ジュンは金糸雀と契約を交わした。
この物語は、幾つもの可能性が混雑するnのフィールドの世界の一つ。
ジュンが真紅と出会わなかった世界の話。

「――つまり、アリスゲームを勝ち抜いた一体だけがアリスになれるってことだな?」
「そういうことかしら。 まぁ、カナにかかればアリスなんてお茶の子さいさいだけど、勝ち残るには否応がなしにもミーディアムの力が必要なのよね」
「なるほど。 それで僕と契約したわけだ」
聞けば聞くほど興味が湧いてくる話だ。
ジュンは椅子にもたれかかり、眼鏡を指で持ち上げた。
下らない学校生活に嫌気が差し、引き篭もって以来、やることといえばパソコンか寝ることぐらい。そんな毎日に彼は暇を持て余していた。
そんな矢先に自分の前に現れた生きた人形。さらに契約を交わした後、彼女の口から語られる話は見たことも聞いたこともないような奇想天外な事ばかり。
七体のドール。ミーディアム。nのフィールド。そしてアリスゲーム。
いつのまにか気怠さは吹き飛び、心の中を渦巻いていた無力感は消え去っていた。
代わりに心の表層に浮上してきたのは、抑えることのできない歓喜。
「なぁ、金糸雀。 僕は今、本当にお前に感謝してるよ」
「え?」
突然のことに金糸雀は首を傾ける。
「何のことかしら?」
「僕と契約してくれたことをさ」
 ジュンは笑っていた。
だがその笑顔は決して年相応の可愛らしい笑顔ではなく、口の端を歪め陰鬱で狂気じみた笑顔。彼が肩を震わせるたびに、彼の喉からは空気が断続的に音を成していた。
「おかげでいい暇つぶしになりそうだよ」

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金糸雀は、自分の人工聖霊の選択に疑問を持ち始めていた。
今までピチカートが選ぶミーディアムといえば全て、人形好きな優しい人間ばかりであった。そんな前回までと比べ、今回のミーディアムはあまりに逸脱している。
桜田ジュン。自分と快く契約を交わし、アリスゲームにも全面的に協力すると答えた少年。
ピチカートはどうして彼を選んだのだろうか?不満はなかったが、胸の中で引っかかる疑問はいまだ消えることなく居座り続けていた。

「………」
 テーブルを挟んで向かい合わせに座る一人と一体。
互いの前には湯気を立てるティーカップが置かれ、注がれた紅茶の芳しい香りが鼻腔をくすぐる。
「はやく飲まないと冷めるぞ。 せっかく姉さんが淹れてくれたのに」
 そう言ってジュンは一口、紅茶を啜った。そしてカップから口を離すと、不満げに鼻を鳴らした。
「……わざわざ僕なんかのためにね」
 数秒間、沈黙が広いリビングを支配する。
「え、えっと……い、いただくのかしら〜」
 気まずい空気に耐えられず、金糸雀は逃げるようにカップに手を伸ばした。
紅茶を飲むのは久しぶりだが、もちろん一気に飲み干すなどという下品なマネはしない。気品高い薔薇乙女の一体なのだから、それぐらいの作法は心得ている。
昔、第五ドールがしていた流暢な紅茶の飲み方を思い出しながら、見様見真似でゆっくりと啜った。
口内に満ちる独特の香り。すんなりと喉を通っていった紅茶は、心地よい温かさを胸に宿らせる。
美味しい。素直にそう思った。
そうして平日の午後の一時は静かに流れていく―――

「ってノンキに茶なんかしばいている場合じゃないのかしらー!」
 突然、金糸雀がテーブルを叩きつけて立ち上がった。そんな彼女に蔑んだ視線を向けてから、ジュンは倒れしまったカップを見る。
「零すなよ」
「そんな問題じゃないのかしら! 食うか食われるかのアリスゲームはすでに始まっているのよ、ジュン!」
「僕も分かってるさ、そんなこと」
 ジュンは半分残っていた紅茶を一気に飲み干すと、空のカップをテーブルに置く。
「慌てたって仕損じるだけ。 なら、ゆっくりとこれからのことを考えてった方がいいだろ?」
「だ、だけど……」
 まだ納得できないのか、しばらくの間、金糸雀は紅茶が零れた自分のカップを見続けていた。
「まぁ、安心しろよ。 このアリスゲーム、勝ち残るのは意外と簡単みたいだし」
「え!?」
 金糸雀の表情が一転して明るくなる。
「本当かしら!?」
「ああ、本当。 このゲームに特にルールはない。 ってことはわざわざ正面きって闘う必要はないんだろ?」
「うん……そういうことになるかしら……」
 アリスゲームはただ、相手のローザミスティカを奪えばいいだけで、そうするための手段に決まりはない。
実際、金糸雀も楽してズルしてを信条に、これまで他の姉妹のローザミスティカを手に入れようとした。成功したことは一度もないが。
「だったら話は早い。 このゲームに勝つ方法は、とても簡単かつ単純だよ」
 ジュンの声は楽しそうだった。
まるで新しい玩具を買い与えられた子供のように、心底楽しそうだった。

「さっきのお前の話しを聞くかぎり、アリスゲームにおいてミーディアムが勝敗を決める重要な存在なのは確かだ。 つまり、僕が何を言いたいか分かるか?」
 回りくどい言い方だ。金糸雀は彼の意図を理解できず、眉をしかめて顎に手をやった。
「……どういうことかしら?」
「ミーディアムからの力の供給がなければ、アリスゲームには勝てないってことさ」
「へ?」
 彼の言葉は事実であった。しかし、アリスゲームに関係する誰もが知っていて当たり前のことである。
真剣に耳を傾けていたのが馬鹿らしくなってしまった。
金糸雀は溜息をつきながら、自分が倒してしまったカップを起こした。
「そんなことは周知の事実かしら……」
「だけどさ、ドールにとって媒介は重要なのも事実だろ?」
「それはそうだけど……」
 一言だけ言って黙り込んだ金糸雀に、ジュンは話し続ける。
「だったらさ――」
 彼は眼鏡の位置を戻し、目を細めて微笑んだ。
「ミーディアムを殺せばいい」

「ただいま」
 玄関の扉を開けた少女が、ぽつりと呟く。
彼女の両親は共に職を持っており、この時間帯に家にいることは滅多のない。故に返答はなく、彼女の言葉は中空へと消えていった。
いつものことなので、さほど気にすることなく少女は廊下を抜けてリビングへと入った。
「ふぅ……」
 少女が鞄を床に置いてソファーへと座り込もうとした時、電話が鳴った。一体、誰であろう。父か母、もしくはセールスの電話だろうか。彼女は数秒間ためらった後、受話器を取った。
「はい、もしもし」
『もしもし、桑田さまのお宅ですか?』
 聞き覚えのない男の声。不審に思いつつ、少女は言葉を返す。
「はい、そうですが……どちら様ですか?」
『いやいや、御気にせず。 ただ一つ、質問に答えてもらいたいだけので』
「え?」
 少し間を置いて、男はゆっくりとした口調で訊ねてきた。
『巻きますか? 巻きませんか?』

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