冬桜春雪
作品集: 最新 投稿日時: 2009/01/10 22:47:40 更新日時: 2009/01/10 22:47:40 評価: 14/15 POINT: 124 Rate: 1.86
外を舞う吹雪が桜なのか雪なのか。それすらレミリアは知らなかった。
薄暗く窓も無い部屋。吸血鬼の為に拵えられた密室の中に響くのは、鶯の鳴き声でもなければ春の陽気に浮かれた奴らの談笑する声でもない。猫がミルクを舐めるような、ともすれば下品な水音が聞こえる。レミリアと咲夜の微かに荒い息づかいも、隠れるようにしてそれに混ざっていた。
互いに纏う物はない。それでも寒さを感じないのだから、きっと今は春なのだろう。ふと、レミリアはそんなことを思った。しかし、自分を待つように濡れそぼった唇を目にして、再び意識が咲夜へと戻る。
両手を押さえつけ、些か乱暴に唇を合わせた。咲夜は抵抗することなくそれを受け入れる。凛々しく引き締まっていた瞳が、熱で溶けたように微睡んだ。それだけで、咲夜に抵抗する意志など元から無いのだとわかる。
もっとも、仮にあったとしても、もうそんな体力は残っていないだろう。口を合わせた回数を数えれば、今日だけで両手両足が足りないほど。絶頂に達した回数とて、両手の世話にならないといけない。
それだけの激しい運動をしても尚、平気な顔をしていられるほど咲夜の体力は無尽蔵ではなかった。まだやる気満々のレミリアとは、種族からして異なるのだ。吸血鬼が寵愛を求めるのなら、それを拒むことは体力的にも難しい。
「ん……ちゅぅ……はぁっ……」
唇を啄みながら、呼吸を織り交ぜ、じっくりと咲夜の口腔を犯す。何度も交わした口づけのせいか、顎の周りは唾液で覆い尽くされていた。
唇を犯す傍らで、レミリアは顎にも舌を這わせていく。だが舐め取ったはずの唾液は、そうするより前よりも遙かに多くなっていた。
「っふぁ……お嬢さまぁ……」
丁寧に、しかして荒々しく。レミリアは咲夜の顎を舐め、緩急をつけるように吸い付いた。胡乱な目つきになった咲夜が、桃色の声音でレミリアを呼ぶ。
「どうしたの咲夜?」
銀色の髪を撫でながら、問いかける。
これが初めてではないのだ。本当なら問いかけずとも、咲夜の欲していることは分かる。それでも尋ねたのは、偏に嗜虐心がそうさせるからか。優しく微笑むレミリア。咲夜は微かに胸を上下をさせながら、ふいに顔を背けた。
「駄目よ、お願いするときは相手の顔を見ないと」
「んっ!」
腕を押さえつけていた手で、今度は強引に顔を動かした。どうすることもできず、咲夜は恥ずかしそうに唇を噛みしめる。それがまた、レミリアの嗜虐心をそそった。
一秒。五秒。三十秒。黙り続けていた咲夜だったが、我慢できなくなったのか途切れ途切れに願いを口に出す。
「もっと……キスして……ください……」
「ふふふ、そうまで言われたら仕方ないわね。まったく、困ったものだわ。性に貪欲な従者というのも」
「うぅ……」
今にも泣きそうなぐらい顔を歪める。虐めるのはこれぐらいでいいだろう。
頬に手を添えたまま、再びレミリアの舌が咲夜の口腔へと侵入していった。ただし、今度はすぐに出て行くことはない。軟体生物のようにねちっこく、咲夜の舌に絡んでいく。されるがままに不服を覚えたのか、咲夜も負けじと舌を絡ませてきた。
しかし受けに甘んじてきた咲夜と、責めに徹してきたレミリアでは技術の差が段違い。たちまち咲夜は劣勢に追い込まれ、快楽のせいか舌の動きが鈍っていく。
レミリアの舌は口蓋へも及び、歯の裏側も丁寧に舐めていった。合わさった唇が微かに擦れる。冬ならば乾燥していそうな唇も、激しい口づけで漏れだした唾液によって湿度を保っていた。
「はぁっ……ちゅるっ、ぅ……ふぁ……ちゅぅ……」
舌は歯の裏から歯茎へと移り、唇の裏側も丹念に這っていく。唇の周りは尋常でないぐらい唾液で濡れるが、二人ともそれを拭おうともしない。それどころか、むしろ進んで濡らしていこうとさえしていた。
舌を這わせる傍らで、レミリアは唾液も移していく。
「んんぅ……はぁ………」
口腔に満たされた唾液を咲夜が嚥下する。媚薬の成分でも混じっていたのか。咲夜の目つきは益々胡乱になっていく。
一端呼吸を整え、レミリアの舌は口腔から首筋に戦場を変えた。春とはいえ、まだ若干の寒さは残っている。すっかり冷え切った肌を、ウォーミングアップを終えた舌先が熱を与えていく。
それに反応して、咲夜の小さな声が漏れる。
何を思ったのか、いきなりレミリアは首筋に牙をたてた。八重歯のように鋭く尖った犬歯が、柔らかい咲夜の肌に突き刺さる。
「お嬢様っ!」
吸血鬼。レミリアの性質を思い出し、突き放すように押さようとする咲夜。しかし下にいる状態で、満足に力を振るうことなど出来るはずもない。
レミリアの牙は咲夜の肌を抉り、二つの小さな穴から唾液のように血液がこぼれ落ちた。
「大丈夫よ、ちょっと肌を傷つけただけ。血を吸ったりしないわ。私は、あなたの望まない事はしない主義なのよ」
「そういう事は前もって言ってください。少しだけ、驚きました」
「いいじゃない。驚く顔が見たんだから」
それに、咲夜の血を舐めたかったということもある。例えとしては不愉快だけれど、樹木からわき出た密に群がる昆虫の気持ちが少しわかった。見てしまった以上、それからの欲求に耐えることなど出来るはずもない。
不服そうな咲夜をさておき、レミリアはご馳走を頂くように慎重な態度で血液を舐め取った。粘土の高い液体だ。長い間、口腔の中を強い鉄の味が支配する。久方ぶりの血液だった。愛おしむように咀嚼し、喉へと這わせる。
望んだ血液型ではないものの、愛おしい従者のものだ。美味しくないわけがなかった。
ひとしきり血液の味を楽しんだレミリアは、傷跡を軽く舐め、手を胸へと這わせていく。
「んぅっ!」
意図を察したか、身体を硬直させる咲夜。何度も行為を繰り返している癖に、胸を責め始めるといつだって固くなる。乳首が性感帯なのかとも思ったが、責めている時の反応を見る限りではそういうわけでもなさそうだ。
おそらく、胸にコンプレックスを抱いているのだろう。具体的にどういうものかはわからないが、反応が面白いので当分解決する気はなかった。
「今度は乳首に噛みついてみようかしら。ねえ、どう思う咲夜?」
逆に更に責めてみる。咲夜は身を強ばらせた。
「いや、さすがにそれは……んぁっ!」
どうせ答えなど聞かずともわかっていた。レミリアは咲夜が言い終えるより早く、乳首に歯を立てる。人間の犬歯とは比べ物にならない鋭さだ。針を刺されているのに等しい痛みを与える。
それを知りながらも、レミリアの牙は乳首を鋭く突き刺していた。力を込めれば込めるほど、咲夜が声にならない悲鳴をあげる。外れるんじゃないかというぐらい開かれた顎から、どちらのものとも知れない唾液が零れていた。
ゆっくりと牙を引き抜き、首筋にしたように今度は優しく舌で舐めとっていく。痛覚の後にやってきた快楽。緩急激しい責めに、咲夜の心も疲労が隠せない様子だ。疲れたように息を繰り返しながらも、顔は上気し、瞳は潤んでいた。
「可愛いわね、咲夜」
心からの言葉だった。それどころではない咲夜には届かなかったかもしれないが。
高級な織物を扱うように優しい手つきで胸を揉みながら、赤く染まった舌が咲夜の胸も同じ色に染めていく。舌先に付着した血液が移っているのだろう。
自らの血で、自らを塗りたくっている。そう考えると、レミリアの興奮もひとしおだ。
下の方を責めてもいいが、このままだと陰核にも牙を突き刺してしまいそうな予感があった。そんなことをすれば咲夜がどうなるのか。興味はあるが、壊してしまいそうで気が引ける。
やむなくレミリアはもう片方の胸に手を伸ばし、ゆっくりと口を開いた。
「……っぅ!!」
声なき悲鳴が上がるのはこれで二度目。しかし、今回のものは先ほどのものよりも強烈だ。
もう片方の乳首にも牙を突き立てられた咲夜。彼女の秘所からは唾液にも似た液が漏れだしており、絶頂に至ったのだと教えてくれる。
血液で喉を潤していなければ、それも口に入れていたであろう。飲み過ぎた事を、レミリアは少しだけ後悔した。
目を覚ます。隣には安らかな寝息をたてる咲夜がいた。
一切を身に纏わず寝ているところからして、おそらくあのまま眠りについてしまったのだろう。レミリアも血液を思う存分に飲めて、満足していたし。性欲はまだまだ満たされてはいなかったが、食欲が睡眠欲を誘ったのだ。
咲夜を起こして二回戦と洒落込みたいところだが、今は寝かしておくのが正解だろう。何しろ、連日連夜こうして肌を重ねているのだ。そろそろ咲夜の疲労も溜まってくる。
休める時は休ましてやらないと壊れてしまうかもしれない。咲夜は人間なのだ。
ベッドから降り、水差しを手に取った。コップへ注ぐ水音など大したものでもないのに、目覚まし時計を鳴らされたように咲夜が飛び起きる。優秀すぎる従者というのも、これはこれで困りものだ。
「も、申し訳ありませんお嬢様!」
「別に寝てても良かったのよ。水を入れるぐらい一人でも出来るし。もっとも、あなたは寝直せるような人間ではないんでしょうね」
