みーんみんみんみん……
眸をゆっくりと開く。 鞄の隙間から差し込むのは、どこか褪せた残暑の光。
「ん……。」
鞄を開いて一伸び。 思わぬ明るさに軽く眩暈。 珍しく昼まで寝過ごしてしまったらしい。
「翠星石あたりが起こしてくれそうなものだけどな……。」
お節介で世話焼きな双子の姉。 彼女を思うと自然と口元がほころんでくる。
少しずつ、頭の靄が晴れていく。 辺りに視線を巡らす。 いつもおなじみジュンくんの部屋。
でも今は誰もいない。 瞼を軽く閉じて、耳を澄ましてみる。
かすかに雛苺の笑い声。 うん、リビングだね。 スッと瞼を開く。 視界に再び光が戻る。
お泊りゲストのクセに朝寝坊か。 みんなに何て言われるかな。 くすりと笑って、階下に向かおうとした時。
何か違和感を感じた。 ……? なんだろう。 何かいつもと違うような。 うーん……あっ!
帽子が無い……! 無い、無い、無い。 昨晩床に就くまでは確かに被っていたのに。
分からない、解らない、判らない。 なんで? どうして? 今朝は何だか、何かがおかしい。
すっきりしない気持ちのまま階段を降りる。 真紅たちに聞けば何か分かるかな。
溜息を一つついて、リビングのノブをがちゃり。
ふりふりふり。 あ。 僕の帽子。
「で、カナ……僕は百円玉をたっくさん握りこんだんだけど、なぜか入れる時はすんなり入った手が抜けなかったんだよかしら〜。
あの罠を考えた人は、きっと金糸雀級の天才猟師に違いないよかしら!」
「ヒナ知ってるぅ。 それはねぇ〜、よくばって百円玉をぎゅーっとしすぎてるからなのよー。 蒼星石、意外とお馬鹿さんなのねっ。」
「うふふ。 今日の蒼星石は、何だかすこぶるアンポンタンですぅ。 でもそんな所も可愛いですぅー!」
「失礼よ貴女たち。 私たちは皆どこかしら不完全な存在。 そして蒼星石はそれが偶々おつむだった……それだけの事だわ。」
…………。
何だろう、この新手のイジメは。
僕の帽子は確かにそこにあった。 うん。 被ってる人もいるね。 うんうん。
でもそれ僕じゃないだろ!!!
金糸雀じゃん! どう見ても金糸雀じゃん!! なんで君たちごく自然に会話してるんだよォーーーーーー!!!
ばたん! 勢いに任せてリビングに闖入する僕。
「キャーーーッ! ぞぞぞ賊です! ジュン! ジュンー!」
「貴方は誰!? 私の邸内に無断で踏み入るなんて、不躾にも程があるわ! 名を名乗りなさい!」
くっ! 何だよこの反応。 悪戯にしても手の込んだ真似を……。
落ち着け僕! こんな時こそ怒りを静める呼吸法だ! ひっひっふー。 ひっひっふー。 ……よし。
「名乗れじゃないよ! 僕だよ! どう見ても蒼星石だろ! 悪ふざけは止めてくれ!」
「馬鹿も休み休み言うです! 蒼星石はちゃんとここにいるですよ! 双子の姉である私の目をたばかる事はできないですぅ!」
「そうだよかしら! 偽者は及びじゃないかしら!」
「ばーか!」
「ばーか!」
くくっ! こ、この言勢。 マジだ。 みんな大真面目に金糸雀が僕だと思い込んでいる。
知らなかった。 我が姉妹ながら、ここまで馬鹿だったとは。 そして馬鹿に馬鹿と言われる事が、ここまで腹立たしいとは……。
「「「「 かーえーれ! かーえーれ! 」」」」
……なんかもう目から切ない汁とか出てきた。 え、何? 僕のアイデンティティって帽子だけだったの?
ふ。 ふふふ。 どちくしょぉおおおーー!! 僕は泣きながらリビングから走り去った……。
「な、なんとか不届き者を撃退できたようですねぇ。 ……(クルクルピーン)。 よよよ。 ジュンー。 翠星石はとっても怖かったですぅー。」
「ちょっと! もう賊はいないじゃないの! 薔薇乙女らしく振舞いなさい!」
ばたーん! ふざけんな! なんで僕が帰らなくちゃいけないんだ。 我に策あり。 さっきのようにはいかないよ!
