「さっさっさー。 となりは何をする人ぞ、ですぅー。」
さか、さか、さか。 竹箒で庭の落ち葉を掃く、掃く、掃く。
私は庭師。 紅葉の季節。 短い夏を駆け抜けた緑が、赤に黄色に染まっている。
足元に舞い積もる、枯れきった木の葉。 それは寂しくもあり。 それでいて愛おしくもある。
秋も深まり、来るべき春に向けて、木々たちが衣替えを始める季節。
サツマイモを落ち葉の中に据えながら、溜め息をひとつ。 今は少しだけメランコリック。
ぶぁさっ! 突然目の前の落ち葉まんじゅうが舞い上がった。
「ジャジャジャジャーン! 落ち葉の中からこんにちは! 策士・金糸雀、華麗に見参かしら〜!」
……。 しかしまぁ、世の中には全然メランコリーと縁の無い輩もいるわけで。
何がそんなに嬉しいのか、相変わらず幸せ一杯のバカ面をさげて、おバカな彼女が現れた。
すっぱり無視を決め込んで、枯れ葉の山に火を点ける。
「キャー!? キャー!? 何するかしら!? 火あぶりかしら! カナを焼いても美味しくないかしら!!」
「あれあれぇ。 こいつは驚いたです。 今日びのサツマイモは日本語が喋れるんですねぇ〜。」
「 カ ナ は お イ モ じ ゃ な い か し ら !!! 」
くすり。 まったく。 落ち葉の中に隠れたりするから、服があちこち枯れ葉まみれじゃないですか。
ほら、立って。 ぱしぱし枯れ葉を落とすですよ。 ぱしぱし。 ぱしぱし。
んんん? なかなか落ちないですねぇ。 この編み目にひっかかって……って、え? 編み目?
「およよ、おバカナ。 なんですその服?」
「! むふーん。 うふふ、翠星石。 やっぱり分かっちゃったかしら? やっぱり分かっちゃったかしら?」
むかっ。 撒き餌に飛びついてしまったようだ。 分からいでか。 それは私たちがお父様から戴いた衣装ではなく。
「そうでーす! これはみっちゃんがプレゼントしてくれたセーターかしら!」
そう、セーター。 朝に霜が降り、夜に息が白む季節を、暖かく過ごすための衣服。 淡いレモン色が目にやさしい。
「むふふふふ。 しかも、これはただのセーターじゃないかしら……!」
にへへと目元を緩ませるチビカナ。 ??? どう普通と違うのか。 滅多に無い事だが、私は金糸雀の二の句を待った。
「 て あ み ? 」
「そうかしら! このセーターは、みっちゃんの愛情いっぱいの手編みなのかしら!!」
そう言ってふふーんと胸を張る金糸雀。 テアミ……?
「川に投げ込んで魚を一網打尽にする……?」「それは投網。」
「ほうじ茶を淹れてちょっと一服……?」「それは湯呑。」
「人間五十年〜、下天のうちをくらぶれば〜、夢幻のごとくなり〜。」「それは世阿弥。」
「ブブーッ。 これは世阿弥ではないのですぅ! ププッ、やっぱり生え際の怪しい奴はオツムの出来も怪しいですねぇ〜。」
「 生 え 際 は 関 係 無 い か し ら !!! 」
「手編みっていうのはね、市販品じゃない、自分の手で作った編み物の事を言うのよ。」
金糸雀のセーターをぽんぽん払いながら、デカ人間の弁。 ここはデカ人間のお家。 セーターを作った張本人。
「ふんっ。 わざわざそんなメンドっちい事しないでも、できあいの市販品でも買った方が全っ然お利口ですぅ。」
「でも翠星石だって、よくジュンのためにお菓子を作ってあげてるかしら〜。」
でぇぇーい! (ボコッ)
「ゲフゥッ!」「カナァーーー!!!」
景気良く宙を舞うデコスケ。 ねねね、寝言は寝て言えですぅ! だっ、誰があんなチビ人間のためにっ。
「まぁ、見た目はこんなだけどね。 手編みにはさ……お金じゃ買えない価値があるんだなぁ。
少し右下がりの模様も。 ちょっと長めになっちゃった袖も。 気持ちを込めなかった場所なんて、一つも無い。」
「みっちゃん……。」
翠星石にはちょっと難しいかな、なんて微笑むデカ人間。 なぜだか無性に照れ臭くなって。 私は反射的に言い返した。
