(やれやれ、本当に気の短いお嬢さんだ) 

霧の向こうで、誰かが呟いた。 
それを聞いた白い少女の顔つきに変化が現れた。 
張り付いたような微笑が、色を帯びて険しくなる。 

更に、どこからか金属を擦りあわせるような不気味な音が響いてきた。 

ぎり……り…… 

丁度鋏を開閉するようなその軋音に続いて、 
空間に縦横の亀裂が走り、そして崩壊した。 
ガラス片のように霧が砕け散り、開けた周囲には、小さな火を灯した燈篭と 
巨大な石英の多角柱が不規則に立ち並んでいる。 
それらは薔薇水晶のよく知るものだった。 
雲に閉ざされた夜空の底、暗黒の領域。 
それは自分のフィールドだ。 

上空の雲に裂け目が生じ、そこから何かが降りてくる…… 
大きな剪定鋏を携えた一体の人形。 
それはよく知る顔だった。 
翠星石――いや、双子のように似ているが、彼女ではない。 

「蒼星石……」 

現れた人形を見て白い少女が呟いた。顔つきがまた変容していく。 
少女はさらに魔を秘めた笑みを満面に浮かべ、その人形に白い茨を打ち出した。 
殺される。あのドールも。薔薇水晶はそう思った。 

だが彼の人形は鋏を肩に担ぐように振り上げると、 
猛った闘牛の如く迫り来る茨の束を一振りでなぎ払った。 
轟音と共に、空まで裂くような圧力が薔薇水晶の顔まで届いた。 
霧の空間を割ったのは、あの鋏の力か。 
そのままこちらに落下してくる。 

衝突する、と思い目を瞑りかけた刹那、 
眼前を何かが数度、閃いて通り過ぎていくのが見えた。 
一瞬のち、自分はその人形に横抱きに抱えられ、 
白い少女から引き離されていた。 
何が起こったものか、体中に芽吹いていた茨は千切れ飛んで消えている。 

「こんなところで悪趣味なものを見せないでもらいたいな」 

鋭く、静かな声。 
彼女――男装しているが、どうやら少女を模っているようだ――は、 
険しい顔で白い少女を睨めつけている。 

「もしかしてお楽しみだったのならごめんよ。 
 とりあえず見過ごし難い状況に思えたんでね」 

白い少女に対し油断なく鋏を構えながら、彼女は 
薔薇水晶のはだけた前身頃を合わせた。 
人のように言葉を発し、自らの意思で動いている。 
間違いなくローゼンメイデンだ。 

その顔はまさに翠星石に瓜二つだった。ただ瞳の色が左右で異なっている。 
左の虹彩はルビーのように深い赤、右はエメラルドのような緑色。翠星石と、逆。 
そして先ほど白い少女が呟いた名。このドールは、まさか…… 

「お越しいただいて嬉しいわ。でもどうやってお入りになられたの? 
 今はわたし達以外入れないはずなのに」 

白い少女は人形に尋ねた。今やその顔には狂った歓喜の色すら含まれていた。 

「手を貸してくれた者が居てね。いや、たまたま目的が一致したと言うべきかな」 

オッドアイが流れた向きを見ると、水晶柱のひとつの頂に何者かが立っていた。 

「兎の巣穴に御用心……」 

慇懃に頭を下げ、一礼する。 
それは燕尾服を纏い、シルクハットを頭に乗せた、兎の化生。 

「ラプラスの魔……」 

薔薇水晶の口から、思わず声が出ていた。 
それはかつて自分が真紅達の敵であったとき、 
その戦いの一部始終を観戦していた得体の知れない兎だった。 
彼の目的は最後まで謎だった。 
薔薇の屋敷での戦いの後、どこかへ消えて以来だ。 

「彼がこの閉ざされた領域への扉を開いた」 

オッドアイの彼女が言った。 

「封印を砕いたのはそちらのお嬢さんですがね。 
 いやはや、ひとつ穴のむじなとはよく言ったもの。 
 ひとつの珠玉が他の珠玉を映すように、皆各々の中の全てです。 
 出るも入るもありはしない……ククッ」 

何を言いたいのかよくわからない狂言はこの兎の癖である。 

言われて白い少女はきょとんと無邪気な顔で小首を傾げてみせる。 
白髪が柳のように枝垂れた。 

「でもわたし、何も悪いことしてません。ここはその子の夢ですもの。 
 みんなその子の思いなのよ。わたし達楽しく遊んでいただけです」 

「いえいえ、貴女を責めているわけではありません。 
 ただ、そちらのお嬢さんをお借りしたいのですよ。 
 ここで終わってしまうのも、いささか面白みに欠けるので……」 

