事前と向き


 夕刻。私は、北山へと足を踏み入れた。
「天狗」
 特徴的な松の傍で立ち止まり、呼びかける。ほどなくして、ひとりの男が目の前に降りて来た。
「来たか。今日も頑張ったようだな、泰明」
 こちらに一歩近付いて来た者――天狗は、笑顔で私を見る。
「ん……」
 柔らかな声で認められたことが、嬉しかった。小さく、返事をする。それから、頬が熱かったので、下を向い
た。
 その日になすべきことを済ませた後、時間に余裕があるときは、いつも北山に立ち寄っている。
 天狗に、逢えるからだ。
「では、褒めてやろう」
 そのとき、上から声が聞こえた。天狗へと、視線を向ける。
 直後。私の唇は、天狗のそれに塞がれた。
「――何だ、急に」
 解放されたとき、私は尋ねた。
 天狗は何も告げず動き出すことが良くある。このようなことは、事前に教えるべきだと思うのだが。
「お前を喜ばせたくてな。嫌だったか?」
「――うるさい」
 笑いながら私の瞳を覗き込む天狗。私が決して不快にはならぬと知っているのだろう。
 小さく声を上げて、横を向く。それから、背を向けた。
 もう少し、天狗の傍で過ごしたいとは思う。だが、頬の熱が消えなかった。今の姿を見られたくない。
 もう、帰るべきなのだろうかと思ったとき。
「……泰明」
 背後から、低い声で名を呼ばれた。
 そして。ゆっくりと、抱きしめられた。
「――何だ?」
 深呼吸をしてから、質問した。やめて欲しいとは思わないが、何故いきなり私に近付いて来たのか、説明して
欲しい。
「……悪い。もうお前がこちらを向いてくれないかもしれないと、怖くなった。送らせて、くれないか?」
 低い声が聞こえた。腕の力も、強い。
 少し苦しかったが、天狗は本当の気持ちを伝えているのだと、分かった。
 そっと、口を開く。
「――まず、腕を解け。それに、急ぎの任務がないときは必ず逢いに来る」
 不安になる必要はない。時間さえあれば、いつでも私はこの場所へ来る。
 天狗の傍にいると、胸が満たされるから。
「……ありがとう。それで、送っても良いか?」
 腕を解きながら、私に問いかける天狗。
 私は身体の向きを変え、天狗と目を合わせてから、頷いた。


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