胸を締め付けてくる吐き気。
胸の悪くなるような幻想。
それらを見に絡ませながらジュンは逃げるかのように部屋に閉じこもった。
桜田ジュンの担任教師、梅岡が来てずっとこんな調子である。
死んだように眠るジュンの肌色は蒼白に近い白で、夢すら見ていない。
「おかしいです!おかしすぎるです!それもこれもあのでか人間が来てからおかしくなったです!」
静まり返ったリビングの中、本を読みながら真紅はその高い声を聞いた。
「落ち着きなさい翠星石。前も言ったでしょう?今のジュンは体が眠りを必要としているのだわ・・・。」
「そんなこと言って本ばっか・・・!真紅はジュンのことが心配じゃないんですか!?」
畳み掛けるかのように言う翠星石に、ジュンが死んでしまうのではないかと雛苺がスカートの裾を小さな手のひらで握り締めた。
実際、真紅もジュンの様子が明らかにおかしいことは重々承知していた。
あの梅岡という男が来て丸一日。ジュンはベッドの上で目を閉じたまま起きてこない。
寝ていても気配のひとつしそうなものだが、そんなもの微塵も感じさせずにただ夢のない眠りについていた。
「心配していないわけじゃないのだわ・・・。ただ・・・。」
自分にもどうしていいかわからないと、その言葉が出なかった。
翠星石はジュンの夢を探そうと葛藤し、雛苺もジュンのためと、時より額に浮かぶ汗をぬぐっている。
だがプライドが邪魔してか、否か。
真紅には何もできず、ただ本の文字を左から右に流すことしかできなかった。
一方翠星石も、自分の無力を感じていた。
夢の庭師であるのに、ジュンの夢すら見つけられない絶望。
夢すら見ていないのかもしれない、しかしその心の枷を外す術を翠星石は持たない。
今翠星石にできること、それはしなびかけているジュンの樹を少しでも支えてやることだけだった。
そして夜中中ジュンの樹を見続けていたためか、翠星石はジュンのベッドの傍まで寄ると、そのまま崩れるように眠りについた。
誤字発見。 見に絡ませ→身に絡ませ な。ほかにもあると思うけど勘弁してくれ。
「ジュンは・・・雛が助けるの・・・」
記憶の奔流、無意識の海。
歯を食いしばるかのように、雛苺はその瀬に立っていた
真紅と翠星石、二人の記憶とジュンの記憶が混流することはある。
しかし、雛苺は真紅という仲介点があるためにそれがない。
ジュン本人の記憶を鮮明に見ることができるのは雛苺だけであり、nのフィールドに飛び込んでみればでてきたラプラスの魔に連れられてここまで来た。
いたずら好きなウサギは瀬に立ってしどろもどろする雛苺にいたずらをするかのように告げた。
「綺麗は汚い。汚いは綺麗。表は裏。不変は変化。追うは、逃げる。」
「ぅゅ・・・・」
突然言われてわけがわからないという風な雛苺に、ラプラスの魔は喉の奥で笑いながら皮肉めいて言う。
「あの坊ちゃんはトラウマに飲まれているみたいですねえ、過去の記憶から逃げようとがんばっているが・・・。」
「そんなことをしても、ただなおのこと浮き立って茨のように絡みつく・・・。」
指をぱちんとはじくと、薔薇の蔦がするりとジュンの樹を表すかのような小さな樹に絡み付いて、押しつぶす。
「幻想か現か・・・、それを決めるのはあなたたち・・・。」
もう一度指がはじかれる。
「きゃ!」
短い悲鳴を上げて、地面にチャック状にあいた穴から雛苺は現実世界へと戻された。
ドテッと音を立てて、物置の部屋に前のめりに倒れる。
「うう・・・、おでこぶったの・・・」
涙目になってすりむいたおでこをさすりながら立つと、物置でたったわずかな音に起きた翠星石が走ってきた。
「チビ苺!何やってるです!びっくりさせるなです!」
ドールズ派物置の変化や音には特に敏感だ。
真紅にはすこしnのフィールドへ行くことを告げたからでてこなかったものの翠星石は疲れで眠っていたので雛苺も伝えていなかった。
「うぅ・・・、ごめんなさいなの・・・」
涙目になってしょげる雛苺をみながら、翠星石は水銀燈じゃなくてよかったとつぶやく。
もっともな話だ、こんな状況で来られたら最悪である。
「それで・・・、nのフィールドで何かわかったですか?」
「ラプラスの魔が・・・、とらうまとか過去とかいってたのぉ・・・」
