薄紅色の頬

「では、出かけてくる。泰明、いきなりですまないな」
「いえ、構いません。お師匠、お気をつけて」
 二月十三日夕刻。除霊の依頼を受けた晴明は準備を整え、玄関で泰明と会話していた。
「ああ、頼む――ところで、泰明」
 晴明は微笑み、泰明の瞳を見つめる。
「はい」
「明日はバレンタインデーだ……何か作ると良い」
 晴明はそれだけ言うと、困惑した表情の泰明にもう一度微笑みかけ、家を出た。

(……バレンタインデーか)
 晴明が出かけた後、泰明は居間で一人思案していた。
(……お師匠は、天狗に渡せ、とおっしゃりたいのだろう)
 泰明の恋人、天狗。いつも喧嘩ばかりしているが、泰明にとってはとても大切な人だ。もちろんプレゼントを渡し
たいという気持ちはある。
 だがいつも言い争いが絶えぬため、何となく気恥ずかしく、渡すことをためらってしまうのだ。手作りの菓子を贈
ろうか、とも考え近所のスーパーマーケットの材料売り場に足を踏み入れようとしたが、結局勇気が出ず、購入せ
ずに終わった。
(……しかし、お師匠のおっしゃったことだ……それに――)
 何より、愛しい人へ想いを伝えたい。そう思い、泰明は台所へ向かった。一呼吸おいてから冷蔵庫を開ける。中
にはチョコレートや生クリームなどが入っていた。戸棚を開ければ、薄力粉やココアパウダーが収納されている。
菓子作りに必要な材料は、一通り揃っていた。
(お師匠……)
 いつの間に購入したのだろう、と思いながら、少しだけ晴明に感謝した。一人では、きっといつまで経っても材料
を揃えることすら出来なかっただろう。
 泰明はしばらく考え、チョコレート味のカップケーキを作ることに決めた。持ち運びもしやすく、さほど手間もか
からない。泰明は以前テレビで見たレシピを思い出しながら、調理を開始した。

(――出来あがった)
 オーブンからケーキの乗ったプレートを取り出す。チョコレートの甘い香りが、台所中に広がった。
 今回は、とりあえず二つ作った。晴明には、仕事から帰ってきたら出来立てをプレゼントするつもりだ。一つは味
を見るためのもの。もう一つは。
「……天狗」
 そう呟いて、出来上がったケーキをそっと食べた。少し熱かったが、しっとりとしたチョコレートの甘味がとても
美味だった。

 翌朝八時、泰明は自室で制服に着替えていた。泰明は遙か学園高等部の三年生だ。遙か学園は中高大一
貫校であり、既に進級試験も済んでいるので、三年生は自由登校となっている。しかし、今日は泰明が以前図
書館で借りた本の返却日なのだ。
 泰明は自室から出ると台所へ行き、冷蔵庫を開けた。中から、箱に入れ丁寧にラッピングしたカップケーキを
取り出す。ケーキを作ってから気付いたのだが、晴明はプレゼント用の箱や包装紙、リボンも用意していたのだ。
ケーキを作り終えて不意に居間のテーブルを見ると、そこにラッピングの材料が並べられていた。泰明は心底驚
いたが、やはり晴明に感謝した。
 泰明は鞄に形を崩さぬようにプレゼントを入れコートを着ると、学校へ向かった。