「ふんっ。 いい年齢して独り暮らし、六畳一間にメンズ用品ゼロの独身OLが、したり顔で何言ってるですかっ。」
「ゲフゥッ!」「みっちゃーーーん!!!」
景気良く吐血するデカ人間。 全く。 全く。 みんなして、なーに色ボケしてやがるですか。 ……でも。 でもでも。
本当の本当に、ほんの少しだけ。 「あいつ」の顔が思い浮かんで。 気付けば私は口にしていた。
「……この毛糸、少し貰っていってもいいですか?」
ぼーっ。 ぼーーーっ。 ぼーーーーーっ。 ………。 ……ぃ。 …い。
「おい!」「ぅひゃわ!」
ドキリとローザミスティカが跳ね上がる。 呆としていたが、どうやらジュンに呼ばれていたようだ。
「な、な、な、何ですか?」
「いや何って。 もう9時過ぎてるけど、いいのか? 真紅たちはとっくに2階に行っちゃったぞ。」
本当だ。 気付けば時計の針は夜の9時を指していた。
帰ってきてから今まで、何をして、何を食べて、何を喋ったのか、これっぽっちも覚えていない。
気付けば、デカ人間とチビカナの幸せそうなやり取りばかり浮かんで。
なぜあの時私は毛糸をくれなどと言ったのだろう。 その毛糸で私は何がしたいのだろう。
「……きょ、今日はもうちょっとだけ夜更かしするですぅ……。」
そう言って、ちょこりとジュンの隣に腰掛けた。 ふーん、とだけ呟いて、またテレビに注意を戻すジュン。
一体どうしてしまったのだろう。 今日の私はちょっとおかしい。
テレビの中では年頃の男女がぴーちくぱーちく。 それがどうにも頭に入らなくて。 目線は自然とジュンに向く。
ふと気付いたように、ちらりとジュンが視線を寄こす。 私は慌てて目を逸らす。
「なんだよ。 なんか言いたそうだぞ。」
「う……す、翠星石はこのドラマの先週までのあらすじをサッパリ知らんです。 ちーっとは気を利かせるですぅ!」
しどろもどろに言い繕う。 ジュンは得心したようにあらすじを喋り出す。 なんとか誤魔化せたようだ。
適当にあらすじを聞き流しながら、再びジュンの横顔をのぞき見る。
真紅たちはもう眠っていて。 のりはお台所で洗い物。 今だけはジュンを独り占め。 物静かな秋の夜長。
それは緩やかに穏やかに過ぎて行って。
「「くしゅん!!」」
ドラマの主人公とジュンが同時にくしゃみをした。 ヒロイン役の女性が、主人公に優しくマフラーをかける。
傍らのジュンは、独りで小さく肩をこごめるだけ。
「ふふふ。 チビ人間はマフラーをかけてくれる相手がいなくてお淋しい事ですぅ。」
「ほっとけよ!」
ジュンにちろりと舌を出して。 私は、自分があの毛糸で何をしたかったのか、ようやく気付いたのだった。
「さて、っと。」
まずは何を作るか決めなくちゃ……なんて。 実はもう決めてたりする。
「やっぱりマフラー、ですよね。」
そう、マフラー。 マフラーは一枚布。 とってもシンプルでサイズの誤差にも強い。 未経験者にはもってこいだ。
しかも昨日のドラマによれば、マフラーをプレゼントすれば……ふ。 うふふふ。
はっ。 少しばかり別世界を旅行してしまった。 いけないいけない。
勝って兜の緒を締めよ、です! 別に戦ってないですけど。
さて、具体的にどんなマフラーを作るべきか。 ボールの飾りを付けてみる? 派手にファーっぽく仕上げようか。
いやいや。 複雑なのはもちろん無理。 けど、プレーンな一色マフラーというのもちょっと寂しい。
そうだ。 ポイントにストライプを入れてはどうだろう? 我ながら妙案だ。 これなら多分そう難しくはないはず。
ただ、そうすると昨日の毛糸では足りない。 そもそも、よく見たら貰った毛糸は一玉もない。
「編み針と教本、それにもっと毛糸が欲しいですねぇ。 毛糸の色は……。」
ベースは薄いクリーム色がいいかな。 ストライプの色は……淡いグリーンにしよう。
クリームの部分がジュンで、グリーンの部分は…………べ、べ、別に何だっていいじゃないですか!
