「マスター、お茶が入ったよ」
ピンク色のエプロンを身に纏った蒼星石がキッチンから現れた。
「ん、」
俺の腰ほどしかない身の丈で、ティーカップの載ったトレイをよいせ、よいせと俺の前まで持って来る。
「ああ・・そこに置いといてくれ」
新聞に目を向けたまま、テーブルの上をくいくいと指す。
「うん・・っと・・」
危なっかしい手つきでカップを置く蒼星石。
横目で彼女の動作を観察するが、相変わらず全く進歩の無いどんくささ。俺はいつものように眉をしかめた。
「・・じゃあ僕、洗濯の残りを片付けて来るね」
トレイを片手に慌しく去っていく蒼星石。彼女の一日は労働に始まり労働に終わる。
しかし、その足並みが突然のチャイムの音で止まった。まだ10時前だというのに来客のようだ。
「あ、僕出るね!」
阿呆が廊下からぱーっと輝いた顔を覗かせる。
「馬鹿!余計な事はせんでいい!」
俺は一喝するとソファから腰を上げた。手櫛で軽く髪を撫で付ける。
「あ、うん・・ごめんなさい・・・」
階段の麓で佇んでいる蒼星石の頭を、丸めた新聞紙でバシッとはたく。蒼星石の栗色の髪が派手に舞った。
「最近失敗が少ないからと調子に乗るなよ。お前はさっさと洗濯をやって来い」
俺は足早に廊下を突っ切って玄関に向かった。

「おはよう、桜田君。久しぶりね」
扉の向こうから姿を見せたのは意外な人物だった。
ショートカットの髪をサラリと靡かせ、優雅に笑う。俺は凍りついた。
「か、柏葉・・・」
「まだ寝てたのかしら?パジャマでお出迎えだなんて、貴方らしいわ」
くすくすと上品に笑うが、何せ目が笑っていない。
「今日は部活がお休みだったのよ。どうせだし、久しぶりに来てみたの」
「そう、なのか」
「じゃ、ちょっとお邪魔するわね」
山の手の女子高の制服に身を包んだその少女は、俺の返事を待たずにズカズカと玄関に上がり込んだ。
「ちょ、・・・」
「ふーん、もっと散らかってると思ったんだけど。お姉さんがいなくてもちゃんと出来るじゃない」
家に入るなり、好き放題の感想を述べる柏葉。
「・・お前さ、来るなら来るって言えよ」
「どうして?貴方にそんな許可取る必要なんて無いじゃない」
「・・・ここは俺の家だ」
「そんな事を言う資格があったのかしら」
言いながら、ヒヤリと冷たい目をこちらに向ける。
俺はその瞳の奥の闇から、その言葉が示す事実から、逃げるように目を逸らした。
「くそっ・・・」
「あら?」
不意に柏葉が視線を足元に落とした。
「随分と可愛い靴ね」
腰を落ろして、片手でそれを摘み上げる。
「あ、ああ・・・それは・・」
「桜田君、貴方・・まだ人形が残ってたのかしら」
口調こそ穏やかだが、猛禽類のような瞳でこちらの目を覗き込んでくる。
「蒼星石というのがいてさ、あ、あの翠星石の双子でさ」
「ああ・・あの如雨露の子の。話だけは聞いていたけれど」
「そう。た、たまたま拾ってさ、家に置いてるのさ」
「ふーん・・・・そう・・」
蒼星石の詳細には興味は無いのか、物凄い目をしたまま俺の話を聞き流す。
 そのとき、
「マスター、洗濯終わったよ?」
突如会話に割って入って来たのは蒼星石だった。ギョッとして見れば、階段の陰からぴょこんと顔だけ覗かせている。

こいつの、この間の読めなさが本当に腹立たしい。
「あら・・この子がそうなのね。こっちに来なさい、蒼 星 石」
柏葉の威圧気味の声に、当惑してみせる蒼星石。俺の許可を求めるような彼女の視線に気付いた俺は、ただ無言で頷いた。
 やがてオドオドと全姿を見せる蒼星石。
よく見れば頭や服に洗濯の泡が付いたままで、エプロンも染みだらけだ。その哀愁漂う姿を柏葉に晒している事に、
俺は我が身の恥を晒すように居たたまれない気分に陥った。
 蒼星石が玄関まで歩いて来ると、すぐさま柏葉の視線が全身に注がれる。
『品定めされている』。肌で感じる、何とも気味の悪い感覚に蒼星石は身を竦ませた。
・・しかしその姿は、日々見慣れている俺から見ても酷いものであった。
凡そローゼンメイデンとは思えない程に痛み切って、ピンピンと撥ねたクセ毛だらけの髪。
青いベルベットの衣装は色がくすみ、ほつれも酷くて、まるで青黒い雑巾を身に着けているかのよう。
ローゼンメイデンのシンボルである、白磁のような白い肌までもが、色が沈着してすっかりくすんでしまっている。
こんな煤けた外見においては、赤と緑の派手なオッドアイなど、もはや只のチンドン屋である。
俺には柏葉の口元が段々と緩んでいくのが見て分かった。
「ふふ・・貴方にお似合いね、コレ。こういうのを見てると、雛苺が幾分救われて思えてきたわ、ふふ」
愉快そうに口端を歪ませる。
「・・・・」
俺は顔から火が出る思いだった。・・憎憎しげに蒼星石を睨む。
しかし蒼星石は俺と顔を合わせようとせず、何故かギュッと目を閉じたままだった。
「・・・・ッ」
見ると、目尻には涙が薄っすら浮かんでいる。彼女なりにプライドが傷付いたのだろうか。
 柏葉はスックと立ち上がった。
「お、おい・・柏葉」
「じゃ、私はこれで。ありがとう、蒼星石ちゃん」
柏葉はブッと大粒の唾を蒼星石の顔に吐き掛けると、振り向きもせずに去っていった。

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