「ひっ! も、戻ってきたですぅー! ……って、あれ?」
「そ! 蒼星石なの!」
「蒼星石が二人いるのだわ!!」
ふっ……金糸雀敗れたり! じゃきーん! 颯爽とポーズを決める僕の頭上には、逆さになった植木鉢!
色も形も申し分なく、これで蒼星石らしさは五分と五分! ……うぅ、五分と五分……。 しくしく。
でも場が乱れた今がチャンス。 すぱん! 踏み込んで、素早く帽子を奪い返す。
「あっ! かっ……カナちゃんじゃないのぅーー!」
……呼吸法、呼吸法。 ひっひっふー。 ひっひっふー。
「ふふふふふ! バレてしまっては仕方が無いかしら! これにて作戦失敗! ごきげんようかしら〜!」
がしゃーん! 窓を突き破って逃走する金糸雀。 いやいやいや! 普通に帰れよ!
「ほ、ほら蒼星石。 たくあんあげるですぅ。 お姉ちゃんは笑った蒼星石の方が好きだな〜、です?」
「ヒナのうにゅーあげるのー。」
お昼時。 朝方の珍事をとりなすかのように皆が優しい。 ふふふ。 なめんなよ。
こんな事くらいで、僕は君達の薄情さを忘れたりはしないからね……。
一人暗い笑みを浮かべていると、目の前にひょっこり雛苺。 眉根を寄せて、首を傾げて。 不安そうに聞いてきた。
「うにゅー嫌い?」
……。 まずは溜息。 それから笑顔。 そしたら、うん。 いつもの蒼星石に元通り。
「ありがとう雛苺。 じゃあ、僕のおかずと交換こしようか。」
「ほんと? 蒼星石大好きなのー!」
ようやく空気が和み出した。 そうだね。 やっぱりこうでなくちゃ。
「あらぁ〜、雛ちゃん蒼星石ちゃんとおかず取替えっこしたのぅ? 良かったねぇ〜。」
「蒼星石のくれたおかず、すっごく美味しいの〜。」
それ。。は。。。。 よかっ。。。。。。
「ほぎゃあああ! ちちチビヒナ! 何食べてるですか! それは蒼星石のローザミスティカですぅーーーーー!!!」
「う、うよえ゛ぇーーーー!!?? …………あっ。」
「なっ、なんだ? どうした雛苺!」
「…………飲んじゃったの。」
「「「「 なんですとぉーーーー!!??? 」」」」
「ちょ、ちょっと! 飲んじゃったじゃ済まないのだわ! 早く吐き出しなさい!!」
「かっ、かっ、カニみたいに蒼星石が泡吹いてるですぅー! もう手遅れですぅーーー!」
「はわわわわわ…………え、えーいなの!!」
ばこん!!! ……。 しーん。
「あ、泡が止んだ? でもローザミスティカは確かにおチビが……。 一体何を突っ込んだですかチビチビ?」
「うにゅー。」
「とどめ刺してどうするですぅーーー!」
「ぅぅぅ……酷い目に遭った……。」
「生き返ったですぅーーーーーー!!??」
「まさか苺大福で代用できるなんて……私たちの仕組みは存外いい加減だったのだわ……。」
「ホント一時はどうなる事かと思ったですぅ。」
「……いや、今も充分どうした事かと思ってるんだけど……。」
午後3時。 いつも通りのティータイム。 なんでいつも通りなんだよ。
薔薇乙女から雪苺娘(仮)にクラスチェンジした僕の身にもなってくれよ……。
「うゅ〜。 でも、蒼星石なんだか前より素敵になったのよ。
ヒナ、今の蒼星石を見てると胸がドキドキするの。 これが恋とゆうものなのねー……。」
「……いや、たぶん食欲だと思うよそれ……。」
歩く苺大福になってしまった僕は雛苺を惹き付けるフェロモンを放出しまくっているようだ。 うぅ、ギラギラお目々とヨダレが怖い……。
「でもまぁ良かったじゃないか蒼星石。 これでようやく女の子らしい個性ができたんだからな。」
ジュン君の無神経な一言。 どっ! なぜかリビングが笑い声に包まれる。 ぶっ殺すぞ。
夜の帳が降りてきた。 一頃と比べると、めっきり日が暮れるのが早くなった。
マスターお元気ですか? しばらく会わない内に、僕は不○家無しには生きられない体になってしまいました。
ちらりと時計を見やる。 時刻は午後6時半。 いつもならとっくに夕食なのに、今日は未だにお呼びが掛からない。
今日はもう何から何までおかしいよ……。 半ば諦念にも似た気持ちでリビングのドアに手をかける。
「ふぅん……これが花丸ハンバーグって奴ぅ? あなた、人間にしてはやるじゃなぁい。」
「うふっ。 そんなに喜んでくれると、お料理を頑張った甲斐があるわぁ〜。」
ドアを開ければ、もうみんなとっくに食事中で。 僕の席には、植木鉢を被った水銀燈。
……。 おおお落ち着け僕! いいい怒りを! 静める!! 呼吸法ゥォォオオオオオオ!!!