ラプラスの魔がいかにもすまなそうに一礼すると、 
少女の顔に再び険しさがあらわれた。 
更に男装の彼女が言う。 

「僕も唯の通りすがりだが、君の行為はいささか不快だったんでね。 
 この彼女は貰っていくよ」 

「あらいけません。その子はわたしと遊ぶのですもの。 
 どうしても連れて行くと仰るのなら、容赦はしないわ……」 

少女の背後から、ざわざわと白い茨が上る。魔物の姿。 
出方次第では八つ裂きに……ということか。 

「そうかい? それは困ったね。荒事も嫌いじゃないが、今は憚られる身なんだ」 

そう言いながら、オッドアイの彼女も鋏を開き正眼に構えた。 

「おやおや」 

楽しむように兎が呟いた。 
ポンと手品のようにステッキを取り出し、くるくると回して玩んでいる。 

凍りつくような緊張が辺りを包んでいた。沈黙。どこからか吹く風が、髪をさやぐ。 

一切の初動作なしにいばらが伸びゆき、霧がはじけた。空間が鳴動する。 

薔薇水晶を抱えたまま、オッドアイの彼女は跳躍した。 
向かってくるいばらを薙ぎ払い、さらにそれを足がかりに 
高く舞い上がり次々と捌いていく。 
人形一体を横に抱いたまま、それは実に驚くべき運動であったが、 
雨のようないばらの群れに徐々に追い詰められていくのが 
彼女にもわかっているようだった。 
空中で静止せざるを得ない、その一瞬、追い討ちをかけるように 
更にいばらが撃ち出された。 
その速度と質量は先ほど仕掛けたものとは比べ物にならない。 
オッドアイの彼女も待ち構えるように鋏を振り上げる。 
無理だ、と薔薇水晶は感じた。 
彼女一人ならばともかく、自分を抱えたままでは……。 

その時、兎が動いた。 
ステッキの石突で石畳を叩くと、そこから帯状の裂け目が閃光のように 
地を走り、二人の少女人形を飲み込んだ。 
ほぼ同時にいばらの激流が彼女達が居た空間をまるで列車のように通過していく。 

「あら、野暮な方」 

白い少女は兎を睨めつけた。 

「トリビァル(つまらない)……それではお嬢さん、良い夢を。 
 楽しき戯れの時間は、また次の機会に……」 

兎は一礼すると、自身も足元に生じさせた穴に沈んで消えた。 
白い少女は、薔薇水晶を飲み込み、今次第に細く狭まっていく穴に目を向けた。 

「また遊びましょう。わたしはいつも貴女を見ているわ」 

閉じかけ、小さなヒビとなった隙間の内から、 
そう白い少女が呟くのを薔薇水晶は聞いた。 

「お迎えが遅れて申し訳ない。あのお嬢さんときましたら、わたしの目にも 
 時折見えなくなることがあるもので……。実はわたしの方も貴女にお話が 
 あったのですが、彼女に先を越されましてね。こうしてお連れできたはいいが、 
 どうやらその時間も既にないようだ。貴女はなかなか夢を御覧にならない 
 ものだから、わたしも随分機会を待ったのですが。まあそれも致し方ない」 

<兎の穴>に飲まれて出た先は、またしても暗闇だったが、先ほどのような 
白い霧のような先が見えぬ場所ではなかった。 
ここがどこか、という疑問が涌く前に、震えの納まらぬまま薔薇水晶は訊ねた。 

「夢……? さっきのドールは……」 

夢? 夢とはどういうことだ? 
自分と一緒にここに来たはずの、あのドールはどこに行った? 
翠星石によく似た、彼女は……。 

「彼女は、また相応の領域に」 

兎は質問の前者は置き、答えにもなっていない答えで濁したまま 
つま先で地面を叩いている。カツ、カツ。 

「そうそう、貴女を助けたのは我々ではありませんよ。 
 呼ぶ声が聞こえませんでしたか。貴女は既に目覚めています。 
 壊れてしまう前に、現実の世界に帰りなさい。 
 凍った暖簾(のれん)を押すように……」 

そう言うと兎は古風なパンプスの踵を鳴らした。カツ、カツ、カツ。3度。 
すると、体が浮き上がるような感覚とともに、急に目の前が明るくなった。 

「おい、しっかりしろ! 起きろ!」 

強く肩を揺さぶられている。 
あの彼が自分に被さるように見下ろしていた。 

「バラスィー! バ……あっ、目ん玉開いたですよ!」 

「薔薇水晶、大丈夫、大丈夫よ」 

「ああ……薔薇水晶ちゃん」 

周りを見回して、自分が彼の部屋の自分のベッドの上に寝ているとわかった。 
彼の後ろから、のりや真紅達もこちらを覗き込んでいる。 

「ここは……」 

「大丈夫だ、何もない。ここはお前ん家だよ」 

そう彼が言った。全て夢だったのだ。 

「あっ……あああああああああっ! うわああああああっ! あっああああ!」 

彼にしがみつき、泣きじゃくった。恐ろしくてたまらなかった。 
こんなに怖い思いは初めてだった。彼がじっと自分を抱きしめてくれている。 
空っぽではない、自分はここにいる。この感触が、証だった。 

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投下可能なレベルなのはここまでしか無いです。申し訳ない。 
常に急ピッチの精神で作業しておりますので、これのことはしばらく忘れててください。 
ご愛読感謝します。 

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