「それほど肝は据わっていませんから」
一秒にも満たない刹那の時間。瞬きする間に、いつのまにか咲夜は服を着込んでいた。ずれたヘッドドレスの位置を直せば、そこにいるのはいつも通りの十六夜咲夜だ。咲夜はレミリアにも服を着せようとするのだが、手を振ってやんわりと断る。
血を飲み過ぎたせいか。まだ身体は少しばかり火照っていた。
苦笑を零しつつ、咲夜は乱れたシーツを回収していく。自らの体液で汚れたシーツを洗うのは、一体どういう気分なのだろうか。そう考えたこともあるが、結論が出たところで何か有るわけでもなし。椅子に背を預け、白樺のような足を組み替える。
咲夜がシーツを畳み終えると、トントンと一定のリズムで扉を叩く音がした。
「美鈴です。咲夜さんに用事があるんですけど、よろしいですか?」
「構わないわよ、入りなさい」
言われるがままに扉を開けた美鈴は、一糸まとわぬレミリアの姿に両肩を落とした。
「服を着ないと、風邪ひきますよ」
「吸血鬼がひけるウィルスがあるのなら、風邪に罹るのもまた一興」
「さいですか」
頬を掻き、口元を引きつらせた。美鈴には理解できなかったらしい。当然だ。当のレミリアですら理解できないのだから。勢いに任せた出鱈目に納得する者などいるわけがない。
「美鈴、私に何のようかしら?」
「あっ、そうでした。実は調理班のローテーションで少し問題が……」
「また、リリアがストライキでも先導したのかしら。まったく、下手に知恵をつけたらこれだから困るわ」
刺々しい口調で妖精メイドの名前を呼ぶ咲夜。それでも手の中のシーツに当たらないのは優秀だからか。いや、あたるほうが愚劣なのか。
コップを空にしたレミリアは、口元に残っていた血液の残骸を剥がし、尋ねる。
「ローテーションとか言ったけど。咲夜が全部担当していたんじゃないのかしら?」
「以前まではそうでした。ですが、最近は私も色々と束縛される身ですから。私だけで全てをやろうとすれば色々と問題があるのです。時間を止めたところで、限界がありますし」
「あら、それは私に対する皮肉?」
「いえ、少しばかり自重しては貰えないかという願望です」
笑顔でそう言う。これが肝の据わっていない奴の台詞かしら。レミリアは小馬鹿にするように鼻で笑った。
「とにかく、そっちの件は後で何とかしておくわ。それまでは他の班で空いた穴を埋めてちょうだい。悪いわね、多分最終的にはあなたが負担することになると思うわ」
「器用貧乏ですからねえ、まあ使って貰えるなら幾らでも力をお貸ししますよ」
「本当、助かるわね」
「いえいえ。それでは、私はこれで失礼します」
律儀に退室の言葉を述べながら、美鈴が部屋を後にする。本来は門番の仕事に専念している美鈴だが、あれでなかなか他の仕事でも上手くやっていけるほどの腕を持っているそうだ。唯一の例外は料理だけらしい。特定の料理以外は何をどうやっても残飯にしかならないのだと聞いた。
だからこそ食事に関しては咲夜が生命線なのだが。妖精メイドにそれが勤まるのだろうか。甚だ疑問だ。
レミリアの猜疑心を察知したらしい優秀な従者は、明日はどうしましょうか、と訊いてくる。この流れでこの問いかけ。空気が読める者なら誰でもわかる。
明日ぐらいはベッドから出てはどうでしょう。そう訊いているのだ。
レミリアは天井を見上げ、赤い装飾に目を細めた。
「美味しい料理も捨てがたいけど、今はそれよりももっと美味しそうなものを味わいたいわ。例えば、瀟洒な従者とか」
咲夜は露骨に溜息を漏らした。
「色に溺れるのを止めはしませんけど、たまには他の事もしてみてはどうでしょう。ほら、外では桜吹雪が舞っていますよ」
「それで?」
「……桜吹雪が舞う中でダンスをするなんて、なかなか素敵だと思いませんか?」
「相手がいないわよ。あなたが踊ってくれるのなら、考えてみてもいいけど」
少しだけ悩んで、咲夜は頷いた。
「ダンスの心得はありませんけど、お嬢様がお望みでしたらお相手をさせて頂きたいです」
そうまでして、咲夜は一緒に踊りたいのだろうか。おそらくは夜の相手をするのに疲れただけなのだろうけど。
レミリアは悪戯っ子のような笑みを浮かべて、冷酷に告げる。
「じゃあ相手をして貰おうかしら。夜の」
「ダンスはどこへ行ったんですか」
「泡になって消えたわよ。そもそも、私は考えると言っただけ。やるだなんて一言も口にしてないわ」
確かに咲夜と踊るのも楽しいかもしれない。レミリアも心得は無いが、品評会ではないのだ。高得点を狙うわけでもなし、楽しんで踊ることが肝要なのである。
とはいえ、今のレミリアが手を繋いでくるくると回るだけで満足できるはずもない。咲夜の味を知ってしまった日から、飽きることもなく肌を重ね合わせてきた。最初は咲夜も怯えていたが、今ではこうして事後に軽口をたたき合えるほど慣れている。
まるで自分が咲夜を成長させたような気分だ。これを調教というのなら、なるほど人間が興奮を覚えるのも納得がいく。
真っ新な雪を踏み固めていくような感触は、何とも心地がよいのだ。
「それとも、咲夜は私とこういう事をするのは嫌?」
小首を傾げ、純真無垢を装って尋ねるレミリア。本心をわかっている咲夜には通用しなさそうなものだが、答えづらそうにしている辺りはどういう心境なのだろう。
「嫌というわけではありません。私だって……その、出来ればお嬢様と肌を重ねていたいです。ただ、それだけで良いのかと」
「肉だけじゃあ飽きるから、たまには野菜も食べなさいと言いたいわけ?」
「極端な話をすればそうです」
レミリアは眉をしかめた。咲夜の言葉もわからないでもない。同じ事をし続ければ、いずれは飽きる日がくるであろう。
だが、それが何だというのだ。飽きたなら飽きたで、今度は別の事をすればいい。飽きないのなら、それを繰り返していけばいい。ただ、それだけのこと。
世の中には、肉だけを食って生きる種族もいるのだ。
「まぁ、あなたの話も片隅には置いておくわ。とりあえず、今日はもう下がりなさい」
「かしこまりました」
頭を下げ、部屋から出て行く。残されたレミリアは空のコップを手に取り、少しだけ後悔した。水差しの中も空っぽだ。汲みに行かせれば良かった。
しかし、今更呼び戻すのも滑稽すぎる。しばらく待って、身体の火照りが治まったら水を飲みに行こう。
一人だけの部屋で、吸血鬼はそう呟く。
その頃には、咲夜の言葉など影も形も覚えていなかった。
庭を見て、ふと思い出す。
季節を肌を感じたいからと、無理を言って幾本もの桜を植えさせた。かなり強引にやらせただけあって、花が咲かない木の方が多かった。しかしそれでも、律儀に咲いてくれた桜が数本。彼女らは春が来るたびに、レミリアの目を愉しませてくれた。
今年の春も、庭を桜色に染めあげた。来年の春になれば、きっとまた同じように彩ってくれることだろう。そう、春が来れば。
うら寂しい庭を見ていると、こちらの心まで枯れたように寂しくなる。たかが庭の景色一つで、こうも心を動かされるものなのか。昔の自分が聞いたなら、レミリア・スカーレットも衰えたものねと笑われるだろう。
「あら」
寂しい庭に同情したのか、空から降りてきた雪が景色を白に染めようとしている。一面が真っ白というのも億劫な風景だが、灰色が基調とされた景色よりはマシかもしれない。両手に息を吹きかけながら、レミリアはそんなことを思った。
温かい息を吹きかけたのに、手はまだ仄かに赤い。部屋の中は温かいけれども、閉めきっているせいか廊下は寒いのだ。レミリアの足が再び動き出したのも、きっと寒さがそうさせたのだろう。
そうでも無ければ、きっとあのまま立ち止まっていたかもしれない。出来ることなら、あの部屋だけは行きたくなかった。でも、行かなくてはいけない理由がある。
目的の部屋に辿り着いた。ノックもなく、レミリアは扉を開ける。
目に飛び込んできたのは、窓から見える月と雪。月光を透かした雪というのは、かくも風靡で儚げなものなのかと息を忘れさせる。しかし、それよりも儚げな存在がベッドで横になっていた。
何度も見た光景。なのに、我が目を疑いたくなる。
そして、否でも応でも痛感させられるのだ。
咲夜も人間なのだと。
「んんぅ……」
気配を察したのか、身じろぎしながら咲夜が目蓋をあげる。かつての彼女なら飛び起きたところだけれど、そんな身体能力はもう残されていない。精一杯の微笑みを浮かべながら、軽く首だけでお辞儀をする。
「これはお嬢様、みっともないところをお見せしてすいません」
無理にでも起きあがろうとする彼女を、やんわりと押さえつける。寝たまま話すのを無礼だと言って怒るレミリアではない。そうだと知っているのに、咲夜はこうして強引にでも身体を起こそうとするのだ。
どれだけ時間が経っても、彼女の忠誠心だけは変わらないらしい。喜ばしいことなのか、レミリアには判断ができなかった。
「申し訳ございません。身体の具合がもう少し良ければ、こんな格好をしなくても済んだんですが……」
「いいわよ。別に私は気にしていないし」
咲夜を押さえつける度に、悲しい気持ちがレミリアを襲う。どうして、こんなにも彼女の身体は脆くなってしまったのか。まるで骨の代わりにスポンジでも詰めたかのように、咲夜の身体は脆く軽い。
