こくり。 アッサムを一口味わい、傍らの本を閉じて嘆息。
なんて穏やかな午後。
静かに時を刻む針の音だけが、私とうつつを繋いでいるよう。
窓の外に目をやれば、青く済んだ空が柔らかな光を投げかける。
とても清か。 とても静か。 日ごろ机の前に陣取っている少年も、今はいない。
ジュンはどうしているかしら。
いつも来て貰ってばかりでは悪いからと、今日は彼の方から巴に会いに行った。
いえ……会いに行かされた。
のりに根負けした時の悪態を思い出して、自然に微笑がこぼれる。
いつか。 いつか、私が永い眠りにつくとしても。
この記憶が癒してくれるでしょう。 この想いが暖めてくれるでしょう。
ひとりでいても、ひとりではない。
時を渡し、夢を渡し。 私を明日へと歩ませてくれるでしょう。
それは、なんて幸せで、優しいこと。
気付けば、窓から差し込む日が低くなっている。
うとうとしていたかもしれない。 でもまだ、私はひとり。
ゆっくりと背を傾けていき、ぽふん、と床に寝転がった。
……少し、はしたないかしら。
でも、今日はひとりだもの。 このくらい、いいわよね。
何を見るでもなく、漫然と部屋に目を巡らす。
今ごろは雛苺も、翠星石も、待ち人との逢瀬を楽しんでいるのかしら。
くすり。
いやね。 逢瀬だなんて、大袈裟な。
らしからぬ言の端に、自分で自分がおかしくなる。
家に一人きりという事実が、少しだけ私を大胆にさせていた。
だからだろうか。 頭に浮かんだ悪戯っ気を、打ち消すでもなく受け容れたのは。
……あった。 ここね……。
目の前に置かれた黒い箱。 探り当てたその一部を押すと、箱が低く唸りはじめる。
これはピー・シー。 パーソナル・コンピューターというものだ。
そう。 私も、してみようと思ったのだ。
ジュンがいつも夢中になっている、「インターネット」というものを……。
目覚めの声と共に、ピー・シーが映像を映し出す。 いい子ね。
あれは雛苺がここに来てすぐの頃だったかしら。 水銀燈はこの子の中から現れた。
それは魂を宿すものの証。 この子もまた生きている。 闘っている。
ふわり。 微笑むと、心の中で語りかける。
突然起こしてしまって御免なさいね。 でも、ジュンに仕えるという事は私に仕えるのと同じ。
いい? 今日の事は私と貴方の秘密。 ジュンに教えては駄目よ。
応えるように起動音。 素直な子。
この子の扱い方は、ジュンを観察していた過程で熟知したと言ってもいい。
本、人、心。 知識は知恵へ、経験は直感へ。 いつしか私は時の川をたゆたうレクシコンとなる。
インターネット・エクスプローラ。 これを素早く2回押して……。
かち、かち。 確かな手応えと共に、渇いた音が主無き部屋に響く。
私は「インターネット」を満喫していた。
凄い。 なんと凄いのだろう。 まるで知識の世界樹。 これこそ本当のレクシコンだわ。
キーワードを尋ねただけで、無数の情報が返される。 紅茶、ドレス、くんくん……あらゆる答えがそこに、在る。
なんて魔法。 なんて不思議。 なんて素敵。
お茶も忘れて、埋没。 ふと顔を上げれば、空は朱に染まり始めていた。 でもまだ、私はひとり。
夢のような一時だけれど……少し、疲れてしまった。 私はこれで最後にしようと、その言葉を入力した。
___________ ___
| R o z e n M a i d e n | | 検索 |
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「ありがとう桜田くん。 私、パソコンの事なんて全然分からなくて……。」
