―虚空回廊― 六時にセットした喧しい携帯のアラームで、俺、二階堂 流麗(にかいどう りゅうれい)は眼を覚ました。 まだ卸したばかりのワイシャツを着、スラックスを履く。ベルトを締め、上に白色のセーターを羽織り、ブレザーを着る。 「流麗、起きたのか」 俺の部屋の襖が開き、親父がおはよう、と言ってきた。まだ少し眠い。俺も適当に返事をし、ネクタイを締めながら居間へ向かう。 「……月曜日、か」 どうでも良い事を呟きながら、居間を通って台所に立った。俺の家は俺と妹と親父しか居ない。よって食事の用意は俺か妹の仕事となっている。 「(飯は昨日四合炊いておいたからな、味噌汁だけ作って煮物でも温めりゃ良いか)」 俺はそう思い、冷蔵庫から透明なタッパーを取り出す。妹は学校が休みらしいのでまだ寝ている。 「(量は二人前で良いかな)」 適当な量を菜箸で鍋に移し、ガスコンロに火を掛ける。もう一つのコンロで味噌汁を作る準備をしていると、台所の暖簾をくぐって親父が顔を出した。 「流麗、茶も頼む」 「あぁはいはい分かったよ」 親父の朝の緑茶を淹れるのはある意味日課となっている。別に毎日言いに来なくても良いんだが。 そうこうしてる内に煮物も温まってきた。俺は火を止め、少し深めの皿に移す。味噌汁の鍋におたまで味噌を溶かし入れ、最後にねぎを散らした。 「親父、朝飯出来たぞ」 親父は居間の畳に座って新聞を読んでいた。この家の居間にはテレビが無い。と言うか、その類の家電製品はほぼ無いに等しい。 「そこへ置いておいてくれ。……流麗、茶を注ぐ時は湯のみを茶托から降ろすんだ」 「毎日言わないでも分かるよ、飯の支度を俺達に任せてんなら静かにしててくれ」 そんな悪態を付きながら、テーブルにご飯と味噌汁、煮物と海苔を置いた。親父は新聞を畳み、箸を手に取る。 「「いただきます」」 ――――― 一 朝飯を食い終わると、俺は食器を洗ってから洗面台で顔を洗った。忘れ物が無いかチェックし、ブレザーの中ポケットに携帯を放り込む。 「じゃ親父、行って来るよ」 「気をつけてな」 靴紐を締め、通学に使っているでかいショルダーバックを手に取る。 「あぁ待て流麗」 玄関から出ようとした時、不意に親父が俺を呼び止めた。俺は立ち止まり、振り返らないまま聞き返す。 「何だよ」 「………最近、どうだ?」 「はぁ?」 俺は思わず振り返る。親父は何やら真剣な顔をしていた。 「二年生になってから、楽しいか?」 ……相変わらずまだこんな事を聞くのかこのオヤジは。俺はため息をついて外へ出ながら言った。 「ちっとも楽しくねぇ」 ――――― 二 「あ、おはよう二階堂くん」 俺の歩いてる歩道の反対側から、黒い長髪の子が声を掛けてきた。俺と同じ二年一組のクラスメイト、黒崎 蓮(くろざき れん)だ。 「おはよう、黒崎さん」 彼女の家は結構近いので、たまに通学途中に顔を合わせる。 「二階堂くんて朝早いよね。部活やってないみたいだし、もっと遅くても間に合うんじゃないの?」 「まぁな。朝からやる事多すぎるからな、うち。それにこれ以上遅い時間帯は通学路が混むから嫌だ」 そんな話をしながら暫く二人並んで歩いていると、後ろから聞きなれた声が聞こえてきた。 「おーい、流麗ー!」 嫌々振り返ると、如何にも悪友といった雰囲気の男が、学生用鞄を振り回しながら走ってきた。 「おいおい、せっかく親友が一緒に登校してやるって言ってんだから止まれってー」 「うっせー。朝っぱらからお前に会うなんてついてねぇ。大体何で今日はこんなに早いんだよ、一」 この少し不良っぽい外見の男は、五十嵐 一(いがらし はじめ)と言う。小学校の頃から今まで縁が切れた事が無い。いわゆる腐れ縁って奴か。 「いやな、目覚まし時計セットし違えちまってよー、さっき携帯見て早すぎたって気づいたんだよ」 「………ど馬鹿だな、やっぱり」 「んだとぅー!?流麗手前ェー!!」 ……こんな風に、俺とこいつが揃うと何時何処でも漫才みてーになっちまう。そんな空気に呆れたのか、黙って俺の横を歩いていた黒崎が突然、俺の前へ躍り出て言った。 