霊の戦も人間の戦のようにむごたらしい
だが正義の夢はただ「神」の喜びだ
アルチュール・ランボー「地獄の季節」より
それは、彼女達が自我に目覚め、人間を脅かす存在となった時に発動する「絶滅プログラム」だった
昔々、ローゼンという若い気の触れた人形師が居た
ある日、彼は半可な錬金術のまぐれ当たりで「命を宿す石」を作り出した
また科学と錬金術の境目が曖昧だった当時、それは稀に起こりうる現象だった
その「命を宿す石」は例外無く、突然変異の宿命であるほんの僅かな時間の命しか持たなかった
すでに何度かの同様の現象を体験していたローゼンは狂気に憑かれ、その命宿る石を叩き割った
石は7つのカケラに別れた
7つのカケラはそれぞれが命を持ち、互いに向け、外に向け、各々が望む方向へ動き始めた
単なる突然変異だった命宿る石はその時、生ける物の営みを手に入れ、「生物」となった
ローゼンは1個の石から生まれた7体の生物に人形の体を与え、7人の命宿る人形を創り出した
そのカケラに命を与えられた人形は、ひとつの石に戻ろうとした、破片はひとつになる事を望んだ
カケラ達がひとつになろうとする間は、ひとつになる日が来るまでは、カケラ達は動きつづける
その後、永い長い時が流れ、命宿る人形達はいまだにひとつになるための営みを続けていた
ひとつになるために思考の能力を得たカケラ達は「伝説」や「お父さまの望み」を勝手に作りあげ
ギザギザなカケラの破断面を他のカケラで埋めるために、ひとつになるための戦いを続けていた
若い気の触れた人形師ローゼンは、愛おしい娘達が動き出し、言葉を話したことにとても満足した
彼女達がどこから来てどこへ行くのか、それに思いを馳せる事は彼の気の触れた頭には望めなかった
いつかカケラがひとつになる時まで、生ける者の形を捨て、短命な突然変異の石ころに戻る瞬間まで
7つのカケラが織り成す営みは紡がれていく
僕の部屋、誰も居ないのか?・・・ベッドから足だけが見える雛苺、階段の下の真紅と翠星石
僕は翠星石と雛苺のケンカ、たかがショートケーキのイチゴをめぐるケンカに巻き込まれ
なりゆきで彼女達を仲裁する事になってしまった、当然、そんな面倒な事をする気はサラサラない
こいつらに居候されただけで厄介なのに、その上つまらん姉妹ケンカまで始められても困るってもんだ
最初に僕の部屋のベッドの中でふくれてた雛苺は、部屋の隅にダンボールのピケを作り篭城した
雛苺と翠星石の諍い、とばっりちりはゴメンだ、こいつらの揉め事に係った所で何の得にもならない
そのうち、雛のバリケードからミニカーが飛んできた、傷つきペンキが剥げたデル・プラドのミニカー
どーせ一個数十円見当で一山落札した代物だし、僕だってムカついた時は投げたりする
甘く考えてた僕は、自分の額に当たった三菱ギャランE39Aを見て青ざめた、精密な1/48モデル
オートアートの国産旧車シリーズ、人気車種はオクでも業者から買えば一個2Kは下らない
続いて飛んできたホットウィールを辛うじてキャッチした横でエクゾトが壁に当たりイヤな音を発てる
未開封で再出品する予定だったエブロとブラーゴとビデスが一瞬のうちに傷有のノー・クレーム品と化す
フランクリン・ミントとイクソが壁の餌食になった頃には、僕は怒鳴るより泣き声を上げていた
雛苺がどういう能力を使ったのか、一番厳重に保管してたトミカのコスモを掴んでるのを見て凍りつく
「ヒナ・・・たのむ・・・それだけはァ〜〜・・・・イヤぁ!・・・やめでェ〜〜〜!・・・ら、らめぇ!」
コスモスポーツ「MATカー」白地に赤いストライプが塗装された希少なトミカが壁に叩き付けられた
「もう二度と出ない美品」という言葉に釣られ落札したMATカーから、赤いストライプが剥がれ落ちる
白無地のコスモより希少なMAT塗装、無地に極薄シールを蒸着した「偽MATカー」が出回ってるとか
「あの転売屋・・・騙しやがった・・・・」