「いいよ。 ……よし、セキュリティもオーケー、と。 ほら。 もう使えるから。」
すやすやと眠る雛苺の髪に、そっと手櫛を入れる。
桜田くんが来てくれてよかった。
パソコンを買ってから半月。 ようやく使える時が来たのだ。
私の家は古風だ。 電話は未だに黒電話。 パソコンともなれば、もう完全に別世界。
少しでも文明の火を入れようと、購入したはいいけれど。
買ったのは格安の中古。 大型電気店で売っているような、最初から何もかもお膳立てされたものではなくて。
情けない事に、家族の中の誰ひとり、動かし方が分からなかったのだ。
桜田くんが気にするだろうから、誰が動かしてくれたのか、家のみんなには内緒にするつもり。
……でも。 なんだかくすぐったいな。 大きくなって、疎遠になって。 桜田くんは「男子」になって。 私は「女子」になって。
この間まで、話もしなかったのに。 いま、私達はおんなじ「秘密」を抱える仲。
あなたのおかげね。 微笑って、眠る雛苺のほほをつつく。 ふにっ。
「……でさ。 真紅が動かなくなった時、ヒントになったのがこのサイトで……」
いけない。 考え事にかまけて、桜田くんの話を聞き流してたみたい。
話を把握しようと、慌てて意識を集中する。 今話しているのは、どうやらインターネット掲示板の話題。
真紅が動かなくなってしまった時に、桜田くんはインターネットで色々調べたらしい。
……楽な事じゃ無かったろうな。 モニターをぼんやり見つめる。
ローゼンメイデンは幻のドール。 その実態を知っている人なんて、世界にほんの一握り。
> 462 : 銀様最高! あの目、あの足、あの背中……(;´Д`),、ァハァハァ/、ァ/ヽァ/ヽァ
> 463 : 翠星石と一日中ストロベり隊
> 464 : ウホッ!いい罵声。 OK、こみ上げてきた。 ちょっと荒縄買ってくる ノシ
………のはずだったんだけど。 …………何これ…………。
「……あの……桜田くん…………」
「凄いだろ? みんなローゼンメイデンにやたらと詳しい人ばっかりなんだ。 いやぁ、やっぱりインターネットは頼りになるよ。」
なんで嬉しそうなのよ。 喉まで出かけた言葉をぐっと飲み込み、再び画面に目を移す。
> 465 : 今日も死ぬほど乳酸菌を摂取した。 いずれこの身も乳酸菌となり、銀様の一部にして頂けるだろう。
> 466 : カカカナのおデコでままままさちゅーせっちゅーしてぇぇええぇ
> 467 : イッチゴッアジノォスッパゲッチィ〜♪ウォォ〜アンマァエアウェァ〜♪クハッ!キャハ!ケヘァ! カハァ!
くらり。 なによ、この病人の群れは……。
「か、柏葉!? どうしたんだ、大丈夫か?」
へたり込んだ私をいっちょまえに心配する変質者(故・桜田くん)。 妊娠するから話しかけないでくれる?
そんな私の内心など知る由も無く、変態の解説は続く。
「この掲示板は凄く流れが速いんだ。 ほとんどチャット状態だから、見てる分にも面白いってわけ。」
ハァ、面白い。 これが面白い、と。 そうね。 あるイミ面白いね、ほんと。
適当に話を合わせる振りをしながら、私はこのよく分からない炭素化合物に帰ってもらう理由を考え始めた。
……それにしても、本当に頭が痛くなる文面だわ……。 思いつつ、なんとはなしに雛苺に触れたレスポンスをチェックする私。
この子を穢すような書き込みがあったら許さないんだから!
