一人の人形師が、おそらく彼の工房であろう部屋の中をせわしなく歩いている。
部屋には多くの人形があった。
その中に、真紅たちも混じっている。
「もうすぐ完成だ。私のアリス」
そう言って、作りかけの人形に笑いかける男。
「長年追い求めてきた理想の少女……アリス見えるかい、このローザミスティカが?これは奇跡の石、モノに魂を与える魔石、お前の命だ」
彼は錬金術で作り上げた魔石を、人形の前に掲げた。
作りかけの人形は、まだ自分で話すことは出来ないが、人形師が自分の作り手であり父親だと理解していた。
そして自分は、望まれて完成を迎えようとしていると言うことも理解し、それを誇りに思っていた。
だが悲劇は突然おきた。
彼女がもう完成するという時に、男は姿を消してしまう。
「違う。このままのお前はアリスではない。私の心を照らす灯火にはならない……」
(お父様?何を言っているの?私は完璧よ?)
「そう、このままでは……濁った光しか照らさない出来損ないのランプにすぎない……」
(行かないで、お父様!私はまだ完成ししてないわ!)
「お前は名はアリスではない、水銀燈だ。私は去ろう。時が来るまで……アリスが羽化するその時まで……」
(いやああぁぁ!!お父様!私を置いていかないで!)
「お……ぎんと………おい、すい………じょ……か!」
(だから私を独りにしないで!私は出来損ないじゃない!私は、私はジャンじゃない!!)
「大丈夫か!水銀燈!!」
「え?」

ジュンに揺さぶられ、目を覚ます水銀燈。
「ジュン?ジュンなの?」
「大丈夫か?だいぶうなされてたけど……」
心配そうに水銀燈の顔を覗きこむジュンに、彼女は抱きついた。
「ジュン、ジュン!」
水銀燈に突然抱きつかれ動揺を隠せないジュンだが、彼女が泣いていると気がつくと、優しく抱きかえした。
「大丈夫。もう、独りじゃないから」
水銀燈は泣きべそをかきながら、ジュンを上目遣いで見た。
「もう、私を置いていかない?」
どうやら夢と現実がまだはっきりしていないのか、ジュンは水銀燈を少し幼く感じた。
「ああ、もう君の傍から離れないから……。約束するよ」
命一杯優しく、ジュンは言った。
しばらくして水銀燈も落ち着いてくると、さっきの事が原因で気まずい雰囲気になっていた。
(でもこの雰囲気、心地が良いな……)
そんなことをジュンが考えていると、水銀燈が静かに口をひらいた。
「ジュン、私ね……ジャンクなの」
「え?……ジャンク?」
ジュンは、彼女の言葉の意味がわからない。
「そう、ジャンク。……私たち薔薇人形が、一人の人形師から作られたのを知ってる?」
ジュンは静かに頷いた。

「人形師ローゼン、いやお父様は……私を作ってる最中に姿をけしたの。だからは私は未完成のドール。……ジャンクなの」
「な!?」
ジュンは驚きを隠せない。
「私が目覚めた後、お父様の使いラプラスの魔がアリスゲームについての説明をしたわ。その後、お父様は何処かで他の六体のドールを作った」
「ん?まてよ、つまり水銀燈が一番初めに作られたの?」
力なくうなずく水銀燈。
「私は後に作られた娘達を探したわ。羨ましかった。彼女たちは私のように未完成でなく、最期まで作られていた。」
悔しそうに顔を歪める彼女に、ジュンはなんと話しかければ良いかわからない。
「悔しかった。本来私に与えられるはずだったローザミスティカから作られた彼女たちが……嫉妬していたのよ。私はいらない娘では無いと自身に言い聞かせ、私は懸命に生きてきた……でも……」
水銀燈は過去を思い出しているのか、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「…………その後、私が会えていないのは七体目のドール薔薇水晶だけ。名前はラプラスから聞いていたけど……」
「薔薇水晶……」
ジュンはその名を聞き、先ほどの事を思い出していた。
二度と同じ過ちはしたくない、後悔はしたくない、と強く思うジュン。
「私たち七体のドールは各々目覚めては眠り、眠っては次の持ち主の所へと各地を転々としてきたわ。ゲームの開始の合図は、七体が一つの地に集まり、同時に目覚めた時……」
「つまり、それが今というわけか……でも何でみんな、僕のことが?」
ジュンは問いかけるが、水銀燈もわからないと首を横に振った。
「つまり私はジャンク。壊れてるの。こんな私でもジュンは受け入れてくれる?」
水銀燈は返ってくる返事が、初めからわかっていた。
今まで彼女の持ち主になった者は彼女が欠陥品だと知ると鞄に閉じ込め、売りとばした。