使う糸もよく考えなくては。 肌触りや通気性が悪いマフラーなど、誰も巻きたくないだろう。
うーん。 意外に考える事が沢山ある。 これは経験者に聞きながらでないと、ちょっと危険かもしれないです。
のり? 絶対ジュンに勘付かれるですね。 巴? 果たして経験者でしょうか。 となると……。
ぴしゃり!
「こら南極デコ! ちょっくら頼みがあるですぅ!」
「……最近は人に頼み事をする前にオデコを叩くのが普通なのかしら? そもそも南極デコって何よ!」
「知らないのですか? 露出してるのは額のごく一部に過ぎず、前髪の下には無限のデコが広がっているという……。」
「 あ ま り に 失 礼 か し ら !!! 」
餅は餅屋。 ジュンほどではないにしろ、デカ人間にも洋裁一般の心得があるだろう。
年齢的に、事情を詮索しないデリカシーもある。 少しばかり不服だけれど。 私は彼女に教えを請う事に決めたのだった。
『朝です! とっとと起きやが』
カチリ。 目覚まし時計を止めてアクビを一つ。 窓の外はまだ暗い。
夜型生活に染まりきった体が、二回目の眠りを要求している。 うぅ、眠りたい……。
いや! 駄目だ、頑張らないと。 少しずつでも朝型体質に変えていくんだ。 ……Zzz……。
「おはようジュン。 ちゃんと起きられたのね。」
うぉっと! 真紅の声で思わず背筋がピンと伸びる。 危ない所だった。
時間になっても起きないと、漏れなく絆パンチをプレゼントされる。 今日はぎりぎりセーフだな。
「絆パンチ!!!」「ゲハァ!!?」
眼鏡がすぽーんと吹っ飛んでいき、無様に床に転がる僕。 えぇ!!
時間通り起きても全くの無駄かよ! ひでぇ!!
「しっ真紅! ちゃちゃちゃんと起きたじゃん! い、いきなり、何すっ、すっ、すっ……。」
やばい、ちょっと泣きそう。 眼鏡を拾う自分の哀れさに胸が詰まって、上手く言葉が出て来ない。
「そうねジュン。 貴方が朝早く起きるというのは、決して楽な事ではなかったはず。 偉いわ。 良く出来たわね。」
そう言って柔らかに微笑む真紅。 えぇ!! 超イイ笑顔!
え? でも今僕の事殴ったよね? え? なんで? なんでそんなイイ顔で人殴れるの?
「でもそれとこれとは話が別よ!!」
クワッ! ひぃ! 突然鬼の形相になる真紅。 お、起きた時間が問題じゃないのか。 一体僕は何をしてしまったんだ。
腰が引けた僕の膝に、雛苺がぴょこんと飛び乗ってきた。 ハッとする僕。 雛苺の顔は、今にも泣きそうで。
「あのね、翠星石が変なの。 しばらくジュンに会いたくないってゆってるの。 ……泣いてたみたい、なの……。」
えっ。 翠星石が。 なるほど、真紅が怒ってる原因はこれか。
あの性悪人形が憎まれ口を叩くのはいつもの事だが。 どうも今回は笑い事では無さそうだ。
「ねぇジュン。 怒らないから正直に言って頂戴。 貴方、翠星石に何をしたの!!!」
そう言ってドガン!!と机を叩く真紅。 合板製の机に亀裂が入った。 めちゃ怒ってるじゃん!!
