街が夕暮れに染まる。
桜田家のリビングのソファで、夕陽を浴びて眠り続ける蒼星石と雛苺。
ジュンものりも未だ家には戻らず、ただひとり、たおやかな静寂の中で、翠星石は二人に語りかける。
「いつまで眠っているつもりですか、蒼星石?ちび苺?」
それは祈りにも似た彼女の言葉。
何度も、何度も問いかけた、決して答えを聞く事はない問いを、翠星石は繰り返す。
二人のためにしてあげたい色々な事柄を、翠星石は取りとめも無く語り続ける。
眠り続ける蒼星石に聞こえることなどないと知りつつも、いつか心を呼び覚ます事が出来るかもしれない、
そんな小さな願いを込めて彼女は静かに話し続ける。
翠星石は眠る二人の夢の中に訪問しようとした事もある。
夢はどこかできっと心に繋がっていると信じて、二人を探そうと思ったのだ。
その訪問はいつも失敗に終っているのだが、翠星石はどんな小さなことでも、二人のために出来る事をしてあげたかった。
二人はどこか冷たい場所で眠っているのかもしれない、だとしたら、二人が安らげる所を見つけなければならない、
そんな思いが翠星石を蒼星石の夢の中に誘った。


そこは草原だった。
はるかに続く草の海に伸びる一本の大樹の下、二人はその木陰の中で静かに眠っていた。
しばらくの間、安息の世界の中で眠る二人を見ていた翠星石は、やがて静かに声をかける。
「……二人とも、こんなところで眠っていたですか」
問いかけても決して返らない返事を待ちながら、蒼星石と雛苺の傍らに翠星石はうずくまる。
長い沈黙の世界の上を、風はゆるやかに流れてゆく。
「……ふたりとも、ずるいです」
思い出がほろ苦く翠星石の心にのしかかり、独りのさびしさに耐えられず翠星石は膝の中に顔をうずめると、
こらえ切れずにこぼれた涙が、頬をすっと伝わっていく。
「翠星石を置き去りにするんじゃねぇ……です…」


ふと、翠星石の手になにかが触れた。かすかに感じる懐かしい感覚に顔を上げる翠星石。
傍らの蒼星石に目を向けると、眠る蒼星石の口元に微笑みが浮かんでいる。
「蒼星石…?」
泣き腫らした翠星石の真剣な眼差しに、蒼星石はたまりかねた様に吹き出した。
「ぷっ…ははははは!」
何が起こったのか解らずに、目をこすりながらきょとんとする翠星石を見て、お腹を抱えて笑う蒼星石。
そして、そんな翠星石の頬をなでながら、雛苺のちいさな手が背中越しに伸び、
涙に濡れていた彼女の瞳にそっと目隠しをする。
「翠星石は泣き虫さんなの」
「…ちび苺……?」
風が木の葉をゆらすような、やわらかな時間が流れていく。
今起きている事を、翠星石はようやく理解した。
驚きの表情は喜びの表情に変わり、
やがてからかわれていた事に対する非難と笑顔が入り混じったような表情で、
言葉にならない自分の思いを言葉にして紡ぎ出す。
「あー!嘘寝してたですか!蒼星石!ちび苺!」
蒼星石は立ち上がって草を払うと、帽子を被りなおして翠星石に笑いかける。
いつもの屈託の無い笑顔が翠星石の瞳の中に映る。
「僕がきみを置いて居なくなるなんて、ある訳ないだろ」


3人のはしゃぎ声が草原一杯に澄み渡る。
「待つですー、二人とも、もう絶対逃がさないですーー!」
「いやだよ、だって翠星石は小言がすごく長いじゃないか」
青空がやさしい母のように少女たちを見守る中で、いつ果てるとも知れない鬼ごっこは続く。
翠星石は蒼星石を信じる事に決めた。
蒼星石はどこにも行かない、絶対どこにも行かせない。
きっと、翠星石の傍で真紅やジュンと一緒に、楽しく過ごしていたあの日々に帰れる、と。
春になればこの草原いっぱいの花が咲いて、そして、そしていつかみんなで……
それは彼女のささやかな願い―――


「んふ……ふふ…」
誰もいない桜田家のリビングで、夢にまどろむ翠星石。
蒼星石に寄りかかりながら、雛苺をその胸に抱いて翠星石は眠っていた。
二人の手をしっかりと握りながら、頬にかすかな笑みを浮かべて翠星石は泣いている。
彼女の気持ちなど知らずに眠り続ける蒼星石と雛苺。
翠星石の頬に伝わる涙の筋を、夜更けの月が静かに照らしていた。


蒼星石……
蒼星石……
こんな幸せを守るために
翠星石は何をすれば良かったのですか……


了






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