夢見るシーラカンス 1

最後の瞬間 瞳に映ったのは

自由な空の色
明日を思わせる太陽の光

宗教画から抜け出てきた様な
穏やかで癒されるような笑み

心の中にスルリと入り込んだそれは
とても暖かく 暖かく


***


人間の体の中には、ライフストリームというエネルギーの流れがある。
肉体的に栄養を運び、代謝を行う物理的エネルギーの流れが血だとすれば、ライフストリームは記憶を保持し、人格を構成する精神的なエネルギーの流れ。
陰と陽、体と心、血とライフストリーム。
二つが揃って一つの生き物となる。

『それ』は、特殊な生態を持った生き物だった。いや、『生き物』と言えるかどうかも分からない。
強いて言えば、ウータイの昔話に出てくる鬼に近いのかも知れない。人の血を啜る吸血鬼の逆、人の魂を啜る吸魂鬼とでもいえばいいだろうか。
魂を啜るとは言っても、別に殺すわけではない。ただほんの少し、生体エネルギーを分けて貰うだけ。

厳密に言って、『それ』が特殊な人間なのか、それともモンスターの類なのかは分からない。また、突然変異の如く出来た個体なのか、元からそのような種族なのかも不明。
しかし、姿は人間と瓜二つ。むしろ整っている方。透き通る様な金の髪と深い青の瞳の少年の姿は人に警戒心を持たせることもなく、かといって記憶に残るほど印象的な姿ではない。そして彼は時折人からライフストリームを啜り、ひっそりと生きてきた。

細胞の期限としての寿命を持たないらしい『それ』は、深く人間と関わることもなく、何かに執着することもなく。
タンポポの綿毛のようにふわりふわりと、流れるように存在していた。

彼を変えたのは、ほんの小さなきっかけ。
ある1人の人間との出会いだった。


***


『それ』はぼんやりと、椅子に座っていた。古い木の椅子は座り心地が悪く、少しでも動くと頼りなげに軋んだ。
薄い布一枚挟んだ向こう側ではひっきりなしに足音や声がしていてうるさい。向きを変えて窓辺にもたれかかり目を閉じると、風が頬を撫で、遠くから鳥の声が聞こえた。ここは、うるさすぎるのだ。人が多すぎる。
半分だけ引かれたレースカーテンが、音もなく翻る。

後ろを振り返れば、真っ白い布団に寝かされた男がいた。手足には白い物がまかれ、細い管が腕に刺さっている。『それ』は、男がピクリとも動かず、静かだという事に満足していた。その男の近くにいれるのなら、それだけで良かった。

「君、手が空いているならこっちに来て手伝って欲しいんだが……」
仕切の向こうから顔を出した老人に声を掛けられたが、『それ』はチラリとそちらを見ただけで、また窓の外に視線を戻した。そんな素っ気ない態度にも老人は慣れた様子で、仕方ないというように少し肩をすくめるとすぐに姿を消した。
『それ』は、ただそこにいるだけだった。

どの位時間が経った頃だろうか。
何か軋んだ音がした気がして振り返った視線の先には、ぼんやりと目を開けた男がいた。
「……」
何かを言おうとする口は動くが、声が掠れて音にはならなかったらしい。目覚めた男は何度かゆっくりと瞬きをした。
『それ』は、目の前の状況に戸惑った。根拠はないが、男は目覚めないと思いこんでいたからだ。
仕方なしに席を立つと、隣の部屋に行って老人を引っ張ってきた。老人は忙しそうに動き回っていたが、無言で袖を引く彼に戸惑いながらも連れてこられ、目を覚ました男に気が付くと慌ただしく色々な手配をしだした。

『それ』はもう一度椅子に座ると、先ほどと同じように外を眺める。しかし先ほどと違うのは、男が目覚めたということで自分の行動すべき事も変わってくるだろうということが脳裏を占めていたことだった。
目が覚めなくても、良かった。むしろ、目が覚めない方が良かった。
そんなことを今更思ってみたところで状況が変わるわけではない。

『それ』の後ろでは先ほどの老人が色々な話を――具体的にいえばここは小さな村の病院で、老人はこの村でたった一人の医師であり、男が運ばれてきてから十日ほど昏睡状態に陥っていたこと。一時は失血が酷く危険な状態に陥っていたものの、今は安定した状態で後遺症が残りそうな怪我はないが骨折などのため数ヶ月の療養が必要なこと。運んできたのは窓辺に座っている少年であり、怪我や病気はしていないがほとんど喋らず身元も分からないので病院で暮らしていて、いつも椅子に座って外を眺めていることなどを話していた。
一通り話し終えると次は診察の準備をしだしたらしく、医師は診察室の方へ行ってしまい、部屋に残されたのは『それ』と男だけになった。