「翠星石は出掛けていったよ。 心配しないで、だって。 あんなに目を腫らしていたのに。」
……恐る恐る振り返る僕。 ズゴゴゴゴ。 見える。 効果音が見える。 周囲を歪ませる程の闘気を隠そうともしない。
そこに居たのは一人の鬼神。 翠星石の双子の妹。 僕は無意識の内に完全服従のポーズを取っていた。
目をこすりながら、くぁ〜っとアクビ。 ふぁぁ、眠みぃですぅ。 昨日も夜遅くまで頑張ってしまった。
目が赤い……のは生まれつきだけど。 どうにも目が腫れぼったい。
仕方がない。 自分はドール。 人間サイズのマフラーとなると、やっぱり時間が掛かる。
カバンの中でも、デカ人間の家でも。 使える時間は目一杯に使わないと、いつ完成するやら分からない。
スィドリームやツタを操って作業スピード向上を図ってはいるものの、使い過ぎるとジュンに負担が掛かってしまうし。
多少寝不足になっても、地道に作業時間を増やすのが一番なのだ。
くぁ〜っ。 あぁもう。 ぶんぶん頭を振る。 ここで気を緩めては駄目。 百里の道は九十を半ばとす、です!
とは言え。 編みかけのマフラーを明かりにかざしてみると、思わず顔がほころんでしまう。
上出来。 我ながら本当ぉ〜に上出来。 天才! まさに天才ですぅ!
苦労しただけの甲斐はあった。 好きこそ物の上手なれと言うか、苔の一念と言うか。
私の上達スピードはデカ人間も目を見張るほどだった。
ストライプも綺麗に入って。 もう少し。 もう少しで私の初めての「テアミ」が完成する。
そしたら……。 にへっ。 おっと、危ない。 ここで気を緩めては駄目。 酒は飲んでも飲まれるな、です! ……でしたっけ?
今朝は危うく真紅たちにバレそうになってしまったし、編み物に慣れて油断が出てきたのかもしれない。
ん! ここが踏ん張りどころです! ささ、もう一頑張りするですよー……。
「本当に心当たりが無いのかい? 真面目に考えてくれないと、僕も穏やかではいられないよ。」
シュッシュッと素振りをしながら蒼星石が問い掛ける。 脅しだよこれ……。
そりゃ毎日小競り合いはしてるけど。 泣かせてしまうような事となると、ちょっと思い当たらない。
「今日だけじゃないよ。 最近ずっと翠星石は変だった。 それに気付いてたかい? 彼女を見てくれてたかい?」
その口調は僕を責めるものではなく。 ただただ、心痛だけが伝わってきた。
振り返ってみると、僕はいつもあいつを適当にあしらってた。
自分では気付いていなくても、知らず知らずの内にあいつを傷付けてたんじゃないだろうか。 ……なら。
「やっぱり幾ら考えても分からない。 ……でも。 聞いてみるよ。 僕自身が。」
その言葉で。 ようやく真紅が、晴れやかに笑った。
「いい子ね、ジュン。」
「で……」
できたぁーーーーー! 遂に。 遂に完成した。 私の初めての手編み。 それは心なしか輝きさえ放っていて。
「すごぉい……とても初めての作品とは思えないわ。 うんうん。 愛だねぇ。」
デカ人間のお墨が付いた。 最後の一言は敢えて無視。
でも、デカ人間がいなかったら、とてもじゃないけどここまでの物は作れなかった。
「ふんっ。 私の手に掛かれば当然ですっ。 当然ですけど……。 ま、いちお。 ……感謝してるです。」
「!! ぁあぁ……。 あぁーんもう! 翠星石かわいぃぃぃぃーーーんん!!!」
へぶぅ!! こら、放すです! 熱っ! 摩擦が熱っ!!