僕は雛苺と翠星石の紛争、ケーキの苺を引き金に勃発した仁義なき戦いに介入することを決めた
僕と雛苺は部屋の中に居た
階段を挟んだ泥仕合、僕らは階段の上に築いた前線基地から後退し、部屋の中に引っ込んだ
翠星石も階段の下に陣地を据え、消極的ながら翠星石に与してる真紅と何やらひそひそ話をしている
鞄人質、騒音攻撃、真実のワニ、冷蔵庫占拠、くんくん作戦、最後はガラクタの投げ合いになった
お互いに手詰まりになって膠着状態、向こうは疲労し、消耗していた、僕と雛はもっとツラい
こんな所で水銀燈にでもカチ込みをかけられたら・・・と思った頃合に、デスクトップに異変が起きた
通常の異変を表す青バックじゃない、黒バック、ctrl+Alt+deleteでも復旧してくれない異変
ディスプレイが黒い羽根を撒きちらすなんてエラーはwindowsのヘルプには絶対載ってないだろう
ローゼン・メイデンの黒い第一ドールがやってきた、最悪のタイミングで最悪の奴がやってきた
「何してるのぉ?楽しそうじゃなぁい、私もまぜてぇ〜」
「お前こそ何なんだ!よりによってこんな時によぉ・・・勝手に入るな、出てけ!出てけ!」
手に持ってた物を投げつけようとした、それがミニカーだと気づき、上げた手を下ろせぬまま固まる
泣き疲れ腹を空かせた雛苺は乱入してきた水銀燈を見ても何の反応もせず、部屋の隅に蹲っている
水銀燈はしゃがみこんで涙ぐむ雛苺を見て少し眉をひそめ、無遠慮に僕の部屋をずかずかと歩き回ると
戸口に立ち、部屋のドアからサっと目を出して、階段の下で悪巧みの相談をする真紅と翠星石を見た
「なるほど・・・ね」
水銀燈は訳知り顔で頷くと、僕に笑いかけた、友好の意思なんか羽根ひとつほども感じない笑顔
詰問するような笑顔で僕を追い詰める、僕は何も悪くない、でも水銀燈はそれで納得する顔をしていない
「・・・アイツラで勝手に遊んでるだけだ!独りぼっちの君にはわからない事だろうけど」
水銀燈の表情が変わった、それまでのニヤけた顔をクっと引き締め、斬るような目つきで僕を見る
「人間・・・翠星石と雛苺、誰よりも争いを嫌う二人が争っている、その意味がわからないなら
あなたにマスターの資格は無いわ、今すぐその指を切り落とし、指輪を返上しなさい!」
水銀燈は返答に詰まる僕に愛想を尽かしたように背を向けると、雛苺の前にしゃがみこんだ
話す前に、話を聞く前に、まず小さな雛苺と同じ目線で向かい合った・・・僕は・・・雛も翠も見下していた
「さっ雛苺、わたしに話しなさい、誰も聞いてくれなくって辛かったでしょ?わたしは聞いたげる」
雛苺は今まで水銀燈に数え切れないほどひどい目に遭ってる、苺どころでない物を何度も奪われかけた
ヒナは水銀燈に全てを話した、誰も聞いてくれない話を、誰でもいいから聞いて欲しかったんだろう
もとより二人のケンカなんてどうでもよかったが、僕の部屋で桟敷の外に置かれた気分ってのは不快だ
「しっかしコイツラもガキだよな、ケーキのイチゴぐらいで、大体コイツラは食い意地張りすぎ」
水銀燈が僕を見る、さっきより優しい目つき、幼い雛苺に説いて聞かせるような口調はさっきより腹立つ
「人間・・・雛苺が怒っているのは、苺一つのことじゃないわ、雛は戦ってるの、自分の居場所のために」
貴方には縁のない事、と目が言っていた、口に出して言わない水銀燈が大嫌いだ、さっさと続きを話せ
「で・・・翠星石と雛苺、そして真紅を守るマスターたるアナタは今まで何をしていたのかしら・・・?」
僕はさっき翠星石に仕掛けた「真実のワニ」について話した、水銀燈はケラケラと笑いながら首を振り
「アハハっ、逆効果よぉ、外から有無をいわさず押さえれば、あのコがどうなるか判ってるでしょ?」
「じゃ、じゃあ、どうすればいいってんだよ!」
水銀燈は僕が苛立つ様を楽しむようなズルい笑顔で 顎のあたりに手を添え、部屋の中を歩き回りながら