「じゃあね、二階堂くん、五十嵐くん。わたし、部活の朝練習あるから」 「あぁ………」 そして彼女はそのままさっさと校門の方へ走っていってしまった。 ――――― 三 「この『山月記』はな、高校生の教科書ならほぼ確実と言って良いほど記載されているんだ。次の中間の範囲でもあるから、ノート整理を徹底しておくように」 今は四時限目の現代国語だ。俺は窓際の一番後ろの席で、ぼんやりと外を眺めていた。と言っても、俺の教室からは反対側の校舎と中庭しか見えない。 俺は元々勉強は余り好きでは無かった。だからこの様にして時間を過ごす事はよくある。 「………………」 少しだけ開けられた窓からは、正門の方から流されてきた桜の花びらと一緒に、やや暖かで曖昧な風が入ってきたような気がした。 そんな時、不意に。本当に、突然。 <まきますか、まきませんか―――> 「え?」 俺の間の抜けた声が、静まり返った教室に響き渡る………。俺はみっともなくて、すぐ先生とクラスメイトに謝った。 「(何だったんだ、今の声は―――?)」 少し不気味ではあったが、たぶん空耳だと思い、少し遅れ気味だった黒板写しに大急ぎで取り掛かった。 ――――― 四 帰りのホームルームも終わり、クラスが騒がしくなり始めた。俺は特に部活には所属してないし、教室清掃の当番は先週やったので、さっさと帰路に着く事にする。 下駄箱で靴に履き替えていると、後ろから声を掛けられた。 「二階堂くん」 振り返ると、そこには黒崎が居た。学生鞄を両手に持ち、背中には大きなテニス用のラケットの入った黒いケースを背負っている。 「黒崎さん、これから部活?」 「うん、二階堂くんは今から帰るの?」 そう、と答えると彼女は少し微笑んでさよなら、と言い正門とは反対側の屋外球技部が使用している部室の方へ走っていった。 「(黒崎……なんか変な奴。なんつーかよく走るな……)」 ――――― 五 「ただいまぁー」 俺は家の玄関の引き戸を開けて中に入る。親父も妹もおらず、留守のようだった。 留守である事自体は特に珍しい事でも無いので、俺は自分の部屋へ行って制服を脱ぎ、Tシャツとジーパンに着替えて、一息つく。 ふと部屋を見渡すと、俺が趣味で集めているエアガンやナイフ、ジッポーや懐中時計が目に入った。この手の暗い趣味は婆さんに言わせると親父似だと言う。 「………………」 俺は壁に掛けたあった中の一丁のオートマチックピストルを手に取り、ベッドの上に座る。俺がグロック17をベースに制作したカスタムガンだ。スライドとマガジンの底を光沢のある赤で塗装してある。左側面には金色の文字で『真紅』と書かれている。 俺は特に意味も無く、スライドを引いてはスライドストップを押して元に戻す、を繰り返していた。―――すると <まきますか、まきませんか> 「(まただ……俺が四時限目に聞いたのと同じ……声だ――)」 <まきますか、まきませんか> 俺は『真紅』をベッドの上に置き、部屋を出て<声>の聞こえる方へ歩いていった。―――何故かは、勿論分からない。ただ、何となく――追いかけなければならない、と思った。 声のする方、する方へ向かう内に、俺は家から出て庭の奥にある古びた蔵の前まで来ていた。 「(この近くからだと思うんだが………)」 蔵には大きく重い錠前があって扉は開きそうにない。俺は辺りを見渡す。すると、蔵の側にある大きな木の幹の根元に、小さな白い封筒が落ちていた。 「(何だこりゃぁ……何処にも何も書いちゃいねーし……)」 試しに夕日にかざして中身を確かめる。……どうやら中に紙と何かが入っているようだ。 「出しても、マズい物じゃ、無いよな……?」 俺は妙な好奇心に突き動かされて、白くて何も書かれていない封筒を開く。中にはきちんと三等分に折られた二十センチくらいの正方形の紙と、インクのついた黒い羽ペンが入っていた。 俺はとりあえず中に入っていた紙を開き、中に綴ってある文を読む。 「……今から提示する二択は、完全に貴方が決める事です。どちらかを選べば、どの様な手段を用いても、選び直す事は決して、出来ません。