様に味気ない物を頬張る行為を好んでする気も起きない。今朝も二人分渡された食事を、クラウドの食事の半分はザックスの食事に足し、半分は医師の飼い犬にやってしまっていた。
「誰かと一緒に食った方が絶対美味く感じると思うけどなあ」
不満げに言い張るザックスに、病人食は好みじゃないからとあっさり断り、クラウドは食事後の飲み薬を渡した。
「ふうん」
少し不満げに唸りながらも、ザックスは薬を飲み、斜めに固定されているベッドにもたれ掛かった。まだ回復しきっていないせいか、再び眠くなってきたようだ。
クラウドが彼の布団をきちんとかけ直し、食器などを片付けていると、ザックスがぽつりと呟いた。
「お前、変わったやつだよな……食事してるのも見たこと無いし、人嫌いで無関心な割に俺のこと拾ってくるしさ」
一瞬、人とは違うということがばれたのかと目を見張ったクラウドだったが、ザックスはただ半分寝言のように言っているだけで本気で不審がっているわけではないらしい。
まあ、ばれるならばれたって問題ない。その記憶だけ消してしまえば良い話だ。クラウドは再び無言で片付けを続けた。
「なあ、お前どこからきたんだ?」
「どこからって?」
「家、あるだろ?家族とか、心配してないのか?」
家、家族。クラウドには縁のない言葉だ。
「さあね」
「助けてもらっといて、なんだけどさ。心配してるんじゃないか?連絡くらい入れといた方が良いんじゃないのか?」
「あんたに関係ないだろ」
クラウドのとりつく島もない態度に、ザックスは肩をすくめる。
「まあ、な。俺も、帰んなきゃならない所あるけど……もうちょっと、後で良いや」
「なんで」
「ここ、時間が止まってるみたいで居心地良いから」
ザックスが少し笑って、クラウドが見ていた窓の向こうに視線を移した。
クラウドにとっては目まぐるしい毎日も、寝たきりの怪我人には時間が止まって感じるのか。いい気な物だと、クラウドは溜息をついた。
「なあ、なんで俺のこと助けてくれたんだ?」
「さあ……気が向いたから、かな」
一瞬、本当のことを言ってやろうかと思ったが……思い直して、適当なことを言う。もしも、本当は自分の為に拾ったのだと知ったら、この男はどんな反応をするのだろうか。
そんなクラウドの本心も知らず。
「へー。……あんとき、お前が……」
「ん?」
途切れた言葉にクラウドは聞き返したが、ザックスは何か面白いことでも隠しているかのように、機嫌良く笑った。
「や、なんでもない。秘密」
片付けを一段落させて戻ってみると、ザックスは再び眠った様だった。大分傷は癒えたとはいえ、体力が完全に戻るまでにはまだ時間が必要らしく、一日の大半は眠っている。
ガラス越しの日光が当たっていて、眩しそうに眉を寄せながらも子供の様に眠るザックス。
クラウドは静かにカーテンを引くと、定位置の椅子に戻った。
同じリズムで上下する胸と、ピクリとも動かない睫毛。
呼吸に僅かな乱れもなく、よく眠っていることを確認すると、静かにザックスの腕に指先で触れた。
吸血鬼は直接首筋に噛みつくことで血を吸うらしいが、クラウドの場合、相手の体の一部分に触れるだけでライフストリームを吸うことが出来る。吸血鬼が実在するかどうかは別として、噛みつくよりもずっと良い方法だとクラウドは思っている。
獲物が若い異性ならともかく、年老いていたり同性だった場合、どうにも首筋に噛みつくというのは抵抗があるものだ。若い方が美味しいらしい血とちがって、ライフストリームの味は大抵、年齢と経験の深さと共に旨みが増すため、クラウドも年老いた人々から貰うことが多かった。
ライフストリームを吸われても、その人間が命を落とすということはなく、その吸われた部分のライフストリームが保持していた記憶を少し失うだけ。例えばそれは幼い日の思い出の一つであったり、日常の何気ない一場面であったり、本人が忘れたがって記憶の奥底に封じ込めている記憶だった。
本人すらも忘れたような、記憶の底にひっそりと眠っている欠片。潰され、原型も分からなくなったような思い出。
クラウドの方も吸う前に吟味し、あまり失ってはおかしい部分、例えば酷く最近の記憶だとか、アイデンティティを形成する重要な部分はよける様にしていたから、失ったところでたいした問題にはならなかっただろう。
指先に集中し、ザックスの中に静かに渦巻く流れを読む。
立体的に展開されるイメージの深いところまでスルリと入り込み、本流から外れ、細く連なる記憶の中から一筋選び、自分の中へと誘導する。細かな泡の様に記憶の鱗片が散り、プチプチと潰れては様々なイメージの欠片を見せた。皮膚をすり抜け進入したライフストリームは、束の間の哀愁と、感覚の奥底を攫う様な酩酊をあたえる。
深く濃厚な美酒。それは人間の複雑な意識の奥底に眠る、味わい深い感覚の泉。
強いエネルギーを得て、体の奥底から力がみなぎるようだった。
満足したクラウドは深い息を一つ吐くと、ザックスの布団にもたれる。
人間と基本的な構造が違うクラウドにとって、ライフストリームを吸うことは命を生きながらえさせる元。人間で言えば三大欲求にあたる部分だ。よって、その後には酷く満たされた気分になるのだ。
気持ちが良い。
そのまま、うつらうつらしていたクラウドに、ぱさりと掛け布団の一部が掛けられた。クラウドがもたれかかった振動で目が覚めたのだろうか、ザックスが眠ろうとしていたクラウドに気が付いて布団を掛けてくれたらしい。
しかしすぐにライフストリームを吸われた事による睡魔に負けたらしく、再び瞳を閉じてしまった。クラウドもつられる様に目をつぶり、眠りに落ちた。
ふわふわとして、気持ちが良い。
静かに流れる時間。
共に過ごす人。
まるで、人間みたいに。
もしも本当に自分も人間であったら……こんな風に、生きたのだろうか。束の間の幸せな夢の様に。いつか苦痛と共に終わる期限付きの生、それでも、誰かとこんな風に――。
そう、気まぐれの様に考え、すぐに詮無い事と打ち消した。
暖かな気分の下に、対流のように不穏な予感が渦を巻いていた。
2006.2.6
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