何時からか彼女は人を信用しなくなり、無理やり持ち主や他の人間から命を吸い出してきた。
今回も彼女は、ジュンが自分を否定したら無理やり力を吸い、洗脳しようと考えていた。
今までジュンに優しい面を見せていたのも、彼を自分から離さないようにするためだった。
優しい言葉とちょっとした洗脳を施すだけで、彼は面白いように自分に信頼を置いてくれた。
彼女は好意をもつ人にさえ、信用を持てないほどに歪んでいた。
だが、ジュンの返事は彼女の予想とは違った。
「ジャンクなんかじゃないよ……」
「……は?」
彼は水銀燈を真正面から見つめると、はっきりと言った。
「水銀燈はジャンクなんかじゃないよ。立派なドールだ」
水銀燈はムキになって言い返す。
「何を聞いていたの?ジュンが何と言おうと、私は未完成。ジャンクよ!」
だが、ジュンも譲らない。
「いいや、違うよ。ドールの価値は作り手や、ドール自身が決めるものじゃない。所有者が決めるものだ。僕はおまえを信頼してるし、そばに居て欲しい」
ジュンは自分が口走っていることの重大性に気づきながらも、もう言葉が止まらなくなっていた。
「これは水銀燈で無くちゃ駄目だ。これだけは僕も譲れない。ほら?持ち主にここまで言われても、そのドールはジャンクと言える?」
少し呆気にとられた水銀燈は気を取り直すと、信じられないといった風に言い返す。
「そんなの屁理屈よ!そもそも、ジュンは私の持ち主じゃないわ!」
ジュンは真顔で言った。
「なら、僕が水銀燈の持ち主になればいい!」

「え!?」
もう一度言うジュン。
「僕は水銀燈の持つ主になりたいって、言ったんだ!」
照れくさいのか、顔を背けるジュン。
その様子が可笑しくて、
「なぁ〜に?それ、ウフフフフ!可笑しい!」
そしてジュンの言葉が嬉しくて、
「ウフフフ………フ…うっ、く……ぐすっ、うえぇ〜ふえっ……」
色々な感情が入り混じって、水銀燈は目から大粒の涙が溢れ出した。
「な!?泣くこと無いだろう!」
戸惑うジュンに、水銀燈は抱きついて泣き続けた。
「だってぇ!ジュンがぁ、そんな事言うから、私嬉しくて、自分でも良くわか……わからないよぉ〜。涙が…とまらな……ふえぇ〜ん」
ジュンは照れくさくて口では、
「まったく、しかたないな。何でこいつらは、蓋を開ければ園児ばっかなんだ?」
と悪態をつきながらも、しっかりと水銀燈を抱きしめていた。

真紅は青ざめた。
現実を受け止めることが出来ずに、さっきから放心していた。
(何故?あそこでジュンの腕の中に居るべきなのは、水銀燈ではなく自分のはず……)
真紅は気配を殺し、ずっと水銀燈をつけていたのだ。
今や五体のローザミスティカを手に入れた蒼星石に、今の自分が到底敵うはずが無い。
だが、単体で強力な力を持つ水銀燈のローザミスティカを手に入れれば、勝機があると踏んでの行動だった。
だが、今はどうでも良かった。
全てがどうでも良くなっていた。
彼女は、誇り高いドール。
力ずくで愛を手に入れても仕方が無かった。
「私は……どうすれば?」
あらゆる思考と想い、そしてジュンとの思い出が、彼女の胸を抉り取る。
「わたし?……泣いてるの?」
あまりにも惨めな自分に、あまりにも唐突な現実に、真紅の心は耐えられない
真紅は、聞こえてくるジュンと水銀燈の話し声から逃げるように、その場を離れた.