後悔したくないのならば、あまり深く考えない事です。……巻きますか、巻きませんか。……何の話だ?」 巻く?何を?そもそも、何でこんな所にこんな物が落ちているんだ?一番最後に、少し大きな文字で『巻きます』『巻きません』と書かれている。羽ペンが入っていたので、おそらくどちらか一方を丸か何かで囲めという事だろう。 「(新手の悪戯か?不気味だな……)」 俺は少し考えて、封筒から黒い羽ペンを取り出す。そして左手で紙を押さえ、右手にペンを握った。――そして 「巻きます……っと」 何を思ったか、『巻きます』の方を丸で囲んだ。―――しかし、何も起こらない。 「……ま、それもそうだよな」 俺は紙と羽ペンを封筒にしまい、家の中に戻ろうとした、その時。 ――ガッシャーン!――― 何かが割れた音がした……そう窓硝子か何かの類だ。変な胸騒ぎに駆られて俺は大急ぎで家の中へ戻った。 ――――― 六 俺は家の中に入ると、まずは居間の隣にある縁側の硝子を見た。……特に変わった所は見受けられない。次に台所、親父の部屋、そして、俺の部屋を襖を開けた。 「うわ、何が起こっちまったんだ!?」 俺の部屋の窓硝子は木っ端微塵に砕け散り、その窓から吹き込む風によってカーテンが揺れ靡いていた。そして――俺が視線を落とすと、おそらく俺の部屋の窓を粉々に粉砕してくれた物が鎮座していた。 「鞄……?まさかこんなもん人んちに投げ込む馬鹿でも居んのか?」 そんなはずは無い。俺の部屋は家の塀からかなり離れた所にある。それに、家を囲んでいる塀だって、普通の人間が乗り越えられる高さじゃない。 家の敷地に入り込んでから投げ込んだ……なんて事も考えられるが、わざわざそんな面倒な事をするだろうか。そもそも、敷地内には入れないように、俺が鍵を掛けたはずだ。 俺はとりあえず、気を落ち着かせてから鞄を手に取る。ずっしりとした重量があり、とても大きな鞄。そしてそれを窓から少し離れた所に置いた。 「大きいな……旅行にでも出かけろってか」 見たところ、かなり上質な革張りのようだ。鞄のかどには薔薇の蔓を模した見事なエングレービングが施されており、その中心にはこれまた見事な薔薇の金細工がはめ込まれている。傷や汚れは無いが、良い意味での『古くささ』漂う、趣のある鞄だった。 「鍵穴があるな、まさか開いたりはしな…………!?」 それはキィ、と小さく音を立て、動いた。 「(どうする……これは俺のじゃないけど……)」 抑えられそうに無い好奇心。 「…………………」 高鳴る心の鼓動。 「(……開くだけなら……良いか)」 思い切って鞄を開けた。 ――――― 七 俺は決心し、鞄をそーっと、開けた。 「!!」 中にあった物、いや、中に『居た者』は、人間の女の子……?いや、違う。今にも瞳を開いて起き上がりそうなそれを、そっと両腕で抱き上げた。 「………アンティークドール……?大きいな……」 それは人間の少女と見間違うほど精巧に作られた人形だった。俺はその真っ白な頬に、少し触れてみる。……やわらかい。それは信じ難い事に、人間の皮膚そのものの感触だった。サラサラとした銀色の髪も、作り物とは思えない。 シックな黒いドレスを身に纏ったそれは、触れてはならないモノのように感じられるほどだ。 「他に何か無いか……ん?」 鞄の中に何か小さな物を見つけた。見たところ、ゼンマイのねじ回しのようだ。 「ねじ回しか?何処か動くのか、この人形……?」 俺は抱き上げていた彼女(たった今からそうなった)の背中の方を見てみた。すると、丁度腰の辺りに五ミリ程度の穴が開いている。試しにねじ回しを差し込んでみると、カッチリと止まった感触がした。 「………少しだけなら、良いよな」 そのまま時計回りにねじを巻く。きりきり、きりきり、きりきり………と何回か回すとそれ以上動かなくなった。俺はねじ回しを穴から抜き、襖に寄り掛からせて座らせる。 ――カタッ……カタッ……―― 「………なッ……」 俺は目の前の現象に息を呑んだ。せいぜい瞬きをするとか、オルゴールでも鳴り出すのかと思っていたが……なんと徐々にその上半身を持ち上げ……直立した。