「やぁ皆さん……。 美味しそうなものを食べてらっしゃいますねェ……。」
僕の声で、みんなの視線が戸口に集中する。 またこのパターンかよ……。
「ああっ!」
「貴女は!!」
「水銀燈!!!!」
「何 で だ よ !!!!!!」
そんなとこでパターン変えなくていいよ!!
「フッ……足りないおつむで頑張ったのでしょうけど、所詮はジャンク、浅はかね。
そんな植木鉢を被って蒼星石のフリをしようだなんて、私たちを馬鹿にするにも程があるのだわ!」
「現在進行形で馬鹿だろが!!!!」
「ふぅ……お生憎ですけど、今の私たちをたばかる事なんて不可能なのです。 チビチビ!」
「うぃっさー!」
ぴょこんと雛苺が飛びついてくる。 ? あ、そっか。 今の僕は雪苺娘(仮)。 雛苺なら一目瞭然ってわけだ。
「という事は…………。 た、たばかったですね!! 戸口にいる方が本物の蒼星石ですぅー!!」
「な、なんですって!?」
……。 ひっひっふー。 ひっひっふー。 ぬぐうぁぁああああ! この呼吸法ダメだよ! 全然役に立たないよ!
「うふふ……。 今頃になって気付くなんて、揃いも揃ってとぉんだお馬鹿さんたちぃ。
おかげでエネルギーもたっぷり補充できたしぃ。 今からお礼をしてあげるわぁ!!」
うわわ! 水銀燈の羽根が炎となり、辺り一面に降り注ぐ。
久し振りに?まともな食事にありついたからか、その威力は従来の彼女とは比較にならない。
「ローズテイル!」
「苺わだち!」
「庭師の鋏!」
「無駄! 無駄!! 無駄よッ!!!」
っっ。 強い! 前から規格外とは思っていたけど、まさかたった一人で四人のローゼンメイデンを圧倒するなんて。
「あっ……。」
! 翠星石がバランスを崩した。 今の水銀燈がそれを見逃すはずもなく。
やっ、やめろぉぉおおおおお!!!
「なぁんて……引っ掛かったですね!」
「なっ!?」
えっ。 見れば翠星石はさらりと突進をいなし、勢い余った水銀燈はツタの中に突っ込む形に。 上手い。 フェイクだったのか!
そして翠星石を助けようと駆け寄っていた僕は、今まさに水銀燈の真後ろ。 ベストポジション!
「ふっ、水銀燈……蒼星石に背中を取られたのが貴女の最大の失敗ね! 『絆メガンテ』で粉微塵になるといいのだわ!!!」
「で き る か ア ホ !!!!!!」
できたとしても絶対にやらん! おのれ、僕を粉末にしてまで勝とうとするとは……。
「くっ、千載一遇のチャンスですのに……! まさか蒼星石のエムピーが尽きていたなんて……!」
「そういう問題じゃない!!!」
エムピーって言い方が殊更に僕をムカつかせる。 なんでメガンテ前提で話を進めるんだよ!