と意気込んだものの、度を過ぎた内容のものは無さそう。 それが分かると、少しだけ気分も落ち着いてきた。
どうも大別すると、翠星石(オッドアイのあの子ね)と水銀燈(誰かしら…)の魅力を讃えるレスポンスがほとんどのようだ。
「まぁ、その二人がツートップだろうな。 実はこの掲示板で、今日締め切りの人気投票をやっててさ。
二大勢力である銀派と翠派の動きが活発ってわけなんだ。 ……真紅なんて、名前すら見かけないけど。」
確かに真紅の「し」の字も見かけない。 ……無いのかな、人気。 そんな事を喋りながら、更新ボタンをカチッ。
何分も経ってないのに、もう書き込みが増えてるみたい。
ぷっ。 桜田くんが小さく噴き出した。 何かしら……。 つられて覗き込んだ私も、思わず微笑ってしまう。 すごいタイミング。
> 480 : やはりドールズで一番かわいい真紅に投票するのが、人として自然だと思うのだわ。
「なに笑ってるんだよ……プフッ。」
「そういう桜田くんだって……。」
くすくすくす。 ふたり、顔を見合わせて笑う。 何の変哲も無い書き込みなのだけれど。
初めて真紅に触れたレスポンスが、何の偶然か、あの子の喋り方そっくり。 それが私達には妙におかしかった。
> 481 : >>480 寝言は寝てこけ
> 482 : やっぱりドールズで一番可愛い雛苺に投票するのが、人として当然だと思うのよ〜
> 483 : 1日1票だからなぁ。 真紅に入れるくらいなら銀様に入れる。
> 484 : 人気のある真紅(笑)
> 485 : >>480 >>480 >>480
> 486 : ごめん、もう翠に入れちゃったし…
> 487 : 3票持ってても全て蒼の子に入れますが何か?
> 488 : >>480 の人気に嫉妬
「プッ! サンドバッグだな、こりゃ。 あいつがブチ切れる様子が目に浮かぶよ。
『私より水銀燈に入れるですってぇ!許せないわ!節穴なのだわ!ジュン!お茶を淹れて頂戴!すぐによ!』 なんてな。」
「もぅ、やだ、桜田くんったら……。」
笑いすぎておなかが痛い。 桜田くん、すっごい特徴掴んでるんだもん。
> 489 : 真紅より水銀燈に入れるですってぇ!許せないわ!節穴なのだわ!撤回を要求するのだわ!
……。 この人、なんでこんなに必死なんだろう。 人気って、そんなにムキになるほど大事なのかな。
「……この人、凄くムキになってるな。 少なくとも僕は。 こんな得票数なんかじゃ、人の気持ちは測れないと思うけど。」
ドキリとする。 桜田くんも、おんなじ事考えてたんだ。 私の方を見ないで、桜田くんは続ける。
「例え世界の片隅に置かれてたって。 皆にそっぽを向かれてたって。 きっと誰かが気付いてくれる。 必要だって言ってくれる。
それなら。 もし一人でも、自分を見てくれる人がいたなら、それは。 ……凄く、幸せな事なんじゃないか。」
僕は、そう思うけど。 段々声が小さくなって、頼りない言葉尻。 ……でも。 何かが、私の胸にこみ上げてくる。
それは、すごくすごく強くて、深くて、暖かい何か。 私はその気持ちを表す一言を探して、呟いた。 そうだね。
桜田くんはそんな私の呟きに、照れくさそうに微笑み返すと、おもむろに翠星石に一票入れた。 くたばれ。
○月×日(晴れ)
今日はとってもいいお天気だったかしら。 いわゆる潜入日和って奴かしら!
今日はおうちに真紅しかいない事は調査済み。 ローザミスティカを奪うには絶好のチャンスだったかしら。
というわけで、カナはいつも通りジュンのお部屋を見張ったの。
あっさり真紅発見! どうやら本当に一人みたい。 怖いくらい順調かしら!
真紅は今日も湯水みたいに紅茶をがぶ飲み中。 なんてただれた食生活なのかしら、ぷんぷん。
でも、異変はその時起こったのかしら。 どさっ。 床に倒れこむ真紅。
? 一体どうしたのかしら……。 くすくすくす。 い、いきなり真紅が笑いだしたかしら!
どこに笑うネタがあったのかしら? ひょっとしてカナの事がバレてるかしら!? いやいやまさか……
と思ってたら、真紅の目が油断なく周囲をぐるり。 はぅあ!? か、隠れるかしら!
どうやら見つからずに済んだみたい。 けれど口元には、相変わらずギタリと不敵な笑みが浮かんでいる。
うぅ、やっぱり真紅は一筋縄じゃいかないかしら……。 ここはもうちょっと様子見かしら!
