「ふふっ、久しぶりねぇ、人間」
「す、水銀燈、お前どうして……」
突如パソコンのディスプレイから出てきた水銀燈は、辺りに黒い羽を散らしながらゆっくりと降り立った。
「お父様が直してくれたのよぉ。やっぱりアリスになるのは私なのねぇ」
水銀燈はうっとりとした表情で微笑んだ。
「……何しに―――」
そこまで言ったところで、ふぃに窓から外を見た。
そこには桜田のり――――姉ちゃんの姿があった。
姉ちゃんは当然の如く家に向かって歩いてきた。
まずい。とてもまずい。このままいけば間違いなく水銀燈と鉢合わせする。
「何ぃ? 外なんか見て、面白いものでも見えるのぉ?」
外を見ている僕を疑問に思ったのか、水銀燈も外を見ようとした。
やばい。
どうするか。普段使わない脳みそがフル回転する。
しかし、何も浮かばない。
「水銀燈」
とりあえず、名前を呼んでみた。
「何よぉ、人間」
外を見る。姉ちゃんはもう玄関の近くまで来ていた。
最悪、音で気がつかれてしまう事を考えるともう時間がない。
「何ぃ? 呼んどいて、無視するわけぇ? 随分ねぇ」
言って、水銀燈は僕の近くに来た。
「どうやら真紅もいないみたいだしぃ。しばらく遊ぶぅ?」
「遊ぶ?」
「そう、遊び。可愛がってあげるわよぉ」
水銀燈は微笑む。人を見下すあからさまな表情。
その表情に僕の中の何かが熱くなっていく。
「水銀燈……」
「何よぉ。言いたいことがあるならさっさいいなさいよ」
一瞬、水銀燈の注意が緩んだ隙に、僕は一歩踏み出した。
そして、水銀燈の額に凸ピン。
衝撃で水銀燈が少しのけぞる。
「痛ぁい……。ちょっと、何するのよ!! 人間のくせに!!」
水銀燈は額をさすりながら言った。
僕はその隙に水銀燈の背後に回り、片手を胴体に回し、もう片手で首を押さえた。
「……何のつもり? こんな事しても無駄よ。私の力知ってるでしょ?」
たしかにこのままでは何の意味も無い。
見るだけで相手の力を吸える水銀燈を打破することはできない。
「僕にだって考えがあるんだ」
僕は少しずつ首を押さえる腕に力を入れた。
「んっ……何をしようとしてるのかしら?」
「お前が、力を吸いきる前に僕がお前をジャンクにしてやる」
一瞬の沈黙。
「できるわけないわ……人間には。直すことが出来たとしても、壊すことなんてできない」
「そうでもない。お前のせいで真紅がどれだけ危険なめにあったか……。それを考えれば、お前をジャンクにすることくらい簡単だ」
言っていて、さっき熱くなった部分が急激に冷えていくのを感じた。
「ふっ、そんなに真紅のことが大事なの? 真紅はただの人形よ。歩いたり喋ったりするけど、ただの人形なのよ」
水銀燈は微笑んだ。その表情はさっきとは全然違った。
「人間、貴方もしかして、真紅の事が好きなの? とんだ変態ね。さすが学校にも行かずひきこもってるだけのことはあるわ」
水銀燈は微笑んだ。その表情はいつもと同じ、人を見下すものだった。
「キモチワルイキモチワルイ。本当、キモチワルイわ」
「……」
「どうしたの? 黙っちゃって。もしかして図星だった? やったっ! 水銀燈大当たりぃ!」
水銀燈の声が脳みそに響く。
とても耳障りだ。
僕は腕に力をいれた。
水銀燈画少し顔をしかめた。
「まだやるつもりなの? 無駄よ。早く腕を離しなさい」
「ジャンクにするって言っただろ」
「無駄だって言ってるでしょ。だから離しなさい。今なら命は助けてあげるわ」
「信じられるわけ無いだろ」
「そう。なら、貴方を動けなくした後―――」
水銀燈は一呼吸置いて言った。
「下にいる人間を殺すわ」
途端、背中を、否、全身を何かがぞわっと走った。