この躊躇が仇になった。 素早く身を翻した水銀燈の刃は。 構える暇も与えずに、寸分違わず僕のクビ。 を。
「そっ…………蒼星石ぃーーーーーー!」
「あらぁ、ごめんなさいねぇ、蒼星石? 首まで落とすつもりは無かったんだけど。
でも安心してちょうだぁい。 貴女のローザミスティカ。 私が貰ってあ・げ・る・か・ら。」
あーん。 ぱく。
「あぁん、甘ぁ〜い。 ふふふ、すごぉい。 力が溢れて…………溢れて………………来ないわね。」
「そりゃ、苺大福食っただけだからな……。」
「……ふっふっふっ。 甘かったわね水銀燈ちゃん!(物理的に) 今度はこっちの番よぅ! 見なさい!」
「!? 人間? 何を……ッ!?」
「蒼星石ちゃん! 新しい顔よぉおおうーーー!!!」
「何ですってぇぇぇぇえええええ!!??」
ばひゅーん。 がっしぃぃぃぃぃぃぃぃん!!
……うっ。 生きてる。 僕は生きてる。 助かった、のか?
ぼんやり戻ってきた視界には、顔をくしゃくしゃにして泣き腫らす翠星石が見えた。
「蒼星石! ひ〜ん、良かったですぅ! のりが新しい顔を作っておいてくれたんですぅー!」
何だって? 流石はジュンくんのお姉さん。 彼女にそんなマエストロ級の技術があったなんて。
驚嘆の気持ちで鏡を覗き込み、新しい顔を確かめる僕。
餃子だった。
「ふぅー。 カナちゃんが来た時のために沢山作っておいて良かったわぁ〜。」
「お手柄ね、のり。」
「ヒナ、どうしようもなく蒼星石にゾッコンLOVE♥なのぉー!」
餃子に涙腺は無く、僕はもう涙すら出なかった。
「これで分かって、水銀燈? 結局最後にものを言うのは、人とドールの絆の強さなのだわ!」
「うっ……な、何よ何よ何よぉッ! 私は一人でも……ッ!」
「水銀燈!!!」
声のした方に目をやると、長い黒髪を振り乱した少女が立っていた。
「めぐ!? 何でここに!?」
「水臭いわよ水銀燈。 この命、あなたにあげるって言ったでしょ?」
そう言い終わるや否や。 少女の体はどこか優しく、どこか悲しい、淡い光を放ち始めた。
「!? めぐ、駄目よ! 早まっちゃ駄目!!」
水銀燈のこんな声、初めて聞いた。 儚げなその光の中で。 水銀燈の叫びに、少女は微かに笑ったように見えた。
「絆 メ ガ ン テ !!!」
「できるのかよぉぉぉぉぉぉォォォーーーっ!!!!!」
閃光が辺りを包み、桜田家のリビングは木っ端微塵に吹き飛んだ……。
。。。。。。 あ、どうも。 おなじみニラ乙女第4ドール・蒼星石(全治3ヶ月)でっす。
え、他のみんな? 無傷ですよ。 なんか絆マホカンタがどうとか言ってたけど、そんな事より早く体治してあいつらシバきたいなぁ。
水銀燈とそのマスターは全治1ヶ月だそうで。 体が丈夫な人は羨ましいですね。
とかなんとか考えてたら、みんながガヤガヤお見舞いにやってきた。 無傷で。
「よく眠っているようね……いい、貴女たち? 確かに蒼星石は体は大福、頭脳は餃子のへっぴりコナン君になってしまった。
でも、ジャンクにだってプライドはあるのよ。 彼女が起きたら、どちらかと言うと外見を褒め称える方向で行くわよ。」
「うーっす。」「きーね。」「もーっち。」「きなぁーこ。」
「聞こえてんだよ!!!」
うっ、いかん、傷口が……。 思わず呻くと、目の前にひょっこり雛苺。
「あのね、あのね、今日は蒼星石のローザミスティカを返しに来たのよ。」
「えっ……。」
そうだ、ローザミスティカ。 あれさえあれば僕も薔薇乙女に戻れる。
薔薇乙女に戻れば、ジュンくんの力で頭を取り付けて貰えるのではないだろうか。
「あっ、ありがとう雛苺……。」
軋む体を必死で起こし、雛苺に手を差し伸べる。 瞬間。 眉根を寄せて、一歩退がって。 雛苺はのたまった。
「くさっ!」
…………。 どっ。 途端に病室が笑い声に包まれる。
和やかな空気に包まれながら、僕は心の底からこいつらをアリスにさせてはいけないと感じひっひっふー。
- やるせなく完 -