蒼星石は、もう壊すところが無いほどバラバラになった薔薇水晶の残骸を、足で蹴り飛ばした。
「くそ!くそ!くそお!!」
怒りは収まらない。
しかし、いつまでも時間を無駄にするわけには行かなかった。
「ジュンを探さないと……。見つけたら僕の手で直してあげるんだ。そして僕だけの、僕だけを見てくれるジュンを……ははははは!」
自分の都合に合わせた未来を想像し、笑いながら駆け出す蒼星石。
彼女はフィールドを風の様に駆け抜ける。
しばらくして、近くに他のドールが居るのに気がついた。
「ジュンを早く探したいけど、どうせ後で壊すんなら、先に殺っておいた方が楽かな」
蒼星石はそのドールの元へと走り出す。
しばらく進むと、よく知っているドールが居た。
「やあ、真紅。お久しぶり。元気にしてたかい?」
陽気に挨拶する蒼星石。
「蒼星石……。私を殺しにきたの?」
真紅はまったく気力が無く、まるで絶望そのものと言う顔をしていた。
「なんだか元気が無いようだけど、僕は容赦はしないよ。ジュンが僕を待ってるんだ」
と、蒼星石はいたって真面目に言ったつもりだが、真紅はその台詞を聞いて吹き出した。
「ジュンが貴方を待ってるですって?とんだ勘違いなのだわ。ジュンは貴方ではなく、水銀燈が良いそうよ?」
蒼星石は、真紅の言葉にまったく動揺しない。
「ふーん。ジュンは単純だからね。きっと洗脳されてるんだよ。だから僕が夢に入って、悪い記憶をこの鋏で切ってあげるんだ。そうすればジュンは、僕しか見ない。ははははは!」
得意げに語る層星石を見て、真紅は嫌気がさした。
真紅にとって蒼星石の発言は、到底聞き捨てられるものではない。
「もう私にやるべき事は無いと、そう思っていたけれど、どうやら違ったみたいだわ。蒼星石!貴方をジュンと水銀燈の元へは行かせわしない!」
蒼星石に指をむけ、高々と宣言する真紅。
「僕も元からそのつもりだよ。君をジュンの元へは、行かせないさ!」

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蒼星石は先制を仕掛けるべく、真紅の元に走りより手にした鋏で斬撃をくりだす。
真紅は、腕から出した無数の薔薇の花びらで猛攻を防ぎ反撃を試みるが、蒼星石の圧倒的気迫に防戦一方になっていた。
「さっきの威勢は、どうしたの?ははは、守ってばかりじゃ、勝てないよおっ!!」
さらに、手数を増やす蒼星石。
目にも留まらぬ速さで鋏を扱うその姿は、まるで舞を踊ってるような美しささえ感じられる。
(まさか、ここまでとは!)
真紅は相手の予想以上の力に、内心焦りを感じていた。
(だけど、必ず勝機はあるはず!)
彼女は、諦めずにひたすら攻撃を防ぐ。
「ちい!これで、終わりだぁ!」
痺れを切らした蒼星石は、渾身の一撃で真紅の防御を崩そうとした。
その瞬間、真紅はひらりと身をかわす。
まさか避けられるとは思っていなかったらしく、大きく体制を崩す蒼星石。
「隙だらけよ!」
真紅は、突き出された鋏を掴むと、蒼星石に蹴りを入れた。
「ぐああ!!……くっそお!」
蹴りをもろに喰らい吹き飛ぶ蒼星石だが、地面にぶつかる前にクルリと受身を取ると、真紅を睨み付けた。
しかし蒼星石は、真紅に鋏を奪われた事に気づき、青ざめた。
「貴様ぁ!それを返せ!それは僕の、僕の大事な……」
「大事なモノなら、ちゃんと持っておかないと駄目でしょう、蒼星石?これは貴方のミスが招いた結果なのだわ」
見下すような目つきで、蒼星石を見る真紅。
「ぜったいにっ!コロスッ!!」
蒼星石は如雨露を取り出すと、それを力強く横に振った。
こぼれた水に触れた部分から、生え出た木は、ウネウネと蠢いていた。
「今からコイツ等で、串刺しにしてやる!」
その声を合図に、一斉に真紅目掛けて伸びる木。
真紅は避けるどころか、逆に伸び進む木に向かって走り出した。
そして、鋏で次々にそれらを切り裂いていく。

「ちっ!いちいちやる事が、ウザイんだよ!!」
蒼星石は自分が追い詰められているという現実を、理解できない。
いや、認めたくないのだ。
進行の邪魔になる木だけを、的確に切り捨て近づいてくる真紅。
蒼星石は、真紅に向かって駆け出す。
真紅が木の群から抜け出すとほぼ同時に、彼女は真紅に飛び掛った。
真紅も予想していたらしく、それを鋏ではじく。
「甘いのだわ!お見通しよ!」
しかし蒼星石はそれに、不敵な笑みで応えた。
不思議に思った真紅は、木が綺麗さっぱり消えていることに気がつく。
それが意味する事はひとつ、スィドリームが如雨露から人工精霊に姿を戻したという事だ。
「どこから!?」
真紅が周りに気を張っても、すでに遅かった。
真紅の頭上から、スィドリームの突進が襲った。
「くあぁ!」
吹き飛ぶ真紅だが、何とか受身をとって体制を整えようとする。
しかし、蒼星石は甘くなかった。
無理に立ち直ろうとしたその隙に、一気に近づいてくる。
「これで終わりだ!!」
渾身の一撃を振るう蒼星石に、真紅は微笑んだ。
「ええ、これで終わりよ。さようなら蒼星石」
あとちょっとと言うところで、蒼星石のこぶしは真紅に届かない。
それもそのはず。
彼女の足はいつの間にか、無数の薔薇の花びらに拘束されていた。
「え?……いつのまに?」
「本当に馬鹿ね。貴方が自分で近づいたのだわ。私は何もしていない」
蒼星石は過去に同じような事を、誰かにいわれた気がした。
しかしそれを思い出すよりも早く、彼女の右腕が斬り落とされた。
「うわぁ!?僕の腕がぁ!」
真紅は微笑んだまま、今度は左足を切り捨てる。

