「ねぇみんな。 一体いつになったらアリスゲームを始めるんだい。」 

意を決して言ってみた。 しーん。 めっちゃ白けムードが漂った。 
激寒な視線が僕に降り注ぐ。 くっ……ま、負けるもんか。 いつかは言わなきゃいけないんだ。 

「今忙しいの。 その話題は後にしましょう。」 
真紅の言葉でまた思い思いの娯楽に興じる姉妹たち。 駄目だ。 ここで退いちゃ駄目だ。 

「いや、あのさ。 みんな、いっつもこの話題を出すと、後で!って言うけど。 
 今日は誤魔化されないからね。 君ら、本当に真剣にアリスを決める気あるの?」 

「ないでーす。」「あっりませーん。」「馬鹿じゃねーの?」 
何その答え!? いい年して学級崩壊かよ! 想像を遥かに通り越して酷い返答が返って来た。 てか最後の誰? 

「ぼっ、僕らは究極の少女となるべくしてお父様に生み出さ……」 
「蒼星石のおばか!」 
ぺちぃん! あうっ! 翠星石の平手打ちが飛んできた。 

「時代はラブ・アンド・ピースです! こうしている間にも地球の砂漠化は進み、オゾンホールは拡大してるですよ! 
 それなのに蒼星石ときたら! ケンカなんてする暇があったら、花の一つも植えたらどうですか! 
 とりあえずそのふざけた帽子を脱ぐです! クールビズです! 呼吸も今すぐやめろです! 光合成がベストです!」 

「身勝手な事しか考えられない人は、宇宙船地球号から下船した方がいいのよー。」 
「まったく、こんな自己中を育てた親の顔が見たいかしら!」 
「愚にもつかない事ばかり言って、目元のシワが水銀燈に似てきたのではなくて?」 

「酷すぎるよ!!」 
ボッコボコにされてしまった。 自分に都合のいい時だけ凄い団結力を発揮するから女って嫌だ。 
本音は面倒なだけだろうに、よくもまぁそこまで言えるね君ら……。 

「うふふ……。 今日もお馬鹿さぁんたちがお馬鹿な顔を並べてるわねぇ……。」 
はっ。 窓際からの声にみんなの視線が集中する。 水銀燈! 助かった! 彼女ならきっと僕の気持ちを分かってくれる。 

「水銀燈! アリスゲームをしに来たんだね? 丁度良いタイミングだよ。」 
「あらぁ。 やる気満々ねぇ、蒼星石。 おあつらえだわぁ。」 

ひらひらと左手を振って降り立つ水銀燈。 そのまま左手の甲を僕らに向けて、ゆっくりと巡らせる。 
来るか? 何を仕掛けてくる気だろう。 油断無く構える僕。 ……。 
しーん。 しかし、しかし。 予想とは裏腹に、水銀燈は左手を突き出したまま立ち尽くすだけだった。 

「ちょ、ちょっとちょっと水銀燈! そこで止まらないでよ! え、何? その構え、何の意味も無いの!?」 
「わ、分かってるわよぉ。 今からやろうと思ってた所じゃないのぉ。 見なさぁい!」 

ばっ! そういうと、再び水銀燈は左手を勢いよく突き出した。 くっ! やはりあの左手には何かあるようだ。 
じりっ。 じりっ。 その姿勢のまま、水銀燈が少しずつ間合いを詰めてくる。 
息が詰まる。 空気が張り詰めていく。 焦るな。 まずは左手の動きを見極めるんだ……。 

……………。 しーん。 ちょっ。 ちょっとちょっとちょっとぉー! 何? 何なの水銀燈? 一体何がしたいのさ!? 

「あーーーーっ!! 水銀燈、その手!!」 
うわっ、ビックリした! 僕が口を開こうとした矢先、金糸雀が何かに気付いたように大声をあげた。 

「あー。 ヒナも分かったの! 水銀燈、左手の薬指に指輪してるぅーーー!」 
「あ、あらぁ。 嫌ねぇ、バレちゃったぁ? まったく、変な所に目ざとい子たちねぇ。」 

い、いや。 めっちゃ左手アピールしてたじゃん! 本当だ。 
水銀燈の薬指には、およそ彼女に似つかわしくないチープな雰囲気の指輪が光っていた。 
それは僕らの契約の指輪ではなく。 薬指という事からしても、おそらく。 

「えぇぇーーー! 水銀燈、ひょっとしていい人ができちゃったですかぁーーー!?」 
「蓼食う虫も好き好きとはよく言ったものね。 聞かせなさいな、水銀燈。 一体どんな物好きを捕まえたの?」 
きゃいきゃいと色めきたつ真紅たち。 ぐぇっ。 突き飛ばされた僕は、思いっきり床に突っ伏した。 