そうこうしてる内に、真紅は机の前に座ってごそごそし始めたかしら。
カナ知ってるかしら! あれは「いんたぁねっと」って言うのよ、ピチカート。 みっちゃんもよく使ってるかしら。
でも、画面に向かってグフグフ笑ったり、顔を赤らめたり……きょ、今日の真紅はおかしいかしら……。
はっ! 真紅は今「いんたぁねっと」に夢中……。 ひょっとしてこれは絶好のアタックチャンスではないかしら?
そうよねそうよねやっぱりそうよね! 後ろからソロソロ近づいて、ポカポカポカリのばたんきゅーかしら!
ふっふっ……薔薇乙女仕事人、金糸雀の本領発揮かしら。
真紅、あなたが弱いわけではないのよ。 ただ、カナがあまりにも賢すぎただけかしら……!
一歩、二歩、三歩……。 ターゲット・ロック・オン! もらったかs
『 ズ ガ ン ! ! ! ! 』
うきゃー! ぴきゃー! みきゃー! 何かしら? 何かしら! 心臓止まると思ったかしら!
え、何、ピチカート? 心臓無いでしょって? それもそうかしら。
慌てて部屋の入口まで戻って、恐る恐る覗き込むと……はわわわゎわわわゎわ!!
紅蓮の瘴気も明らかに、真紅の剛拳雨あられ。 「いんたぁねっと」は今まさに公開処刑中だったのかしら……。
「うっ……ううっ……うっうっ…………液晶薄型……20万……」
「ジュンー、泣かないでぇー。 いい子いい子なのよー。」
夜は7時を回ったばかり。 最近おなじみ、桜田くんの部屋。
桜田くんは、パソコンの亡骸を抱えて、かれこれ20分ほど泣き尽くしていた。 お腹空いたなぁ。
「ひどい……ひどいよ……何で……僕のPCに、何の恨みがあってこんな……」
「ごめんなさい、ジュン……。 私も必死で守ろうとしたのだけれど、力及ばなかったのだわ。
水銀燈は、ジュンのピー・シーを完膚無きまでに叩き壊すと、高笑いしながら帰って行ったのだわ……。」
もうスクラップなんてレベルじゃなかった。 目の前にある、ソフトボール大の鉄球。
それが、かつて桜田くんのパソコンだったものの全てだと言う。
一体どれだけの力があったら、一体どれだけの怒りを覚えたら、巨大なパソコンをここまで小さく圧縮できるのだろう。
私は、未だ会った事もない、水銀燈というドールの力に身震いした。
「うっうっ……そんな……銀様がこんな酷い事を……。」
銀様て。 気のせいかしら? 真紅のこめかみに血管が浮いたような……。 でも、ドールに血管がある筈無いわよね。
「なんて可哀想なジュン。 水銀燈は見た目はともかく、中身は血も涙も無い、ルール無用の残虐ドールなのだわ。
今回の事で、貴方もそれが身に染みて分かったと思うのだわ。
やはりドールを選ぶなら、真紅のような、可愛くて、優しくて、正義をこよなく愛するドールが一番だと思うのだわ。
あくまで一般論だけど。 客観的に見て。 大衆の意見としては。
貴方もこれからは邪心を捨てて、ピュアな心で真紅に仕えると良いと思うのだわ……。」
雛苺に頭を撫でられながら、子供みたいにうんうん頷く桜田くん。 お姉さんになったね、雛苺……ふふっ。
「しかし、広域無差別破壊ドールの水銀燈にしては、えらくピンポイントに破壊してったもんですねぇ〜。」
時計を見ながら、心底どうでも良さそうに呟く翠星石。 お腹空いたねぇ。
「シャラーップ!貴方の意見など聞いていないのだわ! へっ、すいませんね。 あっし如きが、王者さまにこんな偉そうな口叩いて……」
「し、真紅?一体どうしたんですぅ!?」
どうでもいいから、早くお夕飯にしようよ。 そう思いながら、黙って喧騒を眺め続けるだけの私。
私、柏葉巴、中学2年生。 いっつもそう。 言いたい事、誰にも言えないの。
おわり