「うぎゃあ!やめろっ!!」
バランスを崩した蒼星石が倒れるよりも早く、片方の足も切り落とした。
地面に転がる蒼星石を、見下して真紅は言った。
「どう?壊される気分は……?」
「やめて!真紅、もうやめてよお!」
泣きじゃくり、残った左手を真紅に向ける蒼星石に彼女は、
「いやよ。貴方が私の立場なら止めないでしょう?だから、いやよ」
と冷酷に言い放つと、自分に向けられた左手を切り捨てた。
「うああ!僕は、僕はただ!……ジュンに」
最期の台詞を言い終わる前に、蒼星石の頭は切り落とされた。
「わかってるのだわ。私たちはただジュンが愛しい、狂おしい。そう……ただ、それだけの事」
真紅は決心した。
自分のやるべき事に迷いは消えた。
「あの二人が愛を選ぶなら、私は狂気を選ぶわ。あの二人が未来を望むなら、私はそれを破壊するのだわ」
真紅は笑う。
しかしその瞳だけは、笑ってはいなかった。
前よりさらに、光が差し込むようになった水銀燈のフィールド。
そこの建物の屋根の上に、ジュンと水銀燈は寄り添うように座っていた。
すでに契約を済ませた二人はお互いの手を握り合い、何か話し合うわけでもなく景色を眺めていた。
「このまま、時が止まればいいのに……」
「ぷっ」
水銀燈は真面目に言った台詞をジュンに鼻で笑われた事に、頬を膨らまして反論した。
「今のは笑うところじゃ無いじゃな〜い!」
「わかってるよ。でも言うと思ってたんだ、その台詞。ぷくくくっ、ははははは!」
ジュンは怒った水銀燈の顔が可愛くて、さらに笑ってしまった。
「なによぉ、なにが可笑しいのよぉ〜!」

水銀燈はさらに頬を膨らませ、ポカポカとジュンをたたき始めた。
「ごめん、ごめんってば」
何度も謝るジュンに、ようやく手を止めるものの、今度はふてくされてプイっと横を向いてしまった。
そんな彼女を見ながら、ジュンは呟いた。
「でも、本当にこのまま時が止まればいいのに……」
水銀燈は横を向いたまま動かない。
それを不思議に思ったジュンが、彼女の顔を覗き込むと、
「ウフフフフフッ、もうだめぇ!堪えられない!」
と言うと、お腹を抱えて笑い出す水銀燈。
「だって、その台詞、ジュンにまったく似合ってないんだもの!ウフフフフフ!」
ジュンは彼女の言葉にムッとするが、自分でも似合ってなかったと思い、つられて笑い出した。
ジュンも水銀燈も、周りから自分を否定されてきた。
自分を受け入れてくれる所など、自分の居場所など無いと思ってきた。
お互いの居場所を見つけた二人に、もう他のものなど要らなかった。
ただ二人でいられれば……
だが時は無限ではない。
水銀燈の人工精霊メイメイが、周囲の情報を伝えに偵察から帰ってきた。
「そう……。真紅が残ったの」
「真紅が……」
二人は同時に複雑な表情になった。
ジュンにとって真紅は、恩人であり、友人でもあり、そして家族の様なものであった。
まだ平和で一緒に家に居たころは、口では悪態をついても、内心とても感謝していた。
その真紅と水銀燈が戦うのに、何もできない自分を不甲斐なく感じた。
水銀燈にとって真紅は、ライバルであり、天敵であり、そして意見が決して合わないドールだった。
真紅は人との間にある絆を信じ、水銀燈はそれを否定してきた。
だがいまの彼女は、真紅の言っていた事が痛いほどよくわかるのだ。
真紅の絆を奪い、自分のものにした水銀燈は、どういう顔をして彼女に会えば良いのか困っていた。
メイメイがせわしなく動き回る。
どうやらフィールド内に、真紅が来たようだ。
「二人とも元気だったかしら?久しぶりね」

