深夜のとあるドールショップの中から若い、だが苦悩に満ちた声が洩れていた。
 造詣は、良い。ドールに魂が宿るほどの出来だった。目を閉じるだけで思い起こ
すことが出来る自分の作品。憂いを帯びた瞳。紅の差した頬。薄い唇。弓形に反っ
た睫毛。黒の着物に漆黒の髪が艶をだし、赤い帯がアクセントとして添えられてい
るその姿。両の細腕が振袖に包まれ、足元には深緑色の草履を履いている。
 しかし、圧倒的に足りない。ドールとしては見た目だけで決まるものではない。
彼が目指す師を超えるためにはどうしても必要なもう一つの要素。それは――。
 ドールとしての強さ。戦闘能力。彼女の前に生み出したもう一つの作品、薔薇水
晶の力は申し分無かった。だが彼はそこで満足しきったわけではなかった。更なる
力を求め、ドールを、強さを、更なる高みへと……。
 しかし、出来たのは見た目だけで力をほとんど持たない彼にとっては失敗作とし
か呼べぬ代物が出来ただけだった。なんとかして力を持たせる方法は?それとも
いっそ壊してもう一度作り直すか。しかし既に魂までも持ってしまった人形を壊し
て、果たしてそれがもう一度呼び戻せるのか。
 苦悶に満ちた人形師の背に誰かからの声がかけられる。
 「ならばいっそ、師のローゼンのようにドールを手放して見ては如何?彼もまた
  思うとおりに行かぬドールを作って苦悩し、アリスになる術を託してアリスゲ
  ームに賭けた……。」
 「ただ捨てるだけでなんとなる?果たして力を得て帰ってくるものか?」
 背後からの声、燕尾服に身を包んだ異形の兎顔。ラプラスの魔の言葉に人形師
が疑問の声を投げ返す。
 「そこでこの道化師が取り出したりますはこの指輪。この指輪を持って媒介を
  探し出して契約し、それを力とすればよい。それならば力も上がることでし
  ょう。」
 道化兎の取り出したのは薔薇の文様が描かれたブラックダイヤの指輪。精緻な
薔薇の蔓の細工が施された指輪の宝石部分はまさしく黒薔薇と呼ぶべき形に彫刻さ
れたブラックダイヤ。
 「これをどこで……?」
 人形師の顔がラプラスの魔に向けられる。その視線に含まれるのは疑惑。
 「さて、はて。問題なのは経緯よりもこれからの結果。貴方様は如何なされる
  おつもりですか……?」

 扉が開く音。光が洩れて地面に刺さる。続いて、地面に重たいものが投げ出され
る物音。少女の悲鳴。向けられる冷たい眼差し。
 「いきなり何をなされるのです……お父様……。」
 黒髪の少女の嘆きは青年人形師の冷たい面の皮へと跳ね返されて。
 「お前は力を持たない。失敗作だ。だから何処へともなりといってしまうがいい
  。」
 言葉と共に投げ出されるのは鞄。地面を一度跳ねて少女の、そのドールの下へと
転がり落ちる。
 「そんな……、私はお父様の下から離れたらどうしたらいいのか……。」
 涙の伝う頬に容赦なく一条の飛礫が放たれてぶつかり落ちる。それは指輪。頬に
ぶつかり、落ちて着物を伝い両足の間の隙間の布地部分に落ちる。
 「その指輪で契約者……ミーディアムを見つけろ。薔薇水晶を超える力を持って
  帰ってくること。これがお前が帰ってこられる条件だ。」
 ドールにお父様と呼ばれる人物、槐はそれだけ告げると扉を閉めて、ドールを外
に締め出した。しばしドールの咽び泣く声が聞える。扉に背を向けてその声を聞い
ていること数十分。やがて衣擦れの音がして、ことんと何かを立てる音が聞えると
共に風を切る音が聞える。槐が再び扉を開けたとき、そこにはもうドールの姿は無
かった。