そんなこんなで、名残惜しくもデカ人間のお家とサヨナラする。 今日もちょっぴり遅くなってしまった。
まぁ、蒼星石には心配しないよう言い含めてあるし。 最近は大人しくしてたから、注目を浴びる事も無いだろうし。
紙袋に入ったマフラーを見ると、思わず顔がにやけてくる。
あとはみんなに見つからないように、こっそりジュンに渡すだけ。 どうやって渡そうですかね……。
のはずだったのに。
「翠星石!」「翠星石ちゃん!」「翠星石なのね?」「翠星石なのよ〜!」「帰って来たんだね!」
。。。。。。 へ? 何ですか、これ。 なぜ。 なんで今日に限って全員揃ってお出迎えなんですかぁーー!?
思わず紙袋を後手に隠す。 もし今このマフラーがバレたら、生き恥どころの話じゃない。
これは一体何なのか。 異様なテンションでエキサイトする衆人の中から、ジュンが一歩進み出た。
「あのさ、その……翠星石。 悪かった! 今日までお前の気持ちに、全然気付いてやれなくて。 ……後悔してる。」
。。。。。。
へ? へ!? へ!!? へぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ーーー!!?
なっ、なっ。 な゛ぁーーー!! いいいきなり何を言ってるですか、この唐変木は!?
私の気持ちって。 それって。 それって!!! キャー! キャー! じょっ。 冗談は即刻やめろですぅ!
ほっぺをつねる。 あっつ! 夢じゃない。 じゃ、じゃ、じゃあ。 これって。 これって!!!
つま先から耳の裏まで、自分が一瞬で茹で上がったのが分かる。 うそっ。 うそーーーっ!!!
くしゃり。 紙が潰れる感触。 あっ、そうだ。 これ。 私の手の中で急に、マフラーまでが早鐘を打ち始めた。
マフラー。 ジュンのために作った手編みのマフラー。 渡す? 今? くるりと視線を走らせる。
のり。 真紅。 雛苺。 蒼星石。 みんなが私の一挙手一投足を注視している。 無理! ぜったい無理!
「そっ、その……何を勘違いしてるですか? すっ、翠星石は、チビ人間の事なんて、何とも思ってないですぅ!」
沈黙が訪れる。 私の顔も青ざめていく。 やってしまった。 思わず目がウルッとなる。
なんで私は、いつも。 しかし、しかし。 口を開いたみんなの反応は、私の予想を大きく外れていたのだった。
「何も無いはずはないだろう? 今朝だって、真っ赤に泣き腫らした目をしていたじゃないか。」
は? 蒼星石は何を言ってるのだろう。 泣かなくたって私の右目はいつも真っ赤だ。
「猛り狂ってジュンの顔なんか当分見たくないとも言ってたのよ〜。」
確かにジュンとは顔を合わせられない、とか言ったような気はするけれど。 猛り狂った覚えは微塵も無い。
「最近じゃジュンを避けるようにして、日中はいつも外出していたじゃない。 復讐計画を練っていたのよね?」
むむむ、流石は真紅、微妙に鋭い。 でも、決定的に間違ってるですぅ!!
私の中のフィーバーメーターが急降下していく。 早とちりしていた。 何か。 致命的なまでのズレが、こ奴らの間にある。
「あの……さっきから気になってたんだけどぅ。 翠星石ちゃんが手に持ってる袋は何なのかしらぁ?」
!! みんなの注目が紙袋に集まる。 勘弁してほしい。 こんな冗談みたいな状況で暴かれてたまるものか。
「ひっ、ヒナ、くんくんで見た事あるの。 翠星石が持ってるのは……時限爆弾よ!」
は あ ? ? ? バカここに極まれり。 嗚呼、哀れなおダメいちご。 ついに頭の中身まで大福と化したですか?