手加減をしなければ、それだけで全身の骨があっさりと折れてしまうだろう。皮膚も弛んでいるし、筋肉も衰えている。満足に骨を守れる部分なんて、後はもう何もない。
見るだけで目を愉しませた銀色の髪の毛も、今では少し白みがかってくすんでいる。
五十年前の咲夜とは、何もかもが完全に違った。
「それよりも咲夜。美鈴から報告があったわよ」
「今日も滞りなく万事異常なし、ですか」
「ええ」
美鈴が咲夜の後を継いでから、報告は変わることなく異常なしの四文字だ。勿論、嘘や偽りを述べているわけではない。
予てより進めていた班分けの成果が、五十年の時を経ってようやく身を結んだだけのこと。だから咲夜の後を継いだといっても、美鈴が担当しているのは門番のような防衛任務のみ。それと、こうした咲夜やレミリアへの報告などだ。
調理や洗濯もやっているのは妖精メイド達。昔は本当に大丈夫かと疑ったものだけれど、完璧に整ったベッドや美味しい料理を運ばれては実力を疑うわけにもいかない。
咲夜が働いていた頃と同じぐらい、今の紅魔館は綺麗に歯車が回っていた。逆に言えば、それほど咲夜は働いていたということだ。これだけの年を重ねて、初めて心から感謝の言葉を贈りたくなる。
だが、言葉だけで良いのだろうか。咲夜は感謝の気持ちだけで満足だと言ってくれるかもしれない。
だけど、これだけ自分に仕えてきてくれた者に感謝の言葉だけというのは些か気がひける。何か、もっと彼女の望むことをしてあげたい。最近ではそう思うようになったのだが、上手い具合にいった試しはなかった。
何故なら。
「ところで咲夜、私にして欲しいことは思いついたかしら。何でもいいわよ。私が叶えられる範囲のことであれば」
「いえ、そのお気持ちだけで結構です。それだけで、仕えた甲斐があるというもの」
返事はいつも同じもの。一度として、具体的な答えを返したことはない。願いが無いわけでもなかろうに。
まあ、いい。
何の前触れもなく、突然願いを言うとは思っていなかった。だから、その為の対策も既に取ってある。ここでこの質問をした時点で、レミリアの計画はもう始まっている。
「そう。忠臣というのも困りものね。褒美を与えにくい」
「主からの言葉が、何よりの褒美ですから」
さて。
レミリアは肩をすくめ、踵を返した。
「それじゃあ養生なさいな。何か願いが出来たなら、また来るわ」
それだけ言い残し、部屋を後にするレミリア。本当に願いが出来るまで来ないのなら、おそらく一生ここには戻ってこれないだろう。だけど、願いがないなんてことがあるわけない。聖人君主ではないのだ。ただ咲夜がそれを口にしないだけ。
廊下を抜け、庭へと出る。廊下も寒いとは思っていたが、外に比べれば幾分かはマシだったようだ。空気は突き刺すように冷たく、息は吐く毎に白く変わる。降り積もっていないのが、せめての救いだった。
「久々に地上へ呼ばれたと思ったら、こんな扱いを受けるとは。これだったら、地霊殿でコタツにあたっていた方がマシね」
身体を縮こまらせながらやってきた少女が、遠慮無く愚痴を零す。これでこちらに何の否もなければ鼻で笑ってやるところだが、彼女が震える理由を作ったのはレミリアだ。
「温かいスープなら美鈴が用意してるわよ。帰る前に食べていくといいわ」
「彼女のスープが飲めるのなら来た甲斐があったというものだけど」
欲が無いと言えば、目の前の少女もまた欲がない。こんな所までやってきて、寒空の下で待機。それをスープ一杯でやってくれるというのだから、頭の下がる思いだ。
もっとも、本当はスープが目当てというわけでもないのだろう。彼女達は地下に封じ込められたような存在。妄りに地上へ上がってくることを許されず、こうして誰かに呼ばれないと滅多に出てくることはない。
だから二つ返事で了承したのだろう。レミリアの頼みを聞けば、地上に出てくることができるから。
水色の手袋を摺り合わせる。拍子に、桃色の髪の毛から雪がこぼれ落ちた。
「あの子達やこいしのお土産、何にしようか。魚を欲しがってるみたいだったけど、生臭いお土産というのも何だかな……」
ぶつぶつと、詮無き事を呟くさとり。
このまま帰ってしまいそうな感じだ。
「それで。私の頼んでいた事は出来たのかしら?」
猫缶と魚という単語を交互に繰り返していたさとりは、ゆっくりと顔をあげた。半眼の向こうに、鬼灯のような瞳が見える。
「今更忠告するのも遅い気がするけど、あまりこういう事はお勧めしないわよ。隠しているということは、誰にも言いたくないという事だから。むやみやたらに掘り起こしていいものではない」
「あなたが言えた台詞じゃないと思うけど、意固地になって口を閉ざした子がいたら、どんな手段を使っても本心を知ろうとするのは当然のことじゃなくて?」
「それもそうね」
ここでムキになって反論してくるのは閻魔ぐらいのものである。地下に閉じこめられたような奴が、閻魔と同じだけの良識を持っているはずもなかった。
「本題に戻しましょう。咲夜は、私に何を望んでいたのかしら?」
咲夜の部屋の窓の下。さとりはそこに待機して、常に咲夜の心を読んでいた。だからどれだけ彼女が本心を隠そうと、今日だけは無意味なのだ。
さとりは僅かに残っていた雪を払い、言った。
「踊りたいそうよ。あなたと」
「はぁ?」
予想だにしなかった答えに、レミリアの口から思わず素っ頓狂な疑問符が飛びだす。
「正確には、桜が舞う中であなたと一緒に踊りたいんですって。以前、そういう約束をしていたんじゃない? 彼女、それをしっかりと覚えていたわよ」
顎に手を当て、真剣な表情で考え込む。
桜。ダンス。約束。ぶつ切りになった単語をヒントに、長い長い人生から思い当たる節を探す。そしてあっさりと、驚くほど簡単に答えは見つかった。むしろ、どうして今まで忘れていたのか不思議なくらいである。
「約束じゃないわよ、ただちょっとお願いされただけ。そう、あの子そんな昔の事をまだ覚えていたのね」
「……そういうあなたも、覚えているんじゃない。お似合いよ、あなた達」
レミリアが覚えていたのは、きっとあの頃を何度も後悔していたから。脳に傷として刻まれた記憶を、忘れることなんて出来るわけがない。
今日だって、何度も思った。
どうして、自分は咲夜との時間をもっと大切にしてこなかったのだろうかと。
吸血鬼の時間は長い。そして老いることもない。
その基準で全てを考えていた。だが、決してそれは人間に当て嵌めていい物差しではないのだ。人生が八十年だとしたら、死ぬまで二十代の体力を保っていられるはずもない。人は老い、朽ち果てる。時間を操る咲夜とて、そこに例外はない。彼女だって、過ぎた時間を戻すことはできないのだ。
だから、レミリアは後悔している。色に溺れているよりも、もっとしたい事は山ほどあった。美味しい紅茶を飲みたかったし、一緒に外に出かけるのも有りだ。戯れに弾幕ごっこをしてもいい。とにかく、満足いくだけの思い出が欲しかった。
だというのに、レミリアが思い出せるのは暗い部屋と、乱れた咲夜の姿だけ。情緒や懐古もあったものではない。
もしも過去に戻れるのだとすれば、レミリアは間違いなくあの頃に戻って、自分を一発ぶん殴ってやる。そして咲夜の忠告を聞くよう命じるのだ。咲夜の命は八十あれども、遊べる月日は限られているのだと。
「後悔するのは結構だけど、それより今どうするか考えるのが先なんじゃないの?」
「……悪趣味ね。本心は掘り起こさない方が良かったんじゃないの?」
「隠してなかったから。明け透けにされたものから目を逸らすほど、私は器用じゃないの」
不快な物言いだが、間違ってはいない。後悔するのも結構だけれど、問題はいま何をするのか。
咲夜が桜吹雪が舞う中で踊りたいのだと思っているのなら、それを叶えるのが主として、レミリア・スカーレットとしての本心ではないのか。
レミリアは決めた。まだ心を読んでいたのか、さとりの眉が怪訝そうに跳ね上がる。
「それはまた、随分と無茶なことを考えたわね。春まで待ったら駄目なの?」
「駄目よ。時間は有限。春まで何もないとは限らないじゃない」
人間は脆い。春まで生きていられる保証など、どこにも無いのだ。
「だから決めたのよ。この雪の中、桜吹雪を舞い散らせ、私は咲夜とダンスを踊るの」
骨董無形な決意に思える。
それでも、春を待つより有意義な気はする。
さとりの呆れた顔も、今は目に入らない。
老いて体力は衰えた。コップを持つだけで、手が震える。
かつては無尽蔵にも似たナイフを構え、不躾な侵入者と戦っていたというのに。それが夢物語であるかのように咲夜の筋力は衰えていた。
ただ代わりに第六感のような感覚は鋭さを増した。神経を集中していれば、ある程度の範囲の気配を察知できる。だから咲夜は初めから知っていた。部屋の外に、古明地さとりがいることを。
気配から感じられる微妙な揺れや強さで、大体の判別はできるようになった。姉妹のどちらか悩みはしたが、さすがに妹の方を察知できるほど感覚が研ぎ澄まされたわけではない。
「どうしてあんな所にいたのか……」
