指と腕

 
「泰明」
 八葉として一日の任を終え帰路に就いていた泰明は、聞き覚えのある声に足を止めた。
「――天狗。何の用だ」
 夕空を仰ぐと、最高位の天狗がそこにいた。北山にいることが多い天狗だが、時折こうして空を駆け、様々な場
所へと赴くことがあるのだ。
「いや、特に用があるわけではない。声をかけてみただけじゃ」
 天狗は笑顔で泰明の目の前に立った。周囲に人はいないため、騒ぎにはならないと判断したのだろう。
「用もないのに呼び止めるな……」
 眉を寄せながらも、泰明は天狗が纏う衣の袂に視線を送った。箱のようなものがそこから顔を覗かせていたの
だ。見たことのないものだった。
「ん、どうした?」
「袂に何を入れている」
 尋ねると、天狗は袂から小さな箱を取り出した。
「ああ、若い天狗が新しい薬を作ったらしくてな。少し分けてくれたんじゃ」
 天狗は蓋を取り掌に箱を乗せると、その手を泰明に近付けた。
「そうか……」
 泰明は中を覗き込む。不思議な気を発する粉が満ちていた。毒ではないようだが未知の薬であるため、どのよ
うなものなのかは分からない。
「効果は聞いておらんがな」
 受け取った天狗自身も薬効は分からないようだ。ならば、話していても詳細を知ることは出来ないだろう。
「――そうか。天狗、用がないのなら私はもう帰るぞ」
「分かった。またな」
 泰明が言うと天狗は軽く手を挙げ、再び空へと羽ばたいた。

 しばらく歩き続けると邸に着く。泰明は結界を抜け、いつものように晴明の庵の前に立った。
「お師匠、ただ今帰りました……」
 意志とは無関係に、声の終わりが小さくなった。
 思うように口を動かせない。
 急激な眠気が、襲って来た。
「――泰明、どうした?」
「――っ、お師匠……」
 その場に立っていることすら出来ず、膝を突いた。痛みはない。病に侵されているということはなさそうだ。
だが、異常なまでの睡魔が消えない。
「泰明!?」
 晴明の声を微かに感じながら、泰明は意識を手放した。

「――う……」
 眠りから覚め身を起こしたとき、身体は褥の上にあった。この感触は知っている。晴明の褥だ。師が、自分の庵
に運んでくれたらしい。
 しかし、違和感がある。
 晴明の褥はこれほど大きくはなかったはずだ。
「泰明」
 身体中に声が響く。その方角へ顔を向け、泰明は自身の目を疑った。
「――お師匠、これは一体……」
 そこには正座した、驚くほど大きな身体の晴明がいた。
 否、晴明が大きいのではない。
 周囲の調度品も巨大な建造物のように見える。
 泰明の身体が小さくなっているのだ。
「もう分かってはいると思うが、お前の身体は縮んでしまっているのだ。何らかの原因があると思うが、心当たりは
あるか?」
 心当たり。今日はいつものように藤姫の館へと向かい、神子と共に京を巡った。普段と違ったことは、ひとつだ
けだ。
「――帰る途中、天狗に声をかけられました。そのとき、天狗は若い天狗が調合したという粉状の薬を持ってい
ましたが……」
「天狗はその薬を見せたか?」
 褥の傍らに座していた晴明の言葉に、泰明は目を見開いた。
「――見せました」
「……恐らくはその薬の効力だ。宙に舞った薬を僅かに吸い込んでしまったのだろう。だがその程度の量ならば、
しばらくすれば元に戻れるはずだ」
 晴明は、小さく息を吐いた。
「そうですか……」
 不便だが、今は待つ以外に方法がなさそうだ。非常に奇妙な薬を吸ってしまった。どのように作れば衣や首飾
りまで縮めることが出来るのだろう。
「……泰明」
 少しの間小さくなってしまった手の甲に目を落としていた泰明の前に、晴明が手を差し出した。
「お師匠……?」
 戸惑いながら泰明は掌の上に立つ。すると、目が合う位置へと持ち上げられた。すぐ前に大きな顔がある。
「ふふ、小さくなったお前も愛らしいな」
 晴明は、微笑みながら泰明を見つめていた。
「お師匠……」
 身体が縮んでも頬は熱くなるものらしい。泰明は、俯いた。
「……泰明」
 柔らかな声と共に一本の指が伸び、泰明の頭をなでる。
 美しい指が与えてくれる温度は、いつもと変わらないものだった。
「――お師匠は、私が小さくなっても優しく触れて下さるのですね」
 身体が変化した今も、晴明はいつもと同じように触れてくれる。そのため、自分とは比較にならぬほど身体が大
きくとも恐ろしくはないのだ。温かい気持ちが湧き上がって来る。
「――愛しい人に触れたいと願うのは当然のことだろう?」
 晴明は、再び泰明に触れた。
「――お師匠……」
 心地良さに瞼を閉じる。すると、不意に風が隣を横切ったように感じた。その感覚に目を開ける。
「……おや、泰明」
 晴明は褥に泰明を下ろした。
 徐々に泰明の身体は変わって行く。
「――戻りました」
 一瞬の後、身体は元の大きさに戻っていた。今はもう、掌に乗らずとも晴明と向き合うことが出来る。
「――良かった。小さなお前も良いが、やはりこうしてしっかりと触れられるほうが嬉しい」
 晴明は泰明を抱きしめた。その腕から、泰明の身体に体温が伝わって来る。
 先ほどまでは得ることの出来なかったその温度は、全身を包むようだった。


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