「やあ、ドールズ。」
カップ麺が喋った。 おいおい。 僕は熱湯を注いだだけだぞ。
予想外の事態に何のリアクションも取れずにいると、性悪人形が駆け寄ってきた。
「蒼星石…………!!!」
何言ってんの。 何言ってんの。 即席めんと聞き間違えたのだろうか。
「蒼星石………生きて………生きていたんですね。 ………ぐすっ。」
「ふふっ………相変わらず泣き虫なんだね。 …………ただいま。 翠星石。」
カップ麺が微笑んだように見えた僕は、どうかしてしまったのだろうか……。
「凄い………呼び戻したんだわ。」
いつの間にか傍らに来ていた真紅が感慨深げに、いつぞやと同じセリフを呟いた。
「いや、あの……真紅さん。 これ、麺類じゃないっすか。」
ごもっとも。 ごもっとも僕。 もう全然裁縫の腕とか関係ない。
え、何で? 何で狼狽えてるの僕だけなの?
カップ麺が喋ってるんですよ。 何でお前らちっとも驚いてないの?
おかしいよこの家! 何で僕の方が異端に見えるんだよ!
「凄いわジュン……貴方の指は、まるで美しい旋律を綴るよう……。」
出湯のボタンを押しただけなのだが。
え〜。 認めたくないが、目の前の現実を整理すると。
このカップ麺はどうやら結菱の屋敷で最期を迎えたはずのローゼンメイデン第4ドール。
「あの」蒼星石という事らしい……。
日本人にはごくたま〜に、猛烈にカップ麺が食べたくなる日というものが存在する。
今日は日曜日、のり姉は部活。 「麺欲」を満たすには最適の日…のはずだった。
なのになぜ自分は今も腹を空かし。 なぜ眼前には狂ったとしか言い様のない光景が展開されているのだろう。
「ふふ……こうして蒼星石の髪を梳くのも久し振りですね。」
「ごめんよ……僕も君の髪を梳いてあげたいけど、生憎と腕が無いんだ……。」
「大丈夫よ、蒼星石。 ジュンの技術なら貴女に腕をつけるくらい造作も無いわ。」
箸で嬉しそうに麺をほぐしながら、優しくカップ麺に語りかける翠星石。
返答するカップ麺。(のびてきた)
サラッと訳の分からない事を言う真紅。 ならお前やってみろ。
「あ、あのさ……言い辛いんだけど。」
苦言を呈そうとした矢先、翠星石と目が合った。
……あぁ。 ………………泣いている、のか。
当たり前だった。 そうだ、分かっているのだ、彼女だって。
こんなのは、望まれたかたちでの再会じゃない。
カップ麺は永遠ではない。 まして今は夏場だ。 あっという間に腐ってしまうだろう。
別れの時は、きっとすぐそこ。 それでも。 たとえ束の間でも。 最愛の妹と再び巡り合えたのだ。
どうして自分は、その気持ちを分かってやろうとしなかったのだろう。
今の翠星石のためを思うなら、カップ麺が喋るくらい些細な事じゃないか。
「……なんか飲むか? 入れて来るよ。 蒼星石もスープが減ってきただろ?」
「! ……ジュン。 …………………………ありがとう、です…………。」
「私には紅茶を入れて頂戴。 ミルクも忘れないでね。」
そう言った真紅の眼差しはどこか優しげで、なんだか照れ臭かった。
「そうだね……僕も紅茶を貰おうかな。 何だか酷く喉が渇いてね。」
すまん。 君は激辛キムチ味なんだ……。
「あ、待つですジュン。 翠星石も手伝うですぅー。」
台所に立とうとする僕に翠星石が付いてきた。
「いいのか? ……久し振りじゃないか。」
リーフを選びながら、無難な言葉を選んで聞いてみる。
束の間の再開。 1分、1秒でも惜しいはずなのに。
少しの間を置いて、翠星石がぽつりぽつりと呟いた。
「……言いたい事は沢山あるです。 あれも、これも、それも。
でも、いざとなると、胸が詰まって言葉が出て来ないです。
……こんな短い時間じゃ、足りないです。 ぜんぜん、ぜんぜん、足りないです……!」
胸が締め付けられる気がした。 もし自分と姉が、最後の時を過ごすとしたら。
自分には何が言えるのだろう。 別れを受け容れて、耳に心地良い言葉を捜すのだろうか。
それとも、最後まで「今」を大切にして、さよならを飲み込むのだろうか。
……分からないけど。 今、僕には言ってやれる事がある。
「いつも通りに喋ればいいさ。 今日お前が、妹とお別れしなきゃいけないなら。
……何時だって、何度だって、あの子を呼び戻してやるから。 ………ぼ、僕が、さ。 」
「…………ジュン………!!」
僕にしがみついてしゃくり上げる小さい背中を、少し照れ臭いけど抱き締めた。
安請け合いをしてしまったけど。 僕にその力があるというなら、そうしたいから。
「きゃああああああーーーーーーー!!??」
突然の悲鳴で、僕らは我に還った。 この声は……真紅!?