「お前……」
気がついていたのか? そう言おうとしたが、口が動かなかった。
「どうする? 今ならまだ間に合うわよ」
頭が混乱する。
狂いそうになる。
そんな時、
「ジュンくーん、いるのー?」
姉ちゃんの声が聞こえた。
「お呼びよ。どうするの? 人間」
水銀燈が問いかける。
僕は―――。
「いるよ」
姉ちゃんにそう返事し、水銀燈を離した。
「もうすぐ夕ご飯だから降りてきてねー。真紅ちゃん達が帰ってきたら一緒に食べましょう」
姉ちゃんはそう言うと、少しずつ僕の部屋から離れていった。
僕は深く息を吐いた。
「まったく、人間の癖に時間をとらせて……」
水銀燈は首をさすった。
「今日のところは帰ってあげるわ。約束だしね」
「……」
「じゃあねぇ。人間。今度は真紅のローザミスティカを必ず頂くわぁ」
水銀燈が背を向け、ディスプレイに向って行く。
……。
水銀燈。
とても無防備な。
そんなことを考えていたら、僕の体は、無意識に動いていた。
「水銀燈……」
「何よぉ? まだな――――」
振り向こうとする水銀燈。
その首にそっと両手をかけた。
「ごめん」
その首をゆっくりと絞めていく。
「く……ぅっ……にん、げぇん……!!」
水銀燈の目が怒りに染まっていく。
しかし、もう戻れない。
最後までしないと。
「真紅のためにも、このまま……」
僕は決意を固めて、さらに力をこめて締め上げる。
「ぐっ……に、んげぇ、ん……こ、ろず……わ、よっ」
「そんなことはさせない」
僕は深く息をする。
「その前に、お前を――――」
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カッとなって書いた。今では反省しています……。
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冷や汗やなんやらで、手がすべる。
ずれないように力をいれる。
「壊す」
「ぢょっ……ぐ……げ……ほ、んぎ……」
水銀燈の顔が赤くなっていく。
「本気だ。最初からこうすれば良かったんだ。そうすれば、真紅が危険な目にあうことも無くなるんだ。」
「……はっ……が」
少しずつ顔色が変わる水銀燈を眺める。
人形でも顔色が変わるのか。不思議だな。
少しくらい力を吸われると思ったけど。
腕力とかは見かけと同じ、少女なのかな。
「なんか、あっけないな」
水銀燈の顔が、赤から紫に変わっていく。
「ひゅっぅ……」
「あれ?」
行き成り、水銀燈の体が動き出した。
がたがたと震えだす。
「痙攣してるのか」
顔を見ると、水銀燈の目は裏返り、白目を剥いていた。
四肢が、バラバラに動き出す。
もう、最後が近いのかな。
更に力を込めよう、そうしたら――――
何故か真紅の顔が頭を過ぎった。
真紅……。
頭を過ぎった真紅は、何故か泣いていた。
「ははっ」
そうか―――
何故か僕は笑っていた。
無意識に出た笑いはとても清々しかった。
忘れていた――――
いつの間にか、僕は水銀燈の首から手を離していた。
「ジャンクにしたら、真紅が悲しむんだ……」
足元に転がる水銀燈。
顔に酸素がまわってなかったせいか、元の端整な顔など見る影もなく、ひどく醜悪な顔をしていた。
顔を近づけると、細くはあるが、規則正しい呼吸音が聞こえた。
「良かった」
僕は安堵の溜息を吐く。
「まだ、生きてた」
水銀燈のドレスを掴み、ベットに放り投げる。
とても軽い。
どんなに精巧に作られていても、人形は人形なんだと改めて確認させられる。
僕はベットに崩れている水銀燈を仰向けにし、馬乗りになった。
「……真紅」
僕は水銀燈のドレスに手をかけた。