6日目
五枚目のトリコロールを求めて風の中を歩いていた。
不意に視界に入ったのは揺れる銀の髪。
黒い筒を構えた先には求めた姿と同じで違うトリコロール。
足が前に出ようと動くのを止める理由は一つでは無かった。
一つは貴方の元へ向かう障害を屠る邪魔をしてはならないと叫ぶ妄執。
一つは木々の間を駆け逃げていくトリコロール。
一つは紅く濡れた腕を気にする素振りもない仁王の足元に倒れ伏すトリコロール。
そして、菊丸の手に握られた紅を纏ったナイフ。
河村が起こした行動を想定する事は容易だった。
恐らくは襲われた不二を庇った。仁王になのか、それとも菊丸になのか。
だが、菊丸が仲間を手に掛けるだろうか?
いや、ならば俺にはその要素があったと見られている事になる。
其れは先の乾の視線が否定していた。
自問に勝手に答えを導き出す。
此処では何が起ころうと不思議では無い。ナイフから滴る紅い流れこそが真実だ。
そして、そのナイフで刺されたのだ。仁王も、河村も。
命を掛けて不二を逃がしたのだろう。俺とは違い、そんな男だった。
行動を起こす者が人数を減らす為には必要。俺は握った殺意の先を仁王に向けるべきだ。
解っていても体は僅かにすらも動きはしなかった。
横たわる二つの体からトリコロールを剥ぎ取り自分のバッグへと入れる。
嵩張る六枚の服は俺の決意を示しているかのようだ。
他人の目には重さもなく、ただ俺の心に広がるだけの理由でしかない。
片方からは手に持つナイフを、もう片方からは肩に掛けていただろうバッグから銃を奪う。
仁王は走り去った後だった。
追うべき方向は不二が駆けていった方角だ。既に仁王の迷い無き銃口に間違いを悟っている。
河村の流した紅はナイフによる物では無かった。恐らくは仁王こそが俺の協力者にして敵対者。
この過ちは結論としては正しかった。だが、躊躇いは二度とあってはならない。
新たに増やした傷を拭う事もなく、足の向きを反対へと向ける。
残り二本の内の一本を刻むべく、優しい男が命を掛けて守ったであろう者を追った。
方向は合っていても時間と距離が引き離した相手と巡り会う事は困難だった。
鬱蒼と茂る枝葉と暗くなっていく景色。
「手塚!漸く追い付いたか。流石に足が速いな」
何れは会うと足を緩めた時、背後から声を掛けられた。
疲れもあったのだろう。近付く気配どころか足音にも気付けなかった。
振り返れば其処には一人の男が空手で息を切らして立っていた。
酷く窶れ、手足は言うに及ばず顔までも擦り傷で飾った、見知った男。
この短い期間で面変わりした男からは以前の覇気が見られない。
「橘か。何の用だ?」
僅かな笑みを浮かべる男を用がなければ関わるなと言外に込めた一言で突き放す。
同時に武器の残量を確認する。銃が二挺と刃物が二振り、毒薬と固い果実が1つ。
ズボンに挟んだ銃の残弾数はまだ充分にある。
「いや……一つ聞きたい事があるんだが」
躊躇った問いの内容は言われずともわかっている。
一目でわかる橘の憔悴の理由は一つしかない。
共に歩んだ同校の者達を全て喪っている。特に絆の深かった彼等だ。
「地図はあるか?……伊武と神尾はこの地点にいる」
急ぎバッグを漁り差し出してきた地図の二点に指を置く。
僅かな躊躇の後に指を滑らせ灯台を示す。
「そして、此処に他の者がいる。だが、石田は人の姿を留めてはいない」
言葉と同時に手を銃へと回し、取り出しながら橘の体に狙いを定める。
呆然と俺を見る橘は未だ信じられないと目を見開いていた。
「てづ…か?まさか…」
搾り出すような声に撃鉄を起こす事で答える。
「お前がっ…!」
見開いていた目を一瞬眇め掴み掛かる手が体に触れる前に引き金に掛けた指を握り込んだ。
激昂した男は腹を紅く染め、崩れ落ちながらも俺の首を掴む。
「そう…だ。俺が、全て…屠った」
正確には神尾だけは俺が手を下した訳ではない。
だが、死んでいく男に未練は少ない方が良い。
金属が食い込む冷たい感触と締め上げられる首に声が掠れた。
此処で死ぬ訳にはいかないが離せと口にはできなかった。
「貴…様っ……!」
橘が言葉を残し切る前に再び木々に銃声を吸わせた。
闇が濃くなる木々の間を再び歩き出しながら首に触れる。
痕を強く残しているだろう事を熱さが教えた。
『こんばんは〜。恒例の放送ですよ〜。今日の死亡者は青春学園三年、菊丸英二くん、
不動峰三年、橘桔平くんでーす。コレで不動峰は全員ですね〜。
ですが、今日は二人だけでしたよ〜。半分を過ぎたと言っても油断は禁物ですからね〜。
明日はイイ報告を期待していますよ〜。ボクはココで待っていますからね〜』
響く声がその熱さを左肘に移していく。
貴方が待っている事実が俺の体を止めない。
だが、悪くなっていく視界に休息の必要を感じる。
疲れが気力と同時に視力を落とす。明日の成果を見るならば今は休まなくてはならない。
逸る思いを抑え、重く感じる体を木上へと移す。
バッグの底から乏しくなっていく食糧と水を出し口へと運ぶ。
既に慣れた簡易な食事を終え、目を閉じながら明日の予定を立てていく。
建物を探し食糧の調達も必要となった。
「わかっています。必ず貴方の元へと……」
頭の中で繰り返される貴方の待っているとの声。
其れに小さく応えながら紅く染まりつつある安らぎだった筈の闇へと意識を落とした。
【菊丸英二、橘桔平死亡】
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