閉ざしてばかりの唇 松の枝に腰かけ夕空を見上げていた天狗は、ふとある者の気を感じ下を覗き込んだ。 (泰明か) 思った通り、愛しい者がそこにいた。脱いでいた下駄を履き、地面に下りる。 「どうした?泰明」 「……天狗」 話しかけると、泰明はゆっくりと天狗を見上げた。 「――儂に逢いに来たのか?」 口元を緩め、問う。このように尋ねると、泰明はいつも何も言わずに横を向く。だがしばし沈黙した後、風音に掻 き消されそうなほど小さな声でああ、と答えるのだ。 「……ああ」 しかし予想に反し、泰明は目を逸らすことなく天狗の問いを肯定した。 「――泰明?」 「私は、天狗に逢いに来たのだ」 柔らかな声で泰明は続けた。端正な顔には優しい笑みが浮かんでいる。 「泰明――」 「お前に逢えて……嬉しい」 仄かに頬を染め、泰明は言った。 (……絶対におかしい。おかしすぎる) 微笑する泰明を、呆気にとられて天狗は見つめていた。 普段の彼とはあまりにも違いすぎる。このような表情を見せてくれることなどほとんどない。いつもは顔を背け、 ごく短い返事をするだけだ。もちろん、そんな彼が愛しくもあるのだが。 身体の具合が悪いのだろうか、と思ったが、気の乱れは感じられない。どこかに傷を負ったのか、とも思った が、それも見られなかった。泰明が何故このような表情を浮かべているのか、皆目見当が付かない。 おかしいとは、思う。 しかし、笑みを崩さずにこちらを見つめる彼を、愛しいと想わずにはいられなかった。 「――そ、そうか。儂も、お前に逢えて嬉しいぞ」 咳払いをしながら答えると、泰明の瞳が輝いたように見えた。 「天狗……」 自分を呼ぶその声は驚くほどに甘い。天狗は、思わず視線を外した。 いつもとは違う泰明に、胸の鼓動が速くなる。本当に、一体何があったのだろう。 そんな思考を巡らせていると、ふと背中に掌の形を感じた。状況を把握出来ないまま、視線を戻す。 「――なっ、や、泰明っ?」 反応が、一瞬遅れた。 胸に当てられた耳。背に回された腕。 泰明が自分に抱き付いていたのだ。容易に伝わってしまいそうなほどに、天狗の鼓動は激しさを増す。 「……天狗、聞いて欲しいことがあるのだ」 身動きを取れずにいると、泰明が顔を上げた。動揺している天狗にも、その表情は不安げに映る。 「――何だ?」 深く呼吸し、落ち着きを取り戻してから尋ねると、泰明の唇から言葉が紡がれた。 「……お前の傍にいると、私は口を噤んでばかりだ。だが……本当はいつでもお前のことを想っているのだ。私 は、お前を愛している。お前と一緒にいたいのだ」 「泰明……」 「――天狗……分かってくれるか?」 小首を傾げ、泰明は言う。澄んだ瞳が揺らいでいた。 だが、答えなど決まっている。 「――心配するな、ちゃんと分かっている。儂も……お前を愛しているから」 泰明の頭に手を置いた。彼が自分を想ってくれているということは言葉で伝えられずとも分かっている。この胸 に、泰明の想いは確かに伝わっているのだ。 「――良かった……」 天狗の答えに安堵したのか、泰明は小さく息を吐いた。その仕草に、愛しさが溢れ出す。 「――泰明、目、閉じろ」 口付けて、この想いを伝えたい。そっと、指先で泰明の唇をなでた。 「ん……分かった」 頷いて、泰明は瞼を閉じた。少しずつ、唇を近付ける。 そのとき。 「天狗、その者から離れろ」 凛とした声が響き、反射的にその方向へと顔を向けた。そこにいる人物を認識し、天狗は目を見開く。 「――泰明!?どうして……」 そこにいたのは、紛れもなく泰明だったのだ。しかし今、腕の中には口付けを待っている泰明もいる。 「理由は後で説明する」 混乱する天狗を余所に、もう一人の泰明は印を組んだ。 周囲が白い光に包まれる。腕の中にいた泰明は、その光に溶けるように消えて行った。 「泰明……一体どういうことだ?」 口付けを待っていた存在が完全に消えた後、天狗は泰明に尋ねた。あの存在が何だったのか、何故あのような ことが起こったのか。分からないことが多すぎる。 「――お師匠に新しい術を教えて頂いたのだ。それを使用した瞬間、あのような存在が生まれた」 泰明は、怪訝そうな表情で自身の掌を見つめていた。 「晴明の術か。それにしても、何故あんなお前が生まれたのかよく分からん。どんな術なんだ?」 天狗の脳裏に美しい友人が浮かぶ。どうやら先ほどの泰明が生まれたのは彼の術が原因らしい。しかし、その 術は一体どのようなものなのだろう。 「――天狗、その前にひとつ訊きたい。あの私は……どのような行動をとっていた?」 その問いには答えず、泰明は天狗を仰ぎ見た。 「ん?そうだな……微笑みながら逢えて嬉しい、と言った後、抱き付きながら儂と一緒にいたいと言っていた。それ から、口付けをしようとしても抵抗をしなかったな」 「……そうか……」 天狗の言葉に、泰明は軽く柳眉を寄せる。 「で、どんな術なんだ?」 「――言えぬ」 天狗が尋ねると、泰明はそれ以上は語らず唇を閉じた。 このような態度を取られては、却って詳細を聞き出したくなってしまう。 「……言え」 距離を詰め、泰明の瞳を覗き込む。 「天狗っ――」 「言え」 もう一度命じると、泰明は顔を横に向けた。応じないつもりなのだろうか。 だがしばしの沈黙の後、風音に掻き消されそうなほど小さな声が天狗の耳に届いた。 「――心の中の望みを具現化する術だ、と、お師匠はおっしゃった」 あまりにも意外な言葉に、面食らった後、笑い声を上げそうになった。 友人は、泰明の師は、とんでもない術を開発したようだ。 「――ほほう。つまり先ほどの行動は、全てお前が望んでいることだというわけか」 「――うるさい」 泰明の頬は、夕陽に照らされていてもはっきりと分かるほどに赤く染まっていた。 「素直になれ。先ほどのお前は実に愛らしかったぞ」 「――黙れ」 泰明の朱はますます濃くなる。だが、術によって生まれた存在のように微笑みながら想いを告げてはくれない。 しかし、それでも良い。 「――全く手のかかる……まあ、でも」 頬を両手で包み、こちらを向かせる。 「天狗、何をっ……」 「――閉ざしてばかりの唇から本音を紡がせるのも、悪くはないな」 噤まれた唇を開くために、そっと口付けた。 |
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