真紅はいつもの調子で話しかけてきた。
「真紅…………」
「………………」
かろうじて名前を呼ぶジュンに、無言の水銀燈。
二人の表情は重い。
そんな二人を見て、いつもと変わらぬ口調で、
「二人とも何を迷っているのか知らないけれど、私は貴方たちの未来を壊しに来たのだわ。そして、貴方たちはそれを守る。それだけの話でしょう?」
とさらりと言う真紅に、水銀燈は答えた。
「そうね、その通りだわ。私たちは戦わなければならない。その理由がある。他の事なんて、関係ないわね」
そして、ジュンの方に振り返ると笑顔で、
「すぐにやっつけてくるから。ジュンは向こうで待ってて?」
と、なるべく明るく言った。
「約束だよ。必ず勝って帰ってくるって……」
水銀燈は、優しくかえす。
「ええ、約束するわ。必ず勝ってくるわ」
「わかった。僕は水銀燈を信じる」
力強く頷くと、ジュンは少し遠くに離れた。
水銀燈は真紅の方に向き直ると、いつもの調子で言った。
「さあ、はじめましょう?真紅」
「ええ、そうね。アリスゲームを終わらせましょう。」

真紅はそう言うと同時に、手に鋏を握って走り出す。
水銀燈は真紅の攻撃を、空に飛ぶことで避けた。
すぐに後を追う真紅。
「向こうは六つのローザミスティカを持ち、こっちは一つ。その上、片翼は使い物にならない。力の差は歴然ね……」
水銀燈は羽根の一部を分離させ、そこから獅子を二匹造りだした。
そして水銀燈は羽根を無数、真紅にとばした。
真紅はそれを、無数の薔薇の花びらをぶつけて掻き消す。
そして、鋏を手にこちらに突き進んできた。
「行きなさい!」
水銀燈の号令で、真紅に襲い掛かる獅子。
だがスィドリームと薔薇水晶の人工精霊に体当たりをされ、呆気なく消えてしまう獅子。
真紅自体は足を止めるどころか、ますます加速している。
懐に入られたら負ける、と直感で悟った水銀燈は危機を感じた。
「メイメイ!」
人工精霊に体当たりを命じるが、真紅もすかさず、
「ホーリエ!」
と叫び、メイメイをホーリエが防いだ。
人工精霊同士の衝突で、強烈な閃光が広がる。
「う!」
思わず目を伏せる水銀燈。
だが、真紅の風を切って近づいてくる音が聞こえ、水銀燈は薄っすらと目を開け前をみた。
輝く閃光の中、真紅は目をつぶりながら、水銀燈の元へ駈けていたのだ。
最期は、呆気ないほど簡単に終わった。

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ジュンは上空で繰り広げられる戦いを、ずっと見ていた。
そして、閃光が突然彼の目に降り注ぐ。
人工精霊同士が衝突したのだ。
余りの眩しさに目をそむけるジュン。
ようやく光が止み、彼が上空を見上げると、そこには信じられない光景が広がっていた。
水銀燈と真紅は折り重なるようになっている。
「うそだ?」
真紅の手にはしっかりと鋏が握られ、
「こんなの、うそだぁ!!」
鋏は水銀燈の腹部を、深々と貫いていた。
「私の勝ちね、水銀燈」
真紅の台詞に、水銀燈はこう答えた。
「ええ……そうね。私の負けよ。そんな事、やる前からわかっていたわ。これでよかったのよ」
「どういうこと、水銀燈?」
真紅の問いに、水銀燈は彼女の体を抱きしめる事で返した。
「私は、未完成品なの。そう、私には欠けてる部分がある」
「は?」
話が飲み込めず、キョトンとする真紅。
そんな彼女を、さらに抱きしめると、水銀燈は続けた。
「欠けてる部分はね、真紅?腹部なの」
「な!?」
驚いた真紅が下を見ると、鋏は服を破っていただけだった。
「真紅。貴方は試合に勝って、勝負に負けたのよ」
いつの間にか二人を、水銀燈の僕である無数のドールが囲っていた。
「まさか、貴方!?」
「たとえ私の命に代えても、ジュンは守る。私が、絶対に……」
真紅は硬く抱きしめられて、身動きが取れない。
そこに無数のドールが絡みついた。
「私と一緒に死にましょう、真紅」
「や、やめっ……」
真紅が言い終わる前に、絡みついた人形たちは爆破した。
爆発の直撃を免れた水銀燈は、上空から地面へ落下した。
しかし即死はしなかったものの、到底助かる傷ではなかった。
そこに駆け寄るジュンは、悲壮な顔をしていた。
「泣かないで、ジュン」
水銀燈の体を抱き上げるジュンの顔をなでながら、彼女は優しく言った。
「でも……でもぉ……約束したじゃないか。……必ず勝って帰ってくるって」
水銀燈の体はボロボロだった。
両足と右手を失い、体のあちこちが欠けていた。
「あら、私は勝ったわよ?嘘はついてないわ」
陽気に笑う水銀燈。
「そんなの、そんなの屁理屈だ!」
ジュンの涙は止まらない。