うつむき気味だった頭部は正面を捉え、静止する。 「…………マジか」 「何がマジな訳ぇ?」 ――――――――――――――――――――――――― ―何がマジな訳ぇ?― 俺はその声の主が、信じられなかった。目の前に立っている彼女は、いつの間にか瞳を開け、俺に話しかけてきたのだ。彼女は俺を一通り睨み付けると、俺の方へ歩み寄り、俺の顔を覗き込みながらこう言った。 「何か暗そうなのと契約しちゃったわねぇ……ふふ、別に契約して力が供給されれば何でも良いのだけれど、ねぇ」 それはひどく穏やかな声だが、何となく俺を対等な者として捉えていないような声だった。俺は心を落ち着かせ、目の前の彼女に問う。 「け、けいや……?いや、何者なんだ、お前……」 彼女は、つまらなそうな表情でこう答えた。 「どうして人間ってこうも最初の一言ってつまらないのかしらねぇ……皆私のねじを巻いた人間は毎回同じような事を言ったわ」 そりゃそうだろ、と突っ込むのは心の中だけにしておこう。 「……お前、見た所人形……だよな?」 「それは愚問よぉ、他に何に見えるのぉ?」 ……やれやれ、最近の技術革新は凄いもんだ。人間と会話出来る人形が……居るはずがねーだろぅが。ア○モとかそう言うレベルじゃねぇ、人の言語を理解してるし、言葉を発して、俺と会話した。おまけに俺の事見下してやがる。 「ちょ、ちょっと待て……何の冗談だ畜生、俺は呪いの人形を贈られるような事をした覚えわッ!?」 ―ガスッ!― 「失礼ねぇ、呪いが何とかって、私の事をどんな目で見てるのよぉ」 彼女のハイキックが俺の左こめかみに決まった。……人に害を加えるなんて、やっぱ呪いの人形?あるいはチャ○キーとかの殺人人形の類か? 「わ、悪かった……。それで……お前はどうしたら消えてくれま゛ッ!?」 ―ゴスッ!― 今度は右拳で顔面か。……ガチで痛ぇ……。 「アナタねぇ、勝手にねじ巻いておいて“消えて”は無いんじゃないのぉ?手紙にも“巻きます”って書いたんでしょぉ?」 ……手紙?手紙って、さっき俺が木の幹ん所で拾ったあれか!?ただの悪戯じゃ無かったのか!?だとすると……… ヒョットシテ、ジゴウジトクッテヤツナノカ?………ガッデム。 「(俺の馬鹿……)分かった……じゃあ……何が目的なのか教えてくれ」 何故か少しは落ち着いた。と言うのも、何となく、害は無さそう(?)だと考えたからだと思う。俺の質問を聞いているのかいないのか、彼女は俺を無視して通り過ぎると、俺のベッドに腰掛けた。 「……そうね、久しぶりに目覚められて機嫌も良いし、アナタの様なおばかさんにも理解出来る程度にお話してあげるわ」 おばかさんってよ……こいつ、やっぱり俺の事見下してやがんな。しかし三発目を喰らうのは御免だし黙っておく事にしよう。 「私たちはアリスと成るために生み出された、生きた人形“ローゼン・メイデン”」 「(ローゼンメイデン?)私達?お前みたいな人形が何体も居るって事か?」 「えぇそうよ。全部で七体作られたわ。私と比べたら出来の悪い子ばかりだけどねぇ……」 うわ、そりゃスゲェ……。こんなのが複数体居るのか。悪夢だな……。 「そして、アリスと成る為には、他のローゼン・メイデンから“ローザ・ミスティカ”を獲得しなければならないの」 「ローザミスティカ?」 俺は勉強に使っているデスクから椅子を引き出し、それに腰掛けながら、彼女の話に耳を傾ける。 「人間に置き換えると魂の様なモノね。そして、全てのローザ・ミスティカを自らに宿した時、アリスに孵化……“お父様”にお会い出来るの………」 まぁ何となく話は読めてきた気がする。 「お前達は父親と会う為に目覚めたって訳か?……で、ねじを巻いちまった俺はどうすれば良い」 彼女はベッドの上に立ち上がり、床にトン、と音を立て着地した。 「直接出来る事は無いわ。アナタはただ、私が戦うのに必要な力を供給してくれれば良いだけ……左手を見なさぁい」 「……?何だこれ、薔薇の……指輪か?」 いつの間に。まぁ変な人形が突然動き出す事に比べりゃぁどーって事無いが。 