「しょ、しょうがないわねぇ。 せめてものお情けで聞かせてあげるぅ。 めぐと初めて出会ったのはねぇ……」 
頬を染めながら嬉しそうに語り始める水銀燈。 興味津々で聞き入る姉妹たち。 

「あ、あれ。 あのー、水銀燈さん。 ちょっといいですか? いや、その。 貴女、アリスゲームに来たんですよね?」 
ぽつーん。 誰も聞いちゃいなかった。 楽しそうに水銀燈の恋ばなで盛り上がっている。 

……。 許せない。 こんなのって許せない。 僕らは薔薇乙女。 宿命の下、争う事を定められた存在。 
いいだろう。 誰もアリスゲームをする気が無いのなら。 ……僕が、始めてやる。 

「レンピカ!」 
人工精霊を呼び出し、鋏を構えた僕。 この空気を読んでか、流石の一堂も静まり返った。 

「あらぁ……どういうつもりぃ?」 
水銀燈の視線が鋭さを増す。 どういうつもりだって? 君らにだけは言われたくないね。 

「どうもこうも無いだろう? 今ここに6人のローゼンメイデンがいるんじゃないか。 後は言わなくても分か……」 
「蒼星石のお茄子!」 
ぺちぃん! あうっ! まだ喋ってる途中なのに! またしても翠星石の平手打ちが飛んできた。 

「時代はラブ・アンド・ピー以下省略! こうしている間にも以下省略! それなのに以下省略! 光合成が以下省略!」 

「身勝手な事しか考えられない人は以下省略。」 
「愚にもつかない事ばかり言って以下省略?」 
(存在自体が省略されました。 全てを見るにはここを押してください。) 

「そこまで面倒なのかよ!!!!!」 
自分が真面目にやってる分、やるせなさも倍加する。 ふと水銀燈と目が合った。 

「見なさぁい!」 
「それはもういいよ!!!!!」 
なんだよこの天丼地獄! いたたまれなくなった僕は、姉妹たちの談笑する声を背中に桜田家から飛び出した。 

30分後、ジャージに着替えた僕は川沿いの土手を走っていた。 やはり心が乱れた時はランニングに限る。 
ジャブ! ジャブ! アッパーカット! ふっ。 これなら今すぐアリスゲームを制せるな。 それなのに、彼女らときたら。 

脳裏に先刻の幸福そうな水銀燈が浮かぶ。 君があんな表情するなんて。 ちりりーん。 
君だけは違うと思っていたのに。 ちりちりーん。 生きる事は戦うこちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちりちり。 

「だぁー!!! さっきからうっさグエッ!!!!!?」 
振り返ろうとした瞬間背中に衝撃が走る。 軽く5メートルは吹っ飛ばされ、地面を抉りながらスライドする僕。 

「……ごめんなさい。 避けようと思ったんだけど、自分から動くのも何だか癪で……。」 
「謝ってないだろそれ!!!」 
そこには良く見知った顔。 ママチャリに買い物袋を満載したそのドールは、紛う事無き薔薇水晶だった。 

駐車場脇の自販機。 人通りもなく、僕らの影だけが気の早い冬の夕日に伸びる。 

「……そう……。 アリスゲームを………………。」 
ちゃりん。 ちゃりん。 硬貨を自販機に投入しながら答える薔薇水晶。 
気付けば僕は今日の出来事を全て話していた。 誰でもいい。 誰かにこのモヤモヤをぶちまけたかった。 

「ひどいよね。 お父様が知ったらどれだけ悲しむか。 父親思いの君なら分かってくれるだろう?」 
…………。 沈黙。 不安になって横を見ると、薔薇水晶はオレンジジュースを2缶持ちながら、取出口を睨んでいる。 

「この自販機……詐欺…………いつもダブリばかり…………レアジュース、全然出てこない………。」 
「いやいやいや! 自販機ってそういう物だから!!」 

もしオレンジジュースのボタンを押しておしるこが出てきたりしたら、確実にクレームが来るだろう。 
しかし聞いているのかいないのか。 暫く立ち尽くしていたかと思うと。 

ズガン!! 薔薇水晶はおもむろに自販機にケリを入れた。 

「ちょちょちょっとちょっと!!? 唐突に何してんだよ君はーーー!!!?」 
「……………レアジュース…………出そうと思って…………。」 
「 絶 対 出 な い か ら !!!!!」 