 自分は捨てられた。力が無いから。夜の闇を鞄に乗って裂いて行くそのドールの
名は黒秦樹。薔薇水晶と同じく槐に作られたドールだ。日が昇る前に人目につかな
いところを探さなくてはならない。ドールが人目につくことを製作者が好まれない
のは、生まれたばかりの自分でもよく知っていることだった。数少ない槐との外出
の思い出の中にその情報は刻まれていたし、また彼自身の口からも言われたことだ
った。どこに身を隠そうか……。お父様から店を出るように言われたもののあまり
遠くへは行きたくない……、さりとてあまり近くで目に触れるわけにもいかない…
…。結局行き着いたのは朝になりかけた商店街の一角。日陰に入るようにして人目
を避けながらも時々はnのフィールドを通っては身を隠し、一部の人の善意による
物乞い行為で食料を得るという野良生活が始まるのだった。球体間接の見えずらい
着物だということが功をそうしていた。商店街の親切な人々には幼い黒髪の童女と
してひっそりと囁かれるだけでその存在を明るみにされることは無く、ただ一人鞄
とお気に入りの寝床を確保して生活をし始める。最初はただ捨てられたことにショ
ックを受け、呆然自失とただ打ちひしがれているだけだった。動いているドールで
ありながら、どこか生気の無い顔。穿たれた傷口に立ち直る事も出来ずにただぼん
やりと商店街の人から物を貰い、日々を過ごしていく。しかし、直ることの無い傷
口はあってもそういう生活の中で少しではあるが、人々の笑顔と込められた優しさ
が、案外と馴染んだものとなった。
 ――こういう生活も悪くは無いです……――
 そんなことをぼんやりと思うようになる幾年月。いつもの路地裏で少女と少年達
の群れを見かける。最初はここから全てが始まるとは思いもよらなかったが。

 少女はどうやら苛められているようだった。貶し言葉や囃し言葉。そういったも
のが少年達の口から繰り出されては、髪を引っ張る、叩く等と古典的な嫌がらせを
行ったりしていた。最初は人とあまり関わらぬように、近づかずにいたが日を変え
ても時々また、同じ場所で苛められているのを見かけるのだった。
 そんなある日。
 「捨てられッ子。」
 「要らない子。」
 「不要品。」
 「ゴミ、クズ、カス。」
 そんな言葉が少年達の口から発せられるのを偶然聞いてしまう。思わず、足を止
めてしまった。捨てられた子。要らない子。不要品。ゴミ。クズ。カス……。どの
言葉もまるで自分に言われているようで。思わずその場に留まる。そしてその時、
初めて少女自身を見る。ショートカットの黒髪の少女。やや気弱そうな顔が今では
泣き出す寸前にまで歪められていた。
 「待ちなさい……。そこの子達……。」
 気付いた時には声をかけていた。振り向く少年達。いつもなら立ち去るだけの自
分が何故?内心そう思いながら少年達のほうへと歩みを進めていった。改めて近づ
いてみると少年達は自分よりやや大きいくらい。幼稚園生だろう。
 「なんだよ、お前。」
 少年の中でリーダー格らしい真ん中の少年がこちらに声を上げた。茶色く染めら
れた髪が黒髪の一団の中で目立つ。
 「……………………………。」
初めは声を出せなかった。言うべき言葉が見つからないのだ。自分でも何故こんな
事をしようと思ったのか判らない。もう一度、試みる。
 「……やめなさいと……言いたいのです……。」
今度は言葉に出た。ありきたりな制止の台詞。自分はこんな事が言いたかったのか
……。一体何故?
 言葉の結果は目の前の少年達から明確に見ることが出来た。敵意を露わにする少
年達。
 「なんだよ、お前。」
 「・…………………………。」
 言われる問にしかし黒秦樹は答えない。代わりに紡がれるのが。
 「立ち去りなさい……。」
 という言葉のみ。右の少年が動いた。
 「五月蝿いんだよ、おまえ!」
 右手で殴りかかってくるのが見える。反射的にこちらも右手をあげて黒真珠を生
みだしていた。相手の手がこちらにくるよりも先に真珠が相手の顔にぺちりと音を
立てて当たった。
 「いたっ!」
 右の少年が顔に手を当ててうずくまる。同時に真ん中と左の少年が動き出す。
 「おまえっ。」
 「やったな!」
 相手が間合いを詰めてくる前に両手を翳して真珠を打ち出す。狙いたがわず両者
の顔に真珠が当たる。手加減無しの攻撃。だが、それも子供泣かすのが精一杯の攻
撃でしかなかった。さらに追い討ちを数発打つと、少年達は泣きながら逃げていっ
た。少女とは反対方向に逃げていくのを見送って溜息を吐く。
 「…………ふぅ……。」
 我知らず肩に入っていた力が抜ける。自分の力なんて所詮この程度のものだ。全
力で子供泣かす程度の、子供だましのものでしかない。薔薇水晶には遠く及ばない
……。