お前に常識というものは無いのですか? 我が妹ながら、あまりに四次元な発想に泣きたくなってくる。
ほら、見るです。 みんなお前の事を呆れた顔で見てるですよ……。
「なっ!?」「じっ、時限爆弾!」「そこまで追い詰められていたの!?」「早まったらめっ!よぅーーー!」
。。。。。。 ぽかーん。 開いた口が塞がらない。 これが極限状況における群集心理なのか。
勝手に盛り上がりまくってる一同は。 雛苺の言葉を疑うどころか、あろう事か鵜呑みにしてしまった。
「すっ、翠星石。 いけないよ。 死んで花実が咲くものか! さぁ、落ち着いて。 その袋をこっちに渡すんだ!」
は。 何? 渡せ、って。 いや、だって、この中には。 ……無理。 ぜったい無理! もう、この状況自体が限界だった。
「やなこったですぅーーー!!!」「捕まえろーーー!!!」
脱兎の如く駆け出した私と、選び抜かれた5人のバカの、不毛極まる追いかけっこが始まった。
「スィドリーム!」
庭師の如雨露が光を放ち、辺りが霧に覆われた。 混乱に乗じて、一気に階段を駆け下りる。
このまま逃げ切、っっっ!!!? がくりと。 突然足首を搦め捕られた。
「逃がさないの!」
苺わだち! 確かにこれなら視界は関係無い。 雛苺から最も遠い位置にいるのが私という訳だ。
くっ、チビチビの分際で頭脳プレーを……。 しからばコレです! 対チビチビ用秘密兵器。 忍法まきびし!!
「わぁ〜! マポロが落ちてるの〜♪」「あらあら雛ちゃん。 落ちてる食べ物をひらったりしたら駄目よぅ〜。」
マポロに飛びつく雛苺。 芋づる式に止まるのり。 ふっ、ちょろいですね。 さ、この隙に玄関まで行くですよ!
「待ちなさい! トリニトロトルエンなんて、貴女には過ぎた代物だわ!」
やはりと言うか流石と言うか、真っ先に混迷から抜け出してきたのは真紅だった。
真紅の飛び道具はヒットマン並の精度を誇る。 遮蔽物の無い廊下で相手にするには危険すぎる。
クイック&トリッキー! 真紅に対抗するには意外性です!
とぉう! 私は台所の窓から外に飛び出し、配水管にツタを絡ませ屋根に飛び上がった。
「翠星石、止まるんだ!」「年貢の納め時ね。 観念なさい。」
っと! 行く手には蒼星石が先回りしていた。 後ろからは真紅! 挟み撃ちです! どうしよう。 どうしよう!?
迷っている暇は無い。 一か八か! 私は素早く蒼星石の方に向き直ると、足元に紙袋を滑らせた。
「うわっ! ちょっと、翠星石!」
そう。 蒼星石はあれを時限爆弾と思っている。 こんな高速で滑らせれば。 爆発を恐れて受け止めようとするはず!
「許すです!」「うわわっ!?」「きゃあ!」
狙い通り、姿勢を低くした蒼星石。 ぽーん! 私は馬跳びの要領で、華麗に蒼星石を飛び越えた。
よろめいた蒼星石は真紅と正面衝突。 二人はもつれ合って転げ落ちていった。 成仏するですよ……。
って!? わわわ! また足に何かが! 見ると、なんと蒼星石。 ちっ、落ちなかったですか!
「ふ……ふふふ。 昔の偉人が言ってたよ。 二人はいつも一緒だってね!」
それ偉人っていうか私ですぅ! えぇい、諦めの悪い。 落ちろ落ちろですぅー! 私のマッハキックが蒼星石に降り注ぐ。
「 酷 す ぎ る よ ぉ ーー !! 」
泣きながら落下していく蒼星石。 違うですよ蒼星石。 これは翠星石の愛情、所によりライオン風味なのです……。
自己弁護も済んだ所で、マフラーを回収して階下にリターン。 当然そこにはジュンが待ち構えていた。
そして今、私はジュンと最後の追いかけっこ中。 雛苺、のり、真紅、蒼星石。 残っているのはジュンだけ。
そう考えた時、チラリとこのまま逃げ続ける事に対する疑問が浮かんだ。
どのみち最初から渡すつもりだったのだ。 今マフラーを渡してしまってもいいのではないか?