「前に、屁理屈言われたから、お返しよ……」
水銀燈はにこやかに笑うと、今度は真顔で言った。
「ありがとう、ジュン。貴方に会えて、私は……しあわ…せだった。」
ジュンは、水銀燈の手を握る。
「僕も君に会えてよかった。でも、まだまだ一緒にいたいんだ。だから……だから、死ぬなよ!」
「ふふ……、ごめん…ね。それは……む…りか…な。…………じゅ…ん……すき…よ…」
握っている手から力が抜けた。
そして、ジュンの指にある契約の指輪が砕ける。
「水銀燈……。僕も…好きだよ……」
ジュンは涙を流しながら言った。
「これはこれは、とんだ悲劇ですね?坊ちゃん」
突然、背後から声が聞こえ、ジュンは振り向いた。
そこにはタキシード姿のウサギが立っていた。
「!?」
驚くジュンに、彼は言う。
「私は、ラプラスの魔。ローゼン様の使いの者です」
ジュンはローゼンの名を聞いて、立ち上がる。
そして凄い勢いで、ラプラスの魔に詰め寄る。
「ローゼンだと!?そいつのせいで皆は!!」
「まあまあ、落ち着いて話を聞いてください」
そう言うとラプラスの魔は、怒鳴るジュンの口を妙術でくっつけてしまう。
「んー!んんーーっ!!」
ジュンは口を開けれず、困惑する。
「私が坊ちゃんを伺った用件はですね、ずばり水銀燈を生き返らせる手助けを頼みたいのです」
ジュンはその台詞を聞いて、顔色が変わった。
「どうですか?悪い話で無いでしょう?」
「んー!んんーっ!!」
しかし、ジュンは返せない。
「おっと、そうでしたな。それそれ」
ラプラスの魔が手をジュンにの口に沿って動かすと、不意に口が元に戻るジュン。
彼をにらみつけ、ジュンは尋ねた。
「一体どうすれば水銀燈は生き返るんだ?」
「あるモノがあれば、すぐにでも!」
ジュンは、はっきりしない物言いにイライラしながら、再び尋ねた。
「あるモノって、何だよ?」
ラプラスの魔は、にやりと笑うと口をひらいた。
「それは、坊ちゃんの命です」

ジュンは、ラプラスの魔から一連の事情を聞いた。
ドールは人との絆で動くのだと、絆が強ければドールは強くなれると、そして例えそれがドール達の一方的なものだとしても……
そして絆の力次第では、ドールを直すことも、生き返らすこともできると……
しかし、生き返らす事に限っては、その代償に絆を結びし者が命を失う可能性が高いこと……
「復活に限っては、今回が初めてなので確証はありませんが……我々にも、最後に残ったドール。水銀燈が必要なのです」
ジュンは、もとより迷ってなどいなかった。
(洗濯のりの奴、やっぱり悲しむんだろうな……)
残される姉の事だけが、心配だった。
「どうなさいます?お早い、お決断を!」
「もちろん、やるよ」
ラプラスの魔は、その返事を聞いて体全体で喜びを表現した。
「素晴らしい!では、はじめましょう」
ジュンはラプラスの魔に言われる通り、欠けた指輪を左手に握り締め、もう一方を水銀燈の胸に当てた。
「ではでは!水銀燈の事を、想うのです、強く!」
「…………………」
ジュンは思い出していた。
ほんの短い間だったけど、彼女と過ごした時間を……
そのとき、水銀燈の胸に当てている右手が、振動のようなものを感じた。
(これは、鼓動?どんどん強くなっていく)
ジュンは、水銀燈が生き返ろうとしているのを、体で感じていた。
そして水銀燈の心音が強くなればなるほど、彼の心音は比例するかの様に、弱まっていった。
(水銀燈……また生きた君に会えないのは、残念だけど……)
ジュンの目から涙がこぼれた。
(守られてばかりだった僕の、これが唯一の恩返しだから……)
ジュンは、次第に体から力が抜けていくのを感じていた。
(どうか……僕の……ぶ…んも、し……あわせに…い………)
彼のの意識はそこで途切れた。