考えるまでもない。咲夜の心を知りたい人がいたのだろう。
何をして欲しいのかと聞かれ、何度も同じ答えを返してきた。いい加減、さぐり合いでは何も解決しないと悟ったのか。それにしては、随分と乱暴な方法だ。とても、レミリアらしいと言えばらしいが。
クスリと、いつのまにか笑いが零れていた。
「となると、おそらく私の本心は筒抜けになっているんでしょうねえ。さて、どうしましょうか」
今頃は、きっとどうやって冬に桜吹雪を降らせるか考えているはずだ。普通の主なら春まで待つが、我らが主がそこまで気の長い吸血鬼だとは思っていない。待つぐらいなら、こちらから動く。
彼女を止めることが出来るのは巫女と、天気ぐらいのものである。
だとすれば必ず、レミリアはこの無茶苦茶な条件をクリアしてしまうだろう。どうやって解決するのかは想像もできないが。
「だとしたら、私も何かすべきね」
この身体では満足に踊ることもできない。立って歩くことがやっとなのだ。踊るなんて、自殺行為もいいところだ。
ゆっくりと踊れば負担にもならないだろうと、レミリアは思っているに違いない。それはそうなのだが、どうせなら思う存分身体を動かしたいではないか。かといって、無茶をして身体を壊すわけにもいかない。
矛盾した悩みを抱えた咲夜だが、解決法はとっくに思いついていた。半ば賭けに近いが、やってみるだけの価値はある。
その為には、どうしても必要なものが一つだけあった。
「咲夜さーん、入りますよー」
タイミング良く、美鈴がやってくる。お盆の上には粥が乗っていた。どうやら、もう昼食の時間らしい。
「ねえ、美鈴。一つだけお願いがあるんだけど、良い?」
テーブルの上に粥を置く美鈴。
「良いですよ。咲夜さんの頼み事ですから、断るわけにもいきません」
「ありがとう。じゃあね、お嬢様の血液を数滴でもいいから手に入れて欲しいの」
想像の遙か上をいっていたのか。美鈴は目を丸くして動きを止めた。
気持ちは分からなくもない。
「そ、それは……また難題ですね……。しかし、どうしてまたそんなものを?」
「別に吸血鬼になりたいというわけではないわ。そもそも、血を飲んだだけでなれるものでもないし。ただちょっと、私の考えが正しいなら必要になるの」
「咲夜さんの頼みを断りたくはないんですけど……ううん、どうでしょう。難しいですねえ」
考え込む美鈴。難題を吹っかけているだけに、催促もできない。
駄目なら駄目で別の手も考えてはいるが、最も近道で確実なのがこの方法なのだ。
しばらく唸っていた美鈴だが、やがて思い切ったように胸を張った。
「……わかりました。保証はできませんけど、何とか頑張ってみます」
「助かるわ、ありがとう」
「お礼は終わってからにしましょう。出来ると決まったわけじゃないんですから」
「それもそうね。でも、きっと私はどんな結末になってもお礼を言うわよ。結果はどうあれ、行為は私の為にしてくれたことなのだから。お礼を言うのは当たり前でしょ」
咲夜は微笑み、蓮華を手に取った。
相変わらず、粥の腕前は一級品だ。微笑んだはずの咲夜の顔が、更に緩むのも当然のことと言えよう。
石に漱ぎ流れに枕す。孫楚は屁理屈をこねて誤魔化そうとしたが、レミリアもそうするわけにはいかない。
冬に桜が吹雪くなど、夏に雪が吹雪くほどあり得ないこと。幻想を核とする幻想郷だって、季節を無視すれば異変と呼ばれる。かつて、似たようなことをした輩がいた。あれは確か春を集めて、桜を開花させようとしていたのだと記憶している。
同じ手が使えないかと思いもしたが、春などどうやって集めればいいのだ。幽々子に聞いてみたものの簡単に口を割りはしなかった。一度は退治された身だ。口を閉ざすのも当然の反応と言えよう。
パチュリーとて、方法は知っている可能性がある。勿論、何も教えてくれなかったが。
守矢の所へも行ってみた。乾と坤を司る神ならば、気候も自由に変えられるのではないかと思い至ったのだ。しかし、結果は惨敗。さすがは幻想郷というところか。冬に桜を吹雪かせることの出来る輩はそれなりにいる。だが、誰もそう簡単に実行しようとは思っていない。
レミリアとて、目的が無ければこんなことで東奔西走したりしないし。
「いい加減、妥協するべきなのかもしれないわね……」
迷いの竹林を下に見ながら、呟くレミリア。出来ることなら、本当に冬を春にしてしまいたかった。しかしそんな異変レベルでの話、そう簡単に手伝ってくれるものなどいない。自分の能力が役に立つのなら、喜んで使うのに。
冬が春になるだなんて、どれだけ運命を操っても不可能な話だった。
ならば、後は偽りでもいいから桜吹雪を作り上げるだけのこと。決心はしている。だからこそ、永遠亭にやってきたのだ。
門の前にいた兎に用件を伝え、永琳の部屋へ案内される。こうして訪れるのは初めてのことだった。以前に来たときは隣に咲夜がいたし、目的が違っていた。穏やかな目で見るのなら、なるほどここもなかなか住みやすそうな屋敷である。
そうこう考えるいるうちに、永琳の部屋へと通された。見たこともない草や花が棚に並び、安っぽい机の上には木簡が無造作に置かれている。その隣には、何に使うのかすら分からない器具が要塞のように組み合わさっていた。
「珍しいわね、あなたが直接会いに来るなんて。どういう風の吹き回しかしら?」
「他の者には任せられなかったよ」
「つまり、それぐらい大事な頼み事があると。ふうん、興味深いけど恐ろしい話ね」
ウドンゲの代わりに永琳が紅魔館へやってきたとすれば、レミリアも同じような台詞を吐くだろう。
「別に異変の片棒を担げとか言うつもりはないわ。ただ、ちょっとあなたの弟子を一日ほど貸して欲しいだけよ」
「ウドンゲを?」
「そう、ウドンゲを」
永琳は眉間をほぐしながら、試すような目つきで尋ねる。
「何に使うのかしら?」
「桜を見たい人間がいるの」
「なるほど。この寒い中で、随分と酔狂な御仁がいたものね。当主を走り回らせるだなんて、尊敬の念すら覚えるわ」
皮肉混じりの言葉を呟き、永琳は丸椅子に腰を降ろした。
古びた床が軋む。
「ちゃんと返してくれるのなら、別に私は構わないわよ。そうね、謝礼はあなたのところの魔女が秘蔵している募集品を数冊でいいわ」
さすがは八意永琳か。ちゃんと取るべきところは分かっている。
交渉は難航を極めそうだが、冬に桜を咲かせるよりかは簡単な話だ。レミリアが頷きかけたところで、当のウドンゲが入ってきた。
「あの、師匠。どうしても師匠に会いたいって人が来てるんですけど」
「悪いけど、後にしてちょうだい。今は忙しいのよ」
「いえ、どうしても今じゃなければいけないんだって力説されているので。出来れば、今すぐ会って貰えないでしょうか?」
「我が侭な来客もあったものね。いいわ。レミリア、少しだけ待っててちょうだい」
「わかったわよ」
交渉自体は既に終わっている。今更、ここでごねるほど馬鹿ではない。
譲って貰った丸椅子に座りながら、永琳の帰りを待ちわびる。五分か十分か、永琳が帰ってきたのはそれぐらいの時間が経ってからのことだった。
出て行く時は僅かばかりの苛立ちが見えていたが、今はそんな感情は欠片も見あたらない。代わりに、難しい表情をしていた。
「待たせついでで悪いんだけど、謝礼を変更して貰っていいかしら」
これにはレミリアが驚く。
「いいけど、何を要求するつもりかしら。金銀財宝なんて紅魔館には無いわよ」
「難しい話じゃないわ。あなたの血液を、ちょっとだけ採取させて欲しいの」
鼻の付け根に皺が寄る。血を吸う吸血鬼が血を抜かれるなど、あまり気持ちのいい話ではない。出来ることなら断りたいところだけど、事が事だ。ここで永琳と交渉決裂しようものなら、次に何をすればいいのか検討もつかない。
なに、少しだけ血を抜かれるだけだ。傷つきそうな矜持は仕舞って、それより利を取ることにしよう。
「……いいわよ、それで。ただし、ちゃんと弟子は貸してくれること。それを明言してくれないと、この話は無かったことにするわ」
「了解。ウドンゲはちゃんと貸してあげるわよ」
永琳がそう断言したからには、約束は守られるに違いない。後は血を抜かれるだけ。吸血鬼と違って、牙があれば抜けるものではないから、きっと注射器を使うのだろう。
レミリアは腕の辺りをさすりながら、それと、と言葉を付け加えた。
「痛くしないでね」
永琳は笑って言った。
「善処するわ」
結果、永遠亭を出て行ったレミリアは半泣きになっていたという。
その日、アルコールの混じった脱脂綿で腕を押さえながら、涙ぐむ吸血鬼が迷いの竹林で目撃された。
「これで良かったのかしら」
永琳の問いかけに、美鈴は頷く。レミリアには少し悪いことをしたが、無理矢理戦って血を採取するよりは遙かにマシだ。無論、その場合傷つくのは美鈴の方なのだが。
「でも、こんなもの何に使うの? 私が持っている分には利用価値もあるけど、門番のあなたが持っていても何の役にも立たないわよ」
「いや、私にも何とも。ただ、咲夜さんがどうしてもお嬢様の血が欲しいと言うもので」
「十六夜咲夜がねえ、何とも。それはそれは無謀な挑戦ですこと」
「えっ?」
「いえ、こちらの話」