「ラプラスの魔・・ですか・・。信用したくねーですがそれだと思いますです」
「でも、なんとなくわかったです。ジュンの昔のことならのりに聞くです!」
その言葉に雛苺の表情が明るくなった。
大きく首を縦に振ると、二人はのりの部屋へと向かった。
「のり、居るですか?」
部屋の扉の前、翠星石は静かに言った。
その声を聞いて、部屋のドアが開かれる。
「雛ちゃん、翠星石ちゃん・・・。」
のりは二人を部屋に入れ、静かにドアを閉めた。
「チビ人間の・・・ジュンのことについて聞きたいことがあるです・・・。」
「ジュン君の?」
「はいです。ジュンは今夢のない眠りについているです。」
「雛たちね、それがジュンのにらくま・・・?に関係していると思うのー」
「トラウマです馬鹿チビ!というわけで、ジュンの過去について教えて欲しいです・・。」
そのことをのりに話すと、のりは困ったように小さく笑っていった。
「さっきね、真紅ちゃんにも同じ事を聞かれたの。」
「真紅にも?」
「うん、でね、私こういったの。『ジュン君はきっと昔のことをみんなに知られたくないはずだから、私からは言えないの』って」
「そしたら真紅ちゃん、ただ一言そぅ・・・って言ってでてっちゃった・・・」
のり自身、この問題を解決したいのは山々だろう。
しかし無理にそれをしないのはジュンを思ってのことだ。
でもそれは間違っている・・・。真紅も翠星石もそう思っている。
本当に助けたいのであれば、ジュンが過去から逃げ出すのをほっとくのではなく、何らかの行動を示すべきだと、そう思った。
「のり・・・じゅんは・・「違うのぉ!!!」」
翠星石が遠慮がちに言おうとした言葉は、雛苺によって見事に阻止された。
「違うの!逃げちゃだめなの!のりもジュンも・・・、いやなことはいやって言わなきゃだめなの!」
耳まで赤くし、膨れた雛苺の目からは涙がぼろぼろと零れ落ちていた。
「雛ちゃん・・・」
「もういいもん!」
そうさけんで雛苺はジュンの部屋へと走っていった。
「チビチビ!!」
翠星石もそれを追いかけ、ジュンの部屋へかけていった。
「チビ苺、何してるです?」
ずるずると窓際にかばんを引っ張ってきた雛苺の様子を眺めながら、翠星石が言った。
「巴のところに行くの!巴はジュンのおともだちだからきっとおしえてくれるの!」
翠星石はその言葉を聴いて思い直す。
そうだ、彼女ならば教えてくれるかもしれない。
「ちょっと待つです、ちびちびだけじゃ頼りねーですから翠星石もついていくです」
二人はかばんに身を納め、窓枠から音を立てないように、しかし素早く巴の家へととんだ。
日はすでに沈みかけ、空は紫に色づき始めている。
人通りの少ない河川敷はすでに静寂に包まれていて、巴は戸の後ろに移ろう月を大きな窓を開け放ってみていた。
今日梅岡担任からジュンの家に行ったときかされた時は正直気が気でなかった。
彼は真面目な教員である半面、空回りが過ぎて結果的にジュンを追い込んだのだ。
しかもそのことに気がつかず、さらにジュンを持ち上げようとしているためにジュンにとっては一番逢いたくない人物の一人のはずだ。
今頃彼はどうしているのだろうかとぼんやりと眺めながら月を見上げれば、月光に何かが反射してきらりと光った
「え?」
次第に大きくなる二つのシルエットは、自分がよく知っている物だった。
大き目のトランクの金属パーツに反射した月光がやけにまぶしく感じる。
その影は巴の顔に迫り、巴はとっさに身を伏せた。
後で、急ブレーキをかけたような音がして、ガチャリと鞄のあく音がする。
「・・・・雛苺・・・?」
自分を捕らえるくりっとした大きな瞳。それは間違いなく雛苺のものだった。
後にもう一組、左右で違う色の瞳が覗く。ジュンの家に前言ったときにいた翠星石というドールだろう。
「巴・・・?」
「どうしたの?雛苺。」
「うわあああああああああああん!トゥォモエエエエエエエエエエエ!!!」
鞄から直接飛び掛ってきた雛苺をどうにか受け止める。
わずかにその目は潤んでいて、雛苺の居なくなった鞄は音を立てて床に落ちた。
(お母さんたちが居なくてよかった・・・)
この騒ぎでは気づかれていたかもしれない、しかしせっかく来てくれたこの子達を帰すのは癪だった。