 振り返ると苛められていた少女が立ちすくんでいた。ふと目が合う。
 ――これが……苛めらていた……要らない……子……?――
 くすんだ黄色のワンピースを着ている少女はこちらを怯えたような眼差しで見て
いる。足元には空色の靴を履いていて背中には赤いリュックを背負っていた。幼稚
園のものだろう。幼稚園の名前の入った刺繍がされている。リュックには土がつい
ていた。転んでつけたのか、それとも先ほどの少年達につけられたのか。
 歩いて近づいていくと、少女は怯えを見せたが逃げ出しもせずにやはり立ちすく
むだけだった。隣まで来ると手でリュックの土を払ってあげる。それでも少女の顔
は暗い。捨てられッ子か……。恐らくなにか事情があるのだろう。深く聞きはせず
にポツリとだけ呟いた。
 「名前……なんですか……?私は……黒秦樹………。」
 黒秦樹の声に少女が震えた。小動物のように怯えた眼差しをこちらに向けて。こ
ういう時はどうすればいいのだろうか。とりあえず微笑んでみる?ぎこちなく笑み
を作って見せる。まだ作られて間もない所為も、そして捨てられて以来表情に乏し
かった所為もあり、下手な笑顔だったがそれで少女は少し警戒を解いてくれた。
 「藤谷……藤谷、鈴音……。」
 こちらにかろうじて届くような小さな声でぼそぼそと話し掛けてきた。
 「藤谷……鈴音……。」
 確認するように繰り返す。少女、藤谷鈴音はそれに答えるように頷いた。
 それが始まりで、よく会うようになり二人の関係は次第に仲が良くなっていった。

 数年の月日が流れて、ドールだから変わらない黒秦樹とは対称的に鈴音は成長し
、変わった。小学校に上がり、性格が明るくなり、苛められる事も無くなった。あ
れだけ怯え、無口だったのが黒秦樹と話しているうちに物怖じしない性格になった。
 黒秦樹も見た目は変わらないが、笑うことが増え、過去に囚われる時間が少なく
なった。ある時、黒秦樹は自分がドールであることを伝えた。目の前にいるのが人
ではない……そう聞いたときの彼女の反応は小さな物だった。
 「そう………。」
 それだけだった。そして関係も変わらなかった。
 そして今、黒秦樹は身の上話をしていた。お父様、槐に作られた事、薔薇水晶と
いう姉に当たるドールがいること、自分がそれを越えないと戻る事が出来ない事、
そして、そのためには指輪で契約して、ミーディアムを得なくてはいけないこと。
そして今の今まで言おうかどうか迷っていた事を切り出した。
 「私の……ミーディアムになってくれませんか……?」
 「私が?」
 伏し目がちにそういうと、鈴音は黒秦樹の顔を覗き込むように聞き返した。
 「……はい……駄目ですか………?」
 遠慮がちに尋ねると鈴音は笑って。
 「私でよければ勿論だよ。」
 そう答えた。黒秦樹の顔がパッと明るくなる。ついにミーディアムを得る事が、
それも自分と仲のいい少女がなってくれた。そんな嬉しさを隠し切れずに笑みが
零れる。つられて鈴音も笑みを浮かべる。暫く二人は笑い合ってから黒秦樹が契
約の儀式の為に左手を差し出した。
 「この左手の指輪にキスをしてください…・…。」
 左手の薬指にはめられたブラックダイヤの指輪。
 「ここね?」
 鈴音がゆっくりと顔を近づけて指輪に唇を触れさせる。それと同時に黒い光が
指輪から発せられて、さらには鈴音の薬指にも黒い光が輝き始める。
 「指が……熱い……。」
 光りを発する左手を抑えながら鈴音が言葉を漏らす。黒い輝きが納まると其処
には黒秦樹のものと同じ薔薇の文様が彫られた指輪がその手につけられていた。
 「これで契約できたの?」
 尋ねる問いに黒秦樹が頷く。
 「力が溢れてきます……。これがミーディアムの力……。」
 淡く全身が輝きを帯びている黒秦樹は、その両手を見つめて呟いた。力が内側
から湧き上がってくる感触。今までとは段違いの力を感じる。これがミーディア
ムとの契約の力。鈴音はそんな黒秦樹を見ながら語りかけた。
 「これでいつも一緒だね。」
 「はい……、一緒です……。」
 二人は微笑みあい。見詰め合った。

