桜田家、ジュンの部屋。 下の階ではいつもの人形たちがいつもの通りに騒いでいる。 
しかし、彼、桜田ジュンの現在の心境は「いつもの通り」とは程遠いものだった。 

漆黒。 彼の手に収まった一冊の黒いノート。 
……ごくり。 ……ごくり。 渇く。 渇く。 …もう何度、唾液を嚥下しただろう。 
かすれかけた声で、ゆっくり、確かめるように。 ジュンはノートの表題を読み上げた。 

「…………デス・ノート」 

週刊少年ジャンプ。 日本に住む男子なら、10人中10人は読んでること請け合いのキング・オブ・少年誌だ。 
当然僕だって読んでる。 まして「デス・ノート」ときちゃあ、知らないワケがない。 

名前を書いただけで人を殺してしまえるノートなんて、とんでもない設定だよな。 
ありえないし、悪趣味だし、心臓に悪い。 だけど…面白いんだよなぁ、これが。 
絶対うちのクラスにも「桜田ジュン 自殺」なんて悪ふざけをしてる奴がいるに決まってる。 くそっ。 

でもまぁ、そんなのなら別にいいんだ。  
そんな田中何某やら、鈴木Aくんやらのノートに名前を書かれたからって、僕が死ぬわけない。 当たり前だけど。 
そいつが自分の幼稚さと馬鹿さ加減を周囲にアッピールするだけで、ハイ終~了~、だ。 

問題は、僕の部屋にあるこのノート。 「いつの間にか」僕の部屋に「現れた」このノート。 
これがどうも「本物のような気がする」ってこと………。 

自慢じゃないが、僕はクーリングオフの達人だ。 その商品がどれくらい「インチキ」かなんて、直感で大体分かってしまう。 
で、僕はなるべく「インチキそうなもの」を買う。 だって、まともなもの買ったってつまんないじゃん。 

…………だから。 僕が「これ」を買うはずはない。 ありえないんだ。 
自慢じゃないが、僕はクーリングオフの達人だ。 そのせいなのか……一目で分かった。 

「やばい。」 

乾く。 渇く。 手に持っているだけで汗が出る。 喉が渇く。 
エアコンは今日も絶好調。 なにせ、真紅たちにせがまれてこないだ新調したばっかりの新品だ。 
室温は快適、湿度も最適。 なのに。 後から後から訳の分からない汗が吹き出て、一向に止まってくれない。 

「開けちゃ駄目だ…」 

頭の中で、正しく理性が警告を向ける。 やばい。 
これを開けたら、開けてしまったら……? たとえ偽物でも。 きっと、確実に、僕の中の「何か」が壊れてしまう。 

ハッと我に帰って、愕然とした。 僕の指が、知らない内に、1ページ目にかかっている…? 
開けるな! …頭では分かってる。 でも、頭と、体が、なぜかちっとも……繋がってくれていない。 

もちろんありえない。 馬鹿げてる。 ノートに名前を書いただけで、人が死ぬなんて。 
……でも。 もし「できたら」? 本当に人が殺せたら? 

………………あいつらの居ない世界が、本当に創れたら………………? 

「桜田ぁー、俺の姉ちゃん、お前の姉ちゃんと友達でさぁー……」 
中西。 

「桜田の席もちゃあんと空けておいたんだぞ!」 
梅岡。 

「……………………………………」 
……桑田、由奈。 

緩やかに、緩やかに、僕の心が誘惑に負けていくのが分かる。 
それはとてもいけないこと。 分かっている。 

……でも。 いけないから、何だってんだ? 

どうしてだよ? なんで僕なんだよ? 
あの時、ノートの落書きさえ消してれば。 いや、あの提出したノートにさえ書いていなければ。 
…そもそも、あいつらが余計な事さえしなければ。 

どうしてだよ!! なんで僕なんだよ!!!! 

うつろだった。 僕の頭は考えることをやめて。 
僕の目はただ、僕の指がゆっくりとページを開く光景を映していた。 
ページの端を空しくなぞっていた指が、やがてページとページの隙間に入って…… 

「ジュン」 

……………「心臓が口から飛び出る」とは、まさにこの事を言うんだろうな。 
100のお小言より、1000の体罰よりずっとずっと効果的。 
その小さな赤い人影のたった一言で、僕はすっかりバッチリ現実に戻ってきた。 

「のりが呼んでるわ。 夕食よ。」 
「……先に行ってろよ。 すぐ行くから。」 

背を向けたまま答えて、真紅が立ち去るのを待つ。 
なんだか後ろめたくって、真紅の顔をまともに見られなかった。 
いま真紅と目を合わせたら、あの凛とした視線に、心の奥底まで見透かされてしまいそうで。 

今か今か…真紅がいなくなる気配をうかがう間も、僕の心は安堵と息苦しさでミキサー状態だった。 
1分……2分……不思議に思って振り返る。 真紅はまだそこにいた。 柔らかに微笑んで。 

「いい子ね、ジュン」 

「な、な、な!? なんだよ唐突に!?」 

もう焦りまくってしまって、全然口が回らない。 僕と真紅の心は繋がっている。 
早い話、さっきまで僕を支配していた仄暗い考えが、真紅にバレてしまったのかと思ったのだ。 