「そうねぇ・・・ここで私があのコらをとっちめても馬鹿みたいだし・・・『芝居』てのはどうかしら?」
「芝居?」
「まぁ・・・ここはわたしに預けてみない?悪いようにはしないわ」
『悪いようにしない』と言った奴がいいようにした試しはない、水銀燈は僕に背を向け雛苺と向かい合う
僕はなぜかこの嘘つきで素行不良な黒いドールのちっぽけな背中にすべて委ねようと思った
水銀燈は雛苺の前に再び蹲った、目を合わせるべきか迷う雛苺の震える瞳を、ただまっすぐ見つめる
「雛苺、聞いて・・・アナタ・・・戦える?自分が正しいと信じた物のために・・・倒れるまで戦える?」
雛苺は立ち上がり両手をバタつかせ、涙ながらに水銀燈に訴えた、髪を飾る桃色のリボンが怒りに震える
「ヒナたたかう!翠星石はこわいけど、ヒナわるくないもん!翠星石がヒナのいちごをとったんだもん!
ヒナのたいせつなもの、とられてがまんするくらいなら、ヒナ・・・こわれちゃったほうがましなの!」
「いいコね、じゃあコレは出来るかしら?雛苺には少し難しいかもしれないけど、アナタ・・・許せる?
一番大切な物を失わないために、我慢出来ない事を我慢して、許せない相手を・・・許せる?」
雛苺は下を向いた、黙って俯く雛苺の下の床にいくつもの滴りが落ちる、雛苺は自分の涙と戦っていた
水銀燈は雛苺が自分で顔を上げるまで、自分の答えを出すまで、ただ黙って待った、ずっと見つめ続けた
やがて雛苺は再び顔を上げた、緑の瞳からはもう涙は落ちてこない、ヒナは歯の間から言葉を押し出した
「ヒナ・・・ゆるすの・・・ヒナのいちごをとった翠星石はゆるせない・・・ヒナのばしょをとったから・・・
みんなゆるせない・・・でも・・・ゆるすの・・・・・・・・だって・・・翠星石も・・・ヒナのだいじなばしょだから・・・
ヒナ・・・ゆるすの・・・ゆるすためにたたかうの・・・みんなだいじだから・・・たたかわないと・・・まもれない」
「うン!それを忘れなければいいわ、じゃあ後はこの水銀燈に、アナタのお姉ちゃんに任せなさい!」
悔しいけどヒナは僕より前を歩いてる、幼い雛苺は傷つきながら自分に絡みつくイバラを切ろうとしてる
水銀燈は颯爽とドアを開け、階段の上、雛の作ったバリケードに仁王立ちした、翠星石と真紅を睨む
突然の客演者に階段の下の翠星石が凍りついた、ヘタレの翠は足を震わせ、目を泳がせて真紅の方を伺う
我関せずとポッキーのチョコを丁寧に舐めとっていた真紅の口から涎まみれのポッキーがぶらさがった
真紅はヘッドドレスの影から片目で覗き、「わたしにはなんの係りあいも無いことなのだわ」と呟くと
チョコの剥げたポッキーを咥え直し、近くに置いたぬいぐるみに向けてポッキーを吹き飛ばした
さっきまで真紅が体をすりつけて愛撫してたくんくんの額に、真紅が吹き飛ばしたポッキーが刺さる
もう小手先の策を弄しても通じない、無関心を装った真紅もまた戦っていた、心を剥き出しにしていた
水銀燈はバリケードの上でたっぷりと時間をかけて真紅と翠星石を睨みつけ、首を回して見得を切る
「なななな何しにきたですかぁ!やるんなら相手になるです!かかって来いです!来ないなら・・・」
「黙 り な さ ぁ い !」
階段を揺るがす水銀燈の叫び、ケタ違いの声量に翠星石は台詞の途中で「ひいっ!」と飛び上がった
人と人がぶつかり合う言葉の重さは、内容より声のデカさで決まることがよくある
「やいやい!下郎な人形風情ども!この水銀燈様が通りがかりに話は聞かせてもらった
貴様ら誇り高き薔薇乙女の風上にも置けぬ外道っぷり、義により成敗いたしてくれる!」
ここで再び大きく見得を切った水銀燈は、突然、階段の最上段で体をくねらせて悶え始めた
「あッ・・・こんな時に差し込みが・・・無念、水銀燈、斬った張ったのこの稼業
まさか昼飯の海老天に斬られるとは、口惜しやぁ!」
やはりたっぷりと時間をかけて階段の上で呻き、爪先で階段の縁を探り、そして体を投げ出した
ごろん!ごろん!ごろん!