口ぶりから察するに、永琳は咲夜の意図を読み取ったのだろう。気になるところだったが、答えてくれるとは思いにくい。
「まぁ、私としても吸血鬼の血液サンプルは前々から欲しいと思っていたところよ。この頼みは渡りに船だったわ」
「そう言って貰えると、私も気が楽で助かります」
レミリアと違って、美鈴は永琳と交渉できるだけの材料がない。パチュリーの蔵書だって、持ち出すことすら出来ないのだ。
「それじゃあ、これ」
手渡された試験管には蓋がはめ込まれており、中には上質なワインにも似た血液が収められている。一見すると普通の人間と大差ないように思えた。しかし、咲夜はこれを欲していたのだ。
美鈴は礼を述べ、紅魔館へと戻る。
これで当面の肩の荷は下りた。話を聞いた時はどうしたものかと思っていたが、レミリアが永遠亭に行ってくれたのは僥倖だった。おかげで何とか血液を採取することができたのだから。
紅魔館へ戻ってきたは美鈴は、早速咲夜のところへ向かおうとする。
「美鈴」
しかし、それを止める声。聞き慣れた声は、振り返るまでもなく誰のものかわかる。
まさか。どうして、このタイミングで声を掛けてくるのか。
嫌な予感が体中を走り回った。だが振り向かないわけにもいかない。
恐る恐る、ブリキ人形がするように、ゆっくりと首を後ろに向けた。
「待っていたわよ」
腕を組んで、不満顔の当主様がこちらを睨んでいた。
「お、お嬢様!」
「お嬢様じゃないわよ。まったく、どこに行ってたの。職務怠慢ね」
咲夜の頼み事がばれたのかと思っていたが、どうやら違うようだ。レミリアが怒っているのは美鈴がいなかったからで、永遠亭に行っていた事すら気付いていない様子だ。
ひとまず美鈴は胸を撫で下ろす。
「す、すみませんでした。大事な用事があったもので」
「そうなの。それなら別に良いけど、誰かに伝えるぐらいしてもいいんじゃない。誰もあなたの行方を知らなかったから、失踪したんじゃないかとすら思ったわよ」
「いやあ、さすがに失踪する予定は無いですから」
誤魔化すように笑う美鈴。それでも、レミリアの機嫌は直らなかった。
「まあ、いいわよ。それよりも、あなたに頼みがあるんだけど」
既視感を覚える。まさか、主従の二人から同じ日に頼まれ事をされるとは思ってもみなかった。
よもや、咲夜の血を採取してくれなんて言い出すのはないだろうか。安堵感に包まれた美鈴の胸が、再び鼓動を早くする。
「あなた、妖精達と親しそうにしてたわよね」
「へ?」
見当はずれの質問に、美鈴は思わず気の抜けた答えを返す。
「だから、氷精なんかと親しげにしてたわよねって訊いてるの」
「ええ、よく遊んだりはしてますけど。それがなにか?」
「だったら、冬の妖怪も知ってるでしょ」
美鈴の頭に、レティ・ホワイトロックの姿が浮かぶ。一年で冬の間しかいない妖怪だ。会う機会は少ないけれど、冬が来るたびに話したりはしている。
頷く美鈴。花が咲いたようにレミリアの表情は明るくなった。
「冬の妖怪に頼んで欲しいことがあるの。明日、紅魔館に雪を降らせて欲しいって」
「雪をですか?」
難しい頼みではない。冬の妖怪なのだから、むしろ進んで降らせてしまいそうな気さえする。
しかし、わざわざ雪を降らせる必要なんてあるのだろう。放っておいても、冬なのだからいつか雪は降りそうな気がする。
「わかりました。今日中に探して、頼んでおきます」
「お願いね、美鈴」
ただ、あのレミリアがどうしても降らせたいと言うのだ。そこには美鈴の知らない事情があるのだろう。
だとしたら、従者に出来るのなら実行することのみ。戻ってきたばかりだが、また出かけなくてはいけないようだ。
レミリアが立ち去った後で、とりあえず美鈴は咲夜の方から片づけておくことにした。
「まったく、二人とも人使いが荒いんだから」
悪い気はしないけれど。
美鈴がどういう手段を使って血を採取するのか、実は若干の興味があった。自分から頼んでおいて何だが、咲夜が頼まれたとしたら確実にお断りするであろう。どうやって採取すればいいのか、検討もつかない。
だから美鈴から試験管を渡された時、言葉はなかったが驚いた。そして、どうやって採取したのか自ずとわかった。
「八意永琳を使ったのね。なるほど、その手は思いつかなかったわ」
医者であれば、血液採取も容易であろう。もっとも、咲夜の場合は思いついても頼むという選択肢は無いわけだが。どうにも、あの医者は苦手だった。こちらを見る目が好きになれない。
「あ、それとですね……」
「待って」
直感が働いた。確証は無いのだが、何を言おうとしたのか察する。
「ひょっとして、お嬢様について報告しようとしてないかしら?」
「え、ええ。一応は伝えた方が良いかと思って」
咲夜は自らの直感に感謝した。
「それはいいわ。だって、せっかくお嬢様が私の為に何かしてくれているところなのだもの。何をしようとしているのか、情報があったら分かってしまうでしょ。そうなったら、面白さも半減よ」
「あ、すみませんでした!」
意図を察した美鈴が、新米メイドのように深くお辞儀を返す。だが、何も悪意があってやった事ではないのだ。そんなに罪悪感を感じる必要はないのに。そう思いつつも、必死な美鈴が面白くてついつい笑みが零れてしまう。
顔をあげた美鈴は、何故か笑いだした咲夜を見て怪訝そうな顔をしている。
「ごめんなさい。別に馬鹿にしているわけじゃないのよ。ただ、ちょっと面白かっただけ」
「はぁ……」
気の抜けた声が聞こえる。よく分からないけど、とりあえず相づちを打っておけという感じだ。
「ねえ、美鈴。私ってとても幸せだと思わない?」
突然の方向転換に、美鈴は付いてこれなかったようだ。返事はない。
仕方なく、咲夜は一人で続けた。
「お嬢様だけでなく、あなたも私の為に願いを叶えようとしてくれた。こんな年老いた女の為に。私はね、それがとても幸せなことだと思っているの。だから自分の人生を後悔なんてしていない」
美鈴の表情も真剣なものに変わる。相変わらず返事はないが、ちゃんと聞いてくれているものとして話を進めた。
「だけど、お嬢様はきっと違う。あの人は、私との過ごし方を後悔している。そうね、私が唯一後悔している事があるとすれば、あの頃もっと真剣に忠告すべきだったということかしら。そうすれば、こうしてお嬢様がわざわざ私の為に飛び回ることはなかった」
人間の老いを知ってしまった以上、人間の短命さも理解してしまう。だからこそ、必死になっているのだろう。時間の有限さを知るには、些か時間が経ちすぎてしまっていたが。
どれだけ努力をしたところで、あの頃に戻ることはできないのだ。
「今の私は昔と違うから、お嬢様の望むような事は何もできない。紅茶だって、手が震えて上手くいれられないのよ。そんな私が出来ることなんて、せいぜいお嬢様の思い出作りに協力することぐらい」
「咲夜さん……」
「ちゃんと踊れるかは分からないけど、精一杯楽しむつもりよ。私の為にも、お嬢様の為にも」
咲夜が望むことは唯一つ。
主たる、レミリア・スカーレットの幸せ。
それだけだった。
ウドンゲは呼んだ、レティにも頼んだ。
するべき事は何も残っていない。
後はただ、明日の夜を待つばかり。
レミリアはテラスで腰を落ち着け、胸を高鳴らせながら月を仰いだ。
成功を願いながら。
自分でいれた紅茶を飲む。
目覚めてからずっと、まるで子供のようにワクワクしている。
この年になってもまだ、少女のような好奇心は衰えていないらしい。備え付けの鏡を見れば、ベッドの上で年甲斐もなくドキドキしている老婆の姿が見えた。滑稽にも思えるが、楽しいのならば全て問題ない。
クスリと笑ったところで、寒くなり毛布をかぶった。今日はどういうわけか、いつもより冷え込む。窓の外では、先ほどから雪がちらつき始めた。とてもとても桜が舞うような気候ではないが、さて。レミリアはこの難題をどうやって解決したのか。美鈴から情報を貰わなくて、本当に良かったと今は思っている。
人は未知のものに恐怖する反面、好奇心を抱くこともできるのだ。好奇心は猫を殺すと言われるが、なるほど。これなら人間だって殺せそうな気はする。購いがたい胸の高鳴りを聞いていたら、自然とそう思えるようになっていた。
呼吸を整えたところで、不意に扉を叩く音がする。急に背中を叩かれたように、咲夜の身体が反応した。
「咲夜さん、お嬢様が庭へ来てほしいとのことです」
扉の向こうから聞こえる声は、小悪魔のものだった。てっきり美鈴が来るとばかり思っていたのだが、珍しいこともあるようだ。
咲夜はわかったとだけ伝え、ベッドから降りる。クローゼットを開き、コートを羽織った。以前、美鈴が誕生日のプレゼントにと贈ってくれたものだ。大層温かくて重宝しているのだが、ミリタリー風なのが若干気になる。
壁に手をつき、アヒルの行進程度の速度で廊下を歩く。下手をすればレミリアが待ちくたびれてしまうかもしれないが、ここで無理をするわけにはいかない。咲夜の願望が叶うなら、この後はダンスが控えているのだ。無理は厳禁。