「あの」
この声は、自分に掛けられたものだろうか。振り返ってみても、仕切に囲まれた病室には他の人間の姿はない。
『それ』は諦めたように男を見た。
「助けてくれたみたいで、ありがとうな。俺はザックス。あんたは?」
また窓の外を向き、『それ』は考えた。
自分に名前はない。しかし、人間で名前を持っていない物はいない。男が起きなければ誰に言う必要もなかったが、この先のことを考えれば人間として振る舞っていた方が良い。
窓の外には長閑な風景が広がっていた。病院の裏手に広がる畑、遠くに見える馬と人影、道端に生い茂る風よけの木。空は晴れ渡り、ふわりと柔らかそうな雲が一つ。
「……クラウド」
「え?」
沈黙が長かった所為で無視をされたのかと思っていたらしいザックスが、意外そうな声を上げ、その後に、そっか、クラウドか、と嬉しそうに繰り返した。
クラウド――適当に目の前の窓から見える物の名前を言っておいたまでだったが、それが名前すらない、文字通り雲のように不確かな存在である『それ』の、初めての名前となった。

 

 

 

クラウドがザックスを見つけたのは、十日前。
ちょうど空腹だった彼は、いつものように気まぐれに歩き回っていた。近くの小さな村にでも行けばライフストリームがいただけそうな適当な人間が見つかるだろう、そう思っていたのだが、歩いている内に不思議な場所にたどり着いた。
たくさんの人間が野原の一面に倒れていたのだ。積み重なり、ボロボロになって倒れている人、人、人。辺りに生い茂る草に埋もれ、まるで元からそこにあった大きな石のように見えるそれらの上を、いつもと変わらず風が吹き抜けているのが空々しい嘘のようだった。空気が酷く汚れていて、近くの森でさえ白く霞んで見える。頭上の空は変わりないのに、黒と赤に塗りつぶされた地上は異様であり、まるで途中から無理やりとってつけたように不自然。
これが、戦場という物か。自分はその仲間ではないと思っているクラウドにとって恐怖すべき光景ではなかったが、何かが焦げるような酷い匂いがしていて、流れ出た血で沼のようになっている地面は歩きにくかった。
大半の転がっている体からはライフストリームの気配はせず、完全に物になってしまっていたようだった。人間は、体を酷く壊すと、そこからエネルギーを零してしまう。そしてエネルギーは星を巡り、新しい入れ物の中へ入り、そしてまた零れ……まるで、永遠に続く大きな砂時計だ。誰も逃れられず、生と死を行ったり来たりするだけの。

そういえば、少し前まで破裂音や悲鳴で酷くうるさかった気がする。大きな音を作り出していた人間達は、みんな死んでしまったのだろうか。それとも、生き残った者達だけでどこかへ去っていったのか。
そんなことを思いながら、クラウドは初めて見る戦場の中を、倒れている人間をよけながら歩いていった。そこを突っ切って進むのが、最寄りの村への最短の道だったのだ。
何時だったか思い出せないような昔にどこかで拾ってきた靴や服が、跳ね返る泥と血にまみれて汚れていく。また、どこかで不審がられない程度の物を手に入れなくては――クラウドは少し足を上げてうんざりとそれを見たが、再び興味を失ったように歩き出した。
歩きにくいことは歩きにくいが、見渡す限りの戦場を迂回する気にもなれず、しばらく歩いた頃だった。急に足に何かが引っかかって転びそうになり、つられてそちらに目を向けると、クラウドの足首が土と血に汚れた手に掴まれていた。掠れた声を上げながら、足首を掴み苦悶の表情をした男が、今まさに目の前で事切れようとしている。声を上げようとするかのように開かれた口の周りで、乾いた泥がぽろぽろと剥がれ落ちた。

その人間は、まだ辛うじて生きていた。ライフストリームを貰おうか、そう思ってクラウドが手を伸ばした瞬間、その人間の震えは止まり、ことりと力が抜けた腕が地面に転がった。意志を持ち、最後の力で引っ張られていた細い筋も弛緩し、呆気ないほど軽そうに傾いだ手、汚れた生き物の末端。目の前で、男の体からライフストリームが翡翠色の帯を曳きながら星へと帰っていった。
クラウドは生きている人間からしかライフストリームを啜ることしかできない。目の前で失われてしまうとは勿体ないことをした、そう思いながらも彼はある疑問に捕らわれていた。なぜあんなにも苦しげな表情をしながらも、人は生きるのだろうか。クラウドが見る限り、人間は苦しむために生まれてきたとしか思えない。いや、人間だけではなく、生き物全てが、だ。

生まれた物は、いつか死ぬ。死とは、苦しい物である。痛みや悲しみを伴う物である。細い末端神経から送られる麻痺しそうな程の苦痛を伝える電流、視床下部で感じる、自身の存在が脅かされる恐怖。
なぜ逃げられない終着点は、苦しみを伴うのか。なぜ苦しみに向かって、人は歩かなければならないのか。
戦い、傷つけあい、だまし、嫌い、泣き、恐れ、そして死ぬ。
クラウドがライフストリームを飲む時そこに保持されていた記憶が見えるが、しかしそれは大抵、悲しいや辛いというマイナスの記憶ばかり。時折は幸せな記憶もあるし、満たされる時間もあるのだろう。それでも、全体としてマイナスの要素がずいぶんと多すぎるのではないだろうか。そして何故人は、苦しみに満たされていると分かっていながらも生き続けるのか。