 そしてまた月日が流れて鈴音は中学生になった。二人の仲はより親密になり、
黒秦樹は藤谷家で暮らすようになっていた。
 晴天のすがすがしい朝。鈴音がいつものように学校へと出かけていく。それを
部屋で見送る黒秦樹。しかし今日は異変が起こった。部屋の中の鏡台が光りを発
して中から何かが出てくる。思わず身構える黒秦樹。出てきたのは兎顔の異形の
紳士、ラプラスの魔だった。ラプラスの魔は優雅に一礼をすると警戒する黒秦樹
にこう告げた。
 「無事ミーディアムを獲得なされたようで何よりです。今こそ貴女の力を試す
  時、薔薇水晶の元へと案内しましょう。」
 その言葉に黒秦樹は眉根を寄せて。
 「あなたは誰ですか……。薔薇水晶の元に案内するとは本当ですか……?」
 「これは失礼。名乗るのが遅れました。わたくしはしがない道化師。ラプラスの
  魔とでもお呼び下さい。」
 ラプラスの魔はにやりと笑うと大仰な身振りで鏡台へと手を差し伸べる。
 「さあ、この先に薔薇水晶が待っています。あなたの力を存分に発揮してくださ
  い。」
 「…………………………。」
 警戒は崩さない。しかしラプラスの魔の言うとおり黒秦樹はミーディアムを得て
薔薇水晶と戦う力を得た。そして今戦うチャンスがある……。鈴音のことがちらり
と頭をかすめるが、頭を振って思いを打ち消す。彼女に危険は無い。これはあくま
でも自分の戦い。勝って無事に帰ってくると信じている。
 決意を決めると光りを発する鏡台の中へと吸い込まれるように消えていった。

 一面を覆う紫水晶の山。暗澹とした空の中に入り込んだ黒秦樹はゆっくりと地面
に降り立った。兎はついてこない。それを確認すると今度は薔薇水晶の姿を探し出
す。水晶の山の間を歩いていき、暫く進むと紫のドレスを纏ったドールが宙を浮い
ているのを見つける。ふわりと薔薇の蕾をデザインしたスカートのすそをたなびか
せてこちらを見下ろしている。
 「薔薇水晶……。」
 キッと相手を見つめると臨戦体制に移る。
 「……黒秦樹………貴女に私は倒せない……。」
 「やってみなければそんなことは分からないでしょう……!」
 その言葉と同時に地面から水晶が飛び出す。地面を蹴って宙へと逃れる黒秦樹。
nのフィールド内ならばドール達は飛べる。反撃に黒真珠の飛礫を飛ばす。その数
100を越える大量の飛礫は薔薇水晶に迫るが薔薇水晶は大きく身をかわすと水晶の
剣を抜き放ちこちらに向かって突っ込んでくる。黒秦樹には接近戦用の武器は
無い。迎撃するように真珠を打ち出す。剣を盾にして弾く薔薇水晶に黒秦樹は笑み
を漏らす。一粒の一際小さな真珠が剣に弾かれたと思った瞬間巨大化して剣ごと薔
薇水晶を取り込む。黒秦樹の切り札である攻撃だった。取り込んだ真珠は脆く、相
手に抵抗されれば割れてしまうものの暫くの間動きを止められる。隙を逃さずあり
ったけの力を引き出して黒真珠を生み出し始める。雲霞のごとく集められた真珠は
薔薇水晶の周りを覆うようにして集められてようやく巨大化した真珠を割り拘束か
ら逃れた薔薇水晶を取り囲んでいた。
 「これで終わりです……!」
 全ての力を振り絞り全方位から真珠を爆縮するかのように薔薇水晶めがけて撃ち
出す。逃げ場の無い薔薇水晶に焦りの色が見えたその時――。
  ――ピキッ――
 何かがひび割れる音共に全ての真珠が消え失せた。さらに黒秦樹を襲う脱力感。
あまりの脱力感の激しさに地面に墜落してしたたかに身を打ち付けてしまう。
 「な、なにが……。」
 痛む体を堪えながら身を起こすと指輪がふと目に入る。一瞬目の錯覚かと思い、
目を擦る。しかし見間違いではなかった。指輪には亀裂が入っている。
 「なかなかの見物でしたがどうやらこれまでのようですね。」
 突如空間が裂けてその中からラプラスの魔が出てくる。ラプラスの魔はパチパチ
と拍手をしてから地上にいる黒秦樹を見下ろして。
 「おわかりでしょうか。貴女は力を使いすぎた。過ぎたる力は身を滅ぼす。その
  結果ミーディアムはほら、ご覧のとおりに。」
 虚空に映像が映し出される。それは登校中の鈴音の姿だった。顔色が悪いのが
一目でわかる。信号は赤だった。しかし彼女の目には入っていない。ふらふらと
横断歩道を渡り、途中で倒れる。そこへ車が飛び込んできて――。
 そこで映像が途切れる。しかし何が起こったのかは誰の目にも明白で。
 「鈴音さん……!鈴音さん……!」
 私の所為だ。と頭を抱える。もはや何も映さない空間に向かって悲痛な叫びを叫
びつづける。薔薇水晶は動かずにただその様子を見守っている。
 私の所為だ。私が力を使いすぎたから鈴音さんは力を奪われすぎて意識が朦朧と
して……。自分を責め続けるが過ぎてしまった時間は帰らない。そこではっと気付
く。指輪はまだ失われてはいない。鈴音は生きている。
 薔薇水晶もラプラスの魔も省みず空間の出口へと向かっていった。

