ミニ話「あー、奴だよ、奴、奴だってば」
ジュン君は、近所の床屋さんに来ていた。美容院なんてこの年ではおしゃれすぎて無理だ。
おしゃれ床屋さんでもまだ無理。あまりのおしゃれに目が眩んで、
結局やってきたのは幼稚園からお世話になってる、馴染みの床屋さんだった。
「うおおう、ジュン坊久しぶりじゃねえか、元気だったか、
めしきちんとくってっか、歯磨けよ、便所いったか」
正直うざいのマックスだ、でもなんの気兼ねも無く髪を切ってくれるところは結局ここしかない。
多少のだるさを引きずってジュン君は、カット用の椅子にどすんと腰を置いた。
「髪はそろえる程度でお願いします」
親父さんにそう注文をつけた、さもなければどんな髪型にされるか分かったものではない。
そろえてもらうぐらいでちょうどいいのだ。
だがおかしい、親父さんからの返答がまったく無い。
いつもなら、あいようだとか、分かったようだとか、
そんな感じの台詞が帰ってくるのに、なにも帰ってこない。
いやな予感が全身を駆け巡る、はさみの音が聞こえる、
ちゃきちゃきと何か切っている音だ。ジュン君は、思わず後ろを振り向いた。
『奴』だ!『奴』がいる!名前は思い出せないが、
まあるい頭にオッドアイ、変な帽子といったら奴しかいない!
身丈の倍ほどある黄金のはさみを閉じたり開いたり、おまけにそのはさみには
うっすらと血糊が。
「お、おやじさんになにをした!」
青い服には返り血らしきものも見て取れる。奴は、指があるんだかないんだか分からない手で、
奥の部屋を示す、そこには、生死不明の親父さんの足がうごめいていた。
なんて気の毒な親父さんだろう、だが次にああならない為にも、ジュン君は奴には逆らわない方向で脳内会議を終了した。
奴の目的は大体分かっている。奴が持っているのは「はさみ」、ここは「床屋」。
やることはひとつしかない。
「か、かみはぁそろえる程度で…」
声が裏返る。奴は笑う、でもどっちかというと気味のいい笑いかたではない。
ニヤリという擬音が見えた、いや絶対見えた。
ガチャコン、ガチャコン。髪の毛が次第に切られ始める。
やっぱり、希望はこれっぽちも通じていなかった。あんな大きなはさみだ、
そろえる程度に、といったって無駄だった。
しかし、それでもいい。あの大バサミで首を切り取られるよりはよっぽどまし。これで一安心だ。
そう思った次の瞬間、首が飛んだ。頭が転がって無残にも床を汚す。
あああああ……、吹っ飛んだの隣の席のマネキンでよかったなぁ、もう少しでちびりそうでしたよ。
髪は切り終わった。きれいとか、そういう次元のレベルではない。
目をつぶって、自分自身で足で切ったほうがまだましなぐらいのひどい切り方だ。
でもいい、逆らって親父さんみたいになるなら、奴の欲求を満足させて早くこの場から逃げたいという
気持ちのほうがずっと大きい。終わったら、即逃げだ。だが、奴はジュン君を逃がさなかった、赤と緑の瞳ががきらりと光る。
サービスのつもりだろうか、シャンプー別料金のお店なのに、
ご丁寧にシャンプー台の用意をし始めている。奴はまんべんの笑顔だ。
得体の知れない液体をかけられる。なんか醤油のにおいがするような気もするし、
ついでにミートソースとかの匂いもする。
あと、なんかべとべとして、犬の口のにおいにそっくりだなものもかけられた。
犬の口……、そこでジジュン君は突然気づいた。
「奴、俺のこと喰う気だ」
もうこうなったら、逃げるしかない。シャンプー用の羽織物を引っぺがして、
ジュン君は、一目散に出口に向かった。多分このときのジュン君の瞬発力といったら、
アスリート選手並だったかもしれない。
だが、先回りされた。奴はオッドアイを血走らせて、ジュン君を狙っている。
ジュン君は覚悟を決めた、自分はここで死ぬんだ、親父さんのように全身を滅多切りにされて。
ああ、思えば短くつまらない人生だった……
奴はジュン君に領収書を手渡した。
“調髪代金三万九百円也”
ジュン君は喜んでお金を手渡した。助かった。助かった。助かった。
ただそれだけをつぶやきながら、ジュン君は床屋を後にしたのだった。
*
「おおう、よくやってくれたなお前のおかげで商売繁盛だよ」
奥からは特になんとも無い親父さんが出てきた、奴らはグルだったのだ。
奴は独特の鳴き声を出しながら、頭をぽりぽりと書いて、喜んでいる様子だった。
しかし親父さんは気づいていない。
実は、奴は、客の三分の一をこのはさみの餌食としていることを……