『どうか僕の分も、幸せに生きてくれ、水銀燈』
「ジュン!!」
突然起き上がる水銀燈。
目が覚めた彼女は、自分の状況に頭をかかえた。
(今、ジュンの声が?というか、私は死んだはず……)
そして水銀燈は、自分の横にジュンが横たわっているのに気がついた。
「ジュン、ジュン!どうしたのよ?しっかりしなさいよぉ!」
ジュンを揺さぶる水銀燈に、声がかけられた。
「そんな事をしても無駄だよ、水銀燈?彼は君のために、そうなったんだ」
彼女はこの声に聞き覚えがあった。
そして声の主の方に振り向くと、そこのは初老の男性が立っていた。。
「お、お父様?」
「ああ、そうだよ。久しぶりだね、水銀燈。いや、アリス」

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水銀燈は頭が混乱して、何がなんだかわからない。
その様子を見かねて、ローゼンは説明した。
「アリスゲームにお前は勝ったんだ。だが、せっかく勝ったのに死んでしまった。そこでジュン君に協力してもらったのさ。しかし、上手くいってよかった。何せ、実例がないからね。今回が……」
途中からローゼンの言葉が、水銀燈に届かなくなった。
「ジュンが私のかわりに……?」
彼女の様子に気づかずに、ローゼンは話をしている。
「しかし、途中はヒヤヒヤさせられたよ。水銀燈がやられてしまうのではないかとね……」
水銀燈は今の言葉の意味を、理解できなかった。
「お父様、それはどういう意味ですか?」
ローゼンはよほど機嫌が良いのか、機嫌が良いと饒舌になるタイプなのか、水銀燈の問いに答えた。
「ああ、水銀燈。お前には本当につらい思いをさせたね。私にとってアリスは初めからお前だったのだよ。当初の予定では、私が自らお前を完成させようと考えていた。だが、重大なミスに気がつい
たんだ。そう、完璧な存在であるアリスが、一人の人間の手によって完成するものなのかと……そこで、名案が浮かんだ!あえてお前を未完成のまま放置して、自力でアリスになるための舞台を用意しようとね。それがアリスゲームだ」
驚愕の真実に、どう反応すれば良いのかわからない水銀燈。
「私が、初めからアリス?」
「そうだ。可愛い子には、旅をさせよとは、よく言ったものだ。お前がひねくれていく様は、見ていて胸を抉られる思いだった」
この男、ただ単にお喋りなだけかもしれない。
「もしかして今回の件も……お父様が?」
「ああ、全てのドールの頭をすこしいじったんだ。お前や薔薇水晶はともかく、他のドール達がどうもやる気が無いようなのでね。痺れを切らして少し介入させてもらった」
ローゼンはそこまで話すと、後ろに控えているラプラスの魔に、目で合図を送った。
ラプラスの魔が合図に応え指を鳴らすと、唖然とする水銀燈の周りに、全てのローザミスティカが集まってきた。
「これは!?ローザミスティカが?」
「さあ、水銀燈。アリスへと羽化するときが来たぞ!」
ローザミスティカが、次々に水銀燈の中に吸い込まれてゆく。
「体が!……熱い!!」
すると、彼女の体が輝き始めた。
そして、彼女の姿は光に完全に飲まれてしまった。
「さあ!私のアリス!その姿を魅せておくれ!」
光の繭に、意気揚々と話しかけるローゼン。
次第に光は弱まり、完全に収まったとき、そこにこの世の者とは想えないほどの美しい少女が、いやアリスがたっていた。
「なんと美しい。これが、アリス」
「ほお……」

ローゼンはもちろん、ラプラスの魔までもが感嘆をもらす。
水銀燈は、自分の頭が驚くほどクリアーになっている事に驚いた。
(そうか、全てが完璧な少女。それがアリス)
そして、さっき聞いたローゼンの話も全て整理出来た。
「さあ、私のアリス。私の元へ来なさい」
腕を広げて微笑むローゼン。
だが、水銀燈はきっぱりと言い切った。
「嫌です。私は誇り高きアリス。私の主は、私が決めるのです」
「私以外に主にふさわしい者が、居ると言うのかね?それは誰なんだ?」
ローゼンは、本当にわからないといった風に尋ねた。
「私の主はジュンです」
はっきりと言う水銀燈に、ローゼンは笑い出した。
「ははははは、何を言うのかと思えば、彼はもう死んでいるのだよ?故人を主というドールが、どこにいるんだ?」
「ここに居ます。例えジュンが死んでも、私の心は彼と共にあります」
その台詞を聞いて、ローゼンは困り果てた顔をした。
「ふむ、仕方が無い。余りこういうのは、自分でアリスをつくった様で好まないのだが……ラプラスの魔よ。設定を元に戻せ」
「仰せのままに……」
ラプラスの魔が指を鳴らすと、空間に設定画面の様なものが開いた。