常識で考えれば分かるだろ! しかし。 僕の方に向き直った薔薇水晶の目は、意外なまでに濁りが無く。 

「試したの?」 
「え?」 
「本当にレアジュースは出ないのか。 …………自分で試してみたの?」 
「え、だって……そんなの、試さなくても分かるじゃないか。」 

いつも通りの無表情なままの彼女。 でも、何だろう。 その口調には。 驚くほど雄弁な何かが篭っていた。 
いつも通りの無感動な言葉では無かった。 

「…………本当に…………そうかしら…………。」 

そう言うと、彼女はまた自販機の方に向き直って。 2発。 3発。 次々ケリを入れ続けた。 
社会的に見て、明らかに間違った行動。 でも僕は。 言葉が出なかった。 ただ、彼女の次の言葉を待っていた。 

「間違っ……てるよ……薔薇水晶……。」 
「間違ってない。」 
ぶつ切れな僕の言葉。 迷いの無い彼女の言葉。 普段とまるであべこべで。 

「……もし、私が、自分で、やるだけやって。 ……それでもレアジュースが出なかったら……納得がいく。 
 でも。 ……他人から聞いただけの事を……自分で確かめたかのように……真実と思い込むなんて………イヤ。」 

蹴り足の動きが徐々に激しさを増してくる。 その表情はいつもと変わる所は無い。 

「私は……お父様が……好き。 暖かな手が……好き。 優しい瞳が……好き。 それは、私が、確かめた事。 
 ……貴女は…………どう? 貴女は…………お父様が…………好き。 ……それは、本当に、貴女が確かめた事?」 

僕はもう一言も話せなかった。 ただただ薔薇水晶に見惚れていた。 彼女は。 シンプルに、美しかった。 

「…………きっと、真紅たちは……分かっている。 ……姉妹がいて……ミーディアムがいる……。 
 アリスゲームを……しない。 ……お父様の意に……背く。 ……それは、多分……楽な事なんかじゃ、ない。」 

もう。 もう充分だった。 もう今は。 僕にも分かっていた。 

翠星石。 危なっかしくて、泣き虫で、お節介で。 でも、いつも僕を守ってくれる双子の姉。 

真紅。 自分にも他人にも厳しくて、いつも態度は素っ気無くて。 でも、本当は誰よりも心優しい妹。 

金糸雀。 神奈川で、カニ味噌で、カナブンで。 でも、決して拗ねたり捻くれたりしない可愛らしい姉。 

雛苺。 甘えん坊で、駄々っ子で、騒がしくて。 でも、心から人を好きになれる穢れの無い妹。 

水銀燈。 好戦的で、退廃的で、独善的で。 でも、いつだって矜持を曲げようとしない誇り高き姉。 

じゃあお父様って? 僕は、お父様の事を何一つ知らない。 僕の理想の中だけに生きるお父様。 
あぁ、そうだ。 忘れる所だった。 自分の手の暖かさを。 大切な人の温もりを。 
僕の愛しい姉妹たちは。 自分の進むべき道を、自分の心で決めたのだ。 
薔薇水晶がこちらを向く。 いつも通りの無表情。 でも、僕には分かった。 それが微笑みだという事が。 

「薔薇水晶……。」 

何を言えばいいのか。 でも、無性に何か言いたくて。 
そんな僕を見透かすように、薔薇水晶は人差し指を立てて、黙って自分の口元に当てた。 

「……蒼星石。 レアジュース…………本当に、無いと思う……?」 
へっ。 きょとんと彼女を見詰める僕。 ふっ。 ふふっ。 

「…………さぁ。 自分で確かめてみなくちゃ、分からないな。」 

すっと自販機の横に身を移す薔薇水晶。 もう、喋らなくても分かった。 
そうさ。 いつだって僕は僕。 何をするか。 何が大切か。 決めるのは僕自身だったんだ。 
てっ。 てってってっ。 助走をつけて。 ズガァン!! 自販機を思いっきり蹴り飛ばす。 

<<ポロロロン♪ ポロロロン♪>> 

時間が止まる。 嘘みたいだった。 夕闇に包まれた空に軽快なメロディが鳴り響いたかと思うと。 
僕の足元には、ディスプレイのどのジュースとも違う、鮮やかな缶が転がり出たのだった。 

「薔……!」 

顔を向けると、そこにはもう彼女の姿は無くて。 僕は誰もいない駐車場に、ぺこりとお辞儀をした。 

そんな事をしていたら、背中の方から誰かの呼び声。 
振り向けば、大きく手を振って、僕の方に駆け寄ってくる人影が見える。 

迎えに来てくれたんだ。 あぁ。 僕には。 愛すべき人たちがいる。 愛してくれる人たちがいる。 
だから僕は息を大きく吸って。 胸いっぱいの気持ちを込めて叫んだんだ。 

「おーい! 僕はここだよーーーーー!」 

人影は警察だった。 究極の少女(予定)、本日付で前科一犯。 
                                                     − おわり − 

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