あの真紅がこんな大声を上げるなんて……。 大慌てで居間に戻った僕達が見たものは。
「うい?」
無邪気な顔でカップ麺をすする雛苺だった……。
「ごめんなさいなの…………」
事情を知って散々泣き腫らした雛苺が、もう何度目か分からない謝罪を口にする。
「私が悪いのだわ……。 私が部屋にマイカップを取りに帰ったりせずに、蒼星石の側についていれば……」
真紅は真紅で、見ている方が辛くなるくらいしょげきっている。
なんて事だろう。 あまりにあんまりな結末に、僕は何も言えずにいた。
蒼星石は結局ほとんど言葉を交わす事なく、再び遠い所に旅立ってしまったのだ。
ちらりと翠星石の方を見る。 彼女は先程から俯いて押し黙ったまま。
こんなの、慰めるなんて不可能だ。 再会も別離も、何もかもが普通じゃなさすぎた。
あぁ、でも。 雛苺と真紅を見る。 今は、僕が何とかしなくっちゃ。
口を開こうとしたその瞬間、先に口を開いたのは翠星石だった。
「ほらほら皆、何て顔してるですか。 こんなの蒼星石は望んでないですよ!」
蒼星石の名前が出た瞬間、雛苺と真紅がビクッと肩を震わせる。 そんな二人に翠星石は優しく語りかけた。
「こぉら、食い意地の張ったおバカいちご。 いつまでそんな顔してるです。
カップ麺は食べられるためにあるですよ? 雛苺がしたのは、当たり前の事です。」
「でも、あれは蒼星石だったの…………」
また泣きそうになる雛苺。 それに被せるように、翠星石が続ける。
「…確かにあれは蒼星石でした。 でも、カップ麺だったんです。
カップ麺ですよ? 悪い冗談にも程があるです。
本当の蒼星石の体は、ほら。 今もおじじのお屋敷で眠ってるですよ。」
「きっと蒼星石は、あんまり私が泣いてるもんだから、ちょっとの間だけ無理して帰ってきてくれたんです。
だってそうです。 私が泣き出すと、いつだって蒼星石は飛んできて、側に付いていてくれたから。」
「だから、きっと。 また会える気がするんです。
……蒼星石は。 こんな形になってまで、飛んできてくれたんだから。」
夜。 昼間の事が気になって眠れない僕は、通販で買ったプラモデル「ガンガル」を組み立てていた。
正直こんなネタプラモ要らないが、クーリングオフできなかったのだ。
ふと。 背後に気配を感じて振り返る。 そこには予想通りの人影があった。
翠星石……そうだよな。 眠れるわけが無い。 真紅も雛苺も、今日は中々寝付けなかったみたいだった。
まして双子の姉である翠星石ともなれば、その心中は察するに余りある。
「ジュン……昼間は…………ごめんなさい、です。」
「…………なんでお前が謝らなくちゃいけないんだよ。」
誰よりも一番苦しんでるはずなのに、まだ気を遣うのか。
自分よりも真紅と雛苺の事を気に掛けて。 今、僕にまで気を遣ってる。
そんな事しなくていい。 そう言ってやりたかったけど。 今は何を言っても、苦しめてしまいそうで。
「…………ありがとう、ジュン。 …………伝わる、です……。」
