互いの用は

「晴明」
 天狗は、窓の外から見知った部屋の中へと呼びかけた。
「ああ、来たか。急にすまないな」
 室内から穏やかな声が聞こえて来た。ほどなくして窓の傍へと来た彼は、そっと鍵を開ける。
 夜は、もう更けている。天狗は静かに窓を開け、素早くリビングへと入る。
 話があるので共に飲まないかと告げられたので、今日は晴明の自宅へと来た。このような時刻ではあるが、好
都合でもある。
「いや、良い。儂も用があったからな。ほら」
 天狗は、片手に持っていた包みを彼に差し出す。ナッツの入ったチョコレートを作って来たのだ。
 日付は先ほど変わった。今日は、二月十四日。バレンタインデーなのだ。
「……ありがとう。私の目的も、同じだ」
 晴明は速やかに窓の鍵を閉めてから、その手にあった綺麗な包みを天狗に見せる。
「――ありがとう」
 天狗は差し出されたそれを受け取り、礼を述べる。大切な者からの想いがこもった贈りものは、この上ない幸
せをくれるのだ。
「早速、ひとつ食べてくれるか?私の手作りなのだ。酒はその後で用意しよう」
 彼は天狗の持っている包みを開けながら、柔らかく笑った。
 一瞬、何をするつもりだろうと思ったが、すぐに分かった。
 晴明は、箱の中にあったシフォンケーキの一切れを持って、口の傍まで持って来ている。この手から食べろ、
ということなのだろう。
「……分かった」
 少し驚いたが、応えない理由はない。天狗はそっと口を開けると、そのケーキを味わった。
「どうだ?」
「美味い。儂も食べさせてやろう」
 甘みだけでなくほど良い苦味の感じられるケーキは、とても好みにあっていた。礼をするため、天狗は彼の持
っている包みをそっと開けて、中のチョコレートをひとつ持った。晴明がしてくれたように、ゆっくりその口もとへ
運ぶ。
 晴明は綻ばせた唇を少し開き、そのチョコレートを受け止めた。
「――ありがとう。酒にも合いそうだな。とても美味しい。また持って来てくれるか?」
 しばらくして、チョコレートを充分に味わったのか、晴明がこちらを見ながら尋ねた。
 その願いを、自分が拒むはずがない。
「……分かった、誓おう」
 天狗は、彼の包みを持っていない、空いているほうの手をそっと握った。
 手の甲を上に向け自分のほうへと引いてから、そっと唇を寄せる。
 願いを聞くという誓いの、証だ。
「……ありがとう」
 晴明は一瞬目を見開いてから、穏やかに笑った。
「お前も、儂にこれからも食べさせてくれるか?」
 彼と目を合わせ、問いかける。
 晴明は頷くと天狗の手を取り、甲へと唇を寄せた。
 互いの用は済んだが、もう少し彼と話して行こう。
 天狗はそう思いながら、礼の言葉を告げた。


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