「ジュン、お茶がぬるいわ。淹れなおして頂戴。」
「うるさいな。茶位いい加減自分で淹れろ。それとも何か?茶でさえ淹れられないとでも・・・んべ!」
「口の聞き方がなってない下僕ね。早く淹れなさい。」
「やっぱり図星じゃ・・・べふぅ!」
何時ものように真紅がジュンに命令し、口答えしたジュンに真紅の制裁が加えられる。
もはや桜田家にとっては何の変哲も無い平凡な光景。しかし、その日は少し違っていた。
ジュンと真紅のやり取りを監視する何者かの姿があったからである。
「す・・・凄い物を見てしまった・・・。桜田・・・お前はそこまで追い詰められていたのか?」
その男の名は梅岡。ジュンの学校の担任教師である。梅岡はジュンのヒキコモリを治そうと
努力していた。その為に桜田家をこっそりと観察して機を伺っていたのである。
殆ど犯罪では?とも思われたが、ジュンのヒキコモリを治す事で頭が一杯の梅岡には
その問題は全く考えていなかった。
「何と言う事だ。桜田は引きこもり続けた挙句、フランス人形と話をするようになってしまったなんて・・・
しかもあんな主従関係の演技までして・・・うう。一体何がお前をそこまで変えてしまったんだ。」
どうやら梅岡にはジュンと真紅のやりとりが、ジュンが一人でお人形さんごっこをやっていると
映った様である。そしてフランス人形と呼んだのは、まあ素人から見て西洋人形=フランス人形の
図式がある為であろう。
「このままでは桜田は本当にダメになってしまう。引きこもって話し相手がいないからって
何もフランス人形を相手にするなんて・・・。だが自分に何が出来る? ・・・はっ!」
その時梅岡に良いアイディアが浮かんだ。
「これだ!今の桜田を何とかするにはこれしかない!」
数日後、梅岡が桜田家に家庭訪問にやってきた。
「やあ桜田。元気で何よりだ。」
「あ・・・あ・・・。」
ジュンは蛇に睨まれた蛙のような顔をしていた。しかし、梅岡に対してではない。
確かにジュンにとって梅岡の存在は恐怖以外の何者でもない。だが、それさえ気にならなくなる程の
恐怖が、梅岡の肩に乗っていたのだ。
「ああこれかい?これは先生のお友達のウメウメ君だよ。」
『ヤア僕ノ名前ハウメウメ。ヨロシクネ。』
「う・・・あ・・・ああ・・・。」
これこそ梅岡が取った戦略だった。何事も相手の気持ちになって考えるのは大切な事である。
故に梅岡は人形を買い、腹話術をする事でジュンの気持ちを考え、上手くいけばそこを
きっかけにしてジュンと話をし、そこからヒキコモリを治せないか?と考えたのである。
『ジュン君。ドウシタンダイ?』
「ああ・・・ああ・・・。」
ジュンは恐怖に引きつった顔で後ずさりしていた。梅岡が取った人形作戦、確かにそのアイディアは
悪くなかった。だが、それは今のジュンにとって逆効果だった。
梅岡の腹話術が泣きたくなる程下手と言う問題もある。だが、それ以上にこのウメウメ君と
名付けられた人形があまりにもキモかったのである。その人形の造型はどう見ても
日本人好みじゃない外国製で、誰が見ても不気味としか言い様の無い妙なリアルさを持っていた。
確かにジュンが普段接している薔薇乙女達もリアルと言えばリアルなドールなのだが、
あまり不気味さは感じられないし、その存在自体ジュンは慣れてしまっている為に問題は無い。
だが、このウメウメ君は余りにも不気味で怖かった。そして・・・
「う・・・うぇぇぇぇぇぇぇ!!」
ジュンは吐いてしまった。こうして梅岡の作戦はあえなく失敗に終わったのだった。
「やっぱり今日もダメだった。だが、何時の日か桜田のヒキコモリを治して見せるぞ。」
『ウン!僕モ頑張ルヨ!』
帰路の途中でも腹話術をする梅岡。その光景は他の通行人さえ引く程の異様さであったが、
数年後、梅岡は「腹話術先生」と呼ばれ、県内にその名を轟かせる事になる。
だが、それはまた別のお話である。