……あぁそうか。 マスターとドール。 その心の海は繋がっている。
わざわざ言葉というフィルターを通さなくても、伝わるのだ。
「でも、私は、本当に大丈夫なのです。 ……だって、信じてるですから。
ジュンのこと。 ジュンが、昼間に聞かせてくれた言葉。」
「え…………」
(何時だって、何度だって、あの子を呼び戻してやるから。)
「あ、あれは………………」
「……ジュンは、自分の可能性を否定するかもしれません。 ……でも、私は。
信じてます。 信じられるのです。 ……ジュンの、ことば、なら。」
……胸が。 胸が痛い。 はじめて、本当の翠星石を見たような気がした。
知らず手に力がこもる。 ………あぁ、なんて、やわらかい……。
………………へ? やわらかい!? ガンガルが? ……恐る恐る手元を見る。
「やぁ。 ジュンくん。」
ガンガルが喋った。
次の日の朝。 ガン星石はドールズから熱烈な歓迎を受けた。
「凄い………呼び戻したんだわ。」
お前は他に言う事は無いのか。
「蒼星石かっこいいのーーー!」
ガンガルだぞ……ガンガルなんだぞ……。
「蒼星石、お久し振りなのかしらー!」
「誰だっけ?」
神奈川が泣き出した。
ああもう騒がしい……昨日のお通夜ムードは一体何だったんだ。
「ジュンくん……もう片方の腕にもデカールを貼ってくれるかい? その方が美しいよ。」
「………………」
昨日喰われたばかりだというのに、恐ろしくマイペースな奴だ。
今も乙女のドレスアップとやらで、面相筆で細部を塗装させられている。
「ひゃあっ!?」
「絆パンチ!!!」
ガンガルが奇声を上げた次の瞬間、真紅の鉄拳が僕の顔面にめり込んだ。 鼻が! 鼻が!
「まったく人間のオスは想像以上に下劣ね……塗装にかこつけて、まさか筆で乙女のあんな所を……」
「分かるかぁーーー!!!」
「まだ接着剤が乾ききってないね。 ちょっとだけ……こうしててもいいかな。」
「まぁ……フフフ、蒼星石は甘えんぼさんですね。」
肩に寄り掛かる妹?を前に、翠星石が満面の笑顔を見せる。
カーネルサンダース並の可動範囲の狭さが災いしてか、寄り掛かるというより潰されてるようだ。
まぁそんな事、今の翠星石にとってはどうでもいい事だろう。 …たぶん。
カップ麺からガンガル。 食物から人形へ。 見ようによっては一歩前進だ。
だが、以前より確実に騒々しくなった部屋を見て、一瞬ジュンはこれで良かったのだろうかと思わず自問してしまった。
目頭を押さえて俯くジュンに、翠星石がいつもの調子でのたまった。
「まぁ今回の事は確かにジュンのお手柄ですけどぉー。 だからってあんまり自惚れるなですぅー。」
な!? なななな!? 何だそりゃ。 そりゃ無いだろ!
お前な、昨日の夜はあんな泣いてた癖に……。
文句を言おうと顔を上げると、そこには柔らかな笑顔の翠星石がいて。
あぁ、くそ、まったく。
照れ臭くて視線を逸らすと、今度はガンガルと目が合って。
ガンガルが微笑んだように見えた僕は、何だかこんな日常も悪くないような気がしたんだ。
おわり