 鈴音と会えたのは病院の一室だった。nのフィールドを通り近道をして最寄の
病院へと急いだためか家族の姿すらまだなく、病室には鈴音ただ一人が包帯に包
まれてベッドに横たわっていた。
 「鈴音さん……!」
 ベッドに駆け寄ると名を呼んで呼びかける。苦しそうに息をしながらも鈴音は
黒秦樹のほうを見ようと首を動かした。
 「私の所為で……私の所為で……私が戦ったから……。」
 涙が止まらない。自分のしてしまったことの大きさに身を震わせながら泣き縋
りつく。
 「いいんだよ。黒秦樹……。」
喋るのもやっとといた様子で言葉を途切れ途切れに言葉を紡ぎながら鈴音は黒秦樹
を見つめていった。
 「でも……私が……。」
 「あのね……私の最後の言葉……聞いてくれる……?」
 「最後だなんて言わないでください……。」
 「あなたの話を聞いて思ったの……。あなた達ドールは強さだけが……力だけが
  全てじゃないと思うの……。見失わないで……あなたの本当の望みを……。」
 「強さだけが……?」
 けれども最後の問いに対する答えは帰ってこなかった。指輪のパキンと割れる音
ともに鈴音は静かに目を閉じた。それはまるで眠りにつくかのように静かな物で。
 「う…うわぁぁぁぁぁぁん…………。」
 泣き声は病室に木霊して鈴音の亡骸の前で嘆くドールだけがそこに残っていた。

 黒秦樹は藤谷家を出てまた商店街で路上生活をするようになった。ミーディアム
を失った傷は大きく、彼女を藤谷家に留まらせる事をさせなかった。ただ、無為に
過ごす日々の中で考える鈴音の最後の言葉。力だけが全てじゃない。その言葉の意
味だけを考えて。
 力だけが全てではない。私たちドールには……。力を求めて、他の事を見失って
本当に大切な物を、鈴音を失ってしまった。力だけが全てではない。
 そう思いながらいつものように起きだした朝。近くの水溜りからまたもや光が
洩れ始めた。中から出るは道化師ラプラスの魔。
 苦い記憶を思い出して顔を顰める黒秦樹に道化師はまたしても招待の言葉を囁く。
 「今朝から薔薇乙女達と薔薇水晶との最後の戦いが行われています。そして貴女
  の大切な父親である槐もまたそれを見にきています。薔薇水晶を倒す最後の
  チャンス。貴女は如何いたされますかな?」
 芝居かかった仕草で口上を述べるとまた水溜りの中へと消えていく。黒秦樹は暫
く考え込んでその場に立ちすくんでから、何かを決意した表情で後を追い、水溜り
の中へと入っていった。
 出た場所は屋敷の中だった。あたりを見回すと丁度薔薇水晶が廊下を先に行くの
が見えた。これもラプラスの魔の仕業かと内心思いながらも薔薇水晶に声をかける。
 「待ってください……薔薇水晶……!」
 薔薇水晶が無表情に振り返りこちらを向く。
 「最後の勝負です……。」
 「貴女では私に勝つ事は出来ない……ましてやミーディアムを失った貴女では…
  …。」
 「力だけが全てじゃないと証明してみせます……!」
 もはやミーディアムのいない自分では相手を倒すには奇策しかない。走って間合
いをつめると素早く右側に、薔薇水晶の眼帯をつけた左眼側に回り込む。こうすれ
ば相手の死角をつくことが出切る。しかしその戦法は薔薇水晶にとって予測された
ものだった。見えなければ全体を攻撃すればいい。水晶柱が廊下の天井と床から飛
び出して黒秦樹に避ける隙間もなく挟み込む。
 「く……ぐぅぅ………・・。」
 腹から下半身と左腕を水晶に挟まれて身動きが取れなくなってしまっている。
それどころがどんどんと水晶がせりあがり体を押しつぶそうとしている。