「おばか苺!感動の再開は後です!本題に入るです!」
いつの間にか鞄から出てきた翠星石がそのオッドアイに強い光を湛えて言う。
雛苺もその言葉にとたんに巴の胸から顔を離してつげた。
「巴・・・。ジュンのこと教えて欲しいの・・・」
「桜田君のこと・・・?」
「そう・・・、そんなことがあったの・・・」
事情を聞いた巴は悲しげに、複雑な表情を浮かべてつぶやいた。
担任の梅岡は真面目な教員だ、だがそれが空回りし、結果的にジュンを苦しめている。
巴もまた、自分にかかる期待に窮屈さを感じているのが事実。
ジュンは自分より早くつぶれてしまっただけであって、自分がいつそうなるのかもわからない。
「本当は桜田君に聞いてからのほうがいいんだけど・・・いいわ、話してあげる」
巴はジュンのことを話した。
小さなころから女の子の服を書くのが上手で、自分にもよく見せてくれていたこと。
その才能が徐々に花を開いていく中、次第にクラスの中でからかいがおき始めていたこと。
そして止めを刺すかのように、それを知らずとした梅岡教諭が全校集会で絵と名前まで公表してしまったこと。
それがきっかけで彼はつぶれてしまったのだ。
周りからかかる声はからかいと中傷、あの時自分がかけてやれる言葉をかけてあげられれば、まだよかったのかもしれない。
しかし自分にも勇気がなかった。巴自信そのことを深く反省していた。
一通りの話が終わると、翠星石も雛苺も目を伏せて複雑な表情を浮かべるばかりだった。
「・・・そう・・・ですか・・」
「ジュンには」
翠星石が一言口火を切る。
「ジュンには神業級の職人にしかできないようなことをやってのけたことがあるです。関係あるのかもしれないです・・。」
「雛、よくわかんないの・・、でもジュンは悪くないの・・・。」
巴はそんな雛苺に穏やかに微笑んで頭をなでた。
柔らかな感触がてから伝わってくる。
「桜田君の・・・」
「桜田君の書く衣装、私好きだった。小さなころから見てきたけど、いつもうれしそうに笑って見せてくれた・・・。」
「人間は成長するです、その過程で作られていく心は、その時々によって成長を止めたり急に伸びたりするです」
翠星石がどこか思うところのあるようにいう。
「その過程で、少なからず人間は変わるです。でもジュンの心の樹はまだ小さいですからまだ成長すると思うです・・・。」
「そうね、桜田君は強いもの・・・。」
「ジュンは強いのー!」
雛苺が、うれしそうにはにかんだ。巴はそんな二人に、ジュンのことを気にかけてくれていることに心で礼を尽くした。
「雛苺も・・・、強くなったね・・・。」
月光は道を照らす。ただひたすらにただ静かに。行く末を見守るように。
翌日。
休日の朝はすがすがしく晴れ渡り、鞄越しに聞こえるすずめの鳴き声で真紅は目を覚ました。
いまだジュンはおきてこない。
彼の心は今どうなっているのだろうと、ひどく気になった。
パタパタと両隣で鞄が開けば、翠星石と雛苺がいつものように起きてくる。
「おはようです、真紅・・・。」
「おはようなの〜」
いつもよりも眠たそうな二人に、真紅は昨日の夜飛び立つ二人の後姿を思い出した。
「いつもより遅く寝たからなのだわ、少し休むといいわ。」
「ふわ・・・そうするです・・・。」
そういってまたパタンと鞄が閉じられた。
昨日二人が帰ってきたのは11時ごろだった。鞄越しに聞こえた雛苺の声でうっすら起こされたので覚えている。
それだけならここまで眠そうにはしないはずだが、おそらく二人とも機能のよる何かあってそのことについて考えていたのだろうと、
真紅は言及しなかった。
行動しなかった自分が言及するのはどうにもおかしいし、二人には休息が必要だろう。
翠星石は夜通しジュンとその心の樹を交代で世話しているし、雛苺もそれを手伝って寝汗を拭いたりしている。
ただ待つことしかしない自分にいい加減腹が立ってきているのは、真紅自信が一番よくわかっていた。
そして日も高くなってきたころ、玄関の呼び鈴がなる。
「はーい」
のりの声が廊下に響いて玄関を開ける。
「あ・・・」
「担任の梅岡です、桜田いるか?」
真紅が、ジュンの顔を覗き込む。
ピチョン
しずくがジュンのほほをぬらした。
(水・・・?)
