「はぁ〜い。そういうわけでぇ、今日のデザートはみんなの大好きないちごよ〜。」
のんびりとした声がダイニングに響くと、一瞬だけ夕食時の喧騒がぴたりと止まった。
そして、またフォークやナイフを使う音や、おしゃべりの声などで騒がしくなる。
この家に人間は二人しか住んでいないが、何故かいつも賑やかなのは、
3体の不思議な人形たちがいるからだ。
そのうちの一体、桃色のドレスを身にまとった幼女姿の人形が、
他の誰よりも目を輝かせている。雛苺だ。
「わぁ! いっちご! いっちご! のりぃ、ヒナ早くいちごほしいのー!!」
「はいはい、ヒナちゃん。ちゃんとご飯を全部食べてからね。」
「えー! ヒナ、もうご飯食べちゃったよ?」
「そう? あらぁ、ヒナちゃん、まだ人参が残ってるじゃない。」
「ぶー。にんじんきらーい。」
「だ・め・よ、好き嫌いは。残さずちゃんと食べてね。」
「えー! いやなのいやなのー! いちごー!!」
言い争い合うのりと雛苺の横で、緑色のドレスをまとい、白いレースを頭にかぶった人形、
翠星石が渋い顔をしながら考え込んでいた。
(いちご……ですか……。)
緑色の右目と赤い左目。流れるような栗色の長い髪。
翠星石の脳裏には、一週間以上前にした雛苺との喧嘩の記憶がよみがえっていた。
正確に言えば、他のもう一体の人形である真紅と、のりの弟であり、
翠星石や真紅のマスターでもあるジュンとを巻き込んだ、小規模な攻防戦だ。
そもそものきっかけは、その日のおやつのときに、翠星石が雛苺の大好物の
ショートケーキのいちごを食べてしまったことにあったのだが、
翠星石はその事実をしらばっくれ、結局喧嘩の後にも、謝ったりはしていない。
別にそれで気にしたりはしていなかったのだが、こうしていちごを見てみると、
なんだか少しばかり苦しいような気分になった。
(そう言えば……明日って……。)
翠星石は食卓の上に置いてあった小さなカレンダーを見た。
カレンダーの日付には黒マジックで毎日バッテンが書かれているが、
今日の日付から未来の日付には何も書かれていない。
今日より一つ先の未来、つまり明日の日付をチェックする。
やはりそうだった。
(チビチビの誕生日……ですね……。)
正確には、雛苺が完成し、初めてゼンマイを巻かれた日だ。
その日から雛苺は、翠星石たち薔薇乙女の妹として動き始めたのだ。
翠星石は、自分の前に配られたいちごの入った容器を頭上に掲げると、
まだ夕食を食べていたり、いちごを食べ始めていたりの二人と二体に向かって
高らかに宣言した。
「きょ、今日は翠星石、もうおなかいっぱいですぅ!
このデザートのいちごはれいぞーこに入れて明日にとっておくですぅ!
だから、お前ら、絶対に手をつけるんじゃねーですよ! 特に、チビ苺!!」
「チビ苺!!」の部分でびしっと雛苺を指差し、腰に手を当て大きな態度を取ると、
翠星石は食卓の椅子から下り、容器を包むためのラップを探しに行った。
残された者たちは、翠星石の奇妙な言動にしばし呆気にとられていた。
翠星石の前にあった皿には、しっかりと人参が残されていた。
明くる日は休日で、朝も早いうちから、のりは台所でいそいそと何か作っていた。
その傍らには真紅がいて、のりの作業を物珍しそうに見ていた。
「真紅ちゃん、そこのナイフ取ってくれる?」
「これで良いの?」
「ありがとう。真紅ちゃんがいてくれて助かるわぁ。」
「こんなことくらいお安い御用なのだわ。」
翠星石の目覚めたのは昼も近くなった頃。昨日はあまりよく眠れなかったのだ。
彼女が台所への扉を開けると、のりや真紅はさっとその場にあったものを隠そうとした。
だが、扉を開けたのが翠星石だとわかると、落ち着いた様子でそれを隠すのをやめ、
二人とも翠星石に向かって微笑んだ。
「お寝坊さんね、翠星石。貴女にしては珍しいわ。」
「何してたです? 真紅、のり。」
「ああ、これ? ケーキを焼いたのだわ。のりがね。」
「真紅ちゃんに聞いたのよ〜。今日はヒナちゃんの誕生日なんですって?