「……アナタ、今失礼な事考えてたでしょぉ?」 げ、筒抜けかよ。さっき契約とか言ってたな、まさか指輪を通して何となく繋がってるとかそんなノリなのか? 「ご名答よ、私とアナタはその指輪を媒介に繋がっている……だから考えてる事も、全てじゃないし、たまにだけど、ぼんやりとなら分かるわ」 ……俺のプライバシーはどうなるんだろうか。って思うのは俺が普通の人間だからだろう。 「……今思ったんだが、そのローザミスティカとか言うモノが人の魂みたいなもんなんだろ?それを獲得するって事は、父親に会えるのは……」 「あらぁ、案外物分かりが良いじゃなぁい……。そう、アリスと成って、お父様にお会い出来るのは、一人だけよ。そうそう、さっき言い忘れたけど、私はアナタから任意で力を奪う事が出来るの」 何だそれは。何か生気でも吸われるみたいな感じだな。 「力?」 「そうねぇ、命とまでは言わないかもしれなけど……魂の一部とでも表現しようかしらね……無論、奪い過ぎればアナタは死ぬわ……くすくす……」 そこは笑う所じゃねぇ。 「ふぅん、それじゃあもう一つ質問。仮に“ローザミスティカを無くした人形”はどうなる?」 彼女はまたつまらなそうな表情をし、嫌々こう言った。 「……動けないし、話す事も出来ない。物を考える事も出来なくなるし、光を感じる事も出来なくなるわ」 「それって、死ぬって事か?いや、人形だから死ぬって事は無いか……」 「どうでしょうね、自我が無くなるっていう意味では、死ぬって言葉には近いかもしれないわねぇ」 俺は、ここでもう一つ、疑問が浮かんだ。それは、少し考えると……酷く、残酷な事。 「……お前達、同じ父親から作り出された……姉妹って言うのか?と……こ、殺し合う事に抵抗は……無いのか」 一瞬、激しい憎悪を含んだ表情で俺を睨んだ彼女は、目を閉じて、しばらくの後、また話し出した。 「………つまんなぁい。私、そういうのって嫌いよ。私はお父様に会いたい、それだけなの。……他のドールズの子なんて、知らないわ」 なるほど、そこまでして父親に会いたいってか……。たとえ姉妹達と命を奪い合っても、純粋に父親に会いたいという彼女の想いは……少し、理解出来る。 まぁ、ひどく心が歪んでると言えない事も無いけど。俺も、たまに大好きだった母親の事を思い出す事がある。 流石にこの歳になってからは、正直それほど気にしていないとばかり考えていたが、たまに思い出すって事は、心の何処かで会いたいと強く願っているのかもしれない。 「……お母様、死んだの?」 「え?」 少し、驚いた。そうか、俺の考えている事が朧げに分かるんだっけか。 「まぁな。俺が四つん時に……その、事故死してな。その時の親父の様子は、そりゃぁ酷かったよ。もう俺達家族は駄目かもしれない、なんて本気で思ったな」 「……会いたい、って今でも思う?」 「どうだろうな、今となっては記憶も曖昧だし……。でもまぁ、もしもう一度会えたら、もっと母さんの役に立とうとは、今でも時々思う。まぁ、もう二度と、会えないんだけどな……」 「………可哀そうね」 ……死んだ人間は、還って来ない。当たり前だ。彼女が俺に言った『可哀そう』の意味も、何となく分かった。 でも俺はそれ以上に、姉妹同士で殺し合えば会える人と、遥か遠くへ旅立ってしまい会えない人。この二つのどちらの方が悲しいのか、と思ってしまった。 俺がとやかく言う事じゃ無いのかもしれないが、俺は前者の方が悲しいと思う。 「…………………」 「…………………」 長い沈黙。この沈黙を破ったのは、以外にも彼女の方だった。 「アナタ、名前は?」 「……流麗。二階堂 流麗だ。……俺はお前は何て呼べば良い」 床から俺のデスクの方へ飛び移ると、彼女はそのままそこへ腰掛けた。 「呼び名なんていらないけど、とりあえず私の名前は水銀燈よ。ローゼン・メイデン第一ドール、水銀燈」 「何か綺麗な名前だな。じゃあ、名前で呼ばせて貰うよ、水銀燈」 「……勝手にすれば。………流、麗」 少し小さな声で、彼女は俺の名を呼んだ。 ―――――――――――――――――――――――――