水銀燈は階段の上段から一気に転げ落ちた、ひとのサイズ、ドールにとってはかなり大きい階段に
何度も叩き付けられる、階段の中途でゴキっというイヤな音を発てて止まり、そのまま動かなくなった
それまで水銀燈への敵意と恐れでカッカしてた翠星石と真紅の顔から、一瞬で血の気が引いた
読書をしていた真紅、仁王立ちで突っ張ってた翠星石、芝居だと知っている雛苺までもが
階段の中途で呻く水銀燈を皆が案じた、アリスゲームを巡って、ケーキの苺を巡って
複雑な破線を描きヒビ割れていたローゼン・メイデンの姉妹達が、いまひとつになった
「銀ちゃぁ〜ん!!!」
階段の水銀燈、首を変な方向にネジ曲げ、手や足がありえない方向に折れ曲がった水銀燈
僕は水銀燈の身を案じ、階段から身を乗り出した、姉妹達は立ち尽くしている、僕が今助けてやる
水銀燈の片目、僕だけに見える位置の左眼がぐるんと動き、僕に目を合わせると、ウインクをした
そして僕にしか見えない角度で左手を持ち上げると、片目で僕を見ながら手を左右に動かす
「ハケて!ハケて!」ってことか?・・・この場の主役は薔薇乙女達、僕は階段の下手、部屋に引っ込んだ
はじめに真紅、そして雛苺、翠星石、どこに隠れてたんだが蒼星石や金糸雀、薔薇水晶までが現れ
皆で水銀燈に駆け寄った、水銀燈は部屋の戸口から様子を伺う僕を再び見ると、また手を動かす
「シメて!シメて!」か・・・僕は満を持して戸口から姿を現し、誇り高き薔薇乙女達に訴えた
「水銀燈・・・・そして皆・・・・・・・きみたちは・・・・・・・きっと・・・・・・」
水銀燈の手が再び動く、左手を小刻みに回してる、「まいて!まいて!」って事なので、僕は早口で叫ぶ
「きみたちはきっとアリスになれる、アリスゲームだけが道じゃない、きっとひとつに・・・なれる」
一つになることを望み、その進化の過程を絶滅へと突っ走っていたドール達が、今ひとつになった
別々のまま、カケラのまま、7人のローゼン・メイデン達はひとつになることを望んだ
石ころをひとつにしなくとも、心をひとつにすれば、破片の断面はきっと満たされる
ひとつひとつのまま、ひとつになれる、ひとつに戻ることなくひとつになれる
気の触れた人形師ローゼンが作った誇り高き薔薇乙女達は、未来を見つけられるかもしれない
水銀燈の手が上下に動いた 「閉幕!閉幕!」
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♪・・・ 虹の都 光の港 キネマの天地 花の姿 春の匂い あふるるところ
カメラの目に映る かりそめの恋にさえ 青春燃ゆる 生命は踊る キネマの天地 ・・・
ではまた
吝嗇