事切れた男の前で立ちつくしていたクラウドの視界で、何かが動いた。よくよく目をこらしてみると、まだ息があり、破れた皮膚を必死で押さえながら死にたくないと足掻いている人間だった。
生きている人間。これで近くの村まで行く手間が省ける。渡りに船とばかりに、クラウドはその男からライフストリームをいただくことにした。
酷く傷ついた男は、まるで戦場で兵士を助けてまわるナイチンゲールのように穏やかな顔で手を伸ばしたクラウドに、ぜいぜいと体全体で息をしながらも僅かに口の端を上げた。土に汚れて怪我をしているのかも分からない顔の皮膚と、汚れて束になった髪の間から覗いた真っ黒な瞳が、そこだけ汚れずに光っていた。もしかしたら助けてくれるのだと思ったのかも知れない。
しかしクラウドがしようとしているのは正反対の事だ。普通の状態の人間なら多少エネルギーを奪われたところで痛くもかゆくもないが、瀕死の人間からなら話は別。傷ついた体からエネルギーを奪うのは、死期を早めることにはなっても助けることになるはずもない。きっと急激にエネルギーを奪われた事による眠気の中で、その自覚すらなく死を迎えるだろう。
それでも、そんな事はクラウドには関係のないことだった。なぜ苦しむのだと疑問に思っても、ただそれは純粋な疑問でしかなく、言うなれば消極的な好奇心の一種でしかない。まあ、考えようによってはクラウドの行為も、ある意味『助ける』とも言えるのかも知れなかった。このまま数時間以上続くかも知れない瀕死の激痛から救い、早々と穏やかな死を迎えさせる事が出来るのならば。

ああもしかして、とクラウドは思った。もしかして、人は死という恐怖から逃れ続けるために生きているのかも知れない。死という絶対的な恐怖と、日常の些細な苦痛のどちらかを選べと迫られたのならば、いくら永遠にそれが続くと分かっていても日常の苦痛を選ぶのではないだろうか。しかしトータルで考えるならば、長く生きれば生きるほど苦痛は積み重なり人生に疲れ果て、それを感じる心さえも麻痺し、痛みと苦悩に慣れ死すら怖くないほどになってから死を迎える……そんな穏やかな死もあるのかも知れない。そして、そういった積み重ねられ押しつぶされ、個々の区別も付かなくなってしまったような記憶、一体になってしまったかのような苦痛こそが、ライフストリームを美味に感じさせるのだ。大概、自分も悪趣味に出来ている。

ぼんやり考え事をしている内に、目の前の男の意識も風前の灯火になってしまった。手遅れにならないうちにいただこう、そう思って手を触れた時だった。
クラウドは驚いた。彼の中に流れ込んできた瀕死の男のライフストリームは、まるで暑い日にやっと飲むことのできた清流のように、甘い深さをもって味しく、これまで幾千幾万の命の水を味わったクラウドをも強く惹きつけるような味だったのだ。
今までの経験から言えば多くの苦痛を積み重ね、根底に降り積もって発酵し、そこからまた新たな苦悩が生まれて命をも蝕むような苦しみこそが深い味わいの元になるはずであった。老成した人物なら分かるが、目の前の男は未だ若い。目の前のまだ少年と青年の間のような男のどこに、そんな苦痛があったのだろうか。戦場で死にかけるというのは苦痛ではあろうが、そんな急激に味が変わるはずもないのだ。昨日今日感じた苦痛は苦みを与えることはあっても深さにはならない。それが、なぜ。
クラウドがいくら考えても分かるはずはなく、彼はすぐに思考を切り替えると目の前のごちそうに集中した。

おいしい。
まるで飢えた子供のようにそれをむさぼり一息ついたところで、クラウドの頭に一つの珍しい考えが浮かんだ。
このまま目の前で失われていくの見過ごすには、勿体なすぎる味だ。この男が事切れる前に全て吸ってしまうという手もあるが、今までそんなことをした事がないので、何が起こるか分からないし、それならば子供が一つ一つ飴を大切に食べるように長く少しずつ楽しむ方法はないだろうか。例えば手当をして、死なない程度に保っておくとしたらどうだろう。生きていれば、減ってしまったエネルギーもすぐに回復する。そうしてこの男を生きながらえさせたまま、ライフストリームの貯蓄に使うのだ――。

今までのクラウドにとって、人間は移ろい変わるライフストリームの結晶、もしくはその入れ物でしかなかった。時折美味しく感じられるものに会っても、運が良かったと思う程度で執着はしないし、誰が死のうが生きようが、関係ない。手を出す必要もないし、干渉もしない。そうしたいとも思わないし、そうすべきだとも感じられない。
そのように生きてきたクラウドが気まぐれを起こすほどに美味しい生体エネルギー持った男、それがザックスだったのである。

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2006.2.6
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