アリスゲームの設定変更をしますか?
はい。
全ドールの設定を元の状態に変更。
以上でよろしいですか?
はい。
では、アリスゲームを開始します。

ラプラスの魔は、あっという間に設定を書き換えた。
「さあ、これで元通りのはずだ。私のアリス、私を抱いておくれ」
水銀燈は無表情のまま、ローゼンを見つめる。
「どうしたんだ?私のアリス。さあ、おいで」
ローゼンは両腕を広げ、微笑む。

水銀燈は、今度は満面の笑みを浮かべて、ローゼンの元へと近づいていく。
「お父様。この腕に抱かれる日を、何度夢に見たか……。私の主は、お父様だけです」
その台詞を聞いたローゼンは、この上ない至福に満たされた。
「ああ、私もだよアリス。お前をこの腕に抱くのを何度夢見たか……」
そういうと、水銀燈を優しく抱きしめるローゼン。
グサッ!
「なっ!?」
ローゼンは驚愕の表情で、水銀燈を眺めた。
水銀燈は手には、ローゼンの血で塗れた短剣が握られている。
短剣は次第に崩れ、無数の羽根に姿を変えた。
腹部を押さえて崩れるローゼンに、水銀燈は言った。
「お父様……貴方は、最低のゲス野郎です。自分の自己満足のために、貴方は多くを犠牲にし、その自覚すらない……救いようが無いとは、正にこの事」
今だ現実が受け止められずに、ローゼンは彼女を見つめた。
「私の、あり…す……私を、置いて……いかな…いで……く………れ…」
ローゼンは必死に手を伸ばす。
彼が長年追い求めてきた夢に、探し続けてきた理想に、愛し続けてきた少女にもう一度触れようと……
「愚かね、お父様。貴方が欲しかったのは、完璧な少女ではないわ。貴方の好きにできる完璧な少女の間違いでしょう?つまり、私はお父様の理想でも何でもないわ」
「アリスッ!……わた…しの、ありす……ごほお!………わた…しを……ひと…りにしないで……く…がはぁ、ごほぉ!!」
大量の血を吐き出しもがくと、ローゼンはついに動かなくなった。
ローゼンの最期に、昔の置き去りにされた自分の姿を思い出す水銀燈。
「そこのウサギ?ちょっと、言う事を聞きなさい」
ラプラスの魔は、目の前の事にも特に動じず、平然と応えた。
「いいですよ。私は主を失いましたから、自分の意思で貴方の頼みごとを承りましょう」
水銀燈は静かに尋ねる。
「おまえはローザミスティカも操れるの?さっき、私の周りに集めたりしていたわね?」
おどけた口調で返すラプラスの魔。
「ええ、もちろんですとも!私はドールとアリスゲームの管理のために作られたのですか。でわでわ、ご用件は何ですかな?」
「私を元に戻して……」
ラプラスの魔は、少し驚いて聞き返した。
「それそれは、しか何故?貴方は、アリスになりたかったのでは?」
その問いに、水銀燈はジュンの方を見ながら答える。
「だって私は、水銀燈だもの。未完成で、ちょっと性格が捻くれていて、人間が嫌いで……それに」
「それに?」
そして水銀燈は、最高の笑顔をジュンに向けて言った。
「それに、ジュンは水銀燈である私を好きでいてくれたもの」

とある町のとある病院。
その中に数多くある病室の一室にジュンが寝ている。
そして窓際には、黒い翼の生やし、これまた黒いドレスを身に纏った少女の人形が腰掛け、歌を歌っていた。
「からたちの花が咲いたよ……」
六つのローザミスティカの力を使い、ジュンは命を吹き返したものの意識は目覚めなかった。
今もnのフィールドのどこかに彷徨っている彼の魂。
「白い白い花が咲いたよ……」
水銀燈は、まるで今にも起きてきそうな顔で眠るジュンを見つめる。
そして、彼女は静かに歌う。
「からたちのとげは痛いよ……」
窓から病室に、心地よい風が入ってくる。
カーテンがなびき、水銀燈の銀髪が流れるように風に揺れた。
「青い青いはりの………」
水銀燈は誰かが病室に近づいてくるのを感じ取り、さっと窓の外に隠れる。
まもなくして病室に、ジュンの見舞いに来たのりが入ってくる。
「ジュン君。元気にしてた〜?今日はね、ジュン君が好きだった…………」
答えるはずの無いジュンに語りかけるのり。
でも水銀燈は彼女の気持ちが痛いほどわかった。
「私も良く話しかけるもの……ふふ」
水銀燈は窓の外のふちに腰掛け、晴天の空を見上げた。
そして、思いっきり背伸びをすると、
「さあ、今日もジュンを探しにフィールドへ行かないとっ!」
と、張り切って立ち上がった。

いつか、また逢えると信じて……

どこまでも続く青い空へ……

少女は羽ばたく……

   -完-

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