だから、ヒナちゃんの大好きないちごショートケーキを作ってあげようと思って。」
翠星石の表情に暗い影が落ちたのを見て、のりは取り繕う。
「ああ! 大丈夫よ! 翠星石ちゃんの昨日のいちごは使っていないわ。
ちゃんと冷蔵庫にあるわよ。実はね、もう一パック買ってたのよ。このケーキのために。」
ほらと、のりはパックに入ったいちごを翠星石に向かって見せた。
翠星石は自分が無意識のうちに浮かない表情になっていたのに気付き、
それを打ち消すように笑った。
「あ、そ、そうです、よね。それなら良いんです。じゃ、のり、真紅、頑張ってです。」
だが、その笑顔はひきつっていた。声にも覇気がなかった。
翠星石はまた廊下に出ると、大きな鏡などが置いてある、暗い物置部屋に向かって走り出した。
残されたのりと真紅は、顔を見合わせ、肩をすくめた。
(どうせ……。どうせ、あのケーキの後じゃ、翠星石のあげるプレゼントなんて……。)
翠星石は暗い部屋の隅っこに座り込み、ひざを抱えた。
そう、翠星石は、昨日残した分のいちごを、雛苺への誕生日プレゼントにしようと
考えていたのだった。
普段は雛苺いじめに没頭している翠星石の、わずかながらの良心からの気まぐれだった。
雛苺はとにかくいちごが大好物だ。
何より好きなのは苺大福だが、いちごの乗ったショートケーキも負けないくらい好きだ。
のりの作ったショートケーキは、いちご単体よりもきっと何倍も雛苺に喜ばれるだろう。
翠星石は抱えたひざに顔をうずめた。
「ここにいたのか、性悪人形。」
声をかけられ、翠星石の見上げた先にはジュンがいた。
何時間経ったのかわからない。だが、ジュンが探しに来るということは、
相当の時間が経っているのだろう。
「ケーキ食うんだってさ。お前も来いよ。みんな待ってるぞ。」
そう言って、立ち上がらせようと腕をとったジュンの手を、翠星石は振り払う。
「ほっといてです。翠星石、そんなもん食べる気しねーです。」
振り払われた腕を上げ、頭をかき始めるジュン。
「あのなぁ……。何いじけてるか知らないけど……。」
「ジューン。翠星石、見つかったのー?」
翠星石をなだめようとしたジュンの声に、雛苺の無邪気な声が重なる。
とてとてと走る足音が近付き、ほどなく翠星石の横に雛苺が立った。
「翠星石、のりがケーキ作ってくれたのよ。一緒に食べるの、ね?」
小さな両手で袖をつかまれ、翠星石はやむなく立ち上がった。
「誕生日プレゼントって、やっぱりあげた方が良いです?」
洗い物をするのりの背中に、翠星石が問いかける。
夕食前のひととき。今日は十分食料があるので、のりは買い物に出かけず、
色々と片付けなどをしていた。
翠星石は食卓の椅子に座り、のりの作業をじっと見つめていた。
おやつの時間はちょっとしたパーティーだった。
のりのケーキは、やはり悔しいくらいに美味しかった。
雛苺も死ぬほど喜んでいた。
普段であれば、雛苺の喜ぶ姿はなんだか癪に障るといっていじめていた翠星石だったが、
今日は何もせず、ただぼーっとケーキを口に運んでいるだけだった。
「ヒナちゃんに? あー、わかった。昨日のいちご、ね?」
勘のいいのりはすぐに気付いた。翠星石が元気のない理由までも。
少々翠星石には気の毒なことをしたかなと、胸を痛めつつも、のりは優しく微笑んだ。
「誕生日プレゼントって、特別じゃない? いくら貰ったって嬉しいわ。
ヒナちゃん、いちごがとっても大好物だもの。きっと喜んでくれるわよ。」
のりの笑顔に、翠星石の瞳にもひとすじの光が差す。
「そう……ですかねえ……。」
口では疑うようなことを言いながらも、翠星石は椅子から下り、冷蔵庫に近付き、
奥の方に大事に仕舞っておいたいちごを取り出してきた。
その姿を見て、のりが慌てて洗い物の手を止め、タオルで濡れた手を拭いてから、
食器棚などをあさり始めた。
そして、どこからかピンクのリボンを取り出してきて、翠星石に渡した。
「前にね、クッキーを包んでいたリボンなの。良かったら、その容器に結んで。」
翠星石はリボンを受け取ると、満面の笑みでのりに向かってうなずいた。
雛苺はジュンの部屋で楽しげにお絵描きをしていた。
ちょうどジュンや真紅は階下でニュースを見ていた時間だったので、二人っきりだった。
「チビチビっ!」
ぽかんとした顔で振り向いた雛苺に向かって、
翠星石はピンクのリボンの結ばれた容器を差し出した。
少し離れたところからその中身を確認し、雛苺は例のごとく目を輝かせた。
「こ、これやるです。」
「わーい! いちごー!!」
雛苺が喜んで駆け寄ってくる。
その姿になんだか嬉しくなった翠星石は思わず笑みを浮かべた。
だが、その瞬間、雛苺の顔が凍りついた。足を止め、後ずさりを始める。
「な、何たくらんでるなの? 翠星石……。」
翠星石の微笑みは嬉しさからのものだったのだが、普段から笑顔でいじめを受けている
雛苺にとっては、ほくそえんでいるようにしか見えなかったのだ。
「うわーん! きっと何かわながしかけてあるのー!! 助けてー! のりー! 真紅ーーー!!」
雛苺は一目散に部屋から飛び出し、逃げていった。
翠星石はしばし呆然としていたが、我に返ると、雛苺の態度に憤った。
「な、な、なんですか!? せっかくの翠星石の好意を無にしやがったですねーっ!!!」
顔から湯気が出るほど怒りながら、翠星石は容器の中身をやけ食いしはじめた。
ヘタがついたままだったが、気にせず一気に流し込んだ。
「覚えていろですぅ、雛苺……。この恨みは百年先までですぅ!!」
その日から翠星石の雛苺に対するいじめは加速の一途を辿った。
そんな翠星石の姿を見ながら、マスターであるジュンはこっそり心の中でつぶやいた。
「やっぱ極悪だよな、あいつ。契約解きたくなってきたよ……。」
(終わり)