しかし、窓の外では相変わらず雪がちらついている。積もりはしていないものの、時間の問題だ。こんな状況でわざわざ庭に呼び出すだなんて、何かあると言っているようなもの。楽しみではあるが、しかし慌てるわけにはいかなかった。
確かめるように一歩、また一歩。壁を頼りに歩を進める。小悪魔が手伝ってくれたなら、もうちょっと早く進めるかもしれない。だが彼女は既に姿を消していた。美鈴と違って、あれは気を遣うという概念が欠落している。
もっとも、歩けないわけではないのだ。誰かの肩が欲しいなんて、ただの我が侭に過ぎないのかもしれない。
だが、このままではあまりにも遅すぎる。さすがに雪が積もってしまえば、レミリアの計画も無駄になる可能性だってあった。
咲夜は覚悟を決めた。
ここで、やってしまおう。
懐から試験管を取り出す。美鈴に採取してもらった、レミリアの血液だ。
蓋を開け、ひとおもいに飲み干した。血液を飲むのは初めての体験だったけれど、思ったより簡単に飲めた。喉を粘っこい液体が通り、やがて身体が入浴しているように熱を帯び始める。
強力な魔力が、行き場を失って熱に変わっているのだろう。だったら、その魔力に行き場に与えてやればいい。
咲夜は目を閉じた。
ここしばらくは、能力を使っていない。上手く使えるかどうか、些か不安だった。
そもそも、これは初めての試み。例え全盛期の自分だったとしても、不安は隠しきれなかっただろう。
当然だ。これから咲夜がやろうとしていることは、自然の理に反するのだから。
だけど、ここは幻想郷なのだ。人が空を飛び、死人が出歩く幻想の郷。自然の理とは最もかけ離れたここならば、成功しても不思議ではない。
そう確信し終えた時には、全て終わっていた。
目を開ける。
懐かしい感触が、体中から伝わってきた。
右手を見る。どこも震えてなどいない。
左手を見る。既に壁から手は離れていた。
「成功……したようね」
背筋は定規が差し込まれたように垂直で、両足はしっかりと朱色の絨毯を踏みしめている。鏡がないのは残念だが、きっと髪の毛もナイフのように銀色の輝きを見せていることだろう。
「察するに、あと三時間ってところかしら」
時刻は夜の八時になったばかり。四時間だったらシンデレラになれたものを。贅沢を言うつもりはないが、少しばかりロマンに欠けるではないか。まったく、気の利かない能力だ。
苦笑しながら、咲夜は再び廊下を歩く。今度は力強く、まるで足音を聞かせるように。
かつての十六夜咲夜の如く、瀟洒な従者は歩き出した。
図書館に来客があったという話は聞いていた。しかし、まさかそれが古明地さとりだったとは。優雅な仕草でお茶を楽しむさとりに、パチュリーは閉口した。
蔵書の整理をしていたところなのに、とんだ邪魔が入ったものだ。
「邪魔とは失礼ね。否定しないけど」
まったく、やりにくい。不機嫌な表情を隠しもせず、パチュリーは対面の椅子に腰を降ろした。
「私は忙しいんだけれど、何か用でもあるのかしら?」
さとりは飄々とした態度で答える。
「別に。あなたに用なんてないわ」
「だったら、何でここにいるのよ」
「少しばかり、気になる二人がいたもので。顛末が気になって、ついつい地下から出てきてしまったのよ」
二人と聞いて、思い出されるのは咲夜とレミリア。そういえば、今日がその日だったか。
パチュリーもレミリアから相談を受けていた。冬に桜を舞わせられないものかと。出来るとは答えたが、やるとは答えていない。それなのに決行しているというのなら、何か彼女なりの解決策を見つけたのだろう。
それが何か、気にならないと言えば嘘になるが覗きに行くつもりもない。ただ、一つだけ。咲夜に関しては思うこともある。
「メイドが吸血鬼の血を手に入れたと聞いたけど、何に使ったのかあなたは知ってそうね」
大方、誰かの心を読んだのだろう。美鈴から聞いたパチュリーとは違い、さとりが知るにはそれしか方法がない。
答えるべきかどうか悩んだが、どうせ隠したってすぐに分かる。さとり相手に秘め事なんて、無駄だと知っている。だからこそ、彼女は地下にいるのだ。
「推測ではあるけど、おそらく自分の時間を戻す為に使ったのでしょうね。世界の時間を戻すことはさすがに不可能だけれども、自分だけの時間なら必要な力も最小で済む。もっとも、それだって咲夜だけの力じゃ足りない。そこでレミィの血液、つまり魔力を補填したのよ。吸血鬼の魔力と咲夜の能力。それを組み合わせて成功したのなら、今頃はかつての十六夜咲夜がいることでしょうね」
本当にそんな事が可能なのか、説明しているパチュリーにだってわからない。理論上出来るからといって、現実にできるとは限らないのだ。
「なるほど、自分の時間を戻すねえ。そこまでするだなんて、よほど吸血鬼の事を慕っているのね」
「そうね」
素っ気なく答える。本当のところ、パチュリーはどうしてそこまで咲夜がレミリアを慕うのは理解できなかった。忠義というにしても、あまりにも行き過ぎていないのか。そう思う事が多々あった。
もっとも、レミリアを大切に思う気持ちはパチュリーとて変わらない。咲夜にとっての主は、パチュリーにとっての親友なのだ。
「ところで、あなたはメイドと会わなくてもいいの?」
「咲夜となら、いつだって会えるわ」
「分かってるのに誤魔化すのね。かつての十六夜咲夜と会わなくていいの?」
一切の誤魔化しが通用しないとは、何とタチの悪い妖怪であろうか。
パチュリーは表情を微動にせず、淡々と答えた。
「レミィの為に頑張ったのよ。なのに、その時間を私が奪うわけにもいかないでしょ。それに、咲夜と会ってもすることなんて無いもの。私には」
まぁ、強いていうなら美味しい紅茶をいれて欲しかったぐらいか。
レミリアはまだ良いとして、小悪魔はどうにも紅茶をいれるのが下手なのだ。何度やらせても、一度たりとて成功したことはない。美鈴は論外だ。
そんな気持ちを見透かしたかのように、さとりが愛らしげに微笑む。
「可愛いわね」
手近にあった本を投げてしまったことは、無理からぬことだと思った。
やってくるのは、年老いた咲夜だとばかり思っていたのだろう。若返った咲夜を見た兎は、月が落ちてきたかのように驚いた顔で固まった。
「あ、あなた、十六夜咲夜よね?」
滑稽な質問だ。だが馬鹿にはできない。
咲夜は笑って、そうよ、と答えた。
ウドンゲはまだ現実を理解できないようだ。赤い瞳を何度も擦って、見間違いでないことを確かめている。人を惑わす兎が惑わされるだなんて、何とも面白い光景だ。
「あなただけじゃない、私だって驚いたわよ。どうして、あなたがここにいるの?」
「ん、いやまぁ、色々と事情があるわけで。私も別に来たくはなかったんだけど、師匠に頼まれたから仕方なくというのか……」
煮え切らない返事だ。ただ、別に彼女が望んで来たわけではないらしい。
だとしたら、どうして此処にいるのかも理解していない可能性もある。何も聞かされず派遣されて、いきなり若返った咲夜を見せられたウドンゲの心境たるや、とても想像しきれない。
これ以上は話しても無駄だと思い、扉の向こうを指さす。
「お嬢様は庭にいるのね」
ウドンゲは慌てて頷いた。
「ええ、庭で待っているそうよ」
「そう」
素っ気なく答え、咲夜は扉に手をかける。不意に、ウドンゲがそれを止めた。
「ちょっと待って!」
「え?」
突然なんだろう。振り返った咲夜の肩に、ウドンゲは手を置いた。
まるでこれからキスをするような体勢だが、まさか本当にキスをするわけでもあるまい。咲夜が戸惑いの表情を見せると、ウドンゲは安心したかのように溜息をついた。
「悪かったわね、何でもないわ」
そう言って、手を離す。何だったのか、理解できない。
ただ、それ以上ウドンゲが喋ることも、何かをすることもなかった。
そんな彼女の態度を不思議に思いつつも、再び扉に手をかける。レミリアをいつまでも待たせておくわけにはいかないのだ。
ドアノブを捻り、扉を開ける。
「…………………」
感嘆の声すら出てこない。
幻想郷の中であっても、まるで幻想のような光景。
灰色の空を彩るように、地上へ降り注ぐ桜色の花弁。
ともすれば雪のような桜吹雪が舞う中で、一人の少女が咲夜を待っていた。
空へと戻っていくレティに手を振る。レミリアの頼みでは、後もう少しだけ雪を降らせ続けなくてはならないのだ。大変な作業だろうと思ったが、案外これはこれで楽しいらしい。笑顔で立ち去っていくレティの顔を思い浮かべ、美鈴はマフラーを巻き直した。
門番にとって雪やら雨は天敵だ。それで仕事が休みになるわけでもないし、ただただ寒くて冷たいだけ。風流という人もいるが、その中で仕事する身からしてみれば迷惑なだけだ。だから、美鈴はあまり雪や雨が好きではなかった。
ただ、今夜だけは。どれだけ雪が降っても許せる気がする。
レミリアのしようとしていることを、美鈴は何となく把握していた。狂気を操る兎に、寒気を操る妖怪。そしてパチュリーから聞いた、冬の桜。これらの話を総合すれば、誰にだって答えは導き出せる。
レティが雪を降らし、ウドンゲがそれを桜に見せる。そんな事が出来るのか疑問だが、有りもしないものを見せたり、有るものを見えなくなるようにできる兎だ。それぐらいの芸当なら、出来たとて不思議ではない。