ぶんぶんぶん。 頭を振って、慌てて自分の考えを打ち消す。 駄目だ。 駄目だ駄目だ。
時間も掛けた。 努力もした。 気持ちだって……悔しいけど、込めてしまった。
おバカナにも、デカ人間にも、たくさん協力して貰った。 そうして今、このマフラーはここにあるのだ。
そんなマフラーを。 成り行き任せに渡してしまうなんて、絶対に嫌だ。
馬鹿げた望みでも。 僅かばかりとしても。 伝わって欲しい。 ジュンに、マフラーの向こう側まで覗いてほしい。
自分は。 この場面を逃げて切り抜けなければならないのだ!
「待てよ!」
待たない! でもジュンと自分ではあまりに歩幅が違いすぎる。 どうすれば逃げられる? 焦る私の前は物置部屋。
nのフィールド! それしかない! 部屋に飛び込み、躊躇無く鏡へダイブ。 瞬間、視界一面に水と緑の大森林が広がった。
「待てったら!」
がしっ! 腕を掴まれた。 うえぇ!? 確かにジュン一人ではnのフィールドには入れない。 でも私と一緒なら話は別だ。
二人して、大きな木のてっぺんに着地。 見られる。 見られてしまう。 こんな形で。 このっ。 このぉ!
「このチビ人間! もういい加減放っとけですぅー! これが爆弾である訳あんめぇでしょーが!!」
「ぜぇ、ぜぇ……。 そんなの分かってるよ! でも、お前、泣いてたって。 放っとける訳があるか!!」
え。 胸の辺りがトクンと鳴った。 爆弾なんかじゃなくて。 私が泣いてたって言うから、追いかけた。
え。 え。 べ き っ。
え。 呆けた頭に、渇いた音。 何が起こったか認識するより早く、逃げていく重力。 二人の重みで、枝が、折れた。
落ちる。 ここはnのフィールド。 物理法則ではなく、観念が支配する世界。
本来は「上」も「下」も無く、「落ちる」というのは観念に過ぎない。 飛べると信じれば、誰もが飛べるという事でもあるのだ。
なら、飛ぼうとしなくちゃ。 分かってる。 でも。 ジュンの言葉で、私の頭は働かなくなっていて。
くらりと。 私の体は、糸が切れたように背中側から空中に投げ出された。
「翠星石!!」
!? がっしりと受け止められる感覚。 ジュン。 ジュンが私を追って、宙に跳んだ。
「う……わあああああああああああああああああああああああ!!!」
そして自由落下が始まる。 そうだ。 人間であるジュンに「飛べる」などという観念は無いのだ。
このままでは、地面に叩きつけられる。 ジュンが死んでしまう! その意識が、私の頭を現実に引き戻した。
木を生やしてクッションを作る。 普通の状態ならそれは容易い。 しかし、この速度で落下していると話は別だ。
まず間違いなく成長が追いつかない。 私の手に届く前に、力のテリトリーから外れてしまうだろう。
一瞬でいい。 一瞬だけでも、この落下を止める事ができれば……!
それは刹那の逡巡。 それでいて、永遠にも似た決断。 私は紙袋からマフラーを引き出し、木に向かって投げつけた。
ぎししっっ! 木が。 マフラーが。 世界全体が悲鳴を上げて、瞬きほどの間の静止。 私にはそれで充分だった。
「…………マフラー、だったんだな。 このサイズ。 僕に……?」
私が生やした豆の木が、地面へ向けて縮んで行く。 ジュンが、ぽつり。 手には、大きなカギ裂きが出来たマフラー。
「べっつにぃー。 失敗作だから、お前に恵んでやろうと思っただけですぅ〜。 端の方だって撚れてるし……。」
「……味があっていいじゃないか。」
「最初に作った方と後に作った方で、出来が違いすぎるし……。」
「……どっちから巻くかで、違った気分で楽しめるだろ。」
「初めて作ったから……ひっく………………着心地が、悪いかも、しれないしぃ……ひっく……。」
「………………ありがとう。 …………ごめん。」
ごめん、なんて。 その言葉に、腹が立って、腹が立って。 くるり。 目標はアゴ、勢い良く頭を振って。 ごちーん!!!