それを水と捉えたとたん、大きな流れにとらわれたような感覚が真紅の体を襲った。
無意識の海。
その流れに真紅は思わず顔をかばった。
その中で幻のように現れる一人の少女・・・。
右目の愛ホールから白薔薇が伸び、どこかうつろな雰囲気を漂わせている。
「誰!?」
その瞬間少女の姿は消えていた。再び意識は自然とジュンに向く。
「流されないで・・・私はここにいるわ・・。」
「まだ思い出せないというの・・?」
「使えない僕ね!下僕の癖に主人の名前を忘れるなんて」
「さっさと戻らないと茨の鞭でお尻を百叩きだわ!」
ジュンに呼びかけるように。叫ぶ。
届けとひたすら願う。
「それで足りないなら通販グッズは全部雛苺のおもちゃよ!」
「部屋は翠星石が花だらけに改造するわよ!」
呼びかけにひるむかのように。水が引いていく。
押し流された物が戻っていく。
咳き込む声は確かに意識を持っていた。
「それだけは簡便・・・」
「いやあ、この前は桜田もちゃんと顔を合わせてくれたし、進路のこともそろそろ・・・。」
「あの。先生、ジュン君は・・・」
「ん?どうかしt「出ていけです!!!」
声を張り上げて言葉をさえぎったのは、緑色のドレスにオッドアイの女の子だった。
少なくとも梅岡にはそうとしか見えなかっただろう。
その傍らにも涙目になってにらんでいる幼い女の子がいる。
「え・・っと・・・。君たちは・・・?」
屈んで同じ目線になって覗き込むようにしてみれば、二人はびくびくと脅えながらのりの後に隠れた。
「翠星石ちゃん・・・雛ちゃん・・・。あ!えっと・・・、この子達は・・・何というかその・・・」
「出ていけです!チビ人間は・・・ジュンはお前のせいで傷ついたです!!」
「ジュンいつまでたってもおきてこないの・・・」
「え?えっと、僕は・・・。」
梅岡が剣幕に押される。
初めて会った少女たちにいきなり投げかけられた罵倒の言葉。
とにかくこの子達は怒っている。
理由はわからないが、ジュンのことを言っているらしい・・。
「なんだか、嫌われちゃったかな・・また今度来るよ。」
「え!?あ、すみません・・・」
「もう二度と来るなです!」
「なの!」
梅岡はまた失敗したかとため息をはきながら、桜田家をあとにした。
「翠星石ちゃん、雛ちゃん」
「!」
二人の体が跳ね上がった。
叱られる。
当然だ。来客者相手にあんな言葉を浴びせて追い返したのだから。
そんなことは覚悟できていた。
近づいてくるてに、思わず目をつぶる
「ありがとう・・・。」
「「へ?」」
「雛ちゃんも翠星石ちゃんも、ジュン君のためにやってくれたんだよね。お姉ちゃんだめだなぁ、はっきりいえないから・・・」
「本当にありがとうね」
心の底からうれしそうに、二人の頭をなでるのりに、拍子抜けした二人が時間音どまりから開放されるのには少し時間がかかった。
それでも、自分たちの行動が間違っていないと。確信をもてたことに二人は喜びを感じていた。
−夕食後−
ジュンが目覚め、一件落着した桜田家ではいつもどおりの夕食の時間を取り戻していた。
「今日ははなまるはんばーぐ特別ばんよぉ、いっぱいたべてね〜」
「す、すごいですぅ!ハンバーグの中にさらにたまごが入ってるですぅ!びっくりですぅ!」
「雛のにも入ってるのぉ〜!」
相変わらず、といった風に真紅はそれを眺め、ジュンもどこか穏やかにその光景を見つけた。
「今日はありがとうな、真紅。」
「気にしていないわ、ただ、私の下僕ならばもっとしっかりすることね」
「翠星石、雛苺。」
「「??」」
「あとで僕の部屋に来てくれ」
二人は特に気にもせず口いっぱいに詰めたハンバーグを飲み込んで返事をした、その光景を真紅は安心したように笑い、のりも笑顔で見続けていた。
「なんなんですぅ?チビ人間。翠星石はひまじゃねーですからとっとと要件済ませやがれですぅ」
「雛はジュンといっぱい遊ぶのー!」
夕食後、部屋に呼び出された二人の人形は、ジュンに呼び出されて何事だろうという疑問しかもてなかった。
ジュンからドールを部屋に呼ぶことはめったにない。
「その・・・なんだ・・・ありがとな・・・。」
ジュンの口から出たのは礼いっぱいの例と同時に差し出された菓子だった。
「これぐらいしかないけど・・・。姉ちゃんから聞いたよ。俺のために・・、ありがとうな」
照れるかのように視線をそらすジュンの思わぬ言葉に、雛苺は表情をこれ以上にないぐらい明るくし、翠星石は照れるかのように挙動不審になった。
「べべべべ、別にチビ人間のためなんかじゃないです!ただ、その・・ジュンがいないと調子が狂うというか・・・それだけで特に深い意味はないですぅ!」
「うにゅーだー!ジュンありがとー!!」
そしてその扉の影から見守る影が一つ・・。
「私は何ももらっていないのだわ・・・。」
硬く手のひらを握り締める真紅の姿といつもより少し騒がしい二人の人形の声。
今宵も桜田家の夜はにぎやかである。