だからこの雪は、咲夜とレミリアの為に降る雪なのだ。それを迷惑だなんて、思えるはずがなかった。
「寒いけど、頑張ろう」
もっとも、どんな気持ちだろうと寒さは変わらない。今日はマフラーに手袋と完全装備で挑んでいるが、いつまで保つのか甚だ疑問だ。他の妖精に任せてもいいけど、彼女達は美鈴ほど強いわけではない。
ひょっとすれば、誰かを通してしまう可能性だってある。普段なら厳重注意で済むところだけれど、今日だけは絶対に許されない。レミリアと咲夜の邪魔をすることは、何人にも許されぬのだ。
だからこうして、美鈴が門番をやらなくてはならない。寒いけど。
「お嬢様に咲夜さん、上手くいっているのかなぁ」
会う気はない。だが、それは気になる。
レミリアの作戦はおそらく上手くいっているのだろうけど、咲夜の方はどうだろうか。何も聞かされていないけど、咲夜の作戦に関しても美鈴はある程度のところまで推理していた。
そしてその推測が正しければ、
「めいりーん!」
「うわっ!」
まるで押し倒すような勢いで、後ろから誰かが飛びついてくる。こんな事をするのは、紅魔館で一人しかいない。
倒れかけた美鈴は踏ん張り、背中におぶさるフランドールに文句を言う。
「もう、妹様。急に飛びつかないでくださいよ。倒れたらどうするんです」
「んー、美鈴は強いから大丈夫だと思ったの。現に倒れなかったでしょ!」
そう言われると、褒められた感じもして複雑な気分になる。
「それより、さっき咲夜を見たんだけどビックリしたのよ。咲夜ったら、まるで昔みたいな感じに若返ってたのよ!」
ああ、と呟く。どうやら、美鈴の推測は当たっていたようだ。
そして、咲夜の作戦も成功したようで嬉しくなる。
「あれ? その顔、ひょっとして知ってた?」
「いえいえ、ちょっとした勘が働いただけです。しかし妹様、よく咲夜さんの邪魔をしませんでしたね」
紅魔館において、仮に二人の邪魔を出来る者がいるとすれば、それはフランドールだけである。さしもの美鈴だって、フランドールを止められる気はしない。
フランドールは不服そうに唇を尖らせた。
「私だって馬鹿じゃないもん。咲夜が誰のために、ああいう姿をしているか知ってるわよ。だから、あいつに譲ってやっただけ」
「なるほど」
「だから代わりに美鈴が私と遊んでよ!」
随分と物わかりが良いなぁと感心すらしていたのだが、やっぱりそういう結論が導き出されるらしい。
背中におぶさったままのフランドールを降ろし、申し訳なさそうな顔で答える。
「残念ですけど、今日はこうして門を守ってないといけないんです。だから、遊ぶのはまた今度でいいですか?」
「うん、じゃあ終わるのを待ってる」
「いえ、ですから出来ればまた今度で……」
「いつ終わるの?」
駄目だ。聞く気がない。
美鈴は諦めた。
「……十二時ぐらいには終わる予定です」
「じゃあそれからでも良いから遊ぼうよ! 何する? 弾幕ごっこ? それとも、ベッドで遊ぼうか?」
近頃のフランドールは、まるでレミリアの後を追うように色恋沙汰にも詳しくなってきた。この分だと、ベッドの上で性的な運動を覚える日もそう遠くないだろう。
色に溺れたレミリアは、何十年も経って後悔した。果たして、自分とフランドールはどういう未来を辿るのだろうか。
ただ一つ、咲夜達とは違うことがある。
「美鈴は妖怪だもんね。ずっとずっと、私と遊ぼう!」
自分の時間は、人間よりも長いということだ。
マフラーをフランドールの首に巻きながら、美鈴は了解の返事を返しておいた。とりあえず、今日は激務になりそうだ。
苦笑しながら白い息を吐いた。
驚く表情は予期していた。そしてきっと、喜んでくれるだろうとも確信していた。
だが、まさか。
その相手が若返っているとは、誰が予想できただろう。
咲夜の驚きに、レミリアも驚きを返す。桜色の吹雪が舞う中で、二人は互いに同じ表情で見つめ合い、寒さで凍ってしまったかのように固まった。そんな二人を溶かしたのは、皮肉にも時間というのだから面白い。
「さすがはお嬢様ですね。まさか、こんなにも美しい桜を冬に見られるとは思ってもみませんでした」
「私だって驚いてるわよ。まさか、あんなにも美しかった咲夜を今見られるとは思ってもみなかったんだもの」
何年ぶりだろうか、こうして咲夜と立ったまま会話をするのは。足が悪くなってから、とんと話した記憶がない。言葉を交わすことがあるとすれば、咲夜がベッドで寝ている時ぐらいだ。これが昔なら艶かな意味を持つのだが、今となっては悲しさしか漂ってこない。
咲夜が桜に手を伸ばす。元々はただの雪でしかない。桜は手のひらに吸い込まれるように消えて、微かな水に変わった。
なるほど。口には出さないが、そう呟いた気がする。咲夜は手を握りしめ、空を見上げた。偽りの桜に絶望したのか。その割に、表情は明るい。
「だから、あそこに兎がいたんですね」
「そういうこと。でも、種明かしは明日にしましょう。あなたのそれ、長くは保たないんでしょ」
どういう手段を使ったのかは知らない。だが、人がそう簡単に若返ることはできないのだ。永琳の薬を使えば可能かもしれないが、咲夜はそれを良しとするような人物ではない。何しろ、吸血鬼になることも拒んだ従者だ。薬になど頼るはずもない。
だとしたら、あれは間違いなく一時的な処置。時が過ぎれば、きっと元通りの老婆に早変わりだ。こんなお伽噺をどこかで聞いた気がする。レミリアは思い出そうとしたが、止めた。そんな事に、貴重な時間を使っている場合ではない。
積もり始めた桜の雪を踏みしめ、咲夜へ近づく。近くで見れば見るほど、懐かしさで胸が痛い。偽りの桜と違って、こちらは紛れもなくあの頃の咲夜なのだ。
「綺麗な髪の毛ね」
そっと、銀色の髪を撫でる。くすぐったそうに、咲夜は目を細めた。
「一つだけ後悔したことがあるとすれば、この髪が白くなってしまったことです。おかげで、もう二度とお嬢様に髪を撫でて貰うこともできなくなった」
「怖かったのよ。あなたの老いを実感するみたいで。でも、望むのならこれからも撫でてあげるわよ」
「いえ、大丈夫です。今日だけ撫でてくだされば、私はもう満足ですから」
本音か偽りか。さとりはもういない。
だからレミリアは咲夜が満足してくれるように、優しく、丹念に髪をなで上げる。確かめるように。咲夜がここにいるのを実感できるように。
何度も何度も髪を撫でられ、咲夜の表情も子供のように安らかになった。
思わず、レミリアはつま先で背伸びする。
「んっ……」
口を口で塞がれ、咲夜が動揺した声をあげた。それも、封じられてしまったのだが。
唇を重ねながら、レミリアはそれでも髪を撫でるのを止めない。かつての自分は、ここまで髪に拘ってはいなかった。きっと白くなった髪を見て、惜しくなったのだろう。人は失って初めて物の価値に気付くというが、吸血鬼も同じ事らしい。
レミリアはひとしきり咲夜の唇を堪能し、すぐに離れた。
「あの頃のお嬢様でしたら、きっとこの後はベッドに誘っていましたね」
「否定はしないわ」
肌を重ねる楽しさに溺れ、それ以外の楽しみを見ようともしていなかった自分。愚かしすぎて、振り返るのも嫌だ。だが、あの頃があるおかげで人との付き合い方を覚えたのも確かな事実。
元から知っているに超した事は無いけれど、人も神も吸血鬼もそれほど器用ではないのだ。失わないとわからない、大切さ。不器用すぎる話だ。
だけど、こうして数時間だけでもあの頃に戻ることが出来たレミリアは幸せな方なのかもしれない。
「でも、勿体ないでしょ。こんなに桜が舞っているのに、ベッドの中だなんて」
「私を束縛していた吸血鬼の台詞とは思えませんね」
「束縛ならしてるわよ。ただ、今はキスで充分なだけ」
肌を重ねたいという気持ちはまだある。だけど、それと同じぐらい他の欲求も存在していた。それが良いことなのか、悪いことなのか。それを判断するのはきっと、また五十年後のレミリアなのだろう。
反省していない考え方かもしれないが、根本にあるものは変わらない。すなわち、今を楽しく生きること。咲夜と一緒に、どこまでも楽しく。
レミリアは髪を撫でるのを止め、手を差し伸べた。
「踊りの心得はないけど、リードしてくるんでしょう?」
咲夜は苦笑しながら、その手をとった。
「生憎と、私にも心得がありませんから」
互いに苦笑しあい、ちぐはぐな踊りが始まった。
心得のない者同士がやるのだから、それは当然のことだろう。見る者が見れば、滑稽なダンスだと嘲笑ったに違いない。
それでも、二人は最後まで笑顔を崩すことはなかった。
今を楽しむように、あの頃を懐かしむように。
踊る二人を、桜の雪だけがいつまでも見ていた。
春はあけぼの。
冬はつとめて。
季節には季節の良さがありますけど、ギャップもまたこれはこれで良いものです。
十六
作品情報
作品集:
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投稿日時:
2009/01/10 22:47:40
更新日時:
2009/01/10 22:47:40
評価:
14/15
POINT:
124
Rate:
1.86
1.