(全く、何故こんなに……)
 午前十一時を少し過ぎた頃、泰明は両手に紙袋を提げて校門へと歩いていた。校内にいる時間は長くはなかっ
たのだが、多数の者からプレゼントを贈られたのだ。
 大きなため息を吐き、校門をくぐったとき。
「辛気くさい顔しとるのう」
 聞き覚えのある声に、泰明は歩を止めた。
「……天狗」
 振り返ると、外国製の車に乗った天狗が、車窓を開け顔を出していた。
「学校終わったのか。乗っていけよ」
「……何故お前がここにいる。今日は仕事も休みのはずだろう」
 眉を寄せる泰明。ウエディングプランナーとして働いている天狗だが、今日は休みだったはずだ。
「――ん、たまたまじゃ。ちょっと買い出しに行こうかと考えてな」
 天狗は答えた。本当は、晴明にメールで泰明が帰る時刻を尋ねたのだが、そのことは言わない。
「ならば早く行けば良いだろう」
「人の好意を踏みにじるのか?乗れよ」
 天狗は真っ直ぐに泰明を見つめる。その瞳に、泰明は思わず俯いた。
「……分かった、乗る」
 小さく返事をして助手席に乗ると、天狗は嬉しそうに笑った。
「ああ、そうじゃ。泰明、乗るなら儂の鞄ちょっと預かっててくれ」
 シートベルトを締めていると、天狗にそう言われた。泰明は分かった、と言い、自分の鞄と天狗の鞄を膝の上
に乗せた。

「……結構もらったんじゃな」
 赤信号の前で止まっていると、唐突に天狗が口を開いた。
「何をだ」
 泰明が訊く。
「バレンタインのプレゼント。多いな」
 信号が青に変わる。天狗はアクセルを踏みながら言った。
「……お前も、もらったのだろう」
 泰明は言う。天狗は、笑顔で答えた。
「まあな。儂はモテるからのう。まあ、今日じゃなくて昨日の話だがな」
 そうか、とだけ返事をして、泰明は天狗を見た。
 自信に満ち溢れた、美しい顔。癖はあるが整えられた真紅の長髪。ラフだがセンスの良い服装。確かに、惹か
れる者は多いだろう。
 その横顔に見惚れていると、赤信号の前で車が止まった。天狗の視線が泰明を捉える。泰明は驚き、目を逸ら
した。
「……泰明、お前からはないのか?儂へのプレゼント」
 その声音から、嬉しそうな表情をしていることが伺える。
「………」
 しかし泰明は、何も言うことが出来なかった。
 心の中で、またか、と思う。まただ。また本当の想いを口にすることが出来なかった。天狗と共にいるときはい
つもそうだ。
「何だ、ないのかよ。恩知らずな奴」
 やや落胆したように言い、天狗は車を走らせた。
(違う。本当は違う)
 そう言いたいが、上手く声が出てこない。泰明は下を向き、口を噤む。
「……泰明」
 しばらくして、天狗が沈黙した泰明に話しかけた。
「――何だ、天狗」
「儂の鞄開けろ」
 言葉の意味が分からないまま天狗の鞄を空けると、中にはオレンジ色の包装紙で包まれた綺麗な箱が入ってい
た。
「……それ、お前にやる。バレンタインのプレゼントじゃ」
 天狗は箱を横目見てそう言うと、少し顔を赤らめて視線を元に戻した。
「……」
 泰明は、箱を手に取った。小振りな箱だったが、結ばれた藍色のリボンには有名なチョコレートのブランド名
が書かれている。
 それから少しして、車は泰明の家に到着した。泰明は、意を決して口を開く。
「……天狗」
 鞄から、カップケーキを取り出した。
「……お前に」
 それ以上は、言葉が出てこなかった。震えながら、プレゼントを差し出す。
 天狗の手が、伸びた。
「……ありがとな。若返りそうなくらい嬉しい」
 満面の笑みで天狗は言う。
「……莫迦」
 たった一言、頬を薄紅色に染め、嬉しそうに泰明は言った。

 数秒後、天狗の携帯電話にメールが届いた。送信者は、晴明だ。
 メールには、仕事は終わったが少し旅行をしたい気分なので、泰継を誘って近場のホテルに泊まることにした。
泰明をよろしく頼む、と書かれていた。
(……どんな気のまわし方じゃ)
 天狗は小さくため息を吐き、携帯電話を閉じた。
「……泰明、晴明は今日は帰らんそうじゃ……家に上がっても良いか?」
 泰明は、頬に熱を感じながら頷いた。






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