手に取った髪

 
 大きな羽音と共に、天狗は晴明邸の門前に降り立った。元日の夕暮れどき、都は入日の柔らかな光に包まれて
いる。
 泰明は帰っているだろうか。そう考えながら聖なる結界に手を伸ばし、力を送った。
 年が変わり行くとき、陰陽師が宮中にて行わなければならない儀は多い。北山で過ごしている天狗は、年が変
わってからは泰明に逢っていないのだ。
 彼がこの邸にいることを願いながら、美しい庭に足を踏み入れた。
 
 歩き続けると、質素だが清らかな気を漂わせた庵に辿り着く。中からは彼の気配がした。宮中での儀はもう終
わったようだ。
 一刻も早く顔を見たくて、一息に戸を開けた。
「泰明……」
 庵に入ったとき、目に映った後姿に天狗は軽い驚きを覚えた。
「――天狗。何の用だ」
 柳眉を寄せて泰明は振り返る。結われていなかった長髪が微かに揺れた。
 普段は顔の右側で纏められた、艶のある髪。だが、今はそれが結われていないのだ。よく見ると手には櫛を握
っていた。邸に帰ったため、長時間結い上げていた髪を梳かそうとしているのだろう。
「ああ、お前に逢おうと思ってな……」
「――どうした?」
 後ろ手に戸を閉めてから下駄を脱いで近付いても、髪から目を逸らすことが出来なかった。泰明は怪訝そうな表
情で天狗を見上げている。
 いつもは褥の上でしか見られない、纏めていない髪。それに見入ってしまったのだ。衣は襟を整えて着ているた
め髪との均衡が崩れており、そこに不思議な魅力が生じていた。
「……誘っているのか?その格好」
「――お前の考えは理解出来ない」
 口元を緩めて言うと、泰明は仄かに頬を染めて横を向いた。少しからかい過ぎてしまったらしい。
「――泰明」
 頭に手を置くと、泰明は視線を戻した。
 謝罪の意を込め、その唇に自身のそれを重ねる。
 泰明の手に握られていた櫛が、床に落ちた。
「――っ、いきなり何をする」
 唇を離すと、こちらを睨む泰明の顔があった。しかし頬の色は消えていない上、声に棘もない。敵意は感じられな
かった。このような表情で見つめられては、愛しいという気持ちが溢れ出すだけだ。
「――今年も、よろしくな」
 今年も、こうして彼に触れることが出来れば良い。そう思いながら泰明の髪を手に取り、唇を落とした。


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