「ってえぇぇーーー!? なっ、なっ。 なーーーっ!?」
「この大ボケボケのボケ左ェ門! こんなもの何度でも作り直せるです! ……でも。 お前に、代えは、居ないですよ。」
二つに伸びてしまったマフラーが、そよ風に揺れる。 涙の粒が風にさらわれていく。
「帰ったらまたマフラーを編むです。 その次は手袋。 その次は帽子。 それなのに、お前が居なくてどうするですか。
今年の冬も、来年の春も。 そのずっとずっと先まで。 ジュンが居てくれる事が大事なのです。
必要なのは、ジュンが側に居る事なのです。 …………それだけで…………いいのですよ…………。」
「翠星石……。」
感情が、堰を切ったように溢れ出した。 それはずっと言えなかった、私のことば。
暖かな沈黙が辺りに満ちて。 時が止まったかのような、その時。 突然ジュンの指輪から、眩く煌く生命の金糸が飛び出した。
「僕とお前の合作……って事になるのかな、これは。」
気付けばそこには、カギ裂きも汚れも綺麗に消えて、元通りになったマフラーがあった。
いや、元通りではない。 私が作ったより、もっと。 一人で作ったより、もっと。 それは暖かな輝きを帯びていて。
ジュンがたどたどしい手付きで、生まれ変わったマフラーを巻いた。
「ちょっと長いな、こりゃ。 二つに折ってから巻いた方がいいか?」
そう。 裂けた部分を生命の糸が補ったせいか、マフラーはかなり長くなってしまっていた。
あんなに余っていたら、首に隙間ができてしまうだろう。 まったく一体……いや、そうか。 これで正しいのだ。
「……教えてやるです、チビ人間。 こういうマフラーは、こうやって巻くのが正解なのです。」
「えっ? おっ、おい……。」
すぽっ、と。 マフラーとジュンの間に潜り込む私。 動揺するジュンの細い肩に、素知らぬ顔で頭を預ける。
ローザミスティカがバクバクうるさいけれど。 ほら。 二人で巻けば。 ちょうどぴったり。
「……が、合作ですし。」「えぅ……っと。 そ、それもそう……か?」
ちょっぴり言い訳をしてしまった。 二人で一つのマフラーにくるまる。 それは、予想を遥かに超えて暖かくて。
「その……今日の事ですけど。 もう、無理して他所行きみたいに振舞うなです。 翠星石は。 いつものお前がいいです。」
こんな状況でも私はやっぱり私のまま。 でも、いつもよりほんの少しだけ素直なことば。
「ん……。 分かった。」
あとは、二人とも何も言わなくて。 お互いの息遣いだけが聞こえて。 気付けば、どちらからともなく見つめ合っていて。
あぁ。 ジュン。 私はゆっくりと目を閉じて。 なんて、静か。 少しずつ、ジュンと私の間が狭まっていって……。
「翠星石、無事なの!?」「いるなら返事をしてくれ!」「そろそろ寝る時間なのよ〜。」
ふぎゃあぁぁぁあああ!!? ジュンと私、二人して飛び上がる。 下の方からみんなの声。 い、いい所だったのにっ。
いや。 それより何より。 こんな所を、みんなに見られでもしたら? 想像しただけでも何処かに消えたくなる。
「あら。」「ふぁ……?」「か、解決済みみたいだね……。」「かしらかしらー。」
へ? 目線を上げれば、中空に姉妹たちが大集合。 来なくていいのに、ご丁寧にチビカナまでいる。
あぁ、そうか。 ここはnのフィールド。 飛べるなんて、観念に過ぎなくて。
ニヤリと笑って、アールデコがぽつりと一言。 これまでのリベンジを狙っていたのだろう。 その言葉を聞いた瞬間。
最後の糸もプツリとはらけ、手編み騒動に終止符を打つ、私の大絶叫が響き渡ったのだった。
「マフラー、まきますか? まきませんか? 今なら翠星石のハートがついてくるかもです……。 か し ら ! 」
− おしまい −