「別に。 あなたの頬……泣いていたようだから。」 
「え?」 

頬に手をやると、確かに濡れている。 全然気付かなかったが、僕は泣いていた…らしい。 
泣いてるところを見られた気恥ずかしさやら何やらで。 できるならもう何処かに消えてしまいたかった。 

でも、真紅は言った。 
「顔をあげなさい、ジュン。」 
「それは貴方が自分の弱さと向き合って勝った証。 貴方の誇り。 ……私の、誇り。」 

……こいつは。 僕は、今にもノートを開いてしまうところだった。 
楽になれる気がしたから。 もう苦しい思いをしなくても済むと思ったから。 
戻ってこれたのは。 声を掛けてくれたから。 ……こいつが。 

「……僕は」 
「ジュン」 
「うわっ!」 

気が付くと真紅の顔が大接近していた。 心拍数が激増したのが嫌なくらい分かる。 
落ち着け僕! 人形じゃないか! 平常心…平常心… 
真紅の手の平が僕の手を包む。 平常心! 平常心! 

……と。 いつの間にか真紅の手にデス・ノートが握られている。 あ、そういう事……。 

「ジュン。 このノートが貴方を苦しめていたのね。」 
パラリ。 

「うわあああああああああ!!!???」 
ここここいつ! あっさり開きやがった! 

なんだよ! なんなんだよ! 
さっきまでの僕の逡巡はなんだったんだよぉーーー! 

あんまりな展開にノリ突っ込みしようとした矢先。 真紅の険しい顔に気が付いた。 

「ジュン…………あなた、このノートを開いたの?」 
「え? い、いや。 開こうとしたらお前に声掛けられてさ……」 
「そう……」 

真紅はノートを閉じると僕に告げた。 声が心なしか固い。 

「いいこと、ジュン。 世の中には沢山の扉がある。 でも、無闇やたらに開いては駄目。」 
「扉の中にいるものは、必ず貴方を見返してくる。 それは、魅入られてはならないものかもしれないのに。」 
「ジュン。 貴方は開けてはいけない扉を開こうとしたのよ。」 

なんだ、この剣幕は。 静かだけど、確かに怒気を含んでいる。 
……まさか。 さっきまでの震えがブリ返してくる。 

……本物だったのか。 
僕は。 取り返しのつかないことをするところだったのか。 

「………………………………ごめん。」 

言葉を選んでも、適当なのが見つからなくて。 結局僕の口から出たのはありきたりな「ごめん」だった。 
あぁ、そうだ。 真紅は言った。 
気付こうとしなければ分からない。 自分が想われているということ、自分を想ってくれるひと。 
それを、その気持ちを、僕は裏切るところだったのだ。 

昔の僕ならどう思ったかは分からない。 でも、今の僕は。 
そんなの嫌だと、確かに思った。 
そんな僕の心を知ってか知らずか。 真紅はもう一度……今度は僕の耳元で囁いた。 

「いい子ね、ジュン」 

「ジュン、夕食に行きなさい。 そこに貴方を待っている人たちがいるわ。」 
「……いちいち大袈裟なんだよ。」 

照れ臭くてしょうがないから、憎まれ口。 まぁ、バレバレだけど。 
まったく、たかが一冊のノートのために何だか随分疲れさせられたもんだ。 

でも……真紅たちのような「生きた人形」がいるんだ。 
僕がデス・ノートを信じかけてしまったのも、無理はない……よな? 
他ならぬコイツ等に、世の中何でもアリな所を見せ付けられてきたんだから。 

「ほら…………抱っこだろ。 下まで運んでやるよ。」 
「私は後から行くのだわ。 『これ』をどうにかしなきゃいけないし。」 

そっか。 デス・ノートの処分。 餅は餅屋というか、怪奇現象は怪奇現象に任せるのが一番いいのかもしれない。 

「そんじゃ、任せた。 ……あ、死神が出てきたら僕を呼べよ? お前、怖がりなんだから。」 

一言残して、僕は階段を降りていった。 

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「……………危なかったのだわ。」 

ジュンが去った後、ノートをパラパラとめくる真紅。 その表情は先程よりも一層険しい。 

【○月×日 晴れ】 
今日のジュンはいつもより何だか…ちょっとだけ凛々しかったです。 
もちろんチビ人間にしてはですけど。 
ジュンがソファに腰掛ける時、いつも左側に私の分のスペースを空けてくれてる事に、今日急に気付いてしまったです。 
おかげでテレビの内容を全く覚えてないです…………覚えてる……のは……。 

【○月△日 晴れ】 
雛苺と金糸雀が今日もおチビ同士じゃれ合っているです。 騒がしい奴らですが、まぁ許してやるです。 
……でも、二人を見ていると、どうしても私と蒼星石を重ねてしまうです。 
蒼星石。 蒼星石に会いたい……。 人前でこんなこと言って、みんなを心配させたくないです。 
でも、やっぱり顔に出ているんですね。 今日流れ込んできたジュンの意識は……私の傷を包もうとしてくれていたから。 
きっと、ジュン自身も気付いてないですけど……。 

「……………危なかったのだわ。 色々な意味でギリギリだったのだわ………」 

私は何も見なかった事にして、翠星石の鞄の中にそっとノートをしまった。 
私は誇り高きローゼンメイデンの第五ドール・真紅。 この物語の正ヒロインなのだわ……。 

「ですぅノート・完」 

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