 薔薇水晶は捕えられた黒秦樹を見るとそれきり興味を無くしたのかまた廊下を
先に歩いていく。
 「ま…待って……。」
 かろうじて自由な右手で空を掻くようにするが何にもならない。それどころか。
  ――ミシッ――
 「……がっ………!」
 水晶がとうとう体を押しつぶし始める。体の砕ける音が廊下の中に響く。足が
潰れ、腹が潰れ左手がひしゃげ。
 「………………あ……。」
 右手がだらりと垂れて眼が虚ろになる。結局私は何も出来なかった……。霞む
視界の中で辛うじて思考する。このまま何にも出来ないまま果てるのか。そう思
ったときに後ろから足音が聞えてくる。どうやら走っているらしい。
 「くそっ、ここも塞がれてるのかよ。」
 少年の声がして暫くすると赤い光が洩れるのが見えて水晶が消える。それと同時
に砕けた半身と共に体が落ちる。がしゃりという音とともに砕けた破片が散らばる。
 「な、なんだ。こいつ!?」
 少年の驚いた声が聞えるが最早顔を動かしてそちらを向くことすら出来ない。
うつぶせに崩れ落ちたままその場から身動きも出来ずにいた。
 「こいつもアリスゲームの……犠牲者なのかよ。」
 少年は黒秦樹の壊れた体を抱き起こすと壁際に立てかけた。
 「おい、おまえっ。まだ生きてるのか?」
 「はい……。」
 なんとなく、この少年がローゼンメイデンのミーディアムなのだと理解できた。
心配そうにこちらを見る顔がぶっきらぼうに聞える言葉とは裏腹に優しさを滲ま
せていた。
 「私は……もう……いいですから…待っている人の下へ……行って上げてくだ
  さい…………。」
 少年はしばし逡巡を見せた後、悔しそうに唇を噛んで。
 「わかった……。」
 少し名残惜しそうに振り返ってから、薔薇水晶が去っていったほうへと駆け出
して言った。
 最後にお父様に会いたい。そんなことを思いながら虚ろに廊下を見つめていると
また足音が聞えてくる。コツコツとゆっくり歩いてくる足音。それを聞いて黒秦樹
はその足音の主を確信した。最後の力を振り絞り足音のほうへと顔を向ける。視線
の先には金髪の白いワイシャツを着た青年がゆっくりと歩みを進めていた。
 「お父…様……。」
 お父様と呼ばれた人物。槐はその声に振り向かない。
 「お父様に…伝えたかった……。力だけが…全てを決めるものではないと……
  ドールは……それだけじゃない…って………証明…したかった………。」
 瞳からは涙が零れ落ちて必死に語りかける。しかし槐は振り向かない。見向きも
しない。無表情に通り過ぎていく。
 「お…父……様………。」
 去り行く背中に右手を伸ばそうとしてバランスを崩して上半身が壁から崩れ倒れ
る。遠くに行く姿とともに徐々に霞んで見えなくなっていく視界。完全に視界から
槐の姿が消えるとともに、黒秦樹の意識も途切れた。

 気がつくと椅子の上に座らされていた。意識がはっきりしない。だがしかし目の
前に誰かがいる。暖かい、優しい全てを包み込むとような雰囲気をもった誰かが。
 その人物が屈んで顔をゆっくりと近づけて。
 「力だけが全てじゃない。君の言葉に期待しているよ。是非とも君のこれから
  でそれをみせてくれ。」
 そう囁いた。窓から差し込む陽光の中その人物は立ち上がると扉を開けて去っ
ていった。おぼろげな意識で横に目をやると自分の座っている椅子と同じ椅子が
置いてあり、そこに紫のドレスを着たドールが横たわっていた。
 「私のこれからを……見てください……お父様…・・…。」
 そう呟くと再び眠りに落ちた。
                             END

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