10
点
名前が無い程度の能力
■2009/01/11 02:30:05
おかしいな、途中から画面がにじんで見えなくなったぞ…
どういうことなの…
2.
8
点
名前が無い程度の能力
■2009/01/11 22:27:40
かんどうした…
ラストは死かと思ったがこれもまたいい
3.
7
点
名前が無い程度の能力
■2009/01/12 12:37:10
二人の描写が、大変に素敵でした。
4.
8
点
名も無き毛玉
■2009/01/13 22:12:32
( ;∀;) イイハナシダナー
寿命ネタはベタだけどやっぱり好きです。そしておぜうさまと咲夜さんの寿命ネタはありそうでなかっただけに、楽しく読ませて頂きました。
オールスター気味なのもまたいい感じです。
5.
10
点
n
■2009/01/14 02:14:48
綺麗でした。
6.
10
点
なつめ
■2009/01/15 11:58:53
絶景。
素晴らしいとしか。
7.
10
点
名前が無い程度の能力
■2009/01/16 18:25:56
雪も桜も美しく、面白かったです
8.
9
点
名前が無い程度の能力
■2009/01/18 02:07:02
これこそが、幻想卿のひとつのあり方ですね!
9.
10
点
七紙
■2009/01/21 07:11:50
ネチョで泣くとは思わなかった。
素敵な話をありがとうございました。
10.
7
点
通りすがりの名無し
■2009/01/22 23:18:54
従者を想う主と、主を想う従者の互いに互いを想う心がもうね。
そしてその主従のために、何人もの人妖が手伝って初めて、冬に桜が咲いたのですね。
いい話でした。
11.
10
点
名無し魂
■2009/01/23 19:53:42
素敵だ……
登場人物が、納得できる形で動いていて、まるで目の前で実際に起きているかのようでした。
> レミリアは眉をしかめた。咲夜の言葉もわからないでもない。同じ事をし続ければ、いずれは飽きる日がくるであろう。
> だが、それが何だというのだ。飽きたなら飽きたで、今度は別の事をすればいい。飽きないのなら、それを繰り返していけばいい。ただ、それだけのこと。
> だから、レミリアは後悔している。色に溺れているよりも、もっとしたい事は山ほどあった。美味しい紅茶を飲みたかったし、一緒に外に出かけるのも有りだ。戯れに弾幕ごっこをしてもいい。とにかく、満足いくだけの思い出が欲しかった。
> だというのに、レミリアが思い出せるのは暗い部屋と、乱れた咲夜の姿だけ。情緒や懐古もあったものではない。
> 肌を重ねる楽しさに溺れ、それ以外の楽しみを見ようともしていなかった自分。愚かしすぎて、振り返るのも嫌だ。だが、あの頃があるおかげで人との付き合い方を覚えたのも確かな事実。
> 元から知っているに超した事は無いけれど、人も神も吸血鬼もそれほど器用ではないのだ。失わないとわからない、大切さ。不器用すぎる話だ。
500年を生きるレミリアも、精神的に成長するんですね。
> 反省していない考え方かもしれないが、根本にあるものは変わらない。すなわち、今を楽しく生きること。咲夜と一緒に、どこまでも楽しく。
さとりや鈴仙、レティを使って、自分本位にセッティングをするところは以下にも幼き王、レミリアらしいですが。
とはいえ、レミリアの血を手に入れる咲夜も結構強引ですが。
あと、美鈴がいい妖怪・できる妖怪過ぎた。いいキャラ。
素晴らしいSSでした。ごちそうさまでした。
12.
8
点
グランドトライン
■2009/01/23 20:38:07
たった一人の老女のためにこれほどの妖怪が動いた。
十六夜 咲夜、あんたは幸せ者だ。
様々なキャラクターが東弄西走する様は東方Projectならでは。
そしてオチをあえて出さないあたりが憎い演出でした。
ただ、ネチョの部分が弱く、文章が詰まり気味で少し読みづらかったです。
ですが、大きな時の流れと多くのキャラクターを上手く使った物語は見事でした。
物語としてなかなかの大作でした。
13.
10
点
名前が無い程度の能力
■2009/01/23 23:20:37
まちがいなくこれは泣ける。
しかし、レミ咲と同じくらいに美フラが気になってしょうがないw
14.
7
点
泥田んぼ
■2009/01/23 23:47:15
ほのぼのよしよし
15. フリーレス
名前が無い程度の能力
■2010/02/28 02:29:33
いま、マジ泣きしてるんですけど
深夜で良かった・・・
うわあああああああん
こんなに泣けるネチョ初めて・・・!
点数?100000・・・00000点さ!
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どういうことなの…
ラストは死かと思ったがこれもまたいい
寿命ネタはベタだけどやっぱり好きです。そしておぜうさまと咲夜さんの寿命ネタはありそうでなかっただけに、楽しく読ませて頂きました。
オールスター気味なのもまたいい感じです。
素晴らしいとしか。
素敵な話をありがとうございました。
そしてその主従のために、何人もの人妖が手伝って初めて、冬に桜が咲いたのですね。
いい話でした。
登場人物が、納得できる形で動いていて、まるで目の前で実際に起きているかのようでした。
> レミリアは眉をしかめた。咲夜の言葉もわからないでもない。同じ事をし続ければ、いずれは飽きる日がくるであろう。
> だが、それが何だというのだ。飽きたなら飽きたで、今度は別の事をすればいい。飽きないのなら、それを繰り返していけばいい。ただ、それだけのこと。
> だから、レミリアは後悔している。色に溺れているよりも、もっとしたい事は山ほどあった。美味しい紅茶を飲みたかったし、一緒に外に出かけるのも有りだ。戯れに弾幕ごっこをしてもいい。とにかく、満足いくだけの思い出が欲しかった。
> だというのに、レミリアが思い出せるのは暗い部屋と、乱れた咲夜の姿だけ。情緒や懐古もあったものではない。
> 肌を重ねる楽しさに溺れ、それ以外の楽しみを見ようともしていなかった自分。愚かしすぎて、振り返るのも嫌だ。だが、あの頃があるおかげで人との付き合い方を覚えたのも確かな事実。
> 元から知っているに超した事は無いけれど、人も神も吸血鬼もそれほど器用ではないのだ。失わないとわからない、大切さ。不器用すぎる話だ。
500年を生きるレミリアも、精神的に成長するんですね。
> 反省していない考え方かもしれないが、根本にあるものは変わらない。すなわち、今を楽しく生きること。咲夜と一緒に、どこまでも楽しく。
さとりや鈴仙、レティを使って、自分本位にセッティングをするところは以下にも幼き王、レミリアらしいですが。
とはいえ、レミリアの血を手に入れる咲夜も結構強引ですが。
あと、美鈴がいい妖怪・できる妖怪過ぎた。いいキャラ。
素晴らしいSSでした。ごちそうさまでした。
十六夜 咲夜、あんたは幸せ者だ。
様々なキャラクターが東弄西走する様は東方Projectならでは。
そしてオチをあえて出さないあたりが憎い演出でした。
ただ、ネチョの部分が弱く、文章が詰まり気味で少し読みづらかったです。
ですが、大きな時の流れと多くのキャラクターを上手く使った物語は見事でした。
物語としてなかなかの大作でした。
しかし、レミ咲と同じくらいに美フラが気になってしょうがないw
深夜で良かった・・・
うわあああああああん
こんなに泣けるネチョ